私が生まれた時、すでに二人の祖父は亡くなっていた。だから、おじいちゃん、と呼んだ人は1人もいないのである。
最近、母方の祖父のことが気になってしかたない。
母は祖父の職業が嫌いだったので、あまりその話を聞いたことがない。石工をしていたそうだが、よくわからないままに、お墓の名前を彫る人だと思っていた。ところが、どうもそれだけではなかったらしい。
伊藤博文の墓を作ったことを知って、昨年ツアーを企画した。というのは、ちょっとオーバーだけど。
場所はごく近くの目黒。一緒にいったのは、母と、叔父、叔母、いとこ2人、私たち姉妹3人。(右上の写真:紅蓮撮影)
墓といっても、ちょっとかわった形だった。こういう風に石を丸くけずったりしたのだろうか? お墓を見せてもらった後、(その日は門が閉まっていたのに、わざわざ私たちのためにあけてくれたのだ)近くの神社に、祖父が作った狛犬があるというので、そのままみんなで見にいった。叔父さんは、今も、母方の実家に住んでいるので、そこらあたりのことを、よく知っているのだ。
なかなかの芸術作品である。70年も前に祖父が作ったまま、まだ残っているなんて、すごいなあと思って、けっこう感動してしまった。
祖父は、最後は仕事で壱岐の島にいっていた。どこかのお屋敷の塀だの石段だのを作っていたそうだ。そこで、脳溢血で倒れ、亡くなった。今も島には祖父の作ったものが残っていて、そこには、「椎谷儀重」作と名前が入っているそうだ。見に行ってみたいなあと、最近思っている。
祖父が亡くなったのは、53歳だった。私もそろそろ、その年齢になる。
最近、母方の祖父のことが気になってしかたない。
母は祖父の職業が嫌いだったので、あまりその話を聞いたことがない。石工をしていたそうだが、よくわからないままに、お墓の名前を彫る人だと思っていた。ところが、どうもそれだけではなかったらしい。
伊藤博文の墓を作ったことを知って、昨年ツアーを企画した。というのは、ちょっとオーバーだけど。
場所はごく近くの目黒。一緒にいったのは、母と、叔父、叔母、いとこ2人、私たち姉妹3人。(右上の写真:紅蓮撮影)
墓といっても、ちょっとかわった形だった。こういう風に石を丸くけずったりしたのだろうか? お墓を見せてもらった後、(その日は門が閉まっていたのに、わざわざ私たちのためにあけてくれたのだ)近くの神社に、祖父が作った狛犬があるというので、そのままみんなで見にいった。叔父さんは、今も、母方の実家に住んでいるので、そこらあたりのことを、よく知っているのだ。
なかなかの芸術作品である。70年も前に祖父が作ったまま、まだ残っているなんて、すごいなあと思って、けっこう感動してしまった。
祖父は、最後は仕事で壱岐の島にいっていた。どこかのお屋敷の塀だの石段だのを作っていたそうだ。そこで、脳溢血で倒れ、亡くなった。今も島には祖父の作ったものが残っていて、そこには、「椎谷儀重」作と名前が入っているそうだ。見に行ってみたいなあと、最近思っている。
祖父が亡くなったのは、53歳だった。私もそろそろ、その年齢になる。
作品を手がけた人だとわかって、よかった
ですね。内心、誇らしい気持ちでしょうか。
児童文学作家だけあって、文章がしっかり
しています。53歳と言えば私の姪が
同世代です。思えば懐かしい遙かかなたの
年齢です。ますます活躍できる、年頃です。
カメラを構えたのが貴女でしょうから
これには写っていないでしょうね。
そんなになつかしい、遙かかなたの年齢でもなく、時はあっという間に過ぎゆくような気もしています。
写真を撮ったのは、私です。あたり!
明日もぜひ見にきてください。poloさんがいっていらした、八ヶ岳関連のニュースをのせます。
こま犬って、そういえば石工さんがつくるのですよね。
やっぱり職人さんによって、
微妙に違うのでしょう。
紅蓮さんのおじいさんは、何をどんな風に考えながら
掘ったのでしょうね。
そのこま犬を見て以来、あちこちにあるこま犬が気になるようになって、足をとめて見てしまいます。
品川区ですよね
このときから11年、2人が鬼籍に入ったと思うと、このときいけてよかったなあと思います。
壱岐以外で、他におじいさんの作ったものは?
コマ犬の正確な場所は?
たぶん、もっと他にもあるけど、叔父がなくなったので、私よりは姉の方が詳しいと思います。