Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

ゼロックス杯プレビュー

2008-02-29 22:52:37 | 他チーム
そろそろ、サッカーの生観戦に飢えてきている私は、当日券でも買って明日のゼロックス杯でも高見の見物と行こうかと思っていました。ところが、チケットの発売状況を見てみると、指定席はほぼ完売で、自由席しか残っていないようです。スタジアムに行ってチケットがなかったり、自由席を押さえても席がなくて最後列で立ち見になったらつまらないので、明日どうしても行きたくならない限り行かないでしょう。

見所は、挑戦者のJ2、広島の戦い方です。当然、昨年2冠の鹿島の方が力は上のはずですから、何か戦術的工夫を見せて鹿島の弱点をあぶりだすようだと面白い試合になります。メンバー的には、広島には柏木も残り、移籍したのはウェズレイと駒野くらいですから、駒野のポジションに李漢宰を入れて、去年同様に戦ってくると思います。

ただ、柏木はアキレス腱の炎症で調整遅れが言われており、出たとしてもベストコンディションではないでしょう。そのため、天皇杯決勝とほぼ同じメンバーで戦うものと予想されます。あのときは、鹿島が早い時間で先制したこともあって、徹底して広島の良いところを消すサッカーで勝負してきました。

しかし、今回のゼロックス杯は、チームの仕上がり具合を見るための試合ですから、鹿島は自分たちの良いところを出そうとしてくるはずです。その攻撃サッカーに、広島の守備陣が持ちこたえられないと、大差の試合になる恐れもあります。ただ、サッカーは11人しかフィールドに置けない以上、どんなシステムを引いてもどこかに穴は空きます。

昨年の天皇杯準決勝では、右MF野沢と、右SB内田の間のスペースを川崎Fに狙われて、鹿島は苦戦しました。それの再現を、広島には期待したいです。
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悲運をバネに(近藤徹志)

2008-02-29 20:40:18 | 浦和レッズ
昨日は風邪で更新できませんでしたが、ネタは考えていました。今までネタにしたことがないレッズの選手で、実戦を生で見ている選手が一人いました。それは、愛媛FCへの武者修業から帰ってきた、近藤徹志選手です。近藤は東福岡高校から、大型DFとして2005年に浦和に入団しました。

新人のときに、埼スタ第二グラウンドで行われたサテライトで見たのが、最初の生観戦でした。このときの印象はボールコントロールがしっかりしていることでした。無理に長いパスは狙わなかったので、攻撃力がどのくらいかはわかりませんでしたが、少なくともボランチに預けるまでは正確にできていて、難しいプレーをさせなければ、控えには置けそうに思えました。

そんな近藤には、意外と早くチャンスがやってきました。その年の6月に行われた、大宮とのナビスコ杯予選リーグでした。この試合でスタメンに抜擢された近藤は、相手の元ブラジル代表のクリスティアンを封じる役割が与えられていました。しかし、運命は無情なものです。近藤はこの試合で、開始4分で負傷してしまいました。

これで、近藤が浦和のトップで通用することをアピールできる場はなくなってしまいました。その後はリハビリに明け暮れ、復帰してからもサテライト暮らしが続きました。2006年シーズンは浦和のトップチームは優勝を果たしましたが、サテライトの成績は奮いませんでした。

そのため、このままでは若手の成長に悪影響が出ると思った浦和は、選手層が薄くなるリスクを承知で、彼ら若手をレンタルでJ2のチームへ出しました。近藤も愛媛FCにレンタルで移籍しました。ただ、J2といえどもポジション争いは確実にあり、近藤は浦和時代のチームメイトの南とCBのポジションを争い、勝って試合に出ることができました。

愛媛FC時代の近藤は、東京Vとのリーグ戦を見ました。このときの印象は、愛媛FCはずいぶん現実主義の戦い方をするなというものでした。中盤でつなげる技術はないから、単純に縦に蹴って俊足FWを走らせるものでした。そのため、CBの近藤には、試合の6割以上が守備という厳しい負担がかかっていました。

しかし、この試合では相手キーマンのフッキを完封して1-0での勝利に貢献しました。浦和時代よりも、体の強さが増した印象で、これなら、昨年のネネよりは良いプレーをしてくれそうに思えました。最初はベンチスタートでしょうが、チャンスを辛抱強く待って欲しいものです。
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遅咲きの右SB(西村卓朗)

2008-02-27 20:46:31 | 他チーム
今や大宮の不動の右SBですが、浦和時代はサテライトで苦労した西村卓朗選手の思い出です。西村は、国士舘大学入学時に浪人を経験していて、体力を落とさないようにするためスポーツ専門の予備校に通っていました。そのため、大卒の同期入団の選手より、一つ年齢が上です。

サテライト時代の西村の印象は、すごいクロスを上げたかと思うと、次のクロスを大きくふかしたり、プレーが安定していない印象でした。もともと、西村の狙っていた右アウトサイドのポジションは、浦和では山田の指定席で、当時の監督は替える必要を感じてなかったようでした。

そのため、西村の居場所は常にサテライトでした。確かに、何度もオーバーラップしてシンプルにプレーするスピード感は好きでしたが、このまま浦和にいたら厳しいかなと感じていました。ただ、右アウトサイドの控えにする予定だった平川が、左アウトサイドでポジションを取ったので、右アウトサイドの控えは手薄でした。

そんな理由で西村は、トップ出場経験のない選手にしては異例の、4年目の契約を浦和と結びます。結果的に、この年にプレーしていたことが大宮からのオファーを呼びました。この2004年は、前年下位に低迷した大宮は、主力選手をほとんど入れ替えていました。それまでの右SBの若松は本来CBの選手で、攻撃力に課題があったこともあって、当時J2だった大宮で西村は念願のポジションを奪いました。

西村にとって幸運だったのは、ポジションを奪ってからの大宮が奇跡的な連勝街道に乗り、そのままJ1に昇格したことです。西村にとって、浦和ではどうしても手が届かなかったJ1のピッチを、大宮で実現することができました。

ただ、J2時代は安藤正裕というベテランのサイドハーフがサポートしてくれたので、思う存分上がれましたが、前の選手が藤本や久永など攻撃的な選手に代わったことで、守備に重きを置くようになりました。ただ、守備に回っても西村のプレーは決して悪くありませんでした。C大阪の左アウトサイド、ゼ・カルロスを完封した試合もありました。

一時、波戸にポジションを奪われていた時期はありますが、昨年のロバート監督が波戸を左SBに回し、西村はポジションを奪回しました。浦和のサテライトにいた姿からは、30歳を過ぎた今も現役の西村は想像できませんでしたが、埼玉ダービーで元気な姿を見られるのを楽しみにしています。
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荒川静香の金メダル

2008-02-26 20:35:15 | 他スポーツ
NHKのスポーツ名場面ランキングで、1位になったのは、岡野のVゴール(1997年)でもハンカチ王子(2006年)でもなく、トリノ五輪で金メダルを取ったフィギュアスケートの荒川静香さんの演技でした。私にとっては、フィギュアスケートは苦手な分野で、技の名前と実際の演技が一致しませんし、何回転回っているかも映像からは読み取れません。

伊藤みどりさんが広めた、トリプルアクセルも、単に3回転半回っているというマスコミの記事を知っているだけです。このトリノ五輪は、日本選手は男子スピードスケート4位の及川や、女子スピードスケート4位の岡崎朋美ら、メダルが取れそうで取れないという展開が続いていました。

サッカーもオフ期間でしたから、何とか日本選手のメダルが見たいと、何回か早朝に起きましたが、結果は伴わず、諦めかけていた頃でした。ただ、荒川静香の演技は、ちょうど出勤前の食事中で、しっかり生中継で見ていました。このときは上位のスコアが伸び悩んでいて、荒川静香にとってはビッグチャンスでした。

何とかジャンプで転倒しないでくれと、祈りながら見ていたことを思い出します。フィギュアスケートの演技は、相手のスコアに応じて調整することはないと聞いたことがあります。当日の練習の内容を見て、コーチが指示することはありますが、駆け引きはあまりなく、選手が出せる最大の演技を引き出せれば、結果は負けでも仕方ないという考えのようです。

そういう意味では、このときの荒川静香は、皆が驚くような大技はありませんでしたが、自分の持てる力を最大限に発揮してくれたと思います。のびやかに滑り、思う存分自分自身を表現した姿を見たら、これは金メダルだろうという確信がありました。また、複雑な技はわからない、我々一般人も、イナバウアーだけは誰でもわかりました。

イナバウアーは得点にはカウントされない技ですが、みんなの印象に残る演技をしたかったから、入れたそうです。採点競技は、ソルトレーク五輪で不正があったり、本当に公平に採点してくれるか疑問を感じることもありますが、この荒川静香の演技は、皆の心を震わせた、すばらしいものでした。これなら、文句なしです。
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祝、なでしこ優勝

2008-02-25 20:57:24 | レディース
昨日のなでしこジャパンの中国戦は、ニュースでゴールシーンしか見ていませんが、なでしこジャパンの国際大会初優勝は嬉しかったので記事にします。過去にも書きましたが、東アジアでは中国と北朝鮮がずっと2強状態が続き、なでしこジャパンはなかなかこの壁を破れない状態でした。

初めて、この壁を破ったのは1995年の女子W杯でした。当時は現解説者の野田朱美さんがエースストライカーで、本大会に出場した日本は1次リーグでブラジルに勝ち、決勝トーナメントに進んでベスト8に入りました。当時は五輪の出場権は地域ごとに予選を行う形ではなく、女子W杯のベスト8が条件だったので、日本は翌年のアトランタ五輪に出場しました。

しかし、五輪では体格差が埋まらず、1次リーグで敗退しました。このとき、当時17歳だった澤がトップ下のポジションを奪い、出場しています。しかし、その後は女子サッカーは冬の時代を迎えました。当時のLリーグの強豪チームだった日興証券、シダックス、プリマハムといったチームが次々撤退し、世界中から代表選手を集めていたLリーグの隆盛は終わりました。

これは、女子代表にも悪影響を及ぼしました。2000年のシドニー五輪は、女子W杯で1次リーグで敗退したため出場できず、日本の女子サッカーはこのまま衰退してしまうのかと思いました。しかし、この冬の時代、世界を相手に技を磨いていた選手がいました。アメリカ女子サッカーリーグのアトランタでプレーしていた澤です。

澤は、女子サッカーを盛んにするには、自らチームを引っ張り、アテネ五輪に出るしかないと思っていました。その結果、アテネ五輪の予選で強豪の北朝鮮に勝って五輪出場を決めました。本大会でも、世界トップレベルのスウェーデンに勝って8強に入り、この年からついたなでしこジャパンの愛称にふさわしい活躍でした。

これで、女子サッカーに一気に追い風が吹きました。日テレ・ベレーザも選手の待遇をアルバイトから正社員にしましたし、社会人セミプロチームの東京電力マリーゼや、練習環境の良い浦和レッズレディースもできました。

こういう流れができた今、なでしこジャパンには何かインパクトのある結果が欲しかったですが、今回の東アジア選手権の優勝は十分インパクトのある結果です。中国と北朝鮮に、同じ大会で同時に勝ったのは初めてです。夢物語に思えた北京でのメダル獲得も、ありえない話ではなくなりました。これからのなでしこジャパンの動向には注目したいです。
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オオイヌノフグリ

2008-02-24 17:37:36 | 雑記
タイトルだけ見ると、ひどくえげつないもののように思えますが、実はオオイヌノフグリとは可愛い青色の小さな花をつける、春の代表的な植物です。花の時期は長く、今日近所を散歩していたら、オオイヌノフグリはつぼみをつけていて、開花は間近に迫っていることがわかりました。

オオイヌノフグリはGWくらいまで見られる花ですから、野草にしては相当長命の花です。このえげつない名前は、植物学者が花の可愛さではなく、実の形が犬の例の部分に似ているということでつけてしまった名前で、英語あたりで全然違う愛称でもつけてくれたらと思うこともあります。(ふぐりって何?と姪っ子に聞かれたら困るので)

しかし、これだけ寒い日々が続いていても、春の花は確実に開花に向かっています。このオオイヌノフグリでよくわかりました。今週末は強風で、土手や公園などの自然の多い地へは行けませんでしたが、母の話では確実に芽吹いているそうです。長かった冬ですが、確実に終わりに近づいているようです。
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浦和史上最強のDF(ギド・ブッフバルト)

2008-02-24 16:31:02 | 浦和レッズ
監督としても一流だったギドですが、選手としてはもっとすごかった記憶があります。当時は私がサッカーをあまりよくわかっていませんでしたが、ボールに正確に行けるスライディングタックルや、日本人FWにはめったに負けなかったヘディングの強さなど、ベテランとはいえ、ドイツサッカーの凄さを目の前(駒場のバックスタンドから見ると、本当に目の前という感覚でした)で見せてくれました。

よく、闘莉王とギドが、その攻撃参加で比較されることがありますが、攻撃参加の回数や流れの中で点を取る能力なら闘莉王の方が上回っています。しかし、ギドには決して闘莉王にはないものもありました。それは、このタイミングならボールを失わないという絶妙のタイミングで上がれることです。

ギドがオーバーラップするときは、だいたい相手のチェックが緩く、中盤にぽっかり穴が空いている隙を狙うものでした。決して華麗なドリブルではありませんでしたが、このタイミングならボールを失わないという自信がある状態で上がっていましたから、ギドがボールを失って慌てて戻るというシーンは記憶にありません。

闘莉王は、まだまだ、変なタイミングでボールを失うことがあります。ここで取られるとまずいなというところで取られ、鈴木啓太や坪井に負担を掛けさせるシーンはたまにあります。これがなくなれば、闘莉王もギドの域に迫ったと言ってもいいのですが、今はまだ「ギドを上回るDFはいまだに浦和に加入していない」と思っています。

ギドを上回るDFになれる可能性のあったDFはアルパイでした。代表キャップ数はギドと互角で、W杯優勝のギドにはかないませんが、アルパイもW杯3位の経験があります。事実、4バックでサイドからクロスを上げてくるタイプの相手にはアルパイは強く、先にいいポジションを取ってヘディングでクリアするセンスは高かったです。

しかし、アルパイはピッチの中では我を忘れて熱くなる問題点がありました。後先を考えずにタックルに行って余分なカードをもらう不安定さでは、精神的にも支柱だったギドを上回ったとはとても言えません。そのため、いつかギドを超えるDFを見てみたいと思ってはいますが、それは実現しないまま今日を迎えています。
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後半良かったが(2/23日本対韓国)

2008-02-23 21:39:35 | ワールドサッカー
東アジア選手権の日本対韓国戦、見ていました。序盤は韓国の流れで、日本はパスが全然回らず、韓国の正確なロングキックの前に後ろを向かされる展開でした。韓国のスタメンで知っている名前は金南一(神戸)、呉章銀(元FC東京)、ヨム・ギフン(アジアカップ代表)くらいで、すっかり許丁茂監督がチームを変えていました。(追記:ヨム・ギフンは漢字で書くと廉基勲だそうです。)

しかし、そんな若手主体の韓国が、日本の攻勢をうまくいなしながらロングボール主体で戦う、すっかりベテランのようなチームを作っていたのには驚きました。ゴールも見事な形でした。サイドを崩すところまでは、普通の攻撃でしたが、中央で受けたヨム・ギフンが後ろ向きで受けて体を反転しながら決める見事なゴールで、先制点は韓国に入りました。

日本は1トップで、MFで崩す形を狙っていたはずです。ただ、負傷者が続出している日本は、攻撃的MFという個人技が必要な位置に、本来守備の職人タイプである橋本を置かざるを得なかったのは不運でした。そうするくらいなら、播戸あたりをスタメンで行って欲しかったですが、とにかく前半は0-1で折り返します。

しかし、今の日本は、岡田監督の指示がわかりやすいからなのか、途中から修正が効きます。田代のポストプレーにフォローがつくようになりましたし、負傷を押して強行出場の安田も、思い切って個人技で仕掛ける自分の役割をきっちりこなしてくれました。山瀬の豪快なミドルは指示してできるようなプレーではありませんが、チーム全体の流れが良くなっていたこともこのゴールを生んだ一つの要因でしょう。

ただ、北朝鮮戦の引き分けが響いて、この試合は勝つしか優勝の可能性がなくなっていました。そのため、どうしても無理して攻めざるを得なくなり、韓国のカウンターを中澤がアジアトップレベルの守備で何とか止めるというシーンも目立ちました。

最後は、矢野、播戸を入れてパワープレーを仕掛けましたが、矢野はどうもパワープレーには向いていないらしく、長いボールでは持ち味が出ないようです。矢野本来の持ち味は自己犠牲ができる運動量ですから、それが出せる展開で入れたかったと思います。

結果は優勝できませんでしたが、東アジア選手権の優勝自体には、私は特に意味はないと思います。むしろ、あれだけ不利な判定を耐えた中国戦や、韓国相手に奪った同点ゴールなど得たものはあったと思います。出番の少ない代表選手にチャンスを与えられましたし、今回はこれで良かったと思っています。
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韓国戦プレビュー

2008-02-22 20:47:21 | ワールドサッカー
明日は東アジア選手権の最終日、日本対韓国の試合があります。韓国代表は、アジアカップ終了後にピム監督が辞任して、韓国人の許丁茂監督が就任しています。許丁茂監督といえば、2002年W杯に向けての強化で、幹部の投票の結果1998年に韓国代表監督になりました。

しかし、成績は一向に上がらず、2000年のアジアカップの不振で解任されました。その後、有名なヒディンク監督が韓国代表を建て直したことで、韓国は開催国の面目を保ちましたが、許丁茂監督にはあまり良いイメージがありません。

おそらく、韓国のマスコミは日本の岡田監督のことを「フランスW杯3戦全敗の監督」と言って、馬鹿にしているかもしれませんが、自分達も似たようなものです。代表監督が代わっているので、アジアカップのサッカーはあまり参考になりませんが、アジアカップでは清水にいたチョ・ジェジンの1トップに、李天秀、ヨム・ギフンをサイドに置くサッカーをしていました。

李天秀は、オランダのフェイエノールトに移籍したので、明日の試合には出ないと思います。また、マンチェスターUの朴智星、イングランド2部のソル・ギヒョンも出ないでしょう。しかし、朴主永という若手のFWが台頭してきて、ユースレベルでは散々苦しめられた相手です。A代表で当たるのは初めてだと思いますが要注意です。

韓国は、最終ラインが高齢化しているのが問題でしたが、ピム監督が思い切って若手を抜擢しています。その流れは、許丁茂監督も変えていないでしょう。昔は、韓国代表はとにかく日本だけには勝てという世論があり、日本戦だけがちがちのマンツーマンディフェンスで来ることもありました。

しかし、今は日本戦といえども、強化試合の一環で、将来につながる試合ができるかに注目が移っています。アジアカップの3位決定戦で当たったときもそうでしたから、東アジア選手権の優勝がかかる試合といっても、極めて普通の試合に落ち着くと予想しています。もっとも、主審が中国人で、極端なジャッジをするようなことがあると、荒れる恐れもありますが。
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審判の国籍(2/20日本対中国)

2008-02-21 20:32:02 | ワールドサッカー
中国は近くにある割には情報が入ってこないチームなので、監督が外国人になっていたことも知りませんでした。最初のうちは、中国にもゲームプランがあって、それは右SB内田の守備力をフィジカルで狙うものでした。

足が速くドリブルの切れもあって、いいところばかりが目立っていた内田ですが、球際に弱いのは課題で、そこを突いてくる相手と当たれたのは収穫になったと思います。中国のサッカーは、最初はサイドハーフのスピードを生かして、長いボールに走り込ませる形が主体でした。

ただ、いったんサイドに起点を作ったら、高さとパワーで勝負してくるところは中国らしい点で、CBの中澤や今野は相当忙しい展開になりました。前半は食事をしながらの観戦だったので、日本の先制ゴールの場面で駒野がどうやってスペースに入り込んだのかわからないのが残念です。

この得点はゴールを決めたのは山瀬ですが、ニアサイドでGKと競り合ってくれた田代を評価したいと思います。しかし、皆さんもご存じの通り、途中から中国がラフプレーに走ったのは本当に残念です。また、主審の人選も疑問で、北朝鮮の主審では、中国が勝ったほうが自国に有利になるという発想が出てくるくらいのことは、主催者は考えなかったのでしょうか。4ヶ国と関係ない、中東やアジア以外の主審にすべきだったと思います。

日本と中国の差は一つはっきりあって、それはぎりぎりのボールをマイボールにできるか、タッチラインを割って相手ボールにしてしまうかという差です。一見小さな差に見えますが、積み重なると大きな差になってきます。しかし、その差を埋めるのがラフプレーでは中国サッカーは進歩しません。

たまたま、主審の判定が明らかに中国寄りだったので、退場者は出ませんでしたが、普通に裁いたら安田に蹴りを入れたGKは退場でしょう。そのため、岡田監督が怒ったのは当然ですし、怒らないようでは代表監督ではないでしょう。こういうことがあると、負傷を恐れてベストメンバーを送らなくなり、ただでさえ疑問視される東アジア選手権の価値がもっと下がってしまうでしょう。せめて、主審の人選くらいは工夫が欲しかったです。
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