Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

大相撲さいたまスーパーアリーナ場所、ギャラリー

2024-04-15 19:55:21 | 他スポーツ
大相撲さいたま巡業について、文章で書きたいことは昨日書いたので、今日は撮ってきた写真を載せます。さいたまスーパーアリーナが会場ということで、力士の背景が黒っぽい壁になるので、国技館で撮るより良い写真になりました。


正代


土俵入りを終えた照ノ富士


御嶽海


高安


大の里


翠富士


平戸海


隆の勝


北勝富士


熱海富士


宇良


若元春


阿炎


琴ノ若


大栄翔


霧島


豊昇龍
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大相撲さいたまスーパーアリーナ場所(春巡業)

2024-04-14 20:04:03 | 他スポーツ
今日はさいたまスーパーアリーナまで、大相撲さいたま巡業を見に行ってきました。私も巡業に行くのは6回目で、巡業は本場所とは違った楽しみ方があるのに慣れました。トップの画像はサイン対応をしてくれた湘南乃海ですが、何と言っても力士がその辺を歩いていて、サイン対応も気さくに応じてくれるというのが巡業の一つの楽しみ方です。

どうしても、取組の方は番付を賭けた真剣勝負ではない相撲なので、本場所ほどの逆転劇や土俵際の攻防などは難しいですが、巡業は稽古を見に行くと毎回決めて、幕内の稽古は可能な限りじっくり見ています。まず、サイン対応してくれた翠富士ですが、こういう小兵は代名詞の肩透かしは本場所に温存しており、押しの力を上げることをテーマに取り組んでいた印象を受けます。

それでも、勝ち抜き戦である「申し合い」の稽古で4連勝して、押しだけの相撲でも勝てたところに、翠富士の良さが見えました。そういう意味では、本場所ではどんな技を出すかわからない宇良も、稽古では低い押しを出そうとする相撲を取っていました。小兵は考えながら何かテーマをと思って取っている様子は見えましたが、同じ相手が何番も続けて対戦する「三番稽古」もテーマがありました。

三番稽古の意義は、この形になったら勝てる、この形になったら勝てないというパターンの確認です。今回、大関琴ノ若と大関豊昇龍が積極的に三番稽古に応じていましたが、豊昇龍あたりでも大栄翔にまともに突きを食らうと引き落とされて敗れる相撲もありました。申し合いと違って、大関なので負けてももう一番取らせてもらえるので、今度は負けないぞと取り組んでいました。

それ以外では、序盤の申し合いで意欲的に稽古していたのは、錦木、大栄翔、熱海富士、王鵬、高安といったあたりでした。横綱照ノ富士は土俵入りのみで相撲は取らず、大関貴景勝も先場所の負傷で不参加でしたが、先場所負け越して関脇陥落となる大栄翔が元気だったのは嬉しかったです。地元の巡業ということで気合いも入っていたようで、豊昇龍との三番稽古では勝ったり負けたりの内容でした。

取組は稽古の一環なので、土俵際で逆転技を出すようなことはなく、淡々と進んだ印象はありますが、それでもテレビの向こうで相撲を取っている幕内力士の多くがさいたま市にやってきたのは楽しめました。そういう相撲ファンが全国にいるから、こういう巡業というシステムがあるんですね。相撲好きの友人に「ファン感謝祭とオープン戦を同時にやっているようなもの」と例えられていました。


大の里


竜電


狼雅


北勝富士


阿炎


翠富士


豪ノ山


熱海富士


琴ノ若


琴勝峰


翔猿


大栄翔


正代


大栄翔
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元横綱曙、逝く

2024-04-11 21:29:42 | 他スポーツ
今日、元横綱曙の曙太郎さんの訃報がありました。54歳でした。外国人力士で史上初となった横綱昇進を果たし、優勝は11回と十分横綱の責任を果たしました。相撲ぶりは突き押し一本で、彼のもろ手突きを食らったら残せる力士はいないほどでした。そのため、曙と対戦する小兵力士は何とかその突きをくぐろうと、体を下げて突きをよけるのが戦法でした。

曙の時代は若乃花、貴乃花の若貴兄弟が絶大な人気を誇っていた時代でした。そのため、若貴兄弟と対戦する曙は敵役のイメージがありました。当時の相撲ファンは、若貴兄弟に、どうにか曙の突きをかいくぐって欲しいと期待を寄せていました。当時、曙、武蔵丸、小錦のハワイ軍団と、若貴兄弟、貴ノ浪の二子山部屋で団体戦のような記事がスポーツ新聞に載っていたこともあります。

曙の入門当時は、小錦のつてでハワイ出身の力士が多く入門した頃です。もっとも、ハワイ出身力士は序の口を圧倒的な強さで優勝しても、翌場所には辞めているケースもあるなど、育て方が難しいことが後で明らかになります。曙は師匠が元高見山の東関部屋で、外国人に理解があったのは幸運で、曙が上体が大きく足が細い、相撲には不向きな体型だったハンディキャップを突き押し一本で育てることでカバーしました。

はまったときは一気に連勝して優勝できた曙ですが、小兵力士に痛い星を落とすこともあったイメージです。当時、小兵の代表格は現解説者の舞の海ですが、舞の海が勝つときは曙の突きをくぐって懐に入ったときでした。四つになると得意ではなかった曙なので、上位陣は曙相手には何とか組もうとする作戦を立てていました。

曙の相撲で思い出すのは、ハワイの先輩小錦の大関陥落が決まった一番で対戦した記憶です。プライベートでは仲が良くても、相撲になれば別なのはシビアなところで、この頃になると曙も上位力士なので、小錦が相手でも落とせないことが、こういう結果になった故でしょう。引退後は一時年寄曙で角界に残っていましたが、プロレス転向のために角界を退職します。

もっとも、大晦日に組まれた格闘技戦では、曙はあまり強かったイメージはないです。押し出しがない世界では厳しかった印象ですが、2017年に倒れ闘病生活を送っていました。それでも、一時代を担った、良い横綱だったことは今でも思い出せます。
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尊富士のプロフィール

2024-03-28 20:55:54 | 他スポーツ
110年ぶりの快挙となった、新入幕で平幕優勝した尊富士(たけるふじ)について書きます。尊富士は青森県の五所川原市の出身で、五所川原市を走る五能線や津軽鉄道沿線は名力士が多く出ている地域です。少年相撲も盛んな土地ですが、高校では越境して、伯桜鵬や逸ノ城を生んだ相撲の名門鳥取城北高校に入学します。その後、日大相撲部で力士を目指すことになります。

もっとも、日大時代は膝の負傷で苦しみました。そのため、学生時代の実績がないことから、幕下付け出しではデビューできずに前相撲から入門するという回り道をした力士です。膝を痛めた期間に上半身のトレーニングを積んでいたため、今の当たりの強さの要因である鍛え上げられた上半身の筋肉は、この頃に下地があります。

学生相撲から序の口デビューする力士が多くなった今では、学生相撲出身でも下の番付で簡単には勝てなくなっていますが、尊富士は物が違ったようで、序の口、序二段を7戦全勝で連続優勝して、三段目も1場所で通過しています。幕下でも負け越しせずに順調に番付を上げていましたが、先場所十両で13勝2敗の好成績を収めて、十両をわずか1場所で通過する快挙を成し遂げています。

もちろん、尊富士は去年まで幕下だった力士ですから、横綱や大関にとってはノーマークでも仕方ないでしょう。それでも、尊富士の当たりの強さは幕内相手にも通用しており、左を差して一気に出る相撲ぶりもセンスが良く、将来の大器という期待もしたくなります。尊富士の四股名は神話で知られるヤマトタケルノミコト(日本武尊)から一文字を取り、富士は師匠の伊勢ヶ浜親方の現役名の旭富士からです。

朝乃山が勝利したように、相手に右を差されるとどうかという、ちょっとした弱点も見えましたが、足首のじん帯損傷の負傷の直り具合によっては上位でも楽しみです。幕尻から今回の優勝で、一気に前頭上位に番付が上がることになりそうで、初日から上位と当てられても同じような相撲が取れれば、三役も近づいてくるでしょう。


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大相撲春場所総括

2024-03-25 22:26:44 | 他スポーツ
大相撲春場所は、写真の平幕尊富士の13勝2敗での優勝に終わりました。前日の取組で右足首を痛め、車椅子に乗って病院に行った尊富士の出場は絶望的に思えましたが、一旦は休場のつもりでいた尊富士自身が夜になって「出場させてください」と伊勢ヶ浜親方に申し出て一転出場することになりました。勝てば優勝決定だった尊富士が、じん帯が伸びているという負傷を感じさせない相撲で豪ノ山を下し、自ら優勝を決めました。新入幕での優勝は大正3年の両国以来110年ぶりという快挙は、地元五所川原市に明るい話題を届けたことでしょう。

尊富士のことは別記事で改めて書くことにしますが、今場所は本命の横綱照ノ富士が序盤で4敗を喫して途中休場に追い込まれ、大関陣も序盤で星を落とす展開でした。平幕優勝が出るとすればこういう展開のときですが、尊富士については新入幕であることと、去年の九州場所ではまだ幕下だったこともあって、稽古相手にした上位力士はほとんどいなかったでしょう。

それでも、先場所旋風を起こした大の里が、大関や横綱と当てられたことで優勝には届かなかったこともあって、尊富士が9連勝してもまだ、平幕優勝が確実とは思えませんでした。平幕優勝が出るかもしれないと思ったのは、10日目に小結阿炎、11日目に大関琴ノ若を破って、昭和35年に大鵬が達成した新入幕の初日からの連勝記録11に並んだときでした。

この活躍で、尊富士は殊勲、敢闘、技能の三賞を一人で同時受賞する快挙も一緒についてきました。史上6人目の記録ですが、本人が言う「記憶に残る力士」になるためには、前頭上位に上がる来場所が大事です。おそらく、初日から上位と当てられる割が組まれるので、そこでも今場所やってきたような強い当たりと、差してからの速攻を出すことができれば本物です。

大関陣は豊昇龍が尊富士に土をつけて最後の意地を見せたものの11勝4敗でした。新大関琴ノ若は10勝5敗、大関霧島はまさかの5勝10敗という大不振でした。貴景勝は持病の首が悪かったようで、勝ち越しを決めた後に休場しました。4大関の場所になり、横綱争いが見られるかという期待には誰も応えられませんでした。平幕優勝を許した悔しさを、彼らが今後晴らしていけるでしょうか。

下位では、新鋭大の里が来場所小結に上がれそうな展開になってきました。そろそろ髷も結える頃でしょうが、この新鋭が初の三役でどんな相撲を見せてくれるか、大いに期待しています。さいたま市に巡業も来るので、彼の稽古ぶりを見るのも楽しみです。
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無事是名馬(魁皇)

2024-02-12 20:49:29 | 他スポーツ
ネタのないオフの時期は、困ったときの昔の力士ネタで、写真の元大関魁皇の浅香山親方の記憶です。魁皇は福岡県の筑豊炭田があった直方市の出身で、大相撲には中学を卒業して入門しました。入門当時は普通の体格で、この一般人がのちの大関と予想した人は皆無だったと思われます。魁皇の記録には史上2位となる、通算勝利数1047勝があります。

もっとも、それまで史上1位だった千代の富士の1045勝は、強さで達成した記録でした。魁皇の場合は、39歳まで現役だった驚異的な力士寿命の長さで達成した記録で、千代の富士の記録とは意味合いが違います。事実、魁皇自身も「勝ち星の数で上回ったと言っても、あの大横綱を上回ったことにはならない」と認めています。のちにこれを更新した白鵬は、正真正銘の強さで達成した記録でした。

それでも、魁皇は大関以下の力士では最多となる、5回の優勝を誇る強い大関でした。たまたま、その優勝が連続していなかったことで横綱になっていない不運もあった力士です。また、魁皇の時代は、横綱昇進のためには絶対に連続優勝しなければならないと角界がかたくなだった時代という、不運もありました。それでも、横綱に上がっていないから39歳まで取れたということは言えます。

相撲ぶりは左四つ右上手から繰り出す上手投げが強い力士でした。魁皇の若手時代、当時の最強横綱貴乃花に、四つ相撲で勝つことができた唯一の力士でした。魁皇が勝つときは右上手を引いてすぐに投げを打ったときでしたが、リンゴを握り潰せる、ビールケースを中身が入った状態で片手で2個持てるなど、怪力伝説を持っていた魁皇らしい勝ち方でした。

もっとも、どうしても最高位が大関の力士は、晩年のカド番の連続がイメージに残ってしまいがちです。魁皇の場合はその怪力に体が耐えられなくなる負傷休場が多かった記憶です。カド番回数11回と、何度も陥落寸前に追い込まれた大関でしたが、カド番の7勝7敗で当時の小結白鵬に勝って辛くもカド番を脱出した取組の印象もあります。

魁皇は福岡県出身ということもあって、地元の九州場所では絶大な人気を誇っていました。九州の人は魁皇の勝敗は気にしていると、当時は言われていたことを思い出しました。その5回の優勝の中に、地元九州場所がなかったことは、彼が相撲に残したほんのちょっとの悔いだったかもしれません。
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大相撲初場所総括

2024-02-05 21:00:51 | 他スポーツ
大相撲初場所は写真の横綱照ノ富士の9回目の優勝に終わりました。腰痛などで3場所全休が続いた、この横綱の状態は不安視されました。事実序盤に若元春に寄り切られていますが、次第に状態を上げて、優勝決定戦では琴ノ若にもろ差しになる相撲の上手さを見せて寄り切りました。本人は優勝10回を目標にしており、この状態で来場所に出られればそれは可能のように思えます。

今場所は審判部が明言こそしなかったものの、関脇琴ノ若の大関挑戦の場所でした。昇進の目安と一般的に言われる3場所33勝も今場所の13勝でクリアしました。突き押しの相手になかなか押されなくなった強さを身に着け始めたのが、この好成績の要因です。来場所は琴ノ若で取り、その次の場所から祖父の四股名である「琴桜」を継ぐということで、そういう世代間で四股名を継承していくところは相撲の良さですね。

大関陣は貴景勝が持病の首の痛みで4日目から途中休場しました。この大関はカド番に強いので何度かピンチを乗り越えていますが、来場所は琴ノ若も大関に上がり、終盤に横綱、大関戦が続く取組になります。それを乗り切って、また大関を死守できるか、来場所は大きなピンチの場所になる可能性が高いです。優勝争いに絡んでいた大関豊昇龍も、霧島に二枚蹴りを食らって敗れた相撲で負傷し途中休場しています。

大関霧島は先場所優勝し、今場所は横綱挑戦の場所でした。今場所は照ノ富士が出場していたので、この横綱を自ら乗り越えていくところを見せて横綱に上がりたかったでしょうが、照ノ富士との直接対決では力の差を感じたほどの完敗でした。琴ノ若にも敗れて11勝4敗に終わった霧島の横綱挑戦は白紙になります。横綱はそう簡単に上がれる地位ではないと、本人的にも実感があったでしょう。

三役を巡る争いは、関脇琴ノ若の大関昇進、小結高安と宇良が負け越して平幕に落ちます。その空いた3枠に入るのは、東前頭筆頭の若元春が10勝を挙げて当確です。一気に関脇に戻ることになるでしょう。残る二つは、西前頭2枚目の阿炎が8勝7敗で小結に復帰しそうです。残る一人は予想が難しいですが、西前頭5枚目で8勝7敗の錦木がラッキーな小結昇進を果たすと予想しています。

下位では、今場所新入幕だった大の里が11勝4敗で敢闘賞を受賞しました。恵まれた体格をしており、学生出身で相撲の上手さも持っており、髷がまだ結えないざんばら髪でどこまで上がれるか、来場所は前頭中位まで上がるのでそこが勝負の場所でしょう。
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琴ノ若、大関昇進へ

2024-01-28 20:46:59 | 他スポーツ
今日の大相撲初場所は、千秋楽でした。写真の関脇琴ノ若は優勝こそ照ノ富士に敗れて惜しくも逃したものの、13勝2敗の成績で審判部が大関昇進に向けた理事会を招集することになりました。理事会で大関昇進を否決した例が一度もないことから、琴ノ若の大関昇進はほぼ確実になりました。よく言われている大関昇進の目安の「3場所33勝」もこの日の勝利でクリアしています。

琴ノ若は母方の祖父が元横綱琴桜、父が元関脇琴ノ若という相撲一家に育っています。少年時代に祖父には「琴桜を名乗りたい」と言っていたようですが、「大関に上がらないとダメだよ」と祖父には言われていました。その大関を実現した今、琴桜の四股名が半世紀ぶりに復活する可能性があります。突き押しの祖父と相撲ぶりは違うものの、そういう伝統を受け継ぐのは相撲らしくていいですね。

琴ノ若は高校では相撲の名門校の埼玉栄高校で過ごしました。当時は琴勝峰(現前頭)の方が将来性では上という評価でしたが、それでも3年生になってから入門にふさわしい力をつけ始め、父である師匠からは「急激に強くなった」と太鼓判を押されての入門でした。当初は、本名から取った琴鎌谷でスタートし、三段目に上がったら琴ノ若を名乗る予定でしたが、出世が早く幕下まで琴鎌谷で、十両昇進のときに今の四股名の琴ノ若になりました。

最初十両に上がったときは師匠からは「勉強の場所だから成績は問わない」と言われていましたが、その新十両で勝ち越して十両を守ると、幕内まではすんなりと上がってきました。一時膝を痛めて十両に落ちたこともありましたが、去年初めて小結に上がってから毎場所勝ち越しを続けて、関脇で9勝、11勝、13勝と文句なしの成績で大関昇進を決めました。

下から入る相撲が多く、長身で長い相撲が得意だった父の琴ノ若とはちょっとタイプは違いますが、関脇に上がったあたりから急激に強くなりました。突き押しの相手にも押されにくくなり、今場所14日目の霧島戦で見せた粘りの相撲は、新たな上位力士の誕生を予感させるものでした。これから、もう一つ上の横綱を目指して、年齢的にも26歳とこれからなので楽しみにしています。
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大相撲初場所初日

2024-01-17 21:05:27 | 他スポーツ
サッカーネタもあったので記事が遅れましたが、先日の日曜日に両国国技館まで大相撲初場所の初日の取組を見に行ってきました。今場所は関取以上で初日からの休場力士がいなかったことで、初日のこの日は上位力士の写真をまとめて撮ることができました。横綱照ノ富士の土俵入りも、巨漢らしい安定した不知火型で、やはり横綱土俵入りがあると相撲ファンとしては嬉しいものです。

この日は幕下に注目力士が二人いました。肩の手術で幕下に落ちていた伯桜鵬と、膝のじん帯再建手術で幕下に落ちていた若隆景が土俵に上がっていました。彼ら二人は相撲ファンの間では有名なので、場内の歓声も幕内力士並みでした。伯桜鵬は矢後と対戦し、土俵中央で組み合って長い相撲になりましたが、投げで初日の相撲を制しました。若隆景は嘉陽相手に完勝の内容でした。

十両では石川県出身の輝と、ウクライナ出身の獅司の取組が、それぞれ被災地と戦災地ということで注目されていましたが、輝が勝利していました。初日に相撲を見に行くときは、十両の残り三番の前に行われる協会ご挨拶が目当てで、八角理事長が能登半島地震で被災された方々に哀悼の意を表していました。本場所なので番付を賭けた真剣勝負の土俵なので、演出などはなく土俵は進みますが、元関脇勢の春日山親方が募金活動をしていました。

注目は新入幕の大の里でした。学生相撲から4場所で入幕したスピード出世ですが、この日は武将山に当たり負けて押し込まれます。しかし、とっさに放った引きがうまくはまって相手を土俵に引き落として勝利を収めました。まだ髷が結えず、ざんばら髪で土俵に上がっていますが、このまま出世すれば横綱大関と当たる地位までざんばら髪で上がる可能性も持っています。

翠富士対貴景勝は、翠富士の左変化を読んでいた貴景勝が落ち着いて処理します。霧島対若元春は、霧島が立ち合いののど輪で若元春を起こして、土俵中央にはたき込みました。豊昇龍対熱海富士は、組み合った熱戦になりましたが、豊昇龍が寄り切って熱海富士を下し、まだこの若手を上位には行かせないと意地を見せる格好になります。

結びは照ノ富士対新小結の宇良でした。潜りたい宇良に対し、照ノ富士は持ち前の腕力で強引に小手に振ったのが効いて、宇良のバランスを崩して押し出します。このスポーツ砂漠の時期の数少ない楽しみの相撲を生で見られたので、それを胸に仕事に励むこととします。
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元関脇寺尾、逝く

2023-12-19 20:01:35 | 他スポーツ
昨日、元関脇寺尾の錣山親方の訃報がありました。60歳でした。去年、弟子の阿炎が優勝した場所で入院中だったと聞いて、気になっていましたが、こんなに早く見られなくなってしまうとは思いませんでした。写真はコロナ前の2020年1月場所で、入場ゲートでチケットをもぎっていた寺尾です。「こんなところに寺尾がいる」と気付いたのは、見た限り自分だけだったようでした。

寺尾は回転の速い突っ張りを武器に、長く幕内で活躍した力士でした。寺尾は新入幕当時のインタビューで「自分は主役にはなれないから、最高の脇役になりたい」と話していました。その願いは叶ったと思います。四つ相撲での安定感は抜群だった全盛期の貴乃花が、寺尾には2度ほど金星を配給しています。立ち合い突っ張った寺尾が、タイミングよく引くと、貴乃花が仕切り線の白線で足を滑らせて土俵に落ちた一番は今でも思い出せます。

また、千代の富士に食らった「吊り落とし」も印象的です。千代の富士相手に突っ張った寺尾が、最後千代の富士に後ろに回られて、そのまま送り出せばいいのに吊り上げて土俵に叩き落した一番でした。あの千代の富士が、本気で怒ったんだというのが、取り口に表れていた一番でした。また、寺尾は一時、最多黒星記録というワースト記録も持っていました。

もちろん、寺尾が弱かった故の記録ではなく、必然的に黒星が多くなる前頭上位を何度も務め、39歳まで取ったからの記録です。弟子の阿炎に39歳まで取れるかという質問をすると、「それは相当困難」と返されるほどです。今は旭天鵬が持っている記録ですが、それだけ稽古熱心で、自己管理もしっかりしていた証明でしょう。

親方としては、豊真将、阿炎を育てています。豊真将については、負傷がちだったものの「弟子でありながら誇りに思う」と引退のときに最大限の賛辞を送っていました。井筒3兄弟と呼ばれた、長男鶴嶺山、次男逆鉾、三男寺尾という三兄弟で井筒部屋に入門し、逆鉾とは兄弟同時関脇の記録も達成しました。

今や、その井筒3兄弟は皆、亡くなってしまいました。時の流れは無情なものですが、鶴嶺山が経営していた「相撲茶屋 寺尾」にその名前が残っています。彼の突っ張りに熱狂した、若き日の自分を、ちょっとだけ振り返った訃報でした。
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