Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

聖徳院(2014年7月5日参拝)

2014-07-17 | 仏閣
南隆寺の御住職に教えていただいた聖徳院に歩いて向かう。




聖徳院はこの看板のすぐそばにありますが、
ここを右折すれば郷照寺もスムーズに行けたんですよね。

ナビはここじゃなく一つ先で右折を指示していたので、
それを信じて行ったら南隆寺に行っちゃったんですよね。

郷照寺に行く人はナビを無視して、ここを右折しましょう。(^^;



所在地:香川県綾歌郡宇多津町1423−1
宗派:真言宗御室派
御本尊:聖徳太子
創建:不明
開山:空讃上人
札所:讃岐三十三観音霊場


【縁起】
聖徳太子は生前、親交のあった曽我氏の領地讃岐の国をしばしば訪れていたと伝えられます。
当時から港のあった鵜足津の地を派遣者や官人の休憩場所として利用していたそうです。

太子の没後、太子信仰が全国的に広まると、
多くの足跡を残した讃岐の国鵜足津の地にその徳を偲び、
法隆寺の僧行信により、天平8年(736)四国の太子信仰の道場として
建立されたのが聖徳院の前身とされています。

太子像が造立されたのは、保元3年(1156)から承元4年(1210)といわれています。
その時造られた七体のうちの一体が後白河院殿作として祀られ、
七堂伽藍を有する聖徳院として建立されました。

天承年中(1264年頃)鎌倉時代、執権北条長時の代、僧空讃上人により
真言宗に改宗「神・儒・佛」の精神道場として再興されました。

以後、度々戦火や火災があり、大正8年には大火災に遭い、院のほとんどを焼失しましたが、
幸いにも聖徳太子二歳立像と鎌倉・南北朝時代の仏像五体は無事残されています。


【山門】



【七福神】



【太師堂】


手前に仁王像。

聖徳太子二歳立像、十六歳孝養像、政治を司った時の摂政像と、
聖徳太子像が三体祀られているそうです。


【鵜足ノ松天満宮】



【鵜足ノ松跡】




仁和年中(885-888)には菅原道真公が讃岐の国司として立ち寄り、
記念に松をお手植えになり地名をとって「鵜足ノ松」と名づけらました。

千有余年の風雪に耐え、明治25年には国の天然記念物に指定。

しかし火災で焼失してしまったそうで、
今の松はその後に植えられた松です。


【観音堂】



【一畑薬師堂】




この辺りは京都の雰囲気を少しだけ感じました。


【水子五重塔】



【御朱印】

南隆寺(2014年7月5日参拝)

2014-07-17 | 仏閣
ナビを頼りに郷照寺へ向かう。

しかしめっちゃ細い道に誘導されお寺の本堂裏手の駐車場に到着。

小さいお寺でお遍路さんもいない。
どう見ても郷照寺とは思えないので本堂へ行ってみた。

ちょうど御住職がおられて少しお話をさせていただくと、
南隆寺というお寺でした。(^^;

御住職曰く、ナビで郷照寺にセットするとこの南隆寺に誘導される方が多いと仰っていた。

私もまんまとナビに間違って誘導されました。(泣)


まぁ、これも何かの縁ですので参拝させていたくことにした。

ちなみに駐車場手前の細い道で二手に別れるポイントがあるのですが、
左手の上に行くと郷照寺裏側の駐車場にいけます。



所在地:香川県綾歌郡宇多津町1437
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:寛正2年(1461)
開山:全庵一蘭和尚


【縁起】
当山は長禄四(1461)、細川勝元が大川郡福栄村(現東かがわ市白鳥町)にあった
寶光寺(今も同所に有り)を宇多津に移し南隆寺としました。

しかし、寛正七年(1466)には丸亀市に移され、東福寺と改められました。
その後、天正十六年(1588)生駒一正は高松築城にあたり、
この寺を浜ノ町に移し見性寺としました。

現在の南隆寺は、見性寺八世照山桃旭和尚により中興されたものであります。


【竜宮門】




昭和41年に建立された鐘楼門。

曹洞宗らしいですね。


【本堂】






新しく建立されたようで、
とても綺麗な本堂でした。

良いお参りが出来て良かったです。(^^


【境内】



御朱印はされていないとのこと。

御住職にこの地域はお寺が結構あるということで、
車を置かせていただいて、近くの聖徳院に行くことにしました。