Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

取られにくいトップ下(アーセナル対ウエストハム)

2015-08-30 21:56:57 | ワールドサッカー
今日は雨でトレーニングは室内となったので、目論んでいた公園の写真はなしです。しかし、時間があったので、撮り貯めたビデオから、プレミアリーグ開幕戦のアーセナル対ウエストハムを見ていました。アーセナルは2年前に埼スタに来ているメンバーが残っており、移籍加入した選手も有名どころなので、メンバーや戦術はすんなり頭に入ってきました。

この試合は、南米選手権でチリを優勝に導いたサンチェス(17番)が、疲労を考慮されてベンチスタートでした。できれば使いたくないが、昨年のチーム得点王なので、展開によっては出さざるを得ないというのが、今季でアーセナル20年目になる名将ベンゲルの判断だったのでしょう。昨年、優勝したチェルシーにつけられた勝ち点の差は主に前半戦で、後半戦にコクラン(34番)をアンカーに置く4-3-3に組み替えたところ機能したので手ごたえを感じての開幕でした。

しかし、この試合はアーセナルより、相手のウエストハムの方が印象的な試合になりました。イングランドプレミアリーグは、選手の平均年俸が4億円という驚異的なレベルにあり、昨年12位のウエストハムも、マルセイユからフランスリーグアシスト王のフランス代表MFペイエ(27番)、ユベントスからイタリア代表DFオグボンナ(21番)を補強できました。新監督のクロアチア人、ビリッチ氏は「トップ10をめざす」の抱負でした。

このペイエが、一番印象的な選手になりました。私も、20年のサッカーファン歴があるので、次第にデータベースが貯まっており、「トップ下が取られると結構大きなピンチになる」ということはわかってきました。浦和でも、バインやポンテは取られなかったからこその、名ゲームメーカーだったのです。

ペイエは先制点につながるFKを入れて、セネガル代表クヤテ(8番)のヘディングシュートを引き出すキックの精度もさることながら、目についたのはそのキープ力でした。ペイエにボールを入れれば、パスにしてもクロスにしても、何らかのプレーで完結しており、アーセナル相手といえど、取られにくい能力を発揮しました。

調べると、フランスリーグで200試合以上に出ている28歳のベテランで、次のW杯の候補というわけではないかもしれませんが、覚えておくとどこかで役に立つかもと思いました。試合は2-0とアウェイのウエストハムの勝利に終わり、開幕戦はチェルシーがスウォンジーに引き分けるなど、波乱のスタートでした。
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機能しなかったアウトサイド(8/29横浜FM対浦和)

2015-08-29 22:47:49 | 浦和レッズ
今日の横浜FM対浦和はテレビ観戦でした。結果は0-4の惨敗と、雨の中参戦なされた方は風邪などひかぬよう、気を付けてください。浦和が負けるとすれば、前半で2点以上リードされた場合だけで、1点なら追いつけると思っていましたが、その2点目が致命傷になりました。

その場面、直接斎藤に競り負けた宇賀神に責任がありますが、今日のJリーグタイムで小島伸幸氏の解説を聞いていると、皆少しずつポジショニングがずれていたという話です。確かに、縦に突破されたスペースですが、そこは森脇がいるべき位置です。映像を見ると、森脇は前にいて、関根に「戻れ」と言っていたようですが、そういう、他人任せにしてしまったちょっとした気のゆるみが原因だったように思えます。

また、横浜FMが打った浦和対策が当たったともいえます。ミシャサッカーはアウトサイドが面白いように空く、アウトサイドを警戒すればバイタルエリアで何本もパスを回すと、両面の攻撃パターンがあります。この日の横浜FMは、アウトサイドを捨ててバイタルエリアに絞った守備で、浦和の中央を消す手でした。

もともと、一昨年横浜FMが優勝争いをした要因に、ボランチの富澤と中町が守備的な役割をしっかりこなし、中村俊輔を攻撃に専念させたというものがあります。今回は、中村俊輔の運動量が増えており、ボランチの位置まで下がって、カウンターからボールを引き出す動きまでできていました。4バック3ボランチともいえる、横浜FMの中央の堅さを見ると、浦和はアウトサイドを使いたかった試合でした。

しかし、この日は両アウトサイドの関根、宇賀神の出来が相当悪かったと感じています。関根はポジショニングが悪く味方のパスを受けられず、宇賀神も前に張りすぎてサイドの突破をDFであるべき槙野に任せっぱなしでした。直接失点のきっかけを作っただけでなく、ポジショニングの悪さ、ファウルで1枚イエローをもらった宇賀神の前半での交代は当然の判断でしょう。

それでも、浦和にも少しだけチャンスがありました。それは宇賀神out、ズラタンinで勝負した後半の頭10分ほどです。この時間は関根もボールを受けられるようになり、シャドーの武藤も左アウトサイドに回った梅崎も、数多くボールに触っていました。シュートに至る直前でクリアされる場面が目立ちましたが、一つだけ柏木のパスからズラタンが打った決定機がありました。これが枠を外れたことが、結果的に敗因となりました。ここで1-2にしていれば、まだまだわからない試合でした。
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谷井選手、銅メダル

2015-08-29 12:38:04 | 他スポーツ
今日は、世界陸上北京大会の50km競歩で、32歳のベテラン谷井選手が銅メダルを取りました。今季は、20km競歩で、鈴木選手が世界新記録を出し、いつになく競歩が注目されていた大会でしたが、その鈴木選手は負傷棄権と期待はしぼんだかに見えました。

しかし、この世界新記録の効果は確実にありました。世界陸上を放送するTBSが、競歩を中継したところに期待が現れていました。競歩は、片足は地面につけて「歩く」競技ですが、日本ではマラソンより長い時間道路を占有するという理由で、これまではあまり歓迎されていなかった競技でした。

当時富士通所属の今村選手が、初めて世界陸上で7位入賞を果たして、初めて日本でも認知度が上がりました。走ってしまうと失格になる、人間の走りたくなる本能を抑えつけて不自然に歩く競技なので、選手はストレスを感じないのだろうかと、素人目には感じる競技です。

しかし、歩くといっても、マラソンの距離でも3時間前後でゴールできるほどのスピードがあります。市民ランナーが走るよりは速いです。よく、競歩の選手が歩き、芸能人が走るハンディキャップマッチがバラエティ番組で行われますが、芸能人は猫ひろしのような例外を除けば、元アスリートの武田修宏(元東京V)あたりでも全然通用しないほどです。

今回、銅メダルの谷井選手は、自衛隊体育学校の所属です。かつては、東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉選手を輩出した古豪ですが、競歩に力を入れていたのは初めて知りました。自衛隊は射撃などの競技に強いイメージでしたが、谷井選手は、同じチームの新井選手と並走したことが、この結果を生んだ理由の一つです。

リオ五輪でも、競歩を観てみようと思えた、価値ある銅メダルだと思います。
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肉体改造3年目

2015-08-28 23:05:51 | 雑記
kobby肉体改造、3年目に入りまだやっています。今年は、2か月に1レースマラソンを入れるという目標を立て、上半期に2月さいたまシティマラソン(3km)、4月に彩湖エコマラソン(5km)、5月にベジタブルマラソンin彩湖(5km)と3レースを消化できました。夏場の暑さで無理はしないと判断して、夏場は近所のトレーニングルームでランニングマシンを30分走っていました。

もちろん、トレーニングルームは単に夏の暑さを避けるためだけではなく、筋力トレーニングを行うという目的もあります。ランニングマシンはいつも混んでいますが、筋トレのマシンは比較的すいており、自分の弱点である三角筋(肩の後ろの筋肉)、大胸筋などを鍛え、パワーアップして秋のロードレースを迎えられそうと期待しています。

また、長友佑都のトレーニング本の体幹トレーニングも定番にしました。この本はメニューがたくさんあるので、自分に合ったものをチョイスしてやっていますが、次第にできる回数が増えてきており、トレーニングルームに行かない日でも体は鍛えられると、気持ちが前向きになっています。

その結果、弱かった体の後ろ半分の筋肉も鍛えられ、椅子に座っていても背筋を触れば筋肉の感触があるようになりました。過去、富士登山競走や富士登山駅伝、フルマラソンなどに挑戦した20代が、自分のベストの時期のように思っていましたが、当時は心肺機能こそ驚異的な水準だったものの、弱い体に無理やり強い負荷を掛け、仕事で眠くなる悪循環を招いていたという反省があります。

今、復活してその当時の教訓を生かせる場が得られたのは、幸せなことです。運動はしてもいいが、強い体を作ってその範囲内で運動する、仕事に影響を出さない範囲の運動にして、平日はウォーキング中心にするなど、自分なりに工夫して体を作ってきました。

その成果を出すべきときはこれからです。目標は10kmロードを年内に走ることですが、たとえできなくても5kmのロードには出て、運動習慣が復活した、自分にとって記念すべき1年にしたいものです。
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浦和の草花

2015-08-27 21:40:08 | 埼玉
先日、埼スタに行く前に所用で浦和駅前にいました。その途中で撮った草花の写真です。夏は花が少ない季節と思っていましたが、実際はこれだけたくさんの花があると、コンパクトデジカメで写真を撮れたからこそ理解できた真実です。

















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日本代表発表

2015-08-27 21:28:46 | ワールドサッカー
今日は、W杯予選カンボジア戦、アフガニスタン戦を戦う、日本代表メンバー23人が発表になりました。私はカンボジア戦に参戦する予定ですので、今回の代表発表は注目していました。最近、私のブログに選手の写真が載るようになりましたが、今回は本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、長友佑都の写真を撮る、千載一遇の好機です。席もバックスタンド前から2列目の良席で、楽しみにしています。

もちろん、W杯予選という真剣勝負ですから、欧州組も含めたベストメンバーを呼ぶのは当然のことです。しかし、ハリル監督はジーコ氏のように、海外組だから無条件に呼ぶようなことはなく、チームでの出場機会を考慮して呼んでいるようです。「半分くらいはJリーグから選びたい」と東アジア杯当時はコメントしていました。

今回、川島がスタンダールを退団して行先が決まっていない事情で、久しぶりにそれ以外のGKにチャンスがやってきました。今回、GKは西川、東口、六反が選ばれていますが、浦和サポの私としては西川に期待したいところです。こういう、守備機会が1、2度あるかどうかという格下相手の試合でも、西川の持っているフィールドプレーヤー並みのパスセンスは生きるはずと思っています。

興梠の代表選出は驚きでした。岡崎慎司のバックアッププレーヤーの位置づけでしょうが、ライバルの大迫の負傷で巡ってきたチャンスです。FWというポジションは交代が多いことを考えると、岡崎が交代したときに代わりに出てくるのが興梠という可能性はあります。かつて、岡田監督時代に代表を外され、久しぶりのチャンスなのでものにして欲しいです。

浦和サポとしては興梠の代表選出には複雑な思いもあります。理由は、同じポジションのズラタンもスロベニア代表に呼ばれていることです。彼らが同時に離脱する、新潟とのナビスコ杯2試合は苦戦は免れないという思いもあります。興梠とズラタンのどちらかがいないタイミングは何度かありましたが、同時にいないのは初めてで、おそらく1トップに入るであろう、李には頑張ってもらい、サポーターの不安を払しょくして欲しいものです。

また、長谷部と原口が代表として埼スタのピッチに立ちます。成長した姿を、浦和サポに見せる好機ですから、彼ら二人の好プレーも期待したいです。
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横浜FM戦プレビュー

2015-08-26 22:20:12 | 浦和レッズ
浦和は今週末の土曜日、アウェイ日産スタジアムで横浜FMと対戦します。横浜FMは浦和にとっては相性の悪い相手で、ずいぶんいろんなところで負けてきたイメージです。埼スタこけら落としの0-2(2001年)、チャンピオンシップのPK負け(2004年)、エンゲルス最終戦の1-6(2008年)などが思い出せます。

もっとも、今季埼スタでは勝っています。横浜FMは一昨年にマルキーニョスが抜けた後の1トップに苦労しているチームで、なかなか決め手のある選手が出てきていません。伊藤翔が5得点とそれなりには点を取っていますが、FWとしての期待だったであろう元U-20ブラジル代表のアデミウソンが、実はMF向きだったという、ちょっとした誤算もあります。

横浜FMはフランス人のモンバエルツ監督が率います。まだ、埼スタでの1試合しか見ていないので、どういう監督か理解するには至っていませんが、その試合では普通に4バックで戦い、奇策を打つタイプではなさそうと感じています。そのため、去年までの樋口監督時代のイメージを持ち出しますが、当時の樋口采配はミシャサッカーの浦和、そのサッカーに近い広島という、似たタイプの両チームに対し相性の良さを誇っていました。

ミシャサッカーの特徴は、3-6-1のアウトサイド2枚が、4バックの相手にとってマークしにくいというものです。一見、4バックの横浜FMには強そうなイメージですが、横浜FMはボランチが下がることによって、SBが思い切ってアウトサイドについていいという約束事を作ったのが、浦和や広島に強かった理由だと思っています。

サッカーの戦術は、あくまでサポート的な役割で、相手にとって「何かやりにくいな」というイメージを持たせれば、戦術としては成功です。逆に、誰が誰に付くか、しっかりと役割を決めてしまえば守備側の勝ちです。そんな攻防戦が、当時の樋口サッカーと浦和との間にありました。私はテレビ観戦ですが、そんな攻防戦を見られることを楽しみにしたいと思います。
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塩野七生「コンスタンチノープルの陥落」

2015-08-25 22:18:42 | 雑記
今日はネタが思いつかなかったので、穴埋めネタで昔読んだ本から、塩野七生さん著の「コンスタンチノープルの陥落」の思い出です。1453年、1000年以上続いたローマ帝国の流れを組む東ローマ帝国が、オスマントルコに滅ぼされた攻防戦の様子を描いた小説です。塩野さんは古代ベネチア語を母国語のごとく読めるので、このストーリーも東ローマ帝国に援軍を送ったベネチア側の目線で書いています。

コンスタンチノープルは非常に高い文化水準を持っており、ベネチアの銀行で振り込んだお金をコンスタンチノープルで引き出せました。当時は輸送方法がガレー船という手漕ぎ船で、イスラム教徒の海賊もいたので現在のように100%の信頼性ではなかった時代でした。おそらく振込手数料は現在とは比べ物にならないくらい高かったのだろうとは思いますが、それでも現代につながる文明の礎はそんな昔から続いているものです。

当時のオスマントルコ国王、スレイマン1世は世界中を侵略したアレクサンダー大王に憧れていました。そのため、コンスタンチノープルを包囲して商売をするベネチア人から税金を取った方がもうかるとわかってはいても、ここを征服して一気にヨーロッパになだれ込みたいという意図だったのでしょう。事実、この戦争の後、オスマントルコは欧州の東半分を支配し、あと一歩のところでウィーンを落とすところまで攻め込みます。

それでも、東ローマ帝国もさすがは戦上手のローマの流れをくむ国でした。コンスタンチノープルは街の中心は金角湾という入江の奥にあり、陸地側のトルコが攻め込みそうな箇所は3重の城壁で食い止め、湾の入り口には鎖を張って当時のガレー船では侵入できないような防御態勢を築いていました。

さすがのトルコといえど、湾の外側から届くほどの大砲は持っておらず、この戦いは長期戦になりました。どうやってトルコが攻略したかは、ネタバレになってしまうので、興味のある方は本を参照していただくとして、これで世界の流れは変わり、トルコが世界有数の大帝国になる大きな一歩になりました。

ベネチア寄りの視点なので、オスマントルコファンはちょっと気に入らない本かもしれませんが、イスタンブールに旅行を予定されている方がいらっしゃれば、この本は面白く読めると思います。
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九州の旅の記憶

2015-08-24 21:55:42 | 雑記
今頃になって、自分にとってしばらく行っていない遠出の、2012年の九州の旅を思い出しました。あの当時、勤めていた会社にリフレッシュ休暇という制度があり、1週間ぶち抜きで好きなときに休んでよかったので、W杯最終予選のオマーン戦(日曜日)、ヨルダン戦(金曜日)の間に空いていた時間で、浦和レッズのアウェイ、サガン鳥栖戦に行っていました。

その鳥栖戦は負け、レッズの応援という意味では残念な旅に終わってしまいましたが、この旅は九州という場所の良さを発見できた旅でした。当時、福岡タワー、ヤフオクドーム、柳川、吉野ヶ里遺跡などを巡っている旅でしたが、当時のブログネタになっていない、その間が素晴らしかった思い出です。

柳川から鳥栖は行きにくいルートで、柳川は西鉄が走り、鳥栖はJRが走るという位置関係です。そのため、当時の私は柳川の川下りを終えたあとのタクシーで、西鉄柳川に行かず直接JRの瀬高という駅まで乗り付けました。当時の旅は平日の昼間でしたから、当然瀬高駅には誰もいません。当時、既に九州新幹線はできていましたが、JRの在来線も30分に一本の鈍行を、門司港から熊本までの長距離列車として走らせていました。

瀬高駅で電車を待っている間はブログの原稿を考えていましたが、その静かな時間は、こういう文章を考えるには絶好の環境でした。当時、マンUに移籍が決まった香川真司のことを書いていた記憶があります。九州では、そんな静かな場所はたくさんあり、吉野ヶ里遺跡の最寄り駅も、鳥栖から4駅しか離れていないのが嘘のように静かでした。

一見大都会に見える天神も、一歩路地を裏手に入ると静かな場所があります。都会のラッシュや、騒音で苦しくなると、時折そんな九州を思い出すことがあります。そんな九州、福岡県久留米市出身のチェッカーズが、東京の人波を見て、最初はお祭りをやっているのではと感じたほどです。

それでも、私はだいぶ元気になってきました。もう一度九州へ旅立てる日を楽しみにできるだけの健康は取り戻した感があります。夢に思っていればいつか叶うと、そう思っていたいものです。
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仙台戦マニアック分析

2015-08-23 17:29:35 | 浦和レッズ
前半終了間際、ビハインドのはずの仙台は浦和の最終ラインからボールを取りに来ませんでした。4バックへの交代も行わず、いったい仙台はどういうゲームプランなのだろうと疑問を持った前半終了でした。それはあとで明らかになりましたが、仙台は4バックでは浦和の攻撃を抑え切れないと考えていて、2トップにするのは最後の20分と決めていたようです。

これなら、浦和は那須、阿部勇樹、柏木と西川でボールを回して時間を使えばよく、前半は2-1と浦和リードで折り返します。それでも仙台は出てきませんでした。もちろん、そのままでは負けてしまう仙台は、梁か野沢が持てば思い切って人数を掛けるということは考えていたようです。右SBの菅井が、左SBの蜂須賀が持っているときに、FW的にゴール前に入っていたプレーもありました。

仙台にとって、金園outハモン・ロペスinは想定通りだった交代でしょう。ポストプレーヤーの金園をスピード型のハモン・ロペスと替えることで、ハモン・ロペスはうまく浦和DFの間でボールを持つ狙いはできていました。しかし、右SBの菅井の負傷交代は痛かったでしょう。おそらく、この2枚目の交代は攻撃的なカードを切りたかった仙台にとって、守備の選手を替えざるを得なくなったのは誤算のはずです。

浦和は最初の交代は平川だと予想していました。理由はこれまでも一番最初に替えられることが多い選手だったからです。しかし、実際は梅崎out李inでした。さらに柏木out青木inとFKのキッカーを揃って替えてしまっていた浦和は、セットプレーの度に「誰が蹴るんだ?」とサポーターが疑問を持つほどでした。

そんな状態で、CKを蹴った武藤雄樹の特徴は仙台サイドも知らなかったかもしれません。仙台時代に蹴っていれば知っていたかもしれませんが、浦和では初めてなので、その未知の策がズラタンのゴールにつながりました。この3点目は大きく、仙台がついに5バックを断念して2トップにして最後の勝負を賭けざるを得なくなりました。

その仙台の2トップが、奥埜の動きが良かったので機能していたので、もう少し早くこの手を打っていればと悔やまれた結果になりましたが、浦和がそれだけ相手チームに恐れられるチームになったのだろうと、前向きにこの勝利は考えたいと思います。



























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