Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

イングランド対アメリカ後半

2022-12-31 19:56:02 | ワールドサッカー
イングランド対アメリカの後半戦の印象です。アメリカが4-4-2気味で2トップが前から追うスタイルにイングランドがやりにくそうにしている展開は後半も続き、イングランドがアンカーのライス1枚にしているところを狙われていました。アメリカは右サイドにウェアを走らせる速攻で何度かチャンスをつかみ、シュート数ではイングランドの5本に対して10本と優位に試合を進めます。

また、アメリカは左SBのロビンソンのところでもボールをキープできるので、そこから何本もCKを取ってチャンスを伺います。もっとも、イングランドはCBのマグワイア、ストーンズのところに自信を持っており、直接蹴り込んだCKはマグワイアの長身でほとんどクリアされました。そこを越えて、ファーサイドにボールを供給するには、よほどの精度の高いボールでなければ不可能でした。

イングランドはこの展開では苦しいとみて、上がり気味のボランチ、ベリンガムを下げてベテランのヘンダーソンを投入してきました。このヘンダーソンが相手ブロックの外側である後ろに残ってボールを散らすことで、イングランドはようやくボールを持てる展開を取り戻します。左サイドに投入されたマンチェスターシティの10番、グリーリッシュもボールを受けて攻めました。

そこからはゲームは激しい打ち合いになってきます。アメリカもFWのライトに代わって投入されたサージェントが速攻を見せ、イングランドもサカに代わったラッシュフォードがボールを持ってドリブルで仕掛けます。最後までどうなるか分からない、攻め合いは最後のイングランドのFKをGKターナーがセーブして、試合は0-0の引き分けに終わりました。

0-0の引き分けの試合はサッカーでは最も面白くない展開と言われますが、さすがW杯本大会のレベルということで両チームともに見せ場がありました。その中ではアメリカの方が狙い通り運んでいた試合でしたが、イングランドとしては引き分けでも良いという判断をしたのかもしれません。この結果、イングランドは勝ち点4でグループ首位をキープしたので、それも想定内だったのでしょう。
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今年一年を振り返る

2022-12-31 17:50:17 | 雑記
あと6時間ほどで、2022年も終わりです。今年最後の投稿は、自分自身の今年一年を振り返ります。今年はW杯の年ということで、ビッグネームの来日はないだろうと期待していませんでしたが、カタールW杯が11月の開催でパリ・サンジェルマンが来日することになり、写真の世界チャンピオン、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシの写真が撮れたのは大きな成果でした。

W杯については、1次リーグの期間中が残業や休出続きで忙しく100%満足ではないものの、サッカーを見てマニアックに分析するいつもの自分は出せました。印象に残ったのは熱戦だった決勝戦もそうですが、フランス対イングランドの準々決勝でイングランド守備陣がエムバペを抑え込み、あのワールドクラスのFWでも機能しないことがあるという試合を見られたのが忘れられません。

また、6月の日本代表ブラジル戦(国立競技場)を見に行けたのも大きいです。ベストメンバーで来日してきた、ブラジルは非常に強い相手で、日本は押し込まれてしのぐだけが手一杯でした。ネイマールの思い切って個人技を出すプレースタイルに、日本はファウルで止めざるを得ず、最後はPKを献上して失点し敗れましたが、何度も対戦するものの日本にはなかなか来てくれなかったブラジルを生で見たのはいい経験でした。

サッカー関連では、浦和レッズのACL決勝進出の瞬間を見られたのも印象的です。ベスト16のジョホール(マレーシア)戦、準々決勝のパトゥム(タイ)戦が比較的楽な試合でしたが、さすがに準決勝で対戦した全北戦はハードな試合でした。スピードあるFWバローにギリギリのところで止めて持ち込んでPK戦を制し、来年5月に予定されている決勝戦を楽しみにすることができました。

それ以外では、野球も4試合生で見ることができました。いつもの西武ドームでのライオンズ戦ですが、こういうサッカーの予定が空いているところでの野球観戦は、家でテレビで見るとどうしても他のことを考えるので、頭の中を野球だけにできる貴重な機会でした。相撲も東京場所の年3回国技館に行き、いろいろと生写真を撮ってくることができました。

まだまだ、やりたいことは次々と頭に浮かびます。それだけ、自分自身がまだこれからいろんなことができるということでしょう。年は取ってきましたが、趣味のカメラでまた来年もいろんな写真を撮りたいという気持ちは衰えないので、来年もこのブログを楽しみにしていただければと思います。

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空飛ぶカワセミ

2022-12-30 23:30:53 | 埼玉
悲願だった、動いているカワセミの写真、第一弾が撮れました。まあ最初から上手く行くとは思っていなかったので、ちょっとぶれていますがこんなものでしょう。この、背中の緑のラインを見せて飛ぶ姿が、動く宝石のようと感じるくらい美しいですが、写真にするとまだまだ奥が深いです。
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播戸竜二の記憶

2022-12-30 19:41:01 | 他チーム
阿部勇樹引退試合で撮れた写真からは、元ガンバ大阪FW播戸竜二さんの記憶です。播戸はガンバ大阪で若手時代を過ごしましたが、なかなか出場機会を得られず、当時J2のコンサドーレ札幌へのレンタル移籍も経験します。2000年、札幌厚別競技場での浦和とのJ2首位を賭けた一戦に、相手札幌のFWとしてエメルソンと2トップを組んでいました。

札幌の活躍で、古巣ガンバ大阪に戻りますが、この頃チームでサブのFWとしては異例の日本代表入りを果たします。札幌のサポとしては、所属したことのある選手の代表入りは初めてだったこともあって、代表戦に札幌時代の名前入りTシャツを着て、その感激を表現していました。日本代表でも途中出場から流れを変えるFWで、「マイナス20度でも半袖で出る」というこだわりも当時の話題でした。

播戸のプレーで思い出すのは、2008年の天皇杯決勝で途中出場で決めた決勝ゴールです。当時、西野監督から「ヒーローになってこい」とピッチに送り出された播戸は、延長戦でファーストタッチがゴールとなる活躍でチームを天皇杯優勝に導きました。2008年はガンバ大阪がACLの厳しい戦いを経ていたこともあって選手は疲労していましたが、ここで見せた勝負強さはさすが西野監督のチームでした。

播戸は札幌でのJ2経験もあったことで、出場機会があればどこでも行くという姿勢だったので、セレッソ大阪や大宮アルディージャでもプレーしました。途中から出ても高い水準でプレーできた、彼のプロ意識はいろんなチームで若手の手本でした。40歳近くまで現役にこだわり、2018年に当時J3のFC琉球でのプレーを最後に現役を引退します。

その後は解説者としてテレビで姿を見かけます。関西人独特の濃いキャラクターで、しゃべりの方もこなせるので、WEリーグ理事や俳優としての活動もあります。1999年ワールドユース・ナイジェリア大会の準優勝メンバーの一人ですが、この経験も長くプレーできた要因だったでしょう。ちょっと思い出した、懐かしい過去です。
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イングランド対アメリカ

2022-12-29 22:21:16 | ワールドサッカー
自宅のテレビに、大量のビデオが貯まっているW杯の映像を少しずつ見始めています。今回ネタにするイングランド対アメリカはグループリーグ2戦目で、イングランドは初戦のイラン戦に勝利し、アメリカは初戦のウェールズ戦を引き分けています。FIFAランキングはイングランドの5位に対し、アメリカは16位で、イングランドが優位にゲームを展開したのではという予想は覆されました。

アメリカのゲームの入り方が良かったからです。アメリカは2トップのウェアとライトに、イングランドがCBからアンカーのライスにパスを出せないように精力的に追いかけてきました。どうしても、イングランドのもう一人のボランチのベリンガムが前に行きたがるタイプなので、ライスがボールを持てないと中央の攻撃が使えなくなってきます。1トップのケインが、ボールが来ないことで引いて受けだしたことにも表れています。

それでも、イングランドは別の糸口を探せるチームでした。右SBトリッピアが上がると、アメリカの左SBロビンソンが前に行くタイプなので裏が取れることがあり、そこでボールを持ってから右MFサカを走らせる攻めでチャンスをつかむこともありました。このサカの折り返しからケインがシュートしますが、アメリカCBジマーマンが辛くも足に当てて防ぎました。

もちろんアメリカも守るだけが作戦ではなく、高さのあるライトを起用しているメリットを出そうとしてきました。右SBデストのアーリークロスから、ライトのヘディングシュートで形を作ると、右からのクロスで2度ほどシュートチャンスをつかんでいます。一番ゴールに近かったのは、プリシッチが右からのクロスを合わせて、クロスバーを叩く惜しいシュートを放った場面でした。

イングランドは写真のスターリングを左MFで起用し、彼のドリブルでも攻撃の機会を伺いますが、ゴールは決まらず前半は0-0で折り返します。1次リーグの試合ということで、結果を覚えていないので、今更なこのゲームも結構楽しめました。後半については書く時間を確保できたら書きたいと思います。
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中澤佑二の記憶

2022-12-29 17:24:45 | 他チーム
阿部勇樹引退試合で撮ってきたレジェンドからは、元横浜FMのDF中澤佑二さんの記憶です。中澤は埼玉県の三郷工技高校という、サッカーでは無名の高校を卒業し、東京Vに練習生として参加してプロ入りを勝ち取った苦労人です。当時、東京Vの練習の帰り道で、武蔵野線の電車の中でおにぎりを口にしていたというエピソードもあります。

当時から、その身体能力の高さは折り紙付きで、東京Vの李国秀監督からは「チームで一番下手だが、チームで一番努力する」という評価でした。その活躍で、シドニー五輪代表に入り右ストッパーで試合に出場しますが、地元開催の日韓W杯は直前に代表を外されてチャンスを逃しました。中澤を評価していたのは後任のジーコ監督でした。

当時の中澤をスタンドで見ていた印象は、次第につなぐところとクリアに逃れるところの使い分けが上手くなってきたと思いました。その高い身体能力が生きるのはセットプレーで、代表通算ゴール数は二桁とFW並みの数字を残しています。ジーコ監督は海外組であるという理由だけで使うと、選手起用には疑問符もあった監督ですが、中澤に対する信頼は間違いのない判断でした。

後任のオシム監督、岡田武史監督も中澤を起用しました。岡田監督は現実主義者で、どんなにいいサッカーをしてもCBが体の強さで負けてしまっては意味がないという判断だったようで、中澤と闘莉王のCBが定番でした。守りを固めたサッカーをした結果、2010年南アフリカW杯はベスト16に進出し、パラグアイにPK戦までもつれ込む熱戦を演じました。

中澤はその後も横浜FMのCBを長く務めました。契約が切れる時には他チームからオファーもありましたが、横浜FMに残る判断をしました。現役の最後の方も横浜FMのCBは常に中澤という状況は続き、彼をゴール前に上げてのセットプレーは最後まで他チームにとって脅威でした。あまり警告ももらわないので全試合に出場するのが当たり前というCBでしたが、その出場が途切れた年にコンディションを崩して引退を決断しました。

中澤といえば、夜は22時には寝る、オフの休みは友達とフットサル(という実質練習)をするなどの自己管理でも知られました。辞めたときには「とんかつなど現役のときは食べなかったものを食べたい」と言っていましたが、引退後もやはり何か体を動かしているようで、阿部勇樹引退試合でも元気な姿を見せていました。今でも解説者として見られますが、今後もサッカーとかかわっていって欲しいですね。
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レール運搬車

2022-12-28 22:36:41 | 雑記
10月に森林公園に出かけた帰り道で見かけた、「レール運搬車」です。エンジン音がしていたことと、パンタグラフがないので、ディーゼル車と思われます。駅で少し止まっていたので写真を狙いましたが、近づいたところで発車してしまったので、最後尾の写真のみにとどまりました。清里で乗った臨時列車「HIGH RAIL 1375」と並んで、kobby今季鉄ネタのヒットです。

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荻原拓也、浦和復帰

2022-12-28 20:25:04 | 浦和レッズ
移籍市場のニュースで嬉しかったのはこれでした。浦和から、J2新潟、J1京都へとレンタル移籍で武者修行をしていた、荻原拓也選手の浦和への復帰です。荻原がベンチに入っていたのは2019年頃なので、当時はカメラの性能が今一つで写真があまり良くないのはご勘弁ください。荻原は埼玉県川越市の出身の地元選手で、浦和にはジュニアユースから在籍していました。

ユースから昇格して、2018年にトップチームに入った直後、荻原には明るい未来が待っているようでした。それは、デビュー戦になったルヴァン杯でいきなり2得点と大活躍したからです。当時はFWや左MFで使われ、1年目にリーグ戦でも8試合出場し、将来性を大きく期待された才能でした。しかし、翌2019年、荻原を抜擢したオリベイラ監督が解任され、大槻監督が就任してから苦戦することになります。

大槻監督はどちらかと言えば相手に合わせて戦術を組み立てるタイプで、左MFにはかなり守備の仕事を多く課したので、荻原が持っている得点に絡める良さは出しにくい状況でした。翌2020年に、荻原はレンタルで、当時J2のアルビレックス新潟に移籍する道を選びます。ここでレギュラーポジションを確保して、24試合に出場したことで、プロで生きていける手ごたえをつかんだことでしょう。

2021年からは京都でプレーし、チームをJ1に引き上げる活躍を見せます。京都での荻原は、未知のポジションだった左SBでした。今、浦和に復帰すれば、左SBならライバルは明本や馬渡になりますが、おそらく荻原がレギュラー候補の一番手につけるだろうと予想できます。ユースから育った古巣で、今度こそJ1チームのレギュラーポジションをつかむチャンスです。

J1でのゴールも京都で2点取っており、彼が左サイドを躍動する姿を、是非ともバックスタンドから見届けたいです。新監督スコルツァ氏次第ではあるものの、この地元育ちの才能に掛ける期待は、これまでで一番大きいです。
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江坂任、韓国蔚山移籍

2022-12-27 22:45:23 | 浦和レッズ
今日飛び込んだ浦和絡みの移籍情報は、残念なものでした。写真のMF江坂任選手の、韓国蔚山への完全移籍です。江坂は大卒後、当時J2の群馬でキャリアをスタートさせ、大宮、柏、浦和と少しずつステップアップしてきました。江坂は、トップ下もしくは1トップとして、キープしながら攻めるアタッカーです。柏から完全移籍した際は、浦和にいた武藤雄樹とトレードのような格好でした。

江坂がFWで出場するときは、下がりながらタイミングを見計らって時折前に出る、いわゆる「偽9番」でした。2021年はこの偽9番が当たり、後半戦だけで5ゴールの活躍でした。今季は開幕の時点で、FWを本職にする選手が実質ユンカー一人という状態でしたが、江坂の偽9番が当たればカバーできると、根拠なく楽観的に思っていました。

しかし、今季は江坂にとって苦しい一年になりました。富士フィルム杯で江坂の1トップが当たり、川崎に勝利したことで期待を集めましたが、次第に相手に対策を立てられます。江坂が下がってくるときにFWの位置に上がる、偽9番をカバーする選手を封じることで、江坂自身も輝きを失うようになってきました。ロドリゲス監督も江坂の出来には満足していなかったようで、ウイングタイプの松尾をFWにコンバートすることになります。

この松尾の1トップが当たったのも、江坂の出番が少なくなる要因の一つでした。今季の江坂はわずか2得点にとどまり、得意なトップ下でも小泉の後塵を拝したことで、思い切って知らない土地に移籍して再出発を期そうという考えに至ったのでしょう。背番号33は夫人の誕生日から取ったもので、韓国でも他の選手が付けていない限り、この番号をつけることでしょう。

もちろん、韓国リーグには外国人枠もあります。トップ下で良いプレーを見せられなければ、外国人枠という別の競争にも巻き込まれる恐れもあります。それでも、30歳という年齢はチャレンジするには最後のタイミングで、ここで活躍して、J1の他チームからオファーが来るほどになって欲しいです。それは可能な能力を持っている選手だと思います。
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興梠慎三、浦和復帰

2022-12-26 22:46:09 | 浦和レッズ
レッズ関連のストーブリーグ情報で、嬉しかったのは写真の札幌FW興梠慎三選手の浦和復帰です。今年の浦和はFWがコマ不足でしたが、ロドリゲス監督が興梠をあまり使わない方針だったことで、今年は恩師ミシャが率いるJ1札幌にレンタル移籍していました。ロドリゲス監督が去ったことで、使えるFWは一人でも多く欲しいという方針に変わったのでしょう。

興梠の思い出も数知れません。興梠は宮崎県の出身で、プロ入りは鹿島でした。今では浦和サポで読めない人は一人もいないでしょうが、当時は難読の名前だったことで印象的でした。鹿島時代の興梠の記憶では、夏場の埼スタでのアウェイ戦で、浦和サポで満員のバックスタンドに向かって、堂々と敵の水である「ザバス」を飲んでいた姿です。こいつ度胸あるなと思いましたが、プロ選手としては度胸はないよりあった方がいいので、それを浦和のために発揮してくれることを楽しみにしていました。

浦和では、ミシャの3-6-1システムの1トップが定位置でした。当時、鹿島時代は2トップだったことで、キープしても横に味方がいないことに違和感があったようです。それでも、その動きの速さで相手DFをわずかに出し抜いて、ちょっとだけ触ってゴールを決めるのが定番でした。そんな興梠は順調に浦和の1トップに入っていましたが、試練だったのはスロベニア代表のズラタンを補強されたことでしょう。

当時、国内の相手には興梠、ACLの海外相手にはズラタンと使い分けてミシャは起用していました。もっとも、当時のズラタンはボールを待って受けるので、その前で相手がカットしてカウンターを食らうことがありました。そのため、興梠が引いてもらいに行くようにプレーを改善したことで、このポジション争いは興梠優位に進むことになります。

また、長年浦和での最多得点記録だった、福田正博氏が持つ91得点を更新したことも印象的です。本人はそれほどゴールにはこだわりを持っておらず「自分は(個人技で持っていくタイプではなく、)みんなでつないだボールを最後に決めるFWです。」とストライカーにありがちなエゴイズムはないです。実際、「本当の記録は福田さん」と先人をリスペクトしています。

今季は、札幌で佐藤寿人氏が持っているJ1史上2番目の得点数に並びました。この偉大なストライカーが、浦和で果たせる役割はまだあるので、今季はスコルツァ新監督が、興梠のいいところを引き出してくれることを期待したいです。
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