Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

昭和記念公園

2014-10-30 19:49:33 | 雑記
だいぶ前になってしまいましたが、去る日曜日に、昭和記念公園まで出かけていました。立川駅から歩いて、コスモスの丘まで歩くと往復8km弱と長い距離の散歩でしたが、普段6kmを歩いて足慣らししていた私にはちょうどいい距離でした。この季節、コスモスには少し遅く、紅葉には少し早い季節でしたが、この時期でなければ両方は楽しめないと、逆に考えています。

トップの写真は園内を巡回するバス、「パークトレイン」です。ベビーカーを積めるスペースがあり、小さな子供連れの方でも昭和記念公園を楽しめるようになっています。





コスモスです。黄色い「イエローキャンバス」と、普通のコスモスの両方がありました。





園内の紅葉です。まだ色づいたのは一部ですが、楽しめる紅葉にはなっていたと思います。
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通訳から名監督へ(モウリーニョ)

2014-10-30 16:10:29 | ワールドサッカー
今の時期、スカパーが無料放送なので、ワールドサッカーのビデオを取り貯めて後でじっくり見ようと目論んでいますが、ワールドサッカーと聞いて散歩の途中で思い出した名前は現チェルシー監督のジョゼ・モウリーニョです。

モウリーニョは、今や年俸10億円を超える世界有数の名監督ですが、これほどの名監督にしては珍しく、プロ選手の経験がありません。ポルトガルの体育大学でスポーツ理論を学んだモウリーニョですが、この大学が語学力を重視していて、スペイン語や英語など数ヶ国語が話せたことが彼の運命を変えます。

大学を卒業したモウリーニョの仕事は、当時のバルセロナの監督、ボビー・ロブソンの通訳でした。欧州のチームは監督にも通訳を置かないチームもありますが、英語しか話せないロブソンには通訳が必要というバルセロナの判断でした。

通訳は監督の言葉すべてを聞きますから、若き日のモウリーニョにとってはロブソンの理論を吸収する機会だったでしょう。のちにライバル監督として何度か対戦した現バイエルン監督のグアルディオラが当時バルセロナの選手で、通訳のモウリーニョの言葉を聞いていました。

モウリーニョの手腕の確かさは、欧州CLをFCポルト(ポルトガル)、インテル(イタリア)という違ったチームで2度優勝したことに現れています。特にFCポルト時代(2003年)はJリーグ並みの20億円という強化資金で、100億円を超える予算を持つ欧州のビッグクラブを次々倒した優勝でした。

タイプ的には育成型の監督です。FCポルト時代はデコ、コスチーニャ、マニシェら多くの若手を育て、のちにルイス・フェリペ監督が率いて欧州選手権で準優勝したポルトガル代表のメンバーの多くがFCポルトの選手でした。

モウリーニョの著書も読んだことがありますが、モウリーニョは知性と教養のある選手を多く採用して、選手からも敬愛されている監督です。選手交代を見てもメッセージ性が明確に表れる采配をしており、インテル時代に当時世界最強を誇ったバルセロナを、CL準決勝でボール支配率20%台で破った試合は印象的です。

ただ、モウリーニョはクラブW杯やトヨタ杯に関心がなく、来日の経験は少なくとも私の記憶にはありません。いつか、何かの機会に試合を生で見て、「さすがモウリーニョ」と感服することができたら嬉しいです。
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沢村賞の歴史

2014-10-29 17:50:56 | 他スポーツ
アメリカでいう最優秀投手の「サイ・ヤング賞」に日本で当たるのは沢村賞です。今年の沢村賞はオリックスの右腕、金子千尋投手に決まりました。金子は去年も沢村賞の選考基準を満たしていながら、田中マー君が24勝0敗というあまりにも良すぎる成績だったので、選ばれなかった事情も考慮したそうです。

この沢村賞、真の最優秀投手とは言い切れない賞です。理由は「先発完投型の本格派投手」という但し書きがついているからです。下手投げの西武の牧田あたりはストレートが130kmくらいしか出ないので、いくら好成績を残しても選ばれません。

また、抑え投手が選ばれないのもどうかという意見もあります。1998年、防御率0点台という圧倒的な成績を残した横浜の抑え、大魔人佐々木のときにこの議論が起こりました。佐々木は結局受賞できず、それまで明確な基準のなかった沢村賞に「先発完投型の本格派投手」の但し書きがついたのはこのときです。

また、かつて沢村賞はセリーグの投手しか受賞できない時代もありました。セリーグとパリーグの仲が悪かった時代の名残で、そのため、稲尾(西鉄)、鈴木啓示(近鉄)、村田兆治(ロッテ)あたりのパリーグの名投手は沢村賞を取っていません。私の少年時代がそうだったので、西武ファンの私は当時沢村賞にあまり興味がありませんでした。

そんな壁が崩れ、パリーグの投手が対象に含まれてからの受賞第一号は1990年の野茂英雄(近鉄)でした。時代の変わり目が、偶然とはいえあの大投手に象徴されるのは、野茂英雄の偉大さの1ページです。ダルビッシュ有、田中マー君らが受賞してメジャーリーグに旅立って行きましたが、私にとって一番印象的な沢村賞は1988年の大野豊(広島)です。

当時は現在より打高投低だった時代で、防御率1位を当時は2点台後半で取ることができました。そんな時代で、大野はカープ打線の援護に恵まれず、13勝7敗という、すごい成績には見えない数字でした。しかし、投球内容は文句なしの沢村賞でした。

防御率も1.71という、当時としては異例の数字を残した大野は、史上最少勝ち星の沢村賞という記録を作りました。当時、私はセリーグは土日の巨人戦だけ見ていましたが、大野と槙原の息詰まる投手戦に感動した記憶は今でも色褪せません。
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効いた得点感覚(10/26鹿島対浦和後半)

2014-10-28 19:49:37 | 浦和レッズ
後半の浦和は、リードされている以上先に仕掛ける必要がありました。一番最初に切ったカードは関根out関口inで、関根がスタミナに課題がある以上十分考えられる策です。甲府戦で良かった関口にチャンスを与える狙いもあったでしょう。

この日の浦和は、集中力が欠如しているように見えた仙台戦と違い、皆ゲームにしっかり集中していたように見えます。それでも、小笠原、柴崎のパス供給能力の高さと、受け手側のカイオ、土居のポジショニングの良さはさすが鹿島でした。

土居は特に、どこに動けばマークを外せるかのセンスが良く、今季はレギュラーに定着して8ゴールと結果を出しているのも納得でした。この日こそ、浦和GK西川の好守に遭いましたが、鹿島が世代交代を進めて若い選手(土居21歳、カイオ20歳、植田20歳)が出てきたあたりは名門の底力です。

浦和もどこで李を投入するかはポイントでした。ボールをキープできるマルシオの良さはなくなりますが、李はヘディングが強いという浦和の選手の中では希有な特徴を持っており、李を入れるとクロス成功率が上がるメリットがあります。

予想通り、李はマルシオに代わって入りましたが、本人いわく「100回あって1回こぼれてくるかどうか」というチャンスに諦めずに詰めて、得点感覚に期待したミシャ采配に応えました。引き分けでは優勝が難しくなる鹿島が、その後は猛攻を見せますが、GK西川のファインセーブでピンチをしのぎ、鹿島のアウェイ戦であることを考えると貴重な勝ち点1を得ました。

ただ、気になるのは興梠の負傷交代で、腓骨骨折で残り試合の出場は絶望という、浦和にとって非常に痛い結果です。おそらく李を1トップに回し、シャドーにマルシオか梅崎が入ると思います。こうなってみると、マルシオを先発出場させておいたことが今後に生きてくるかもしれません。

もともと、柏木とマルシオの2シャドーは2012年シーズンにほぼ不動だったコンビです。その当時を思い出して、2シャドーでボールをキープした当時の良さを発揮して、残り試合の活躍を期待しています。
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熱く燃えた好ゲーム(10/26鹿島対浦和前半)

2014-10-27 19:18:00 | 浦和レッズ
写真は本文とは関係ありませんが、昭和記念公園の銀杏です。昭和記念公園のことは別記事で失礼します。

昨日の鹿島戦はテレビ観戦でした。優勝を賭けて戦うリーグ戦の終盤戦はこんなに熱く燃える戦いなのだと思える好ゲームでした。浦和は右アウトサイドに関根、ボランチに青木、トップ下にマルシオを起用して、強行日程に配慮したターンオーバーを見せました。

プレビュー記事ではわからなかった鹿島の浦和対策は、小笠原が柏木に付いて、浦和が5トップになったタイミングでは小笠原が最終ラインに入って数的同数を保つものでした。とはいっても、小笠原は鹿島の攻撃のときは常にキラーパスを狙っていて、フリーになった土居や遠藤にいいパスが出てきました。

このゲームは、前半3分に山本が興梠のユニフォームを引っ張る反則でいきなりPKになり、早くも動く気配でした。しかし、マルシオの蹴ったPKが曽ヶ端の足先に当たってノーゴールでした。マルシオのPKといえば残留争いの正念場だった2011年の福岡戦で厳しいプレッシャーに打ち勝って決めた印象がありますが、今季は初スタメンと試合慣れしておらず、それがこの失敗につながりました。

ただ、マルシオのトップ下起用は理にかなっています。理由は甲府戦で李が前に張り付いてしまって攻撃が機能しなかったので、下がってボールを受けられるマルシオの起用でトップ下に拠点を作りたかったのだろうとミシャの意図を推測します。

李が持っている、FW的な高さと強さはベンチに置いて途中から機能させることにしたのでしょう。事実、PKこそ失敗したものの、マルシオのポジショニングのセンスで関根からうまくボールを引き出した場面はありました。それを決めていればミシャ采配ズバリでしたが、外したことでマルシオは役目を果たしたとは言えなくなりました。

相手の先制点になったカイオのミドルシュートは関根起用のデメリットを突かれました。関根は短い距離が速いタイプのスピード型アタッカーですが、守備に不安があります。まだ、プロのトップレベルのサッカーを90分できない課題もあります。

関根がカイオとの間合いを詰め切れなかったことで、相手にフリーでシュートを打たれたことが、相手のビューティフルゴールの要因になりました。浦和は1点ビハインドで前半を折り返しますが、まだ甲府戦で機能した関口や得点感覚のある李を切り札として残しており、まだチャンスはあるという見方はできました。後半は明日、書きます。
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逸ノ城関

2014-10-25 17:31:05 | 他スポーツ
PCの故障でアップが遅れましたが、大相撲さいたま場所(秋巡業)では新入幕で13勝した逸ノ城関も注目の的でした。この秋巡業からまげを結うと話題になっていましたが、実際は髪の伸びが追いつかず、今回は最後のざんばら髪姿で貴重かもしれません。

逸ノ城関はモンゴルでは遊牧民で、水汲みで何キロも重い水を運んでいた少年時代があるので、身体能力は高いです。200kg近い巨漢ながら、動きが良く、この浦和巡業でも精力的に稽古していました。横綱鶴竜の胸を借りて、体を泥まみれにしながら何度もぶつかっていき、土俵を独占できたのは期待の現れです。





まさにこれが鶴竜にぶつかっていた写真です。



土俵入りです。化粧まわしが「鳥取城北高校」と出身校の寄贈です。



このさいたま巡業でも、力士幟は出ていました。望遠レンズで最大にして撮った写真なので、あまりいい写真ではありませんが載せます。

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戦術理解能力の高さ(内田篤人)

2014-10-25 14:22:34 | ワールドサッカー
昨日はNHK-BSで放送されたシャルケ対ヘルタ・ベルリンを見ていました。今ではドイツのブンデスリーガに日本人が大量進出しているので、バイエルンやドルトムントの戦術のことは対戦した選手に聞けば教えてくれるという、ライターの世界でも革命が起きています。

今回はシャルケの右SBで当たり前のように試合に出ている内田篤人選手を取り上げます。内田篤人は2010年南アフリカW杯の後でシャルケに渡って4年プレーした、ドイツで活躍する日本人の火付け役でした。内田篤人は確かに何度もオーバーラップして攻撃参加しますが、今はSBがクロスを上げるのは当たり前の時代なので、もちろん他にもいいところはあります。

それは戦術理解能力の高さだと思っています。ドイツに行けば内田篤人は上背は低い方ですが、相手カウンターに一人残ってクリアで流れを切り、スペースに対する反応の良さで試合の流れを作れる選手です。

覚えている試合は鹿島時代の2008年の天皇杯決勝の広島戦です。当時の鹿島を率いたオリベイラ監督が、徹底的に広島の良さを消しに行ったチームの一体感は、今でも印象に残っています。それが可能になったのは前半8分の内田篤人の先制ゴールがあったからでした。

当時の鹿島なら、1点あれば十分でした。広島のストロングポイントの左アウトサイドの服部公太を、内田篤人と本山雅志で挟み込み、リベロのストヤノフのオーバーラップはFWのマルキーニョスが蓋をして上がらせないという、当時広島監督だったミシャサッカーを研究し尽くした戦術でした。

代表入りは岡田監督時代です。当時は20歳と最年少の代表でしたが、岡田監督は内田のボールの持ち方を評価していました。普通のSBの選手は相手FWが怖いからタッチライン際で持ちたがりますが、内田は技術に自信があるから前にボールを置けると、TBSのスーパーサッカーでコメントしていました。

あれから6年経ちますが、右が内田、左が長友という時代は長いです。それだけ彼らが若くして出てきたからですが、若手にも伸びてもらって代表争いを面白くして欲しいとも思います。
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鹿島戦プレビュー

2014-10-24 22:36:13 | 浦和レッズ
現在、自宅のPCが故障しており、もう1週間携帯メールからの更新が続いています。そのため、自宅にいれば写真を載せたりすることもできますし、記事も一本15分ほどで書けるはずですが、今は更新に時間がかかり大変失礼致します。

記事はいつもの通り、日曜日の鹿島戦のプレビュー記事です。今でこそ、仙台のアウェイ戦が新たな鬼門と言われていますが、浦和にとって長年鬼門だったのはカシマスタジアムでした。私も2度行きましたが、1敗1分で勝っていません。

また、鹿島は今や全チームが考える、5バックや2ラインコンパクトサッカーといった、ミシャサッカー専用の対策をあえて打たないチームです。どんなときでも4-4-2か4-2-3-1の普段のサッカーを変えず、浦和の攻撃サッカーに対して攻め勝つことを考えているチームです。

そのため、浦和の対鹿島攻略ポイントはミシャサッカーの強みであるアウトサイドの使い方です。原口が移籍する前に、槙野が「原口、宇賀神、槙野の浦和の左サイドはストロングポイント」と自分で話したほど自信があるなら、そこを使って鹿島を攻略して欲しいです。

また、鹿島はエースストライカーのダヴィが重傷を負い、浦和戦は出場しません。ダヴィもほとんど左足でしか蹴らないなど、マークの仕方はわかっていると思いますが、代役は赤崎になりダヴィの破壊力はないと思います。

鹿島のストロングポイントは小笠原、柴崎のダブルボランチです。かつてレオナルドやジョルジーニョがいた中盤王国の伝統が残るのがこのポジションで、後ろからゲームを作ったり、チャンスと見れば上がってくる機動力があります。

浦和戦では相手のボランチを観察する余裕はないでしょうし、浦和が勝つためにはこの二人が印象に残らない必要があります。興梠が相手の大ブーイングの中で点を取り、鹿島のサポーターを黙らせる試合を期待しています。
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悪いときの浦和のパターン(10/22浦和対甲府)

2014-10-24 08:15:46 | 浦和レッズ
水曜日の甲府戦、ようやく映像で内容を確認しました。甲府は予想通り、5バックで守りを固めてきました。この戦術はW杯でコスタリカが採用してベスト8と結果を出したので、格下戦術の代表例として流行りになっています。

この戦術を機能させるためには5バックの選手より、中盤より前の選手が重要です。守備から攻撃に切り替えるときにどれだけの人数を上げられ、攻撃をシュートかクロスで終わらせることができるかが重要です。この日の甲府は、攻撃こそアーリークロスを送ってFWが合うのに賭ける戦術でしたが、守備に切り替わったときの戻りが早く、すぐに5バックの形を作れていました。

この試合がスコアレスドローに終わった理由は浦和の攻撃です。甲府は浦和のエースストライカー興梠に仕事をさせないように、真ん中の3枚のDFで興梠を挟んできました。こういうときは、シャドーの李や柏木が引いて積極的にボールを引き出して、代わりに点を取りに行くべきです。

しかし、この日の浦和は悪いときの代表的な形になってしまいました。浦和が攻撃時に4-1-5気味にして、アウトサイドが面白いように空くのを売り物にしているのは、このブログを読んで下さる方ならご存知でしょう。

甲府が5バックなので、浦和の5トップとは数的同数になり、面白いようにアウトサイドは空きませんが、それでもいいときの浦和なら、前の選手が引いてパスコースを作ったり、カウンターで2シャドーに入れたりする攻撃パターンがあります。

しかし、この日の浦和は、前の5人が前線に張り付いてしまいました。パスコースがなくなった後ろの選手が仕方なく後ろでパスを回す、ボール支配率が高くても決して誉められない試合です。また、左アウトサイドの梅崎が相手右アウトサイドのジウシーニョとの1対1に完敗したのも響きました。

宇賀神の出場停止でチャンスをもらった梅崎ですが、この日は相手を抜いてクロスを上げることができていませんでした。梅崎に代わって途中出場した関口が入ってから個人技が通用するようになったので、この交代がもう少し早ければと惜しまれます。

本当の勝負は次の鹿島戦になりました。この試合でチーム状態を戻し、浦和がいいサッカーをして流れに乗って欲しいです。
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あきらめなければ(盛田剛平)

2014-10-23 22:29:32 | 他チーム
昨日の甲府戦は仕事の都合で映像を見ていないので、今日は穴埋めネタです。昨日、途中出場とはいえ甲府の大ベテラン盛田剛平選手が出場していたのは懐かしい思いがありました。盛田は駒大時代は大学No.1FWの触れ込みで、期待を集めて1999年に浦和入りしました。

当時の入団会見は今でも覚えていますが、「利き足は頭」とヘディング一本で得点を量産する気構えでした。しかし、現役時代に盛田と同タイプだった当時の原監督は、フィジカルの弱さを課題に挙げていました。連日居残り練習をさせて育成しようとした原監督ですが、盛田はノーゴールと結果を出せず、チームが2部に降格するという最悪の結果に終わってしまいました。

その後、盛田はセレッソ大阪、大宮と移籍してFWとして結果を出せるチームを模索していました。私は、大宮時代の盛田のゴール(CKを頭で合わせた)を見たことがありますが、バレーの台頭で大宮でも出番を失います。

そんなときに広島からオファーが来ました。本人いわく「ありえないでしょう。J2でも試合に出ていない僕に?」と驚いたほどでしたが、この広島でCBにコンバートされて3バックのストッパーに定着したことが盛田の選手生命を延ばしてくれました。

当時は3バックはすたれた戦術とみなされていた時代で、広島が数少ない3バックのチームだったのも幸運でした。ナビスコ杯で、DFながらハットトリックを決めた試合もありますし、天皇杯決勝のピッチにも立っています。

今は甲府で、久しぶりにFWに戻っています。城福監督からは「点を取ることはあまり期待していない」と言われていますが、チーム2位の4得点を挙げています。昨日の試合を見る限りでは、ポストプレー専用のFWで、ボールを落ち着かせて2列目の選手が前を向いて上がればよしという役割です。

盛田は広島時代の終盤も、スタメンにこそ外れていましたが、常にベンチに入れるコンディションは維持していました。そういう真面目な姿勢が、38歳の今でも現役を続けられる理由だと思います。ゲームレポートは明日でお願いします。
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