写真師の「新カメラ日記」

JRP会員の橘が日々の事、撮影日記などを記録していきます。

金沢市犀川の夏 写真が語る沖縄

2015年06月29日 | 写真日記
  [金沢市 犀川の夏景色]

梅雨空の続いていた金沢市ですが、昨夜の雨がどこかに行ってしまったかのような青空が広がりました。
夏の金沢を代表する風景はやはりこの写真の犀川、室生犀星の育った川の夏の光景だと思います。
撮影場所は繁華街の片町から西茶屋街や忍者寺などの古寺が集まる野町・寺町へ向かうときに超える犀川に架かる犀川大橋の上です。
毎日金沢市民や観光客など多くの人たちが渡る橋から写しました。ちなみに犀星が育った寺の雨宝院は写真とは逆の橋の近くすぐ横にあり、犀川大橋から一つ上流の橋「桜橋」までの両岸の道を「犀星のみち」として多くの市民が散歩などを愉しみ観光の方たちは犀星を偲ぶ道ともなっています。

  [写真が語る沖縄 戦後70年・・・]

「沖縄と心をつなぐ女たちの会」が金沢市でとても大切な催し・写真展を主催してくれました。
その写真展「写真が語る沖縄 戦後70年と今」を最終日の今日金沢市西町にある第一会場の金沢大学サテライトプラザ、その近くの素敵な町屋カフェ「茶論 花色木綿(さろん はないろもめん」に行ってきました。
これまで沖縄戦争に関する写真は写真集などで見る機会がよくありましたが、こうして戦後の沖縄の実際を写真としてみる機会が少なかったことにあらためて気がつきました。
直接写真に関係することではありませんが、沖縄返還運動に参加して沖縄からパスポートを持って日本で働いていた友と肩を組んでデモの列の中にいたことなどが鮮明に思い出されます。
第二会場の「茶論 花色木綿」では水中に沈んでいた「しゃれこうべ」の写真に目が留まりました。私は「沖縄が名実ともに日本に返還されるまでは沖縄には行かない」と決めています。
もちろんたくさんの方が観光でも交流でもビジネスでも沖縄に行くことには大賛成ですしお勧めもします。私の娘のひとりも沖縄が大好きでよく行ってはお土産を持ってきてくれ、土産話を楽しんでいます。
私の母方の伯父が東シナ海、父方の伯父が沖縄の首里で戦争末期に兵士として戦場で亡くなり多くの戦死者と同様に故郷では骨のない墓が立ちつづけています。
とくに父が可愛がっていたという伯父は中国戦線から末期の沖縄に移動させられ本土防衛のために米軍の沖縄制圧を長引かせる捨て駒として戦わされました。
首里が落ちる5月末の司令部撤退前夜に伯父は爆雷を背負う人間地雷という米軍戦車に立ち向かう特攻兵として志願させられ雨の降り続く泥道を迫り来る戦車隊に向かったということで、その後の消息は不明のままです。
その時の伯父たちの姿が顕ちかえるような写真を見てせていただき本当にありがとうございました。

私は一日も早く米基地返還を願い闘い続ける沖縄の人たちと力を合わせて、本当の意味で平和な日本の沖縄が実現させる、その時こそ「伯父さんの死を無駄にしないために国夫は頑張ったよ」と伯父に報告するために沖縄を訪れたいと思います。
写真展を企画した方たち、本当にありがとうございました。



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