今の野球界では古いほうのスタジアムになってしまいますが、西武球場(現西武ドーム)は1979年オープンで、横浜スタジアム(1978年)とほぼ同期生?です。西武球場は当時の堤オーナーが、メジャーリーグ並みの観客が楽しめる最先端の発想を取り入れようと、担当者をアメリカに派遣して、座席のシートピッチからホットドッグの値段まで、すべて調べて作った、当時としては画期的なスタジアムでした。
当時、少年だった私は、野球場といえば巨人の後楽園球場でしたが、ここは外野席の椅子がベンチで個別席ではなく、しかも立ち見も出る、あまりいい雰囲気ではありませんでした。そんな少年が見た西武球場は感動的でした。シートの肘掛、ドリンクホルダー、折りたたみの椅子など、座っていて隣の観客を意識する必要がないのは素晴らしかった記憶です。
これだけの施設を作るには、どうしても新しい土地が要るので、所沢郊外の森を切り開いて掘り下げ式の巨大空間を作ったのが西武球場で、野球は人の流れを変えられる可能性があるという面白さを示した実例だったと思います。
もっとも、そんな西武球場も、少しずつ時代に合わなくなってきていました。所沢の多摩湖のそばの西武球場は、雷雨が多いという自然環境のハンデがあります。しかも、東京ドームを筆頭に、日本中にドーム球場が出来て雨の多い日本でも雨天中止なく試合ができる環境は次々整備されてきました。
それを克服しようと、西武球場には上から屋根を掛ける方法で雨対策を打ちます。もっとも、他のドーム球場は空調が効いているのと比較すると、夏場の西武ドームは風が通らず暑いのは確かです。夏場の西武ドームでは、どうしても観客がうちわであおいでいるのが目立ちます。
また、売店が外周部にしかなく、前の方の席に座ると長い階段を登らないと売店やトイレに行けない欠点もありました。そのため、多少収容能力は犠牲にしても、内野指定席の一部を取り壊し、そこに売店やトイレを設けて比較的楽に行けるようになりました。
バリアフリーでないのも、西武球場の弱点でした。外周部の通路は急傾斜で、車椅子で登るのは厳しいです。もっとも、最近になってネット裏席の裏手にエレベータが登場し始め、ここからなら障害者も見られるかもしれないと思います。時代は流れ、少しずつ変わっていくのは世の常なので、昔を懐かしいと振り返ることもありますが、この西武球場の変化も必要なことなのでしょう。
当時、少年だった私は、野球場といえば巨人の後楽園球場でしたが、ここは外野席の椅子がベンチで個別席ではなく、しかも立ち見も出る、あまりいい雰囲気ではありませんでした。そんな少年が見た西武球場は感動的でした。シートの肘掛、ドリンクホルダー、折りたたみの椅子など、座っていて隣の観客を意識する必要がないのは素晴らしかった記憶です。
これだけの施設を作るには、どうしても新しい土地が要るので、所沢郊外の森を切り開いて掘り下げ式の巨大空間を作ったのが西武球場で、野球は人の流れを変えられる可能性があるという面白さを示した実例だったと思います。
もっとも、そんな西武球場も、少しずつ時代に合わなくなってきていました。所沢の多摩湖のそばの西武球場は、雷雨が多いという自然環境のハンデがあります。しかも、東京ドームを筆頭に、日本中にドーム球場が出来て雨の多い日本でも雨天中止なく試合ができる環境は次々整備されてきました。
それを克服しようと、西武球場には上から屋根を掛ける方法で雨対策を打ちます。もっとも、他のドーム球場は空調が効いているのと比較すると、夏場の西武ドームは風が通らず暑いのは確かです。夏場の西武ドームでは、どうしても観客がうちわであおいでいるのが目立ちます。
また、売店が外周部にしかなく、前の方の席に座ると長い階段を登らないと売店やトイレに行けない欠点もありました。そのため、多少収容能力は犠牲にしても、内野指定席の一部を取り壊し、そこに売店やトイレを設けて比較的楽に行けるようになりました。
バリアフリーでないのも、西武球場の弱点でした。外周部の通路は急傾斜で、車椅子で登るのは厳しいです。もっとも、最近になってネット裏席の裏手にエレベータが登場し始め、ここからなら障害者も見られるかもしれないと思います。時代は流れ、少しずつ変わっていくのは世の常なので、昔を懐かしいと振り返ることもありますが、この西武球場の変化も必要なことなのでしょう。