紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

祖父のこと 

2004-08-25 17:04:57 | 18・家族のことなど
私が生まれた時、すでに二人の祖父は亡くなっていた。だから、おじいちゃん、と呼んだ人は1人もいないのである。

最近、母方の祖父のことが気になってしかたない。
母は祖父の職業が嫌いだったので、あまりその話を聞いたことがない。石工をしていたそうだが、よくわからないままに、お墓の名前を彫る人だと思っていた。ところが、どうもそれだけではなかったらしい。

伊藤博文の墓を作ったことを知って、昨年ツアーを企画した。というのは、ちょっとオーバーだけど。
場所はごく近くの目黒。一緒にいったのは、母と、叔父、叔母、いとこ2人、私たち姉妹3人。(右上の写真:紅蓮撮影)

墓といっても、ちょっとかわった形だった。こういう風に石を丸くけずったりしたのだろうか? お墓を見せてもらった後、(その日は門が閉まっていたのに、わざわざ私たちのためにあけてくれたのだ)近くの神社に、祖父が作った狛犬があるというので、そのままみんなで見にいった。叔父さんは、今も、母方の実家に住んでいるので、そこらあたりのことを、よく知っているのだ。



なかなかの芸術作品である。70年も前に祖父が作ったまま、まだ残っているなんて、すごいなあと思って、けっこう感動してしまった。

祖父は、最後は仕事で壱岐の島にいっていた。どこかのお屋敷の塀だの石段だのを作っていたそうだ。そこで、脳溢血で倒れ、亡くなった。今も島には祖父の作ったものが残っていて、そこには、「椎谷儀重」作と名前が入っているそうだ。見に行ってみたいなあと、最近思っている。
祖父が亡くなったのは、53歳だった。私もそろそろ、その年齢になる。

8 コメント

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おじいさま (polo)
2004-08-25 20:59:18
おじい様がただの石工ではなくて、芸術

作品を手がけた人だとわかって、よかった

ですね。内心、誇らしい気持ちでしょうか。

児童文学作家だけあって、文章がしっかり

しています。53歳と言えば私の姪が

同世代です。思えば懐かしい遙かかなたの

年齢です。ますます活躍できる、年頃です。

カメラを構えたのが貴女でしょうから

これには写っていないでしょうね。

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poloさんへ (紅蓮)
2004-08-25 23:06:53
また遊びにきてくださって、どうもありがとうございます。

そんなになつかしい、遙かかなたの年齢でもなく、時はあっという間に過ぎゆくような気もしています。



写真を撮ったのは、私です。あたり!

明日もぜひ見にきてください。poloさんがいっていらした、八ヶ岳関連のニュースをのせます。
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こま犬 (お玉)
2004-08-26 00:35:05
ぐっと迫力がありますね。

こま犬って、そういえば石工さんがつくるのですよね。



やっぱり職人さんによって、

微妙に違うのでしょう。

紅蓮さんのおじいさんは、何をどんな風に考えながら

掘ったのでしょうね。
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お玉さんへ (紅蓮)
2004-08-26 07:08:44
祖父が亡くなった壱岐の島のことも、お玉さんの、「島が読んでいる」で思い出したので祖父のことを書いてみました。

そのこま犬を見て以来、あちこちにあるこま犬が気になるようになって、足をとめて見てしまいます。
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品川でしょう (久我山散人)
2015-08-30 07:44:04
目黒ではなくて
品川区ですよね
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散人さんへ (紅蓮)
2015-08-30 07:59:21
駅は目黒区内だけど、お墓があるのは品川区だっけ?
このときから11年、2人が鬼籍に入ったと思うと、このときいけてよかったなあと思います。
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Unknown (Unknown)
2015-08-30 20:51:00
伊藤博文公墓所 品川区西大井6-10-18
 壱岐以外で、他におじいさんの作ったものは?
  コマ犬の正確な場所は?
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散人さんへ (紅蓮)
2015-08-30 22:23:50
この日、荏原に住んでいる叔父が案内してくれた小さな神社。そこには祖父の彫った狛犬が、ありました。
たぶん、もっと他にもあるけど、叔父がなくなったので、私よりは姉の方が詳しいと思います。
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