Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

秋の入り口

2014-08-30 13:11:38 | 埼玉
写真はさいたま市の桜草公園にある、ラグビー場の芝生です。写真にすると一見きれいな芝生に見えますが、実際は雑草も混ざっており、芝生と同じ高さに刈っているので見た目だけそう見えるだけです。今日は何人か、ラガーマンがラグビーボールのパス回しの練習をしていました。年齢的には若くはなさそうでしたが、それでも筋肉質な上体や、速そうな足を見ると、人間年齢だけではないと思います。

もちろん、彼らは高校時代にラグビーをやっていたなどの下地はあるでしょうが、私もいろんな筋トレをやっていたら少しずつですが体が締まってきました。この芝生を見て、競馬の馬ではないですが走りたくなって100mほど走ってみました。今日は埼スタのサッカーがあるので無理には動きませんでしたが、明日元気だったら走ろうと思います。

写真は青空がきれいだったから撮ったものでもあります。雲だけ見ると夏ですが、実際は秋の風も時折混ざっており、厳しかった夏の暑さもそろそろ終わりかなと、季節の移り変わりを感じた今日でした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元祖闘将(柱谷哲二)

2014-08-30 12:13:43 | 他チーム
今日は埼玉スタジアムの大宮戦に行くので、即日更新ができなかった場合に備えて穴埋めネタを用意しておきます。ワールドサッカーのビデオは家族に不評なので、明日に回すとして、今回は昔話で、元日本代表で闘将と呼ばれたCB、柱谷哲二選手(現J2水戸監督)の思い出です。柱谷は兄幸一も元日本代表ですが、代表に入っていた時期に差があるので、同時に代表だった記憶はありません。

私はJリーグ開幕と同時にサッカーを見るようになったミーハーファンなので、日本リーグ時代の柱谷は知りませんが、日産自動車(現横浜FM)からJリーグ開幕に合わせてV川崎(現東京V)に移籍しています。当時、憎らしいほど強かった、V川崎のCBとして、駒場でレッズが痛い目に遭わされたイメージが強いです。

もっとも、そんな柱谷哲二と、相性が良かったのが当時の浦和GK土田尚史(現浦和GKコーチ)です。当時は120分戦って同点だとPK戦というルールがあったので、土田と柱谷哲二は何度かPKで対戦していますが、何度も止めていて、内緒の話と言いながらレッズフェスタで明かしていました。

当時はレッズ以外のサッカーは見ていませんでしたから、柱谷哲二のイメージはドーハのときの日本代表です。直前に病気になりながら、驚異の回復力で直前のアジアアフリカ杯、コートジボワール戦で120分出場して、ドーハで行われた最終予選に間に合わせました。

今思うと、そんなにうまいDFではなかった印象ですが、彼の場合は気持ちでカバーするCBでした。闘将と呼ばれた柱谷は、井原と組んだCBでオフトジャパンを支えた原動力でした。それでも、ドーハのイラク戦でロスタイムに同点弾を食らってW杯に出られなかったのは彼のサッカー人生で痛恨事でしょう。

それでも、柱谷哲二はその後も代表を続け、ファルカン監督時代の広島アジア大会、加茂監督時代のイングランドとの親善試合も経験しています。柱谷哲二のプレーで一番思い出せるのが、そのイングランド戦です。1-1の同点で終盤に突入して、日本代表がウェンブリーで引き分けに持ち込めるかとの土壇場で、柱谷哲二のハンドでPKになり、彼は退場、PKも決められて敗れました。

フランスW杯を目前にした時期で急速に衰え、W杯のピッチには立てませんでしたが、敵ながら印象に残る選手だった記憶です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする