Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

4バックの方が得意(山中亮輔)

2020-05-31 20:39:49 | 浦和レッズ
一昨日、テレビ埼玉の浦和レッズ応援番組のGGRで、浦和DF山中亮輔選手とレディース上野選手との対談がありました。その中で、印象的だったのは、山中が3バックのアウトサイドよりは4バックの左SBの方がやりやすいと語っていたことです。どちらかと言えば攻撃力が武器なタイプなので、思い切って上がっても許されるアウトサイドの方が得意ではと思っていました。

その理由として考えられるのは、山中のこれまでのキャリアがあります。4バックの柏でユースから昇格してプロになり、その後移籍した横浜FMも4バックのチームです。4バックの左は穴を開けない守備が必要なポジションですが、山中の攻撃力があれば相手を押し込んで穴を突かせない自信があるからのコメントでしょう。

浦和レッズというチームは、歴代監督は3バックを用いることが多かったチームです。その理由として、左SBの本職がなかなか育たなかったことも理由でしょう。ギド監督時代、代表で左SBだった三都主も3バックのアウトサイドタイプですし、4バックのフィンケ監督が左SBで起用したのは本来ボランチの細貝ということもありました。

山中は大槻監督が4バックに思い切って舵を切るきっかけになった選手でしょう。4バックの左に彼が定着すれば、両サイドにウイングを置いて縦へのスピードで勝負する、ルヴァン杯仙台戦やリーグ湘南戦で見られた攻撃サッカーを完成できる可能性も持っています。攻撃参加した際に、左足でクロスを上げることが、浦和の歴代左サイドではなかなかできなかった記憶です。

もちろん、相手も山中の守備は狙ってくるでしょう。3バックから4バックに舵を切るということは、CBタイプがこれまでの3人から2人に減るということを意味します。山中が戻って守備を助けられないと、2人だけのCBでは持ちこたえらえないリスクもあります。この、浦和ではあまり見られなかった新戦術が機能することがあれば、楽しめる試合が増えると思われます。

去年使いきれなかった山中をシーズンを通してフル稼働させることができれば、補強に近い効果が出ます。正直、まだプレーで印象を残すほどの活躍ではないので、「山中はここが良かった」とシーズンが終わる頃に語っていられるような活躍を期待したいです。
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バイエルン対デュッセルドルフ

2020-05-31 20:03:10 | ワールドサッカー
週末の楽しみで、ブンデスリーガのバイエルン対デュッセルドルフのビデオを見ていました。首位攻防戦のドルトムント戦を勝利したバイエルンは、中3日の強行日程で16位のデュッセルドルフをホームに迎えます。メンバー的にはCBがボアテングに代わってエルナンデスが入っているだけでほぼ同じメンバーですが、ドルトムントに勝った後の緩みが気になる試合です。

その予感は当たりませんでした。デュッセルドルフは4-1-4-1の布陣で前に11番(カラマン)を残して、深い位置に2ラインを引いて守ってきました。序盤は中盤から2枚上げて高い位置で取ってから速攻を狙ってきましたが、次第にバイエルンのボール保持の前に自陣に引かされる展開になってきます。

それでも、バイエルンがデュッセルドルフのブロックを嫌がってブロックの外で回す展開なら、時間が過ぎていきデュッセルドルフにも望みが出ます。しかし、バイエルンは左ウイングのニャブリーがサイドのスペースを利用し、マイナスのクロスを受けたミュラーの展開から、ダイレクトでクロスを合わせた右SBのパバールのシュートをDFイェルゲンセンがオウンゴールして、前半15分と早い時間でバイエルンに先制点が入ります。

こうなればバイエルンの試合でした。バイエルンの選手は高い技術力を持っており、デュッセルドルフのブロックの中でキープする技術は十分に持っていました。ボール支配率はバイエルンが7割近くを占め、一方的にバイエルンが押す狙い通りの試合になってきます。2点目はサイドからのクロスをパバールが合わせ、さらに前半終了間際にはレバンドフスキのヘディングで3点目が入ります。

真ん中にはデュッセルドルフも人数をかけていましたが、バイエルンは両ウイングからの仕掛けに自信を持っており、そうして相手の最終ラインを下げさせてから、トップ下のミュラーやボランチのキミッヒが空くという勝ちパターンに持ち込みます。正直、デュッセルドルフはそれを打ち破れるほどのチームではなかった印象で、残留争いのチームでは世界の強豪バイエルンと戦うのは厳しかった印象を受けます。

最終スコアは5-0と大差がつきました。大差がついてから出した若手選手が、スタメン組ほどの質を見せられなかった課題はありますが、この試合で必要な勝ち点3は確実に確保している、バイエルンの強さだけが印象的だった試合でした。
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梅雨前の彩湖

2020-05-31 17:51:59 | 埼玉
今日は、彩湖ベジタブルマラソンがあるはずだった日でした。10km走って、マラソンシーズンの最後を締めくくる大会ですが、コロナ自粛で中止になりました。そのため、その行き帰りで撮るはずだった道中の花の写真を撮ってきたので載せます。この大会が終わると、梅雨時になり、私の調整は室内トレーニング中心になります。もっとも、その室内トレーニングの場所だった公共施設の休館で、どういうトレーニングをすべきかいろいろ思案に暮れています。























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キミガヨラン

2020-05-30 22:36:29 | 埼玉
後ろに自転車が写っておりあまりいい写真ではないですが、散歩の途中で見かけたこの花の名前が「キミガヨラン」とわかってちょっと嬉しいです。インターネット時代なので、花の名前は画像を見て調べられるようになりました。日比谷公園の散歩でも、よく見かけていた花です。
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ドルトムント対バイエルン

2020-05-30 22:15:24 | ワールドサッカー
ブンデスリーガの首位攻防戦、ドルトムント対バイエルンのビデオを見ていました。首位バイエルンを勝ち点4差で追うホームのドルトムントとしては、勝って勝ち点差を1に縮めて今後の優勝争いをわからなくしたいところです。この両チームはここまで6連勝中とブンデスリーガでは真の強豪で、この試合もそんなエッセンスが詰まった試合になりました。

両者とも、サイドからの攻撃が売り物と、チームカラーは似ています。それでも、戦術的にはドルトムントは3-6-1、バイエルンは4-3-3と違っています。ドルトムントはアウトサイドの攻撃力を使いたいところですが、守備の際に彼らアウトサイドは自陣に帰る必要があるので攻撃参加のためには長い距離を上がらないといけません。

これに対し、バイエルンの4-3-3は、サイドのウイングが常に前に張っておりサイド攻撃はしやすいです。それでも、この布陣は中央の守備を犠牲にしており、アンカーのキミッヒのところに負担がかかる布陣でもあります。どちらのサイド攻撃が機能するかが見どころと思っていましたが、試合は中央の攻防で展開することになります。

最初にチャンスをつかんだのはドルトムントでした。バイエルンのGKノイアーは思い切って前に出るのを武器にしており、ダウードのシュートを前に出て処理しますが、そのクリアをアザールが拾って決定機を迎えます。ホーランのシュートはノイアーの股を抜き、決定的なシュートになりましたが、ゴールをカバーしていたDFボアテングのクリアで辛くも難を逃れます。

その後もドルトムントが中央からの攻めと、若手FWホーランのシュートでチャンスをつかみます。ドルトムントはアウトサイドが早めに帰陣してバイエルンのウイングを抑え、何とかリードして前半を折り返したいところでした。しかし、試合はバイエルンの中央から動きます。ボランチの位置にいたキミッヒのドリブルから、浮かしたループシュートがドルトムントGKビュルキの手をかすめて、ゴールとなりバイエルンの1-0のリードで折り返すことになります。

この試合は首位攻防戦ということもあり、バイエルンは後半はウイングの位置を下げて4-4-1-1気味にブロックを作って守ります。ドルトムントは頼みの綱のホーランが足を痛めて途中交代し、攻撃力は落ちておりそのまま1-0でアウェイのバイエルンの勝利に終わります。あの攻撃力のあるバイエルンが1点を守りに行ったのが驚きで、それだけドルトムントに確実に勝ちたいという意図が現れた試合だったと振り返ります。
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睡眠時無呼吸症候群(大乃国)

2020-05-29 22:19:51 | 他スポーツ
本来、夏場所の13日目だった今日の記憶ネタは、元横綱大乃国の芝田山親方の記憶です。大乃国は北海道の十勝地方の出身で、同郷の元横綱北勝海は柔道の大会で顔を合わせて知っていた仲です。大乃国の青木少年は柔道で五輪出場を目指していましたが、実家の経済力を考えてよりお金になる相撲界を選びます。

大乃国は若いうちから上位キラーで知られるようになりました。当時の大乃国は体重160kgほどの体型で、おそらくこの体型のまま横綱になっていればもっと強い横綱になれたと思います。それができなかった理由は、一時200kgを超えた体重の増加でした。当時の相撲界は「大きいことはいいことだ」という文化があり、体重は何キロあってもいいという食生活をさせていました。

その結果患ってしまったのが、当時はあまり知られていなかった病気であった「睡眠時無呼吸症候群」でした。これで体に力が入らない状態になり、横綱としては不名誉な成績も何度か経験します。そのため、大乃国は相撲界では前例のなかった減量を目指すことにしますが、200kgからの減量はなかなか成果に結び付きませんでした。今の力士は、ベスト体重より重くて動きが鈍いと思うと、自分で減量するようになりましたから、過去のデメリットに力士自身も学んだようです。

そんな大乃国が、名を上げたのは昭和63年九州場所の千秋楽の千代の富士戦でした。当時、53連勝中だった千代の富士は、この一番を勝って翌場所も全勝して双葉山の記録に並ぶつもりでいました。しかし、大乃国はこの一番に「俺だって横綱だ」と勝つ気十分でした。立ち合いで十分に腰を落として立った大乃国は、千代の富士に技を出させる前に寄り切ってこの偉大な連勝記録を止めています。

その後は皆勤して7勝8敗と負け越し、師匠の放駒親方が理事長を訪ね、「不成績の責任を取って大乃国を引退させて欲しい」と申し出たこともありました。理事長の説得で現役を続けましたが、大器と呼ばれながら優勝は2回と横綱としては物足りない成績で土俵を去ることになりました。

現在は体重も160kgほどまで絞り、日本相撲協会の広報部長を務めています。スイーツが好きな親方としても知られ、NHKの食べ歩き番組にも出演していたこともあります。現役時代はそれほどの活躍ではなかったですが、今いる地位は重要な地位で、理事長になった北勝海を支えています。相撲を選んだ少年時代の決断は正しかったのでしょう。
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フランクフルト対フライブルク

2020-05-28 22:34:49 | ワールドサッカー
ドイツ・ブンデスリーガのフランクフルト対フライブルクを見ていました。フライブルクは低予算のチームながらやり繰りして1部に残り続けているチームで、フランクフルトにとっては決してやりやすい相手ではありません。そのフライブルクは、この試合ではシュート数でフランクフルト30本、フライブルク9本と大きな差をつけられます。

それでも、フライブルクが戦える理由として、守るべきときと行くべきときの使い分けができているからでしょう。普段は4-4-2で自陣にブロックを作るフライブルクですが、攻める時間では前に3人でトライアングルを作れる運動量は持っており、そこからの個人技でグリフォのゴールでフライブルクに先制点が入ります。

これに対し、フランクフルトも攻撃の形を構築できたという意味では狙い通りの試合ができました。3-5-2でドストとアンドレ・シルバの2トップで入ったフランクフルトは、クロスをドストの頭に合わせてそのボールにアンドレ・シルバが合わせるパターンはできていました。また、縦パスも多く入り、トップ下に入った鎌田大地がうまくさばいてチャンスも作れました。

前半に鎌田大地のシュートを相手GKが弾いたところをアンドレ・シルバが詰めて同点に追いついたフランクフルトですが、後半は再三のチャンスを相手GKに止められます。ドストは足元のコントロールが乱れ、アンドレ・シルバも再三の決定機を逃しました。フランクフルトにとってはもっと早く決められる試合だった印象もあります。

フライブルクの得意なプレーに、セットプレーがあります。この強さで1部を守ってきた実力を見せます。FKから途中出場のペテルセンが頭で合わせて勝ち越すと、さらにスペースへ抜け出したヘーラーのゴールで3-1とします。これで勝負はついたかに思えました。しかし、相手DFに仕掛けた鎌田大地が、一旦は奪われながら相手のトラップミスを見逃さずにダイレクトで蹴り込んで2-3と追い上げます。

最後は左サイドのコスティッチのクロスを、途中出場のチャンドラーが合わせて同点とし、フランクフルトにとっては最低限の勝ち点1は得ました。しかし、これほどの圧倒した試合で勝ち点3を取れなかったのは事実です。相手GKシュボロフが良かったとはいえ、やはり昨季にFWを3枚引き抜かれている影響は大きいと感じざるを得ません。(長谷部はCBでフル出場していました。)
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朝青龍の記憶

2020-05-27 22:15:32 | 他スポーツ
そろそろネタ切れが気になり始めている記憶ネタで、元横綱朝青龍の記憶を書きます。朝青龍(あさしょうりゅう)の四股名の由来は、高砂親方の現役名「朝潮」から一文字と、相撲留学で在籍していた明徳義塾高校の近くにあるお寺の「青龍寺」から取ったものです。高砂親方がモンゴルまで出向いて、モンゴル相撲の大会を開いて優勝した朝青龍をスカウトしてきました。

昔の記憶を紐解くと、2000年頃十両時代の朝青龍の取組を見たことがあります。当時は十両に落ちていたベテランの寺尾との相撲でしたが、この取組で寺尾に何もさせずに完勝し、将来性は十分と感じましたが、当時は110kgほどの軽量力士ということで横綱になるほどの力士とは思えませんでした。

その翌年には早速前頭上位まで上がり、上位キラーとして名を馳せるほどになります。小さな体の割に強いというのが売りでしたが、朝青龍はそのレベルに満足せず、筋肉で体重を増量して全盛期は140kgほどの力士になります。彼の相撲の記憶では、千代の富士を思わせる左からの上手投げが印象的です。モンゴル相撲仕込みの「内無双」で勝つような取組もありました。

もっとも、朝青龍は日本独自の習慣が必要な相撲界には戸惑いも感じながらの横綱在位でした。横綱の品格は、多くの力士が直面してきた壁ですが、朝青龍は「わからない。勝つことが品格ではないのか。」と苦しんでいました。彼には若干問題行動もあり、巡業を負傷で休場している間に地元モンゴルでサッカーをしているところを見つかり、相撲協会から出場停止2場所の処分を受けたこともあります。

全盛期の横綱にとって、負傷でないのに2場所も土俵から遠ざかるのは大きな痛手です。そのあたりから、後輩の白鵬も台頭してきており、朝青龍にとっては苦しい土俵になってきます。最後は残念な去り方で、知人男性に暴力を振るったという不祥事で、相撲界からは強制的に引退させられるような結果に終わっています。

今はモンゴルでいくつかの事業を展開する経営者になっています。日本という文化にはあまり馴染めなかったようですが、25回も優勝したことで会社の運転資金は十分に持っており、モンゴルでは憧れの一人でしょう。強かったのは間違いないので、もうちょっと日本文化を受け入れていればと惜しまれる力士でもありました。
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西野朗の記憶

2020-05-26 21:41:00 | 他チーム
元日本代表監督、西野朗さん(現タイ代表監督)の記憶を書きます。サッカーファンになったのが遅かった私は、彼の現役時代は知りませんが、日本リーグ強豪日立(現柏レイソル)でプレーしていました。西野朗の名前がインプットされたのは、監督としての1996年アトランタ五輪の予選通過からです。それまで、どの年代でも世界が遠かった時代に、アジア予選を勝ち抜いて五輪に出るというだけで当時は大事件でした。

当時、五輪だけで認められているオーバーエイジをあえて使わず、U-23世代の団結に賭けましたが、一方的に押される苦しい内容ながらブラジルに1-0という勝利を収めるなどある程度成果は出ました。もっとも、西野氏本人によれば「0-8で負けると思っていた」ほど力の差があった試合で、勝てたのはたまたまGK川口が絶好調だったからとも言えます。

その後は、古巣柏の監督も務めますが、西野氏が再び脚光を浴びたのはG大阪での采配でした。当時、G大阪に攻撃サッカーを持ち込み、前半で3-0で勝っていれば2点取られてもいいから5点取れと常に攻撃を意識した采配を見せました。このサッカーで大きく成長したのが、今でも現役の遠藤保仁で、彼の持っている攻撃センスに目をつけて前目のポジションで起用したのが吉と出ました。

G大阪の監督は長期政権になりました。その間は2005年にリーグ優勝、2008年ACL優勝、2009年天皇杯優勝など輝かしい成果を残しました。印象的な采配だったのは、天皇杯の決勝戦で延長戦から途中出場した播戸に「ヒーローになってこい」と送り出し、その播戸が決勝点を挙げて天皇杯を優勝に導いた試合があります。

その後は神戸や名古屋で指揮を執りますが、日本サッカー協会の技術委員長になっていました。名誉職でもう監督はやらないのではと思っていましたが、2018年ロシアW杯直前でハリルホジッチ監督が解任されたことで急遽日本代表監督に就任することになります。このときは、短い時間でチームを作るためにベテラン中心の選考を行い、4-2-3-1の形を決めて香川真司や本田圭佑を生かすサッカーを見せました。

その結果、物議を醸すことになったポーランド戦の「談合試合」で1勝1敗1分けの成績でグループリーグを2位で通過し、ベスト16では世界でも有数の強豪ベルギーと対戦します。この試合は2点を先制しながら逃げ切れませんでしたが、この緊急登板でこれだけの成果を出せば不満はありません。タイ代表でも成果を出せるように願っています。
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菊池雄星の記憶

2020-05-25 22:51:34 | 他スポーツ
現メジャーリーグ、マリナーズ所属の菊池雄星選手の記憶です。菊池雄星は花巻東高校時代、春の選抜で準優勝、夏の選手権でベスト4と活躍した「甲子園の星」で、プロ入りの際は6球団が1位指名で競合した結果、抽選で西武ライオンズに入団することになります。もっとも、高卒ながら即戦力というレベルだった松坂大輔とは違い、1年目は一軍登板ゼロに終わります。

この1年目で、故郷岩手であまり体を動かしていなかった反省もあり、菊池は体を大きくする肉体改造に取り組みます。プロの中6日で一年中先発ローテーションで投げるのは、相当のタフさが求められることを意識して、写真のような大きな下半身を誇る投手になります。菊池の投げ方を見ていると、かなりひねりを加えてダイナミックに体を動かすので、安定させるための鍛錬は必要でした。

今のプロ野球では、先発投手が規定投球回数を投げ切れないなど、投手が早い回で降りることが多いですが、菊池は西武では珍しい、完投能力がある投手でした。中継ぎ投手に課題があると毎年のように言われていた当時の西武ですが、菊池が投げるときは完投もしくは、直接クローザーにつなぐ投球もよく見せていました。

左腕の菊池の場合、どうしても体の右側にある肝臓が投げる動きを妨げるので、速い球を投げるのは難しいと言われています。それでも、菊池は球の速さにはこだわりがあり、西武時代は安定して150kmが出る投手でした。もっとも、その分四死球も多く、私が見に行ったヤクルト戦で7回途中までノーヒットながら6四球を与えており、球数を考慮してヒットを一本打たれたら降板しました。

メジャーリーグには憧れのあった菊池なので、西武からはポスティングでのメジャー挑戦を了承してもらいました。ちょうど、リーグを代表する投手に育ったタイミングだったので西武としては痛い戦力ダウンですが、西武としては長い目で見て「西武に行けばメジャーに行かせてもらえる」とイメージを良くする意味もあったでしょう。

マリナーズでの1年目は6勝11敗、防御率5点台と不本意な成績に終わりましたが、何はともあれ先発ローテーションに入ってプレーできました。明日突然解雇されることもあるメジャーは厳しいですが、菊池は日本での実績も考慮されているでしょう。それが通用するうちに、メジャーの先発投手として結果を残して欲しいものです。
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