Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

宝寿寺(2014年10月18日参拝)

2014-11-25 | 四国八十八箇所
今日は所用が愛媛県西条市であり、
全くもって無謀にも日帰りで行くことに。(^^;

片道5時間以上かかるんですけど。(泣)


まぁ、行くからにはお遍路にも行っておかないとね。

まずはお昼休みがあるという札所の宝寿寺に。
ここは昼の12時から1時間休憩して納経所が閉まるんですよ。

こんな所って他にあります?

昼に行って閉まっていたらショックですよね。
事前にネットで調べておいて本当に良かった。

小さいながらも無料駐車場がありました。



所在地:愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)天平年間(729-748)
開基:(伝)道慈律師
勅願:聖武天皇
中興:寛永13年(1636)
中興:宥伝上人
札所:四国八十八箇所


【縁起】
天平のころ聖武天皇は諸国に一の宮を造営した。
その折、この地に伊予の一の宮神社が建立され、大和の僧・道慈律師が勅命をうけて
法楽所としての別当寺を創建したのがはじめとされる。

このとき天皇は金光明最勝王経を奉納され、寺名は金剛宝寺と称して、
現在地ではなく中山川下流の白坪という地にあったと伝えられる。

弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(806-810)で、
寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった
十一面観世音菩薩像を彫造した。

これを本尊とし、寺名を宝寿寺と改めて霊場とされた。
そのころ国司の越智公夫人が難産で苦しんでいた。
大師が本尊に祈願した霊水・玉の井で加持したところ、
無事出産したことから安産の観音様としても信仰されたという。

ただ、中山川のたび重なる洪水の被害を受け、
天養2年(1145)に堂宇を再建し、山号も「天養山」と改めている。

以後、大山祇神社の別当寺として栄えたが、
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の戦禍で壊滅し、
さらに明治維新の廃仏毀釈令に遭い明治10年に再建されている。


【初号標】


こじんまりとした質素なお寺のようです。


【旧本堂】


かなり朽ちてきていますね。

参拝した時はこちらが正式な本堂だと思ってました。(^^;


【本堂】



【大師堂】



【香炉鉢】



【安産観音像】



【稲荷社】



【御朱印】



【感想】
お昼の札所が閉まるのは百歩譲って許せても、
「当寺は霊場会とは無関係です」という張り紙はいかがなものか。

どういう経緯か知りませんが、
関係無かったら札所を脱退すればいいのに。

納経代は年間では結構な額になるから、
他に札所になりたいお寺も多いと思うよ。

霊場会とは無関係なのに札所の朱印を押しているということは、
結局、利権だけは渡せないってことでしょ。

残念な寺の人達である。


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