Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

堀孝史新監督の記憶

2017-07-31 22:13:03 | 浦和レッズ
昨日、当ブログ始まって以来の最多アクセス数(893ip)になりました。ミシャ解任という、サポとしては嬉しいことではないニュースなのでちょっと複雑ですが、気を取り直して新監督、堀孝史氏について、選手や指導者としての経歴をたどってみます。

堀氏は、明治大学を卒業してJFLの東芝に入り、プロになるためにJリーグ創設と同時に浦和に移籍してきました。当時のポジションはFWでしたが、1993年に柱谷幸一の負傷離脱でスタメンが回ってきた幸運を生かせず、ノーゴールの不振でサポにやじられることになりました。

これで、FWをきっぱりと諦めたことが、堀氏の選手生命を延ばしてくれました。堀は翌1994年、横山謙三監督に右アウトサイドにコンバートされ、身体能力で勝負するところを見せます。オジェック監督になってからはボランチに主戦場を移し、遠い距離からライナーで放つミドルシュートを武器にしていました。

堀はあまりテクニックで勝負する選手ではなかったですが、その身体能力の生かし方を覚えたことでいい選手になっていきました。1997年に背番号が固定制になったときの、初代背番号5は堀です。その後は1999年に平塚(現湘南)に移籍し、J2に降格した後もチームに残り、最年長選手としてチームをまとめる経験もしました。

浦和には、ユースのコーチとして戻ってきました。当時、ユース組織の強化に乗り出した浦和は、ユースのコーチに指導経験のあるOBを呼び戻しました。その一人が堀で、ユースの監督時代は高橋峻希、山田直輝、原口元気を育てた監督で知られます。当時のユースチームは史上最強で、今でもそれを超えるユースは実現していません。

監督としては、2011年にゼリコ・ペトロヴィッチ監督の後任になって、短い時間でチームを掌握して2勝2敗1分けと結果を残して浦和をぎりぎりながらJ1残留に導いています。当時の采配は4-1-4-1で、当時好調だった梅崎と、チーム得点王の原口を生かすために、彼らを両ウイングに置くための布陣でした。

今回も、選手のいいところをどうやって出させていくか、もちろん解任前から案は持っていたでしょう。それを楽しみに、大宮との埼玉ダービーを見に行くつもりです。
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札幌戦マニアック分析

2017-07-30 15:55:47 | 浦和レッズ
ミシャ解任のニュースがありましたが、昨日の札幌戦は浦和が交代枠を使い果たした後で負傷者が出て9人になるという、なかなか見られない状況になりました。浦和が9人になるのは、槙野、阿部がレッドカードで退場した、2012年の川崎戦以来です。当時は同点で、川崎は前から圧力をかけてきたので、浦和はとにかく大きく蹴ってクリアするしかできませんでした。

今回はその試合とは様相が異なりました。二人多い札幌は、1点とはいえリードしていました。もともと、浦和相手には引いて守るゲームプランだった札幌は、どうやって数的優位を生かしていくか、采配面では表れてきませんでした。二人多くなってからも、5-4-1気味で前にヘイスを残し、特に中盤の4人は前から圧力をかけてきませんでした。

そのため、二人少ない人数で同点ゴールを狙うしかない、浦和の困難なタスクが形になりかけるという、奇跡的な展開が見られることになりました。もちろん、プレッシャーをかけて奪うようなプレーは二人少ない浦和には不可能ですが、個人技で奪い、パスやドリブルで中盤の4枚を外し、クロスをズラタンに入れるという、これしかできない攻撃パターンを見せることはできていました。

ズラタンのシュートがポストをヒットするなど、あと一歩のところまで迫った浦和の攻撃は、見ているサポに感動すら与えるものでした。もちろん、同点ゴールを奪ったら全員で引くつもりだったでしょうが、札幌もとにかく点だけは取られまいと、3枚のDFでズラタンにスペースを与えず、興梠をできるだけサイドの遠い位置でプレーさせようとしてきました。

そんなときに、札幌が持っていた交代枠が効きました。ジェイと小野伸二の投入です。浦和はどんなに多くても3枚で守るのが手一杯だったので、小野伸二のパスからジェイの頭を狙うという、シンプルなサッカーで浦和を潰しに行った、札幌の四方田監督の采配が最後に当たって2-0と決定的な差をつけることができました。

9人になったときに何をすればいいか、選手たちが皆わかっていたことが救いではありました。それでも、こういう状況は本来は作らせてはいけません。今日解任という結果を迎えたのは、この札幌戦のハーフタイムの3枚替えの失敗も原因ではと、落ち着いて考えれば思えます。
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浦和、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督を解任

2017-07-30 12:12:13 | 浦和レッズ
今日は、レッズ関連で優先順位トップのネタが来ました。それは、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(ミシャ)の解任と、堀コーチの次期監督就任です。ミシャは、浦和に「3-6-1(5-4-1)」と「4-1-5」を可変にする、独自のシステムを植え付けて、就任当時は残留争いのレベルだったチームを優勝争いができるチームまで上昇させました。

このシステムが威力を発揮した理由として、4バックのチームに強いことが考えられます。浦和が前に5人上げることによって、4バックの相手より一人多い状態を作れるので、浦和のアウトサイドがどうしてもマークしにくい状況にできました。このアウトサイドのポジションで、梅崎や宇賀神、関根をブレイクさせることにも成功しています。

しかし、今年は相手に対策を立てられました。もともと、このミシャサッカーは、シャドーやアウトサイドに取られてはいけない、高い信頼性を要求するものです。その信頼性を破ろうと、4バックの相手もボランチを最終ラインに入れる急造5バックを作り、取ってから縦に出して、バイタルエリアに唯一残っている柏木のマークを外そうとしてきました。

これが、今季の浦和の迷走の原因になりました。また、ミシャのサッカーは選手にとってはきついサッカーです。特にアウトサイドは、攻撃に参加してから最終ラインまでカバーする、相当の縦の動きが要求されます。このサッカーで、関根や宇賀神が消耗し切ってしまい、浦和はチームとしてのコンディションが相手より悪い状況が、今季は続いてしまいました。

堀監督は、まずはチームの混乱を鎮める作業を期待したいです。前回、ゼリコ・ペトロヴィッチ監督が解任された2011年に、堀監督はわずか二日間しか指導期間がない状況で、当時の浦和に合っていた4-1-4-1を機能させた実績があります。今回も、ミシャのやりたいサッカーに合わせて選手がいる状況なので、堀氏がやりたいサッカーに合う選手は必ずしも揃っていない状況ですが、今の選手を生かすためにシステムはおそらく変えると予想しています。

広島、浦和と11年、Jリーグに旋風を起こした、ミシャの独自システムは、おそらくここで消え去る可能性が高いです。面白い戦術でしたが、戦術は対策を立てる側と常にいたちごっこを起こすものです。時代に合わなくなったら消えゆく、それは運命として仕方ないのだろうと思います。
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夏の桜環境センター

2017-07-29 22:42:21 | 埼玉
レッズ敗戦で少し暗い気分ですが、こんなときは風景の写真を思い出して、夏の情景を感じてみたいと思います。私がトレーニングに通う桜環境センター、ビオトープという昔の田園風景を再現した空間があります。そこには、少年時代の私が見ていたような、トンボや蛙が楽園を作っていました。そんな写真を並べてみます。























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手痛い采配ミス(7/29札幌対浦和)

2017-07-29 21:59:41 | 浦和レッズ
今日の浦和のアウェイ札幌戦は、0-2で浦和の敗戦に終わりました。その結果を生んだ要因として考えられるのは、二つの誤算がありました。一つはDF槙野のレッドカードによる退場です。槙野は、相手エース都倉に対するマーカーでした。槙野は先制点の場面で都倉に競り負けて痛恨の失点を喫すると、その後都倉と競り合った場面で、飛び越えた後ろ足が残っておりそれが都倉の顔面を蹴ったという理由で退場になりました。

しかし、これだけなら槙野の、何が何でも都倉を抑えたいという思いが空回りした、ある意味不運と言ってもいいと思います。この試合で救い難いのは、もう一つの誤算があったからです。それはミシャの交代策でした。ハーフタイムで、一人少ない状態で攻めるために何らかの手を打つだろうと思われたのは間違いないですが、ミシャは思い切ってハーフタイムに3人の交代枠を一気に使い果たす交代を打ちます。

もちろん、負傷者が出てしまえば二人少なくなってしまう、相当危険な賭けです。その賭けは、最悪の方向に出てしまいました。相手ボールのCKで、途中投入された那須が太ももの裏を肉離れして、プレー続行は不可能になり、浦和は後半開始早々で二人少なくなってしまう、決定的な劣勢に立たされます。

目を覆う場面が展開されると予想しましたが、その後の浦和は二人少ない人数でできることはやろうとしてくれました。布陣的な正解は4-3-1しかありません。その状態で少ない人数で攻めるには、プレスのような人数が必要な攻めは無理ですから、中長距離のパスを正確に回すしかありません。この日の浦和はそれに近いことをやってくれました。

相手の札幌も、何かやりにくそうで、二人多い数的優位ながら、後ろに2ラインを引いて守る戦い方でした。そのため、ボールを回すことは二人少ない浦和ができました。もっとも、頼みの綱だったFWのズラタンのところにボールを入れることは無理でした。合った機会も1,2回ありましたが、それを決めるくらいでなければ奇跡は起こせませんでした。

今回は、ミシャの決定的な采配ミスという、これまでになかった負けパターンでした。これまで、6年もの長い間信頼を勝ち得ていたミシャですが、この敗戦は足元が揺らぐことになるのではと、かなり気になる敗戦でした。
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ロッテ対西武14回戦

2017-07-28 22:34:21 | 他スポーツ
今日は会社から帰宅後、NHK-BSでロッテ対西武の野球中継を見ていました。どうしても仕事から帰ると、運が良くて4回からの観戦なので、先発投手の好不調などは見極められないのが残念です。今日はロッテ涌井、西武野上の先発で始まりましたが、野上が2点リードを守れず、自らの暴投が絡んで追いつかれると、5回にはバントの構えをしていた9番吉田に四球を出し、2番加藤に高めの釣り球が低く入って長打を浴びる痛恨のミスで2-4と逆転されます。

去年までのライオンズなら負けパターンの展開です。しかし、そこからが今のライオンズは違いました。まずは負けパターンでもある程度の継投の形を持っています。今日の試合では、2番手平井がゲームを引き締めてくれました。決め球スライダーが外角にうまく決まり、2イニングをパーフェクトリリーフで締めます。

その間に、7回表に涌井が足をつるアクシデントで交代し、代わった南から栗山のソロで1点差に追い上げます。その後、外崎が安打で出て、西武ベンチはメヒアを代打に送ります。ここで追い付けば理想的でしたが、メヒアはセカンドフライに倒れ、同点にすることはできませんでした。

3-4の9回、ロッテは首を寝違えて登板できない抑えの内ではなく、中継ぎ専門の大谷を抑えで起用してきました。ベテランで経験のある大谷なら抑えでもある程度投げてくれるだろうという期待だったと思いますが、先頭の山川に投げにくそうにしていたのは明確で、山川を四球、外崎にレフト前ヒットを浴びて無死1,2塁のピンチを迎えます。

その後の、岡田のバントがこの試合の鍵でした。大谷は思い切って3塁に投げてフォースプレーを狙いますが、三塁手中村の足が離れたとの判定でオールセーフになり無死満塁と大きなピンチになりました。そこから、金子、源田と2本の犠飛で勝ち越すという、今年のライオンズらしい緻密な攻めが出て、ライオンズが5-4で勝利を収めました。

平井が2イニングを無失点で締めていなければ、この勝利はありませんでした。そういう、負けパターンの継投でもある程度粘り、味方の反撃を待てる、そういうところが今季のライオンズの強みではと感じた、この日の勝利でした。
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イビチャ・オシムの思い出

2017-07-27 21:51:40 | 他チーム
この夏場の時期は、J1は夜の一斉開催ということで、ネタは集めにくい時期です。そのため、毎度のことながら昔話になりますが、元ユーゴスラビア代表監督のイビチャ・オシム氏の采配の記憶です。オシムは千葉と日本代表で指揮を執り、両チームで走るサッカーを実現した名将です。

千葉時代のオシムは、厳しい練習を課すことで知られていました。「休みから学ぶものはない」と厳しい指導方針で、休日も事前に予告しかなったほどです。選手たちからは最初は不評で、休みの日の予定が立てられないと言う選手もいましたが、それでもオシム監督が信頼をつかんだのは、練習試合で連戦連勝と結果が出たからでした。

プロである以上、この監督についていけば勝てるとなれば、おのずと信頼はつかめるものです。当時、ギドが率いていた浦和が、何度かオシム千葉と対戦した試合を見ていますが、千葉がミスをして浦和ボールになっても、なかなかチャンスにならない展開が続き苦しんでいた印象です。

その要因として考えられるのは、千葉はミスは起こるものと想定していて、カバーリングに戻る意識が優れていたからでした。当時の千葉の主力の阿部勇樹や佐藤勇人、羽生直剛らはそういう起用方針で出てきた才能でした。彼らは「オシムチルドレン」と呼ばれ、のちにオシムが率いた日本代表にも入る選手になります。

代表でもオシムは独自のカラーを出しました。一度、親善試合のガーナ戦の練習をじっくり見たことがありますが、試合前のウォームアップの練習で、日本に割り当てられていたハーフコートを目いっぱい使って、11対10の紅白戦をやったのにはびっくりでした。それは、選手は実戦で育つものというオシムのカラーでした。

残念ながら、オシムは志半ばで脳梗塞で倒れ、オシムジャパンが南アフリカで結果を出す夢は叶いませんでした。それでも、世界をまたにかけた名将が、日本のサッカーに与えた影響は絶大でした。お金では決して動かない、オシムだからこそ日本に向いていたとも言えると思います。
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長谷部誠の記憶

2017-07-26 22:00:48 | 浦和レッズ
先日の啓太引退試合に出場することは叶わなかったものの、2006年の優勝メンバーの一人である、フランクフルトMF長谷部誠選手の記憶を書きます。今は長谷部といえば代表キャプテンという、日本のサッカーファンなら知らない人はいないほどの存在ですが、浦和に入団した当時は無名で、長谷部自身が「(無名の自分のところに)なぜスカウトが来る?」と思っていたほどです。

長谷部が入団した2002年は、前年にフェイエノールトに移籍した小野伸二の移籍金4億円を使って、次の時代のヒーロー候補を発掘しようとしていた頃でした。その中で、坪井や平川、堀之内が入団していますが、当時藤枝東高校を出た長谷部は、サテライトリーグでトップ下として出場していました。

サテライトならダントツのうまさを誇っていた長谷部でしたが、当時の試合を見た限りではいきなりトップではどうかと思っていました。しかし、長谷部は千載一遇の好機をものにしました。当時、鳴り物入りで加入したトップ下候補のエジムンドが、浦和になじめず開幕直前に電撃退団しました。その空いたトップ下で、開幕戦の鹿島戦にスタメン出場した長谷部は、2トップの永井と田中達也に正確にパスを供給して驚きました。

その2003年は、オフト監督に認められてトップ下とボランチの両方で活躍して、主力選手にのし上がります。しかし、翌2004年、浦和は長谷部のポジションのボランチ候補として酒井友之を補強して、試練を与えます。これに打ち勝ったことが今の長谷部の原点だと思います。当時のギドは、思い切って個人技を出してもいいスタイルのサッカーをしたので、ボランチの位置からの攻撃参加が得意な長谷部には合っているシステムでした。

その後、ドイツに移籍する2007年まで、浦和のボランチは鈴木啓太と長谷部のコンビが続きました。この二人は、見事に違うタイプなので、歴代ボランチの中でも最強と思われたコンビでした。ドイツに移籍してからは、ボランチの他に右SBやCBでも起用されます。ドイツの選手のフィジカルを「岩のよう」と表現した長谷部ですが、どのポジションでもそれなりにこなせることで出番を得ています。

ドイツ語が話せ、チームでもキャプテンを務めるなど、長谷部は負傷さえ回復していればドイツでやれそうと思います。今季、フランクフルトには鳥栖から鎌田が加入してきますが、まだまだ負けないように活躍して欲しいです。
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両差しの芸(逆鉾)

2017-07-25 21:23:19 | 他スポーツ
今日はどうしてもブログのネタが思いつかないので、困ったときは昔の力士からと、写真の元関脇逆鉾の思い出です。逆鉾は井筒部屋に伝わる伝統ある四股名で、私の少年時代は「琴錦と逆鉾は先代を知っている」というオールドファンもいました。逆鉾は先代井筒親方の3人の息子の次男で、三人とも大相撲に入門し「井筒三兄弟」と呼ばれました。弟は元関脇寺尾です。

逆鉾は一つ、記録を持っています。当時では新記録だった、関脇在位9場所連続の記録です。その中身はほとんどが8勝7敗だったので、逆鉾が大関になれなくて惜しいというイメージはないですが、それでも関脇を守るには上位の一角を崩さねばならず、横綱大関陣にとって嫌な相手だったのは間違いありません。

相撲振りは師匠であり父でもある、鶴ヶ嶺譲りの両差しを得意にしていました。逆鉾の両差しは、立ち合いどちらかの四つに組んでから巻き替えるのが必勝パターンでした。よく「相手が巻き替えたら出ろ」と言われるように、巻き替えは相手の攻撃の合図ともなる危険な賭けですが、逆鉾の巻き替えはよく決まっていた印象です。

鶴ヶ嶺は逆鉾の両差しを、「両差しになるまでは逆鉾の方がうまいが、逆鉾はきめられることがある。私はほとんどきめられなかったので、(両差しに)なってからは私の方がうまい。」と評していました。三賞最多受賞記録を持つ、技能賞の常連だった鶴ヶ嶺から、このコメントを引き出したことは、逆鉾もよくやったという証明でしょう。

逆鉾は弟の寺尾と、兄弟同時関脇という記録も達成しています。先に上がって関脇をキープした逆鉾に、寺尾が追いついてできた記録です。逆鉾は寺尾の取り組みを「思わず心配になる」と言っていましたが、その後長く取ったのは寺尾で、逆鉾はその後肩を痛めて関脇を陥落すると、その後は関脇に戻ることはありませんでした。

親方としては、弟子の鶴竜を横綱まで育てています。鶴竜については「寺尾の突き押しと逆鉾の両差しをミックスした力士に育てたい」と夢を語っていました。当時110kgほどの軽量だった鶴竜が、横綱まで育ったのは逆鉾の手腕もあるでしょう。なかなか、横綱を育てるのは難しいので、親方としても成功していると思います。
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札幌戦プレビュー

2017-07-24 21:42:29 | 浦和レッズ
今度の土曜日、浦和はアウェイ札幌ドームで、コンサドーレ札幌と対戦します。夏の札幌のアウェイは、旅行先として見れば楽しい場所です。私も2000年に行ったことがありますが、行かれる方は試合とともに街も是非とも楽しんでください。

札幌は、前節はアウェイの大宮戦でした。札幌はJの中断期間で、じっくり調整する時間があったので、ドルトムント戦、C大阪戦と試合続きだった浦和と比べるとコンディション的にはいいでしょう。その大宮戦のスタメンを見ると、エースストライカー都倉はベンチにも入っていませんでした。

札幌は基本は3バックのチームです。浦和の4-1-5を警戒して、5バック気味に試合に入りながらカウンターを狙ってくるものと思われます。もっとも、その攻めは都倉がいたからこそ機能する印象で、前節大宮戦は2-2の引き分けでしたが、その2点はDF福森の直接FKからでした。MFマセード、FWヘイスは埼スタでのアウェイ戦はいなかったので、どういう選手か情報は持っていません。

札幌といえば小野伸二ですが、彼は基本ベンチスタートです。流れを変えるために出る選手で、今でもダイレクトプレーなどで札幌の攻撃を円滑にする技術を持っています。見たいような見たくないような、少し複雑な気持ちで見ることになるでしょう。

浦和は、前節のC大阪戦で2-4の惨敗を喫しました。機能していなかったDFラインには、手が入れられる可能性があります。DFは比較的層が薄く、那須の起用くらいしか流れを変えられそうなオプションは思い付きませんが、このまま何もしないわけにはいかないのではと思っています。

攻撃も、FWタイプを3枚入れた前節の布陣は機能したとは言い難かったです。一人はトップ下気味にさばける選手がいないと、うまくボールが回らないように感じます。武藤か高木俊幸の起用か、柏木を1列上げてトップ下にするか、これもあまりオプションが思いつかないのが残念です。
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