Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

昭和記念公園の日本庭園

2021-10-31 21:24:52 | 雑記
昭和記念公園に行ったもう一つの目的は、日本庭園のカエデでした。さすがにまだ早かった様子ですが、一部ですが色づいた木もあり、写真好きの自分としては十分に楽しめました。池に赤い色が反射する様子も収めてくることができました。













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ボランチの活用(10/27天皇杯G大阪対浦和)

2021-10-31 20:57:05 | 浦和レッズ
日曜日の徹夜勤務が効いて今週は体調が悪かったですが、天皇杯準々決勝のG大阪戦は何とか見ることができました。G大阪はスピードもヘディングもバランス良く持っているパトリックをスタメンFWで起用し、宇佐美との2トップで臨んできました。ちょうど、パトリックは浦和CBショルツと対面になる格好で、G大阪としてはショルツに後ろからゲームを作らせたくなかったのでしょう。

しかし、このG大阪の布陣にはデメリットもあります。それは、中盤の真ん中にトップ下を置かないので、浦和のボランチのところをマークすることが難しいということです。おそらく、ロドリゲス監督はそれも読んでいたのでしょう。浦和はダブルボランチを縦関係にして、平野と柴戸のどちらかが最終ラインをフォローしながら、もう一枚がバイタルエリアに残ってパスをさばく役割にしていました。

当初、ロドリゲス監督はボランチの攻撃力についてはあまり期待していない雰囲気でした。確実につないでくれればいいと、最終ラインのフォローを課す代わりにSBが高い位置を取るサッカーを目指している様子でした。しかし、もちろん攻撃力はないよりはあった方がいいです。この日はJ2水戸からシーズン途中で加入してボランチに入っている、平野の攻撃力が効きました。

相手のゴールキックがこぼれ、平野のところに出た一瞬のチャンスに、平野が出したパスはちょうどユンカーへのスルーパスになりました。スピードも持っているユンカーは相手DFを振り切って、サイドネットに突き刺さる見事なシュートを決めて、前半8分で早くも先制することに成功します。ボール保持率ではG大阪が上回る展開だったものの、浦和は柴戸の守備も効いて、逆襲から決定機を作り出します。

ゲームの流れが決まった2点目は、山中のクロスからでした。江坂が前に残っていましたが、彼にしては珍しく、ヘディングでポストプレーを見せました。これでバイタルエリアに残っていた関根が見事にフリーになり、彼の抑えの効いたシュートが決まって2-0と大きなリードを得ることができました。これで攻めるしかなくなったG大阪はボールを持って仕掛けますが、GK西川の好守も効いてこのゲームを逃げ切ることに成功しました。

ユンカーが後半開始直後に交代したのが、負傷交代の可能性もありますが、それでもこのゲームはうまくG大阪の攻めをいなすことができました。リーグ戦で内容で上回りながら1-1で引き分けたリベンジには成功した格好で、これで天皇杯を楽しみに、他チームよりちょっと長くなるシーズンを楽しみにできればと思います。
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昭和記念公園のコスモス

2021-10-30 22:15:03 | 雑記
今日は昭和記念公園まで花を見に行ってきました。一般的にコスモスと言われる種類の「センセーション」ですが、花は見られましたが倒れている株もありました。それでも、そろそろ刈り取りの時期だったことを思えば、これだけ見られれば満足です。花の時期は終わり、また来年に向けて、長い冬を過ごすことになりますね。













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南野拓実の記憶

2021-10-29 23:05:19 | ワールドサッカー
代表選手ネタは、リバプールFW南野拓実選手の記憶です。南野はC大阪のアカデミーで育ち、当時の寮長が「香川真司と南野は一度も怒ったことがない」と絶賛するなど優等生でした。高卒1年目の2013年に背番号13を背負うなど期待を集め、1年目からいきなり開幕戦でスタメンとなるなど、若くして出てきた才能でした。もっとも、翌2014年はウルグアイ代表FWフォルランを補強して話題を呼んだものの、J2降格という苦難を味わうことにもなります。

降格したチームに残る選択肢もあったと思いますが、オーストリアリーグのザルツブルクからオファーが届き海外挑戦を選びます。この活躍で2016年のリオ五輪では期待を集めますが、チームは1次リーグ敗退に終わります。それでも、ザルツブルクではELで着実に得点を挙げており、CLのリバプール戦で1得点1アシストを決めた活躍もあって、そのリバプールに移籍することになりました。

南野の印象が強烈なのは、森保監督が監督就任直後からほぼ一貫して使っていたためです。森保監督の就任直後は、ベストに近いメンバーだったウルグアイやコロンビアと国内で対戦する機会がありましたが、当時は4-2-3-1のトップ下で起用され、ダブルボランチにはほぼ守備のタスクを課す代わりに、南野、堂安、中島の3シャドーには思い切って個人技を出していい自由を与えていました。

その、思い切って個人技で仕掛けるサッカーは南野に向いていたようで、2019年のアジアカップでは決勝戦でカタールに敗れ優勝こそならなかったものの準優勝とある程度成果が出ました。プレースタイルはセカンドストライカータイプで、トップ下の位置から出てくる動きが相手に読まれにくく、点を取ることで日本代表の地位をつかんでいる選手です。

点が取れる長所は、2次予選で大いに発揮されました。格下相手とはいえ、W杯予選で7試合連続ゴールはさすがで、今の代表では大迫より点が取れる選手です。また、守備もある程度はこなしてくれる選手で、バランスの良い選手です。さすがに、世界の名門リバプールではポジション争いで苦しんでいますが、リーグ戦の間に挟まっているカップ戦では結果を出しています。

最終予選では今のところゴール量産とはなっていませんが、それでもアジアレベルでは一段上の選手で、これからの活躍には期待できると思います。日本代表が逆転でカタールW杯に出るとすれば、彼のゴールは必要で、それをスタンドから見られればいいなと思います。
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浅野拓磨の記憶

2021-10-28 22:48:26 | ワールドサッカー
代表戦で撮ってきた写真からは、現在ドイツでプレーしているスピード型FW浅野拓磨選手の記憶です。浅野は8人兄弟で育ったこともあって、家計を支えるために中学卒業と同時に就職を考えていましたが、「この子は才能があるから是非とも高校でプレーさせて欲しい」と中学時代の担任が両親を説得して名門の四中工でFWとしてプレーします。

プロ入りはサンフレッチェ広島でした。デビュー当時はトップ下の控えで、途中から野津田と浅野という若手コンビが出てくることで、広島の運動量が終盤も落ちないために重要な存在でした。FW転向は2年目以降です。当時、広島の1トップは佐藤寿人で固定でしたが、この佐藤寿人が60分ほどで退いて浅野が途中から出てくる森保監督の采配が絶妙でした。

佐藤寿人にとってはポジションを脅かされる采配でしたが、佐藤寿人も浅野の将来性は高く評価しており、「ジャガー浅野」の名付け親も佐藤寿人です。「ベンチに才能のある選手がいるから60分間の出場を受け入れた」という佐藤寿人のコメントもあり、スピード型の浅野が途中から出てくることで、動きが落ち始めた相手DFにとっては脅威になります。この年はほとんど全試合に途中出場して、8得点を挙げる活躍を見せます。

日本代表ではスーパーサブという期待で招集されています。スピードという持ち味がはっきりしている選手なので、相手の動きが落ちたところをそのスピードで狙わせる起用が多いです。ハリルホジッチ監督がこういうタイプを好んで起用しており、4-3-3が定番だったハリル采配で、右のウイングといえば浅野でした。もっとも、ハリル解任後は一時代表から遠ざかった時期もあります。

クラブチームでも、アーセナルからレンタルでドイツのシュツットガルトでプレーしますが、2018年のハノーファー時代は出番も減少しノーゴールと苦しんでいました。2018年のロシアW杯は予備登録メンバーにとどまり、一段格が落ちるセルビアのパルチザンでプレーする道を選びます。このパルチザンでは最後は給与未払いで退団したものの、セルビアリーグで18得点を挙げて復活のきっかけをつかみます。

浅野は今は代表にも復帰し、ドイツのボーフムでプレーしています。3トップのウイングに適性があり、豪州戦では南野に代わって左ウイングに入ったことでスピードを生かせました。途中から出てくると嫌な相手になれるので、日本が誇るスーパーサブとして貴重な得点を期待したいところです。豪州戦も結果はオウンゴールとはいえ浅野の突破がきっかけで、それは可能だろうと思っています。
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吉田麻也の記憶

2021-10-26 23:06:56 | ワールドサッカー
今日も記憶で書けるネタで、日本代表CB吉田麻也選手の記憶です。吉田は長崎県の出身ですが、名古屋グランパスのジュニアユースに入団するために家族で名古屋に移住したというバックアップを受けていました。プロ入りはユースから昇格した名古屋ですが、21歳の若さでオランダリーグ、VVVフェンロに移籍しています。当時としては珍しかった「青田買い」です。

フェンロではリーグ下位が定位置と苦しんだ吉田ですが、彼が価値を上げたのはカタールで開催された2011年のアジアカップでの活躍です。当時、ザッケローニが率いた日本代表で、パワー系のDFが必要だったチーム事情にフィットした吉田は、2戦目のシリア戦では退場処分を受けるなど山あり谷ありではありましたが、優勝メンバーの一人になることができました。

また、吉田はセットプレーではゴールも期待できるDFです。印象的なのは、引き分けが濃厚だった2012年の3次予選の初戦、朝鮮民主主義人民共和国戦で、CKを頭で合わせた決勝ゴールです。当時、本田圭佑を欠いた日本代表は苦しい戦いでしたが、吉田のセットプレーはどんなときでも武器になる、一つの「飛び道具」であり続けています。

イングランド・プレミアリーグ、サウサンプトンでも活躍しました。日本人選手にありがちな例で、吉田も右SBで起用された試合もありますが、基本はCBで相手の攻撃を跳ね返す活躍でした。長くプレーしましたが、吉田が活躍すると、次の年に代表クラスのビッグネームのCBを補強されて苦しむ循環ではありました。それでも、相手がサラー(リバプール)やジェズス(マンチェスターシティ)だった経験は彼を成長させたことでしょう。

長谷部の代表引退で、キャプテンマークを引き継ぎ、カタールW杯を目指す代表の中心選手です。アジアの相手にはそのパワーは重要な武器で、次のベトナム戦などは相手がパワー系に弱そうなので期待できます。スマホゲームのCMにも出演するなど知名度も抜群で、もちろんこのまま最終予選を勝ち抜いてのW杯出場は是非とも期待したいです。
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秋の田島ヶ原

2021-10-25 20:53:03 | 埼玉
秋の田島ヶ原サクラソウ自生地は、写真のように一面にススキが広がります。おそらく、さいたま市が野原だった当時は、どこにでも見られた光景だと思いますが、今は自然が残る数少ない場所であるここだけで見られます。



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冨安健洋の記憶

2021-10-25 15:02:10 | ワールドサッカー
徹夜明けで元気が出ないので、記憶で書けるネタで、現プレミアリーグのアーセナル所属のCB冨安健洋選手の記憶です。冨安は名前だけは知っていても、Jリーグでの印象がないですが、当時J2だったアビスパ福岡で2年間プレーし、入団2年目の19歳でベルギーリーグのシントトロイデンに渡っているからです。もちろん、この移籍が実現したのは、冨安が高校3年生でトップ昇格し、レギュラーでプレーしていたからです。

シントトロイデンは、ベルギー1部リーグでは下位のチームですが、このチームは日本の資本が参加しており、外国人選手として日本人を採用して「踏み台」にしてもらうことで移籍金を得たいという方針で強化しています。シントトロイデンでは1年半プレーしますが、イタリア・セリエAのボローニャから完全移籍のオファーが届き、移籍金を得たシントトロイデンの思惑は成功しました。

冨安の印象はそのボローニャ時代が大きいです。日本だとがたいのいいCBタイプという印象ですが、日本人のCBはスピードと技術があるので、ボローニャでは右SBで起用された試合も数多くあります。もちろん、試合の途中でCBに回してもそつなくこなせますが、SBとしてもクロスの精度などでは本職に負けない輝きを放っていました。

また、冨安は早熟な選手ということもあって、東京五輪代表でも期待されました。結果的に、五輪代表でも日本代表でも吉田麻也とCBコンビを組めたことは、今の日本の守備陣の構築に役立っていますが、東京五輪本大会では負傷の影響もあって本来のプレーではありませんでした。もっとも、ボローニャでの活躍や日本代表でのプレーで価値は上がっており、今季から名門アーセナルに加入しています。

まだ、アーセナルでの冨安のプレーは見ていませんが、評価が高いという報道は聞こえてきています。最近、忙しくてワールドサッカーのビデオを見る時間が確保できないのは残念ですが、アーセナルでの冨安のプレーは見ておきたいところです。CBなので、ゲームを通して注目するのは難しいでしょうが、あのアーセナルで試合に出るだけでもすごいことです。

冨安といえば、柔道五輪代表だった篠原信一氏に似ている外見も印象的です。篠原氏はシドニー五輪銀メダルまで行きましたが、冨安がその知名度を乗り越えたのは間違いなく、見かけによらず上手いところも、これからチェックしていきたいです。
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森保監督の練習

2021-10-23 23:09:02 | ワールドサッカー
先日のW杯予選豪州戦では、森保監督の練習風景もある程度見てきました。誰でも見ることができる日本代表の練習はあり、それは試合前のウォーミングアップの練習です。かつてはイビチャ・オシム監督が試合前のウォーミングアップで11対10の紅白戦をやるなど、この練習にも監督のカラーが出るので楽しみにしています。

森保監督の練習の特徴として、まずは選手が怪我をしないことを最優先に考えられた練習をしているものがあります。軽いジョグから始めて、少しずつ走るペースを上げていって、球回しの練習をしてから最後にシュート練習というのは、最近の監督では定番のメニューですが、森保監督の練習の特徴として、慎重に休憩をはさみながら選手に給水をさせています。

選手は少しずつ体を温めていくことが可能なので、いきなり全力ダッシュをするような無理はなく、しかもどうしてもフィジカルコンタクトを伴う球回しの練習は最小限度の時間にとどめています。代表選手は皆上手いので、球回しの練習でも華麗なパス回しが見られますが、選手に着せるビブスを複数色使い分けて、同じ色の選手にパスを出すような、狭いスペースを見分けてパスを出せる、頭の中のクリアさを要求するメニューです。

最後はシュート練習で締めますが、スタメン組にはそれほど全力でシュートを打たせることはなく、体が温まっていればいいと割り切っています。おそらく、普段の代表の練習はこんな強度ではなく、もっと激しい練習もしているでしょうが、試合前のウォーミングアップならば無理をさせる必要はないと、明確に割り切っているところは現実主義者の発想です。

代表監督の難しさはコンディションを見抜けるかというところがあります。世界中に散らばっている代表選手のコンディションを判断するので、欧州では「クレイジージョブ」と言われることもあります。今回、田中碧と守田が調子がいいという理由で4-3-3を採用して当てましたが、次のベトナム戦、オマーン戦ともアウェイで連勝が求められる、正念場です。そこでもコンディションを見抜けるか、楽しみに11月を迎えたいと思います。
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長友佑都の記憶

2021-10-22 22:55:10 | 他チーム
今日のリーグ戦柏戦は、残業で半分しか見られていないので、穴埋めネタとして代表選手から、FC東京の左SB長友佑都選手を取り上げます。長友は愛媛県の出身で、高校は越境して東福岡高校でしたが、高校時代はそれほど有名な選手ではなく、明治大学には指定校推薦で入学しています。実際、明治大学では2年生の途中までレギュラーになれず、1年生のときは応援団で太鼓を叩いていたエピソードがあります。

長友が有名になったのは、FC東京の強化指定選手になった3年生のときです。当時、消化試合になった五輪代表のマレーシア戦に出場した長友は、左右どちらのSBもこなせることと、積極的に前に行けるSBとして大いにアピールします。当時はヘディングで1点も取っており、この活躍も効いて4年生のシーズンは明治大学ではなくFC東京でプロとしてプレーする決断をします。

この決断は正解でした。FC東京では1年目から一桁の背番号「5」をもらいます。当時は右SBでの出場が多かったですが、当時の味の素スタジアムでは長友がボールを持つと、その高い身体能力で何かしてくれるのではとスタンドが盛り上がるほどでした。長友はFC東京とは海外挑戦のための約束事を決めており、チームでタイトルや代表入りなどの条件をすべてクリアして、セリエAのチェゼーナに移籍することに成功しました。

代表入りは岡田監督時代です。当時から、右SBは内田篤人、左SBは長友佑都というのが定番でした。岡田監督は守備を軸にチームを作る起用法を見せ、2010年W杯南アフリカ大会では、1次リーグのオランダ戦で相手の高速ウイングのエリアのマークには、チームで一番足の速い長友を当てる起用を見せていました。

プライベートでは元女優の平愛梨さんと結婚し、3人の子の父親です。2018年のロシアW杯には妊娠中で愛梨さんを連れていけなかったので、次のカタールW杯では家族の前でプレーを見せると代表続行を決めました。35歳になっていますが、まだ代表でのスタメンは譲っておらず、欧州でのプレーは断念してFC東京に復帰したものの、まだまだ意欲は十分です。

強豪インテルでもプレーし、世界レベルがどういうものかを知るこのベテランが、最終予選で効いてくる場面はあるでしょう。インテルでは「毎日がW杯の本大会のよう」と鮮烈な経験をしており、彼の攻撃参加が果たす役割は大きいです。最終予選が終わったときに「長友はいい仕事をした」と語っていられることを願いたいです。
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