Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

当時の最先端(西武球場)

2013-08-31 11:33:20 | 他スポーツ
今の野球界では古いほうのスタジアムになってしまいますが、西武球場(現西武ドーム)は1979年オープンで、横浜スタジアム(1978年)とほぼ同期生?です。西武球場は当時の堤オーナーが、メジャーリーグ並みの観客が楽しめる最先端の発想を取り入れようと、担当者をアメリカに派遣して、座席のシートピッチからホットドッグの値段まで、すべて調べて作った、当時としては画期的なスタジアムでした。

当時、少年だった私は、野球場といえば巨人の後楽園球場でしたが、ここは外野席の椅子がベンチで個別席ではなく、しかも立ち見も出る、あまりいい雰囲気ではありませんでした。そんな少年が見た西武球場は感動的でした。シートの肘掛、ドリンクホルダー、折りたたみの椅子など、座っていて隣の観客を意識する必要がないのは素晴らしかった記憶です。

これだけの施設を作るには、どうしても新しい土地が要るので、所沢郊外の森を切り開いて掘り下げ式の巨大空間を作ったのが西武球場で、野球は人の流れを変えられる可能性があるという面白さを示した実例だったと思います。

もっとも、そんな西武球場も、少しずつ時代に合わなくなってきていました。所沢の多摩湖のそばの西武球場は、雷雨が多いという自然環境のハンデがあります。しかも、東京ドームを筆頭に、日本中にドーム球場が出来て雨の多い日本でも雨天中止なく試合ができる環境は次々整備されてきました。

それを克服しようと、西武球場には上から屋根を掛ける方法で雨対策を打ちます。もっとも、他のドーム球場は空調が効いているのと比較すると、夏場の西武ドームは風が通らず暑いのは確かです。夏場の西武ドームでは、どうしても観客がうちわであおいでいるのが目立ちます。

また、売店が外周部にしかなく、前の方の席に座ると長い階段を登らないと売店やトイレに行けない欠点もありました。そのため、多少収容能力は犠牲にしても、内野指定席の一部を取り壊し、そこに売店やトイレを設けて比較的楽に行けるようになりました。

バリアフリーでないのも、西武球場の弱点でした。外周部の通路は急傾斜で、車椅子で登るのは厳しいです。もっとも、最近になってネット裏席の裏手にエレベータが登場し始め、ここからなら障害者も見られるかもしれないと思います。時代は流れ、少しずつ変わっていくのは世の常なので、昔を懐かしいと振り返ることもありますが、この西武球場の変化も必要なことなのでしょう。
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ラマダン力士(大砂嵐)

2013-08-31 10:23:32 | 他スポーツ
今日は埼スタへ行くので、ナイトゲームの即日更新は厳しいかもしれないので、穴埋めネタを用意して出かけます。久しぶりの相撲ネタですが、私の注目力士は十両の大砂嵐です。彼は史上初のアフリカ大陸(エジプト)出身の関取で、イスラム教徒ということで新十両の先場所は密着取材を受けるなど注目されました。

それは、彼の先場所、場所中にラマダン(断食月)になったことです。サッカーなどではラマダンの時期には中東諸国は公式戦を組まない対応をしていますが、大相撲の本場所は待ってくれないので、日中は一切食事をしないで土俵に上がる苦労をしていました。ひしゃくの力水も駄目だそうです。

もっとも、ラマダン期間中も、日が沈めば食事をしてもいいので、禁止の豚肉でないステーキやエジプトの郷土料理などを、大嶽部屋のちゃんこ番が大砂嵐に勝たせようと一生懸命作ってくれるのは面白いです。相撲は個人競技ではありますが、同じ部屋の力士が持っている一体感はなかなか他のスポーツではまねのできないもので、これだけ濃密な時間を過ごしていたら対戦はできないなと、同部屋が対戦しない現在の制度を納得します。

大砂嵐を指導する大嶽親方は、元十両の大竜です。大竜はかなり長い間下積みで苦労した力士で、十両にもスロー出世で上がった遅咲きでしたが、実績がなかったからこそ、前例のなかったエジプトから新弟子を引っ張ってくるという発想が生まれたのではと想像しています。

イスラム教徒がイスラム圏以外の国で生活するのは結構苦労するらしく、東京にもイスラム圏専用の食材売り場があって、調味料などに一切豚肉が入っていないことを証明する但し書きが入っているところまで徹底しているそうです。実際、サッカーでも中東の国が日本でアウェイゲームを戦うと、ひどくコンディションを崩していることがあります。

たぶん、大砂嵐の場合はそれも徹底しているはずで、そういう苦労をしてでも育てたい素材だというのは夏場所の取組を生で見て感じました。理由は筋肉質の上体から繰り出される、強烈な突き押しです。かなりの確率で先手を取れるこの能力はすばらしく、夏場所の相撲一番でファンになった力士です。秋場所、十両でも上位に上がる彼の相撲を見ることを楽しみにしています。
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新潟戦プレビュー

2013-08-30 19:50:34 | 浦和レッズ
週2試合だと、毎日サッカーを書くことになりますが、浦和は今週末の土曜日にホーム埼玉スタジアムで新潟と対戦します。アウェイのビッグスワンではよく負けている相手ですが、埼玉スタジアムでは相手に一度も勝ち点3を取られていないのは誇りにしています。

ミシャサッカーは新潟のように「出て来ない」チームは苦手にしていて、昨年の新潟戦も2分けです。ただ、それは今年に入って克服し始めていて、引いて守られて苦しかったアウェイ甲府戦で終了間際の那須のゴールで1-0で勝利するなど結果も出てきています。

ただ、横浜FM戦の内容があまりにもひどかったので、中2日での修正は難しそうで、あまり強気にはなれません。明るい材料は梅崎が負傷から戻り前節途中出場したことで、梅崎のシュート力が見られる展開になれば楽しみです。

また、負傷交代で心配される森脇は、骨には異常はなく、臀部打撲という情報です。打撲なら多少は無理をしても出るのがサッカー選手なので、森脇が出場する可能性は高いと思います。森脇交代後にあれだけチームが浮き足立ったことを考えると、森脇の存在感の大きさを改めて実感します。

途中出場で結果を出しているマルシオを、是非スタメンにして欲しいのがサポーター心理です。原口のようなスピードこそないですが、マルシオならボールの収まりがいいという特徴があり、ボール支配率を上げたいなら有効な手だと思います。

新潟といえば、田中達也が初めて敵として埼玉スタジアムにやってくる可能性が高いです。今の新潟は2トップを組む川又が得点を量産していて、田中達也はスタメンで出ると一番最初に交代させられる立場です。それでも、浦和時代あれだけ負傷に苦しんだ田中達也がほぼ負傷なしで試合に出ているのは嬉しいです。

今回は敵の選手なので点は取られたくありませんが、元気な姿は見たいという思いはあります。昨年はぎりぎりで残留した新潟は、今季は降格圏よりは上にいます。ホームで強くアウェイに弱いのが新潟の伝統?ですが、苦手だった埼玉スタジアムで2年連続で勝ち点1を取っています。今年は自信をつけられないように、返り討ちにしたいところです。
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痛かった負傷交代(8/28横浜FM対浦和)

2013-08-29 18:52:02 | 浦和レッズ
昨日の試合は、浦和には全然いいところがなかった完敗でした。敗因は二つ思いつきます。一つは森脇の負傷交代でした。前半の早い時間で交代枠を使ったことでベンチワークが立てにくくなったのも痛かったですが、代役の坪井がミスをしたので、目立ってしまいます。

浦和が最終ラインでボールを回しているときは、取りに来ないチームが多いですが、横浜FMはマルキーニョスや中村俊輔が取りに来ました。ここからのビルドアップが清水戦快勝の理由だったので、横浜FMは浦和にビルドアップをさせたくないのがこの手に来た理由でしょう。

しかも、途中出場の坪井はスピードはあるものの足元のボール扱いには課題があるDFです。最初の失点の場面では坪井がファーストタッチを空振りしていて、焦った坪井が取ったプレーはやってはいけない中央へのバックパスでした。結果的にボールを奪われたのは那須ですが、かなり坪井に責任のある失点です。

マルキーニョスの2点目も坪井のサイドです。前半早々の交代だったので、坪井はアップはほとんどできないで出場した、同情すべき事情はあります。結果的にはこの負傷交代が大きな影響がありました。

また、もう一つの敗因は浦和のカウンター対策を横浜FMにしっかり立てられたことです。普段の試合なら面白いように通る縦パスが、ことごとく横浜DFにカットされていました。特に動きが目立ったのは小椋と中澤で、小椋は浦和のサイドチェンジのボールを鋭い読みでカットし、中澤は浦和の生命線の興梠へのくさびのボールをクリアして、浦和の攻撃を機能させませんでした。

ミシャは運動量が少なかったとコメントしていたようですが、確かに相手の読みを上回るくらいの動きの質はなかった印象です。日産スタジアムの芝生もあまり良くなかったので、浦和が得意とするグラウンダーのパスは通りにくい環境でした。

それでも、0-3になってからの後半に、興梠と原口に決定機が来ました。ここで意地を見せて欲しいところでしたが、ついていないときはこんなもので、相手GK榎本が当たっていました。何もいいところのなかったこの試合は、サポーター心理では早く忘れてしまいたい試合です。
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バレンティン、最速50号

2013-08-28 18:50:58 | 他スポーツ
昨日、ヤクルトスワローズの4番、バレンティン選手が史上最速の50号ホームランを打ちました。史上最多ホームランは王貞治(巨人)、ローズ(近鉄)、カブレラ(西武)が持っている55本ですが、バレンティンの場合あと5本を残り1ヶ月で打てない可能性は低く、新記録の達成は確実視されています。

バレンティンの所属するヤクルトの本拠地、神宮球場は狭く、ホームランの記録には有利な立場ですが、バレンティンのホームランを見ていればたとえ多少広い球場が本拠地でも、達成できそうに思います。理由はその飛距離です。

私も西武ドームの交流戦で、バレンティンのホームランを見る機会がありましたが、打った瞬間わかる強烈な弾道でした。スポーツニュースの映像でも、詰まった当たりを力で持っていく、球場の差が出るホームランは少なく、会心の当たりのホームランが多い印象です。

バレンティンの成功の理由には謙虚さもあるという話を聞いたことがあります。メジャーリーグから来た選手の中には日本のプロ野球を格下と見下し、アドバイスに耳を傾けない選手もいます。バレンティンの場合はメジャーより変化球の多い日本の野球から学ぼうとする意欲を持っていて、コーチからも積極的に話を聞いていたそうです。

もちろん、開幕後に問題になったボールの反発力の差も一つの理由でしょうが、日本のホームランが減少した年にセリーグのホームラン王を取ったことを考えれば、実力をしっかり表に出した結果だと思います。

これだけの活躍なら、メジャー復帰も本人は考えているかもしれません。外国人選手のFAは契約書にどう書かれているかによるので、どういうルールになっているかはわかりませんが、ヤクルトは活躍した選手を引き抜かれることが多いチームなので、少し気にしています。
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プリンセス・プリンセス「世界で一番熱い夏」

2013-08-28 18:17:06 | 雑記
今日は浦和の横浜戦ですが、平日夜の試合の即日更新は勘弁していただき、穴埋めネタの音楽ネタですが、私の世代の夏の歌で思い出すのはプリンセス・プリンセス(以下プリプリ)の「世界で一番熱い夏」です。当時、ボーカルの奥居香がDJをやっていたTBSラジオの「ポップン・ルージュ」は毎週聴いていました。

この曲は当時の人気番組「兼高かおる世界の旅」のテーマソングで、番組の性質上海外に行きたくなる曲が必要でしたが、この曲はぴったりでした。「退屈なイルミネーション、ざわめく都会のノイズ」の歌詞は東京のイメージで、確かにここからいきなり成田空港に行って世界に旅立てば高揚感を覚えるはずです。

歌詞に夏が入っているので、夏の歌ですが、この曲はあまり季節を感じる曲ではありません。理由は季節に関係ない外国が歌詞に多く登場しているからで、「舞い上がるのよ、二人のサバンナへ」「もうすぐよ、きらめくシャングリ・ラ」など外国に憧れを抱かせる歌詞です。

当時は海外に行ったことがなかった私は、この歌にちょっと刺激を受け、タイのバンコクや中国の上海で本物のシャングリ・ラを見つけたときは感激しました。プリプリの代表曲はこの「世界で一番熱い夏」や「diamonds」などハイテンションな曲が多く、私自身とは正反対のカラーに惹かれたから印象に残っているのでしょう。

プリプリが出てきた当時、女性のバンドは結構ありましたが、大体がボーカルのみ女性のバンドで、プリプリのようにキーボードからドラムスに至るまで全員が女性というバンドは珍しかった時代です。何か新しいものを求めていた時代の流れにうまく乗れたのが彼女たちだと思います。

このプリプリが起爆剤になって、「バンドやろうぜ」というバンド養成雑誌ができるなど、当時の風潮を懐かしく思い出します。東日本大震災のチャリティーで一時的に再結成されるなど、まだまだ潜在的なファンは多いと思います。
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横浜FM戦プレビュー

2013-08-27 19:12:30 | 浦和レッズ
浦和は明日、アウェイの日産スタジアムで横浜FMと対戦します。この試合は2位と3位の直接対決で、今後のリーグ戦の流れを左右する、重要な一戦になる可能性があります。こんな大事な試合を平日に開催するのはもったいないと思うほどです。

浦和は前節の清水戦で快勝しました。しかも、早い時間で2点奪って逃げ切った勝ち方も良く、相手が取りに来ないなら後ろで回して時間を使う、省エネサッカーもできました。苦しくなったら宇賀神を狙えという、攻撃パターンも機能していました。

対戦相手の横浜FMは、ベテランがチームを牽引しています。中村俊輔34歳、中澤佑二35歳、ドゥトラ40歳、マルキーニョス37歳というあたりが主力で、スタメンの平均年齢が30歳を超える高齢チームですが、懸念された夏場の失速は見られず、いい位置につけています。

ベテランの彼らの運動量が多いのが横浜FMの強さで、特にマルキーニョスは年齢を感じさせない動きを今でも見せています。マンUとの親善試合で、マルキーニョスはいい選手と認められたようで、相手がファウルで止めに来るほどでした。

また、中村俊輔も後ろのボランチの富澤、中町がほぼ固定されて守備的な役割を引き受けてくれるので、攻撃に専念できるようになりました。得意のセットプレーはターゲットも長身の中澤佑二、栗原勇蔵がいるので、横浜FMにとっては大きなストロングポイントです。

横浜FMはポゼッションサッカーのチームには珍しく、アクチュアル・プレーイングタイム(ボールが止まっていない実際のプレー時間)が短いという、意外なデータがあります。スポーツ紙の記事によれば、これは横浜FMが百戦錬磨のベテランを揃えているのが理由らしく、中村俊輔あたりが優勢の試合でさりげなく時間を使える、マイボールの使い方のうまさという話です。

浦和がリードされるようなことがあれば、この時間稼ぎには大いに苛立つはずで、かつての鹿島のような試合運びのうまさを持っているチームです。そういう展開にしないように、是非早い時間で点が欲しいところです。
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短いパスからのカウンター(ブラジル対チリ)

2013-08-26 16:57:14 | ワールドサッカー
一日休んだときは2試合見ようと思い、もう1試合の国際親善試合、ブラジル対チリ戦も見ました。6月のスカパー無料放送で手に入った映像ですが、HDDに入りっぱなしになっていた映像を、今頃ながら見ました。

もっとも、この試合はリーグの合間を縫って行われる親善試合で、ブラジルもチリも南米でプレーする選手だけで編成したメンバーでした。ブラジルにはパウリーニョ、ネイマール、ロナウジーニョといった有名選手もいましたが、チリは知っている選手は一人もいませんでした。

知らないチームを楽しむ方法は2006年に国立競技場で生観戦したクラブW杯のときにある程度身につけました。私は知らないチームを見るときは、まずトップ下から見ます。ボールがこの選手を経由することが多いか、逆に飛ばしてトップ下がゴール前に詰めるか、どちらのスタイルをとるかわかればある程度イメージが出てきます。

チリの場合、布陣は4-2-3-1ですが、トップ下が受けてスルーパスというスタイルではありません。その代わり、自陣で短いパスを回してから一気にカウンターでウイングを走らせる切り替えが速く、世界最強チームの一つであるブラジルが置いていかれるほどでした。

解説の前園氏は、チリは選手間の「距離」がいいと表現していましたが、確かにパスが通る位置にポジションを取ったり、ミスになっても素早くカバーしたりといったチーム間の連携は非常に取れている印象を受けました。逆にブラジルの方は、1トップのレアンドロ・ダミアンがほとんど存在感がなく、ロナウジーニョこそテクニックを発揮していましたが、チームとしての完成度にはかなり差がある印象です。

この時点では、ブラジルの監督がメネゼスからフェリペに代わって間もない頃で、コンフェデで活躍したフレッジもまだ抜擢していませんでした。ネイマールを中盤に下げ、1トップにはポストプレーヤーを置く、フェリペスタイルは改革に着手したばかりで、結果を出すには時間が必要だった頃です。

もっとも、いくら完成していないとしても、ブラジルはブラジルで、その相手に果敢に挑んで2-2の引き分けに持ち込んだチリの頑張りは認めたいです。南米では考えなくても勝てるチームはブラジルとアルゼンチンだけで、他の国は何とかこの2強から勝ち点を取って、残り2枠の予選通過枠に入ろうといろんな工夫を見せます。チリのカウンターもそれだなと、いいものを見た喜びがありました。
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強豪破ったテクニック(カーディフ対マンC)

2013-08-26 16:48:04 | ワールドサッカー
今日は夏バテ気味で一日休暇を取り、マニアックにもワールドサッカーのチェックをしていました。知っている選手より知らない選手の方が多い試合もありますが、これをやっておかないとW杯のときに知っている選手がいなくなってしまうので、時間のあるときはこまめに見て、プレースタイルなどを確認しておきます。

今日見たのは、イングランド・プレミアリーグのカーディフ対マンチェスターC(以下シティ)戦です。シティはNHK-BSでよく中継するチームで、ある程度情報はありますが、カーディフは51年ぶりの1部昇格なので、もちろん初めて見ます。ただ、オイルマネーで強化されているシティに対し、昇格チームのカーディフが勝つことはないだろうと考え、最初はシティ中心に見ていました。

シティの注目選手はボランチのヤヤ・トゥーレです。コートジボアール代表のトゥーレ兄弟の弟で、アンカー気味に下がってボールを受けることの多い選手ですが、そこから繰り出されるパスの質がすばらしいです。キックの飛距離が長いのが売り物ですが、昔の中田英寿のように少し厳しいパスを出し、追いつけば決定機だろと味方を叱咤するプレーを得意にしています。

また、シティは2トップのジェコ、アグエロのコンビも熟成されていて、先制点はアグエロのヒールキックに反応したジェコの、豪快に突き刺さるミドルシュートでした。これを守りきったのかなと想像していました。

しかし、カーディフで唯一知っている選手、元C大阪のキム・ボギョン(韓国代表)がこの試合の波乱を演出しました。FWに入っていたキムは、失うものはないと積極的にシティのDFにドリブル突破を仕掛けます。そのドリブル突破が成功した1回が同点ゴールになります。ゴールライン近くまで切れ込んだキムのマイナスのクロスに、キャンベルが飛び込みこぼれ球を17番が押し込んで同点にします。

イングランドでは、たとえ2部が定位置のチームでも、サッカー専用で屋根がある、雰囲気のあるスタジアムを持っていることが多いです。カーディフのミレニアム・スタジアムもそんな雰囲気を持っていました。このスタジアムが同点ゴールで一気に盛り上がり、意欲の出たキムは再度ヤヤ・トゥーレに仕掛け、股抜きまで決めてCKを取り、そのCKをキャンベルが押し込んでカーディフが勝ち越し、試合は3-2でカーディフの勝利に終わります。

こういうことがあるから、試合を見るのは楽しいもので、カーディフの勝利はまったく予想していませんでしたが、キム・ボギョンが世界の大舞台でこれほどのプレーができているのは大きな発見でした。プレミアリーグの韓国人といえば、ボルトンの李青龍が有名でしたが、同じポジションのキム・ボギョンがそれを上回る活躍を見せれば面白くなってきます。
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横綱飲んだ一年坊主(1983年PL学園)

2013-08-26 08:34:35 | 他スポーツ
高校野球はちょっと前に終わりましたが、少年時代の私の楽しみは高校野球でした。当時、トーナメント表に勝敗を書くのを楽しみにしていて、夏の甲子園では2回戦から毎回抽選だったので、トーナメント表を切ったり貼ったりしてチェックしていました。

その中では、当時私は小学生で、プレー面の記憶は薄いですが、清原、桑田のPL学園は印象的なチームでした。彼ら二人は1年夏から5回連続で甲子園に出場した実績を持っていて、1年の夏に優勝した快進撃は今でも覚えています。

当時、埼玉代表の所沢商業と、PL学園は初戦で対戦しています。埼玉県に住んでいる私は所沢商業を応援してテレビを見ていましたが、エースと4番が一年生というPL学園というのはどんなチームなのだろうという興味はありました。

PL学園という学校自体は、名将中村監督が率いて甲子園の常連だったチームで知っていましたが、4番清原とエース桑田は最初から抜群の存在感でした。所沢商業はまったく歯が立たず敗れましたが、所沢商業のエース前田は、「清原から三振を取り、桑田から本塁打を打った男」という肩書きで、社会人野球を経て西武に入団することになります。

当時のPL学園の印象を決定付けたのは、準決勝の池田高校戦です。当時、水野投手(巨人)を擁した池田高校は、名将蔦監督のもと、高校野球最強チームの誉れ高きチームで、この大会でも優勝候補筆頭でした。しかし、PL打線は水野を捕らえ、打ち勝ってPL学園が勝利して、当時のスポーツ紙に「横綱飲んだ一年坊主」の見出しが躍ることになりました。

PL学園は、清原、桑田の出場した5回中、3回優勝という圧倒的な力を見せ、池田高校から主役の座を奪ってみせました。当時は甲子園球場にラッキーゾーン(外野フェンスの前に金網を引いて、少し手前でホームランにするルール)があった時代で、今の時代よりホームランは出やすかったですが、強打者清原のイメージはこのときに作られました。

その後は同じPL学園が、立浪、片岡、野村、橋本を擁し、社会人野球並みの継投と呼ばれた必勝リレーで勝って一時代を作りましたが、この清原、桑田の頃は野球が少しわかるようになった頃なので、一番印象的です。
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