Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

低めの158km(ギャレット)

2020-06-30 22:21:04 | 他スポーツ
今日の西武ライオンズは、相手失策につけこんだ3得点を、高橋光成、平井、ギャレット、増田の継投で守り切って3-2の勝利を収めました。栗山の詰まった中前打と、外崎の遊ゴロの間の得点という、点の取り方は地味でしたが、8回を抑える中継ぎとして存在感を増している、新外国人選手リード・ギャレット投手を取り上げます。

ギャレットはアメリカではマイナーリーグが主戦場だった地味なキャリアで、メジャー経験はデトロイト・タイガース時代の2019年の1年だけです。メジャーでの成績も、13試合登板で防御率8点台と戦力になったとは言えない内容です。いわば、「原石」の状態で日本にやってきた、未知の戦力でした。マイナー時代は先発の経験もある投手ですが、西武では最初から中継ぎの期待だったようです。

彼の特徴で優れているのは、低めのストレートです。最速158kmを誇る剛速球で、今日の試合でもオリックスの強打者吉田正尚を詰まらせた二ゴロに打ち取っています。これがボールになると苦しいですが、今日の投球は安定してストライクゾーンに投げられており、相手が待ってくるとカウントを追い込むことも可能です。

また、変化球には縦のスライダーがあります。今日は捕手の森が目先を変えるための見せ球に使っていましたが、これが決まるようになってくれば相手にストレート狙いをさせないだけの投球が可能になってくるでしょう。今の状態は良く、オリックスの下位打線が相手ならストレートで空振りを取れる内容です。

まだ、走者を背負ったときにどれほどのマウンドさばきができるかなど未知数のところもありますが、チーム最速の剛速球は使える武器です。こんな選手がマイナーリーグにいるのですから、アメリカの野球の裾野は相当広いと、違う意味での驚きも感じました。今年は6連戦が基本と強行日程なので、できるだけ連投させないようにと辻監督も配慮しており、彼が8回を抑える中継ぎとして一年間プレーできるようなら、今年の西武は楽しみになってきます。
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横浜FM戦プレビュー

2020-06-29 22:14:29 | 浦和レッズ
無観客のリモートマッチですが、ついに待ちに待ったJリーグが今度の土曜日に再開します。浦和レッズの相手は横浜FMで、ホーム埼玉スタジアムが会場です。浦和は2月に行われたルヴァン杯仙台戦、リーグ戦の湘南戦と、内容に課題は残したものの連勝し、楽しみにしていたところでのコロナ中断でした。

もっとも、今度の相手は前年のチャンピオンチームであり強いです。ポステゴグル監督のサッカーは4-3-3で後ろからつなぎ、多少の安定感は犠牲にしても、攻撃の際に走り込む枚数が多く相手の守備の対応が間に合わないというサッカーで勝ってきました。この相手だと、今季の浦和は4-4-2の新システムに挑戦し、守りの枚数が去年より減っているので守備は苦しい対応を強いられるでしょう。

また、ベルギー2部リーグにレンタル移籍していたMF天野が戻ってきています。この、中盤を整えるバランサーの復帰は横浜FMにとっては好材料で、彼がパスを出すときに何人が敵陣に走り出しているかが横浜FMの勝負ポイントです。ウイングの仲川と遠藤渓太の両サイドも横浜FMの強みです。

浦和としては、こちらもスピードあるサッカーを見せて勝負を終盤に持ち込みたいです。練習試合の町田戦でコンディションが整っていないところを見せてしまっていますが、その後の非公開練習である程度整備できたとサポーターとしては信じたいところで、はまったときには興梠とレオナルドの2トップが前を向いて仕掛けられる、新システムの強みを出したいところです。

この、戦術的攻防が面白そうな試合で現地観戦が叶わずテレビ観戦とは、実に残念ですが、映像でも70%ほどはゲームのポイントを追えるので、その7割でわかったことを、このブログに載せることを楽しみにしています。
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ハンゲショウ

2020-06-29 22:08:00 | 埼玉
戸田の彩湖・道満グリーンパークの野草園で見かけた珍しい植物「ハンゲショウ」です。名前の由来は夏至の一週間後の「半夏生」の時期に葉が白くなる説と、葉が半分白くなるので半分化粧したようだという説の二つがあります。お目当ての菖蒲は終わっていましたが、これを見たことで幾分気が晴れました。



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パリーグ最多登板(平井克典)

2020-06-28 21:11:53 | 他スポーツ
今日の西武ライオンズは、9回裏無死満塁から森友哉のサヨナラタイムリーで勝ち越して4-3で勝利しました。先発与座は2回までで3失点したもののその後持ち直して6回3失点でまとめ、中継ぎ陣も踏ん張ったことで同点で9回を迎えられました。その中継ぎ陣の中から、去年パリーグ最多登板記録の81試合を作った平井克典投手を取り上げます。

平井は静岡県の飛龍高校時代は控え投手だった過去があります。一つ目のブレイクは愛知産業大学時代で、3年生のときに2部だったチームをエースとして引っ張って1部昇格を勝ち取っています。もっとも、大学時代には社会人野球からのオファーはなく、社会人野球の強豪Honda鈴鹿に売り込んで自ら入社を勝ち取っています。

今のサイドスローはHonda鈴鹿時代からです。この投げ方で都市対抗野球で2勝を挙げてベスト8にチームを導き、西武からはドラフト5位で指名されて入団します。西武というチームは下位で指名した社会人の投手を、最初から中継ぎにするつもりで採用する傾向があり、平井も中継ぎという期待で入団してきます。

もっとも、サイドスローの投手が成功するためには、球筋を見やすい左打者をどう抑えるか次第です。入団1年目から一軍だった平井ですが、当時は左打者相手に起用しても大丈夫な信頼は得ておらず、右打者を平井が、左打者を野田が抑える起用がなされていた時期もあります。左打者相手に起用しても大丈夫となったのは、2年目の2018年からです。左打者のインコース低めのストレートの制球が良くなったからです。

去年は大きなブレイクになりました。すべて中継ぎで81試合に登板し稲尾和久氏の78試合登板の記録を塗り替えましたが、稲尾氏は先発のマウンドが多かったので単純比較はできないです。それでも、スライダーの切れという意味ではパリーグ屈指の投手になり、好調なら内川や中田翔あたりからでも空振りが取れるようになってきました。

それでも、去年はさすがに使い過ぎたようで、終盤に平井が打ち込まれたことがCS敗退の原因になりました。今季もなかなかコンディションが上向かず苦しみましたが、コロナの開幕延期が彼にとっては幸運だったようで調子が戻ってきました。今年は7回の中継ぎということで、配慮しながらの起用になってくると思いますが、今季も頼れる中継ぎでいて欲しいものです。
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3セーブ目(増田達至)

2020-06-27 22:40:26 | 他スポーツ
今日の西武ライオンズは、序盤に先発松本が打ち込まれて常にリードを許す厳しい展開ながら、中継ぎ投手陣の頑張りで持ちこたえ、7回裏に山川穂高の3ランで逆転し勝利を収めました。今年も、西武はこういう勝ち方が多くなるのではという予感もありますが、陰のMVPとも言える9回を無失点で締めた抑えの増田達至投手を取り上げます。

増田は兵庫県の淡路島の出身で、社会人野球のNTT西日本では抑え投手でした。当時から、最速152kmを投げていた剛腕タイプで、2012年のドラフトで、現ソフトバンク東浜を外した西武が外れ1位で指名して入団してきます。このドラフト指名後に、絶対にプロで成功してみせると、恋人と入籍した度胸も持っています。

その精神力の強さはプロ向きで、西武での1年目の2013年に既に、7回を抑える中継ぎとして一軍に定着します。翌2014年にも44試合中継ぎとして登板すると、2015年には田辺監督が「8回増田、9回高橋朋巳」の継投の方針を決め、8回を抑える中継ぎとして72試合に登板し40ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手賞を受賞しています。

もっとも、増田という投手はストレート以外にはスライダーしか持ち球のないシンプルな投手です。そのため、ストレートの球威が落ちるとまともに結果に跳ね返ってきます。辻監督時代の2018年、ストレートの球速が140km前後まで落ちており、打ち込まれて自信を失い、二軍で走り込みから始めるという、彼にとっては大きな挫折も味わうことになります。

2019年シーズンは、当初抑えはヒースだったものの開幕戦の乱調で二軍落ちしました。このタイミングで増田が抑えに返り咲くことになります。前年の失敗を受けて、増田自身もすべての調整法を見直して、150km投げられる体を作りなおす努力をしました。それが奏功し、抑えに戻るとともにプロ通算100セーブの記録も作ります。

今日の投球は、いいときの彼らしく、ストレートで攻める投球ができていました。バレンティン、長谷川から連続三振を奪い、上林には三塁打を打たれたものの後続を断ちました。今年はほぼすべての週が6連戦と厳しい日程ですが、抑えに計算が立つと野球がやりやすくなります。未知の領域である「最優秀救援投手」も狙って欲しいものです。
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逆転満塁本塁打(木村文紀)

2020-06-26 21:28:53 | 他スポーツ
今日の西武ライオンズは、中盤でソフトバンクに逆転される悪い流れながら、8回裏に放った木村文紀の逆転満塁ホームランで7-4と逆転勝利を収めました。今日は文句なしのヒーロー、木村文紀選手を取り上げます。木村は地元埼玉栄高校の出身で、西武には高校生ドラフト1巡目で投手として入団してきます。背番号も当時の渡辺久信監督の「41」と期待されていました。

しかし、投手としては結果が出ず、外野手に転向することになります。もともと、長身でパワーもあり、俊足強肩で守備がいいなど、野手向きの特徴を持っていたからこその転向でした。しかし、木村は打つ方で苦労することになります。彼には思い切って振りに行く特徴故に、三振が多いという欠点があります。

下位打線の木村には、つなぐことが要求される場面も多いですが、そういう場面で何も変化を起こせない三振はイメージが悪く、チャンスで打順が回ってくると代打を出されることも多い打者でした。パワーはあり、2014年には100試合に出場して10本塁打も放っていますが、この年は三振が三桁という不名誉な記録もあります。

木村にとって、ブレイクのきっかけになったのは2017年の辻監督の就任でした。辻監督に代わってから、ベンチ入りの野手がそれまでの攻撃重視から俊足の選手に変わり、足のある木村は代走や守備固めで一軍入りのきっかけをつかみました。このあたりから、二軍には落とされない信頼を得るようになります。

去年のシーズンは30歳にして最大のチャンスになりました。浅村がFAで抜けてポジションが一つ空くのは彼なりにチャンスと意気込んだようで、右翼手のポジションをものにして、自己最多の130試合に出場し打率は2割2分ながら本塁打は11本を放ちます。守備は評価していると球団に評価され、年俸も4500万円までアップしました。

今季はここまで打率は1割台と結果が出ていませんでしたが、打球は強い打球を飛ばせていると解説の松沼博久氏から評価されていました。昨日タイムリーで勢いが出ていたところで、今日は最高の結果が出ました。2018年にはサヨナラホームランも打っており、打率が稼げるようになってくればもっとベンチの信頼を得るでしょう。それを楽しみにしています。

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工藤公康の記憶

2020-06-25 22:53:30 | 他スポーツ
今日もライオンズ敗戦のため、ネタは別の場所から持ってきます。対戦相手のソフトバンク監督、工藤公康さんの記憶です。工藤は1983年にドラフト6位で西武入りしていますが、社会人野球の熊谷組と仮契約を結んでいて問題になりました。当時の西武は、そういうルールギリギリで選手をスカウトしていた、プロ志望届が必要な今では許されない出来事だったでしょう。

工藤は左腕ということもあって、入団1年目から中継ぎで期待されます。当時の工藤はストレートとカーブだけというクラシックな投手でしたが、球が速ければ抑えられる時代でした。先発に転向したのは3年目の1985年で、8勝を挙げて防御率1位のタイトルを取り、翌年から就任した森監督にはエース格の期待を集められました。

工藤のブレイクはその森監督の初年度(1986年)でした。先発ローテーションに定着して11勝を挙げ、広島との日本シリーズでは第5戦の延長12回にサヨナラヒットを放ち、このシリーズで1勝2Sを挙げてシリーズMVPを受賞します。翌年も日本シリーズでMVPを取り、若手有望株としてチームメイトの渡辺久信とともに取り上げられる存在でした。

西武ではローテーションをほぼ守り続けて活躍していましたが、球団設備の改善の要望が受け入れられなかったことで1994年限りでFAを行使してダイエーホークスに移籍して西武を去ります。このあたりから、工藤のつけていた背番号「47」が左腕投手の憧れの番号になり、西武帆足、のちのソフトバンク杉内ら、47番を希望した左腕投手が多くなってきました。

工藤は長持ちの選手でした。西武時代に結婚した妻の実家が茨城県鹿嶋市で、オフに住友金属鹿島のグラウンドを借りて練習できたことも好循環になりました。専属トレーナーを用意するなど体のケアには気を使い、西武、ダイエー、巨人の3球団で優勝を経験するなど「優勝請負人」と呼ばれました。

最後は横浜からトレードで古巣西武に戻り、その年限りで現役に別れを告げました。今のソフトバンク監督は、コーチ経験なしという異例の抜擢人事でしたが、ここ2年連続日本一と結果が出ています。監督としては王監督の采配を参考にしていると話しており、今の強いソフトバンクを勝たせるのも彼の手腕でしょう。
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ランタナ

2020-06-24 22:48:02 | 埼玉
今日はライオンズ敗戦でネタがないので、先日撮ってきた近所の写真から、ランタナの花を載せます。夏の入り口から、11月近くまで咲き誇る、寿命の長い花です。
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投げ方の改善(高橋光成)

2020-06-23 22:33:19 | 他スポーツ
今日は会社を早く上がれたので、プロ野球の西武対ソフトバンクを見ていました。開幕3戦で打率が2割ちょっとと湿り気味だった西武打線が今季初めて爆発して11-3という大勝を飾りました。ヒーローは先制の満塁ホームランの新外国人スパンジェンバーグですが、彼の特徴はまだつかめていないので、今日先発して5回1/3を投げて勝利投手になった高橋光成投手を取り上げます。

高橋光成は前橋育英高校時代に夏の全国高校野球甲子園大会の優勝投手になっています。もっとも、2年生で全国優勝したものの3年生ではさほど目立っていなかったので、西武にドラフト1位で指名されたときは「そういえば優勝投手だったな」程度のインパクトでした。西武では先発投手として育てる方針で田辺監督時代から出番を得ていましたが、当時の成績は4勝11敗とローテーション入りを約束できる数字ではありませんでした。

ブレイクを果たしたのは去年です。当時の西武の先発投手は、菊池雄星がメジャー移籍で抜けており、しかも最多勝の多和田と11勝の榎田が開幕から調子が出ない崩壊状態でした。そこにうまく入り込んだのが高橋光成です。キャンプからうまくアピールして先発3番手の位置をつかむと、防御率こそ4点台ながら10勝(6敗)を挙げてシーズン終盤まで一軍に残る活躍を見せました。

去年、高橋光成の投球を生で見る機会がありました。そこで投げ方を見ていると、以前コントロールを気にするあまり縮こまっていた投げ方がダイナミックに素直に投げるフォームに変わっていました。このフォーム改造で、以前は147kmほどだったストレートの球速が、今は150kmを超えるボールを投げ込めるようになっていました。

ストレートが速くなれば他の球種も生きてきており、140kmのフォークや130kmほどのスライダーでも空振りを取れるようになっていました。まだ、四球で無駄な走者を出すこともあって防御率は良くないですが、今季はエースのニールに次ぐ2番手くらいの扱いです。チームの中心として、一年間ローテーションを守って欲しいのが期待です。

今季は延長戦が10回打ち切りという特別ルールということもあって、早い回から中継ぎを投入できるので、今日は6回途中3失点で降板しました。それでも勝てたことで、勝ち運は持っていると言えます。今季は規定投球回数や二年連続の二桁勝利など、期待されるものは大きいので、是非ともそれに応えて欲しいものです。
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左差し速攻(琴奨菊)

2020-06-22 22:30:15 | 他スポーツ
今の番付こそ平幕下位ですが、元大関の実績を誇る琴奨菊の記憶です。琴奨菊は福岡県柳川市の出身で、高校は明徳義塾に越境入学しています。先日引退した高校時代からのライバル豊ノ島と、国体の高知県選抜で団体戦を組んだこともある浅からぬ縁です。琴奨菊は平幕時代はブログ力士としても知られ、ファンからの質問に答えたりもしていました。

豊ノ島もライバルですが、大相撲の世界でのライバルは稀勢の里だったことでしょう。ちょうど同じ時期に大関に昇進し、日本出身力士で10年間途絶えていた優勝を争うライバルでした。琴奨菊対稀勢の里は対戦回数の多さで歴代最多という記録が残っており、同じような位置で毎場所対戦があったからこその記録です。

その、日本出身力士10年ぶりの優勝は、琴奨菊が先に達成することになります。稀勢の里が何度も惜しい位置まで行きますが、勝負弱さで何度も逃していました。その隙に初優勝を果たしたのが琴奨菊で、当時は左四つ速攻という明確な型がありました。白鵬、日馬富士、鶴竜の壁を自力で突破した、掛け値なしの快挙でした。

当時、初優勝と自身の結婚が重なったので、「日本一幸せな人」と当時ちょっとした話題になりました。気配りの人という一面もあり、関取残留が危なかった雅山に手紙を書いて激励したことや、巡業でお客さんの入りが悪かったゾーンで自らサイン会を開いてお客さんを呼んだというエピソードも紹介されていました。

もっとも、この優勝は31歳のときで、この強さは長続きしませんでした。負傷続きで膝のテーピングが取れることはなく、初優勝から1年後には大関陥落という苦い結果に終わります。翌場所で10勝すれば復帰でしたが、なんとあと1勝足りない9勝に終わり、その後は平幕で長く相撲を取ることになります。師匠の佐渡ヶ嶽親方は引退はさせないと明言しており、平幕でも取ることは了解の上でした。

今は、6場所連続負け越し中と、幕内維持が危ない状況にあります。それでも、よく36歳まで相撲を取っており、年寄株「秀ノ山」も持っており指導者になることはできます。左を差せば今でも速攻を見せられますが、最近は土俵に落ちることも多くなってきました。長く頑張って欲しいですが、目標は勝ち越しということになるでしょう。
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