Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

雪の決勝戦(1998年帝京対東福岡)

2007-12-31 16:46:34 | 高校サッカー
高校サッカーを、スタンドで生観戦するようになったのは、2000年が最初なので、この雪の決勝戦(1998年)はテレビ観戦でした。しかし、今振り返ってみると、当時のメンバーは豪華メンバーで、東福岡にDF手島(京都)、千代反田(新潟)、金古(名古屋)、MF本山(鹿島)がいて、帝京にMF中田浩二(バーゼル[スイス])がいました。

特に、中田浩二は天才ボランチとして当時から騒がれていた存在で、当時からパスセンスは光るものがありました。ただ、そんなメンバーの決勝戦は、残念ながら深い雪の中で行わざるを得ませんでした。雪が降ると、ボールはオレンジ色の蛍光ボールに変えられ、例年満員に近い観衆が入る決勝戦も、この日は空席が目立ちました。

当時は電車が止まるほどの大雪だったため、この試合を見た人は、帰り道で足止めを食らった可能性が高いです。そんな中の試合でしたが、前半戦はまだ雪もさほど深くなかったので、グラウンダーのパスでもある程度は通りました。しかし、国立競技場のスプリンクラーで雪を少しでも溶かそうとしていたハーフタイムを過ぎると、後半戦は悲惨な環境で行うことになりました。

スプリンクラーの効果をあざ笑うかのように、雪足はさらに強くなり、グラウンダーのパスは通らなくなりました。こういう大事な試合は、もっと良いコンディションでやらせてあげたいと、解説者も言うほどでした。どうやってゴールが決まったかは、10年も前のことなので忘れましたが、試合は80分(当時のルール、今は決勝だけ90分)で決着が着き東福岡が勝ったことは記憶しています。

ただ、この選手権に出たメンバーは、トルシエ監督の指揮の下、ナイジェリアのワールドユースで準優勝という快挙を成し遂げることになります。あのときは右肩上がりの日本代表だったかなと、ちょっと当時を懐かしく思いました。
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78大会連続出場(中央大学)

2007-12-31 10:36:46 | 他スポーツ
年が明けると、箱根駅伝が近づいてきます。そのため、私はスポーツ紙のサイトで、箱根駅伝情報を簡単にチェックしてみました。その中で、見つけたのが、タイトルの「中央大学、箱根駅伝78大会連続出場」です。

一口に78大会と言いますが、年に一度の箱根駅伝ですから、人の一生に近い長さの時間です。これは驚異的なことです。かつては、戦争の影響で、走ることにも苦労した時代があったはずです。また、現代では箱根駅伝のレベルが上がり、一旦シード権を失うと予選会のレベルが上がっていつ出場できなくなってもおかしくありません。

そのため、一旦気を緩めれば、この連続出場はいつ止まってもおかしくないのです。それに打ち勝つだけのレベルの生徒が毎年入学し、どんなときでも情熱と闘志を注ぎ込みつづけた結果の78大会連続出場です。毎年、箱根駅伝は見ていますが、中央大学はあまり大きなブレーキが少なく、毎年確実にシード権を守っている印象があります。

そんな「古豪」の戦い振りも、箱根駅伝の見所だと思います。
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縦へのスピード(エジミウソン)

2007-12-30 14:04:22 | 浦和レッズ
来期、新加入が決まったブラジル人FW、エジミウソンの印象です。エジミウソンは今季19ゴールを決める活躍で、ステップアップのために新潟から浦和への移籍を選んだと思います。ただ、今季浦和と対戦した2試合は負傷欠場していました。そのため、私が最後にエジミウソンのプレーを生で見たのは昨年になりますが、印象は強く残っています。

エジミウソンは2004年に、川崎Fに移籍したマルクスの後釜として、21歳の若さで新潟に加入しています。そのため、かなり前から日本にいる割には、年齢は25歳と若いです。最初に新潟に加入したときは、スピードのあるサイドアタッカーというイメージでした。

事実、その年の新潟は、エジミウソンのクロスを真ん中で合わせる選手が欲しいと判断して、ポストプレーヤーのオゼアスを補強したくらいです。しかし、それではチームバランスが悪いと判断した反町監督は、エジミウソンに点を取ることを要求するようになります。エジミウソンがCFらしくなってきたのは、それからです。

もともと、上背はありますから、ヘディングは強いので、周りがどうやってエジミウソンに点を取らせるか考えてチームを作りました。それは、反町監督の後任の鈴木監督時代のサッカーに顕著に表れていました。それは、エジミウソンの縦のスピードを最大限に生かすために、周りの選手がエジミウソンの後ろへ走り、キープしてスルーパスを狙うサッカーでした。

この運動量の多いサッカーを消化した矢野は日本代表に選ばれたほどです。この事実からわかるように、エジミウソンは周りに生かしてもらう選手です。そのため、浦和の来期のサッカーはエジミウソンに合わせて変わる可能性があります。ただ、特徴的には浦和の選手と合いそうで、特に裏へのスルーパスが得意なポンテや小野伸二とは合いそうに思えます。

ただ、あまりポストプレーのイメージはないので、ポンテか小野伸二がよほど後ろからサポートしてやらないと、ボールの落ち着く場所がなくなる可能性はあります。当然、相手はエジミウソンの縦のスピードを消しにきますから、引いてくる可能性もあります。そうなったときに、打開できる方法をいくつか持っておく必要がありそうです。
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あと一歩に泣く(12/29川崎F対鹿島)

2007-12-29 18:51:57 | 他チーム
今日は雨も上がったので、国立競技場まで天皇杯準決勝の川崎F対鹿島を見に行ってきました。11冠を狙うJ王者の鹿島の守備を、リーグ有数の攻撃力を誇る川崎Fが攻め切れるかという点に着目して見ました。試合もその通りの展開でした。猛攻を仕掛ける川崎Fに対し、鹿島はしっかり守ってカウンター狙いでした。

鹿島の長所は、突出した個の力はなくても、弱点が少ない堅実なサッカーができることです。しかし、この日は鹿島は右サイドの守備に難があり、相手の左アウトサイドの村上にスペースを与えてしまいました。川崎Fがキープして攻め上がると、村上は何度もフリーになり、GKと1対1になる絶好機も迎えています。

ただ、この日は鹿島GK曽ヶ端が絶好調でした。これを止めたことで、曽ヶ端は完全に波に乗りました。ジュニーニョも鄭大世もシュートに至るまでの動きは決して悪くなかったのですが、肝心のシュートが決まらない展開で、前半を0-0で折り返します。

後半も鹿島は引いて戦うものと思われましたが、10分くらいに一時、攻勢に出ます。このときの川崎Fの守り方があまり良くなかったです。しっかりクリアで逃げられればいいのですが、連続攻撃を浴びる場面も見られ、やはり川崎Fは守勢に回ると弱いという印象を受けました。

川崎Fはいつもの選手交代で、村上を下げて井川を入れて右アウトサイドに置きます。守備のスペシャリストの印象のある井川ですが、ドリブルなども見せて攻めでも効いていた印象です。しかし、試合はこの井川のミスで動いてしまいました。井川のヘディングは、DF箕輪への中途半端なバックパスになってしまい、箕輪の苦し紛れのクリアは本山に渡ってしまいました。

これを決められて、鹿島が1-0と先制します。その後は川崎Fが必死で攻めて、ジュニーニョは何本も決定機を迎えたのですが、これを決められなかったのが敗因と言われても仕方ないほど、決まりませんでした。こういう展開は、試合巧者の鹿島にはうってつけの展開です。ボランチの中後を入れて、7人でしっかり守備ブロックを作り、しっかりカウンターで時間を稼ぐ、心憎い戦い振りができていました。

逆に川崎Fの課題はそれです。まだ上位に来て日が浅いチームということもあり、試合の戦い方はあまりうまくない印象を受けます。ジュニーニョの破壊力は、どこも真似ができませんから、その試合巧者ぶりを身に付ければ恐ろしいチームになる可能性はありますが。
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日本代表強化のハンデ

2007-12-28 21:40:49 | ワールドサッカー
意外とマスコミでは触れられていませんが、日本代表がこれからW杯で8強以上を目指すためには、一つ大きなハンデがあります。それは地理的な理由で、世界でW杯の上位を狙っている強豪は、ほとんど欧州か南米にあります。日本はそのどちらからも遠いので、日本国内で親善試合を組もうとすると、どうしてもレギュラーメンバーが来日せず、二軍の代表と対戦することが多いです。

たまにはベストメンバーが来ることもありますが、そういうときは大抵韓国との親善試合を同時に組んでいる場合(2試合こなす)です。かつて、日本にベストメンバーが来日したことはありましたが、それは2002年W杯の下見という意味合いが強い来日でした。次に日本でW杯を開くのは何十年先かわかりませんから、こういう来日は期待できません。

また、欧州や南米の強豪の立場で考えれば、欧州はW杯予選が何組にも分かれていますから、違う組のチームと親善試合を組めば解決します。また、南米は総当たりなので、お互いには対戦しづらいですが、時差の少ない北米にメキシコやアメリカがいますし、ブラジルやアルゼンチンが4年に2度真剣勝負をするのですから、W杯予選自体が強化の舞台になります。

わざわざ日本まで出かけなくても、強い相手は身近にいるのです。そのため、日本が本気の強豪と当たりたいなら、アウェーに出かけるしか手はありません。ただ、南米は移動時間が長い上、極端な地元びいきのジャッジがありますから、行き先としてはあまり良くありません。

従って、欧州ということになりますが、普通のタイミングでは断られます。今年、スイスやオーストリアと対戦できたのは、たまたまこの両国が欧州選手権の予選が免除で、他の国が予選を戦っていて試合を組めないタイミングだったからです。日本としては、こういう幸運にうまく入り込んで強化を図るしかありません。

ただ、日本もW杯ベスト16の結果を出した2002年W杯の後は、世界中から対戦のオファーが来たと聞きます。実力の世界ですから、勝てば強豪の方から日本に来てくれるようになります。

また、穴場はアフリカです。アフリカ諸国は実力はありながら、資金的な理由で親善試合を組みにくいという話を聞きます。日本は遠いですが、条件次第で本気のメンバーと試合ができる可能性はあります。かつてはガーナ代表がエシアンを横浜国際に連れてきたこともありますから、アフリカに目をつけるのは正しい考えだと思います。
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キープ力あるドリブラー(梅崎司)

2007-12-27 20:47:09 | 浦和レッズ
昨日、大分から完全移籍で浦和に来ることが決まった、梅崎司選手の話をします。まず、ご存じない方のために説明すると、ポジションはトップ下です。浦和では、ポンテ離脱中の補充が期待されますが、小野伸二とのポジション争いがあるので、そう簡単には試合に出られないでしょう。

ただ、浦和のトップ下の選手はパスを出すタイプがほとんどです。例外は山田くらいですが、梅崎はドリブラーで浦和にはあまりいないタイプです。キープ力が高く、ボールを落ち着かせてくれるのが長所ですが、パスより先にドリブルをプレーの選択肢に入れています。

そのため、梅崎はボールを持つとサイドに流れる癖があります。ボールが前に進まないとき、梅崎がサイドに流れていると、落ち着かせるところがなくなり、梅崎はどこにいるんだと苛立つこともあるかもしれません。ただ、大分時代はクロスを高松に合わせるサッカーをやっていましたから、サイドに流れても、本職のアウトサイドと同じ水準でプレーできます。

また、シュートを打つ思い切りもあります。何か手詰まりだなという展開を打開してくれる可能性はあります。ただ、一つ気になるのは、その海外指向の高さです。2006年のオフ、たった1年大分でレギュラーをキープした程度の梅崎に、フランス2部のグルノーブルからオファーが来ました。

グルノーブルは日本のベンチャー企業が買収したチームで、宣伝目的で日本人選手が欲しいという状況でした。つまり、純粋に戦力として欲しい訳ではないのです。しかし、梅崎はどうしても海外に行きたかったらしく、このオファーに乗ってしまいました。梅崎はグルノーブルでほとんど試合に出場することができず、失意の帰国になりました。

また、日本のチームなら当然備えているはずの独身寮がグルノーブルにはなく、一人暮らしで栄養のバランスを崩し、体重が3kg増えるという失敗もしています。そのため、浦和に20歳と若い梅崎が加入するのは嬉しいですが、シーズンの途中で海外に行きたがり、チームの和を乱す心配はあります。グルノーブルでの失敗に懲りて、当面は海外のことは忘れて欲しいものです。
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勝負強さを身につけた(永井雄一郎)

2007-12-26 20:46:09 | 浦和レッズ
以前、本ブログに、毎年成長を続ける不思議な選手と、永井雄一郎選手のことを書いたことがあります。永井は既に28歳で、サッカーの世界ではもうベテランの域ですが、そんな永井は、今季最も成長した選手だと思っています。

過去を振り返ると、新人だったときはドリブルの切れは素晴らしいものを持っていましたが、シュートが当たり損ねが多く、ゴールはわずか3点でした。翌年就任した原監督が、ドイツのカールスルーエにレンタル移籍させたのが、最初の成長になりました。細身の体が筋肉質になり、容易には競り負けない選手になって帰ってきました。

次の成長を感じたのは、2003年の開幕戦のカシマスタジアムでした。エジムンドの退団で回ってきたチャンスに、新人時代とは比べものにならないシュートスピードを見せて、当時のジーコ監督が代表に呼ぶほどでした。韓国戦で相手のクリアボールが足に当たって決まったラッキーゴールは、今でも印象に残っています。

その後はギドに右アウトサイドにコンバートされて、正確なクロスでマリッチのゴールをアシストしたり、何かしらそれまでとは違う魅力を提供してくれる選手でした。しかし、今年はこれまでとは違う、決定的な魅力を提供してくれました。

それは、大舞台に強いという精神の強さです。かつて、新潟戦で相手にボールをぶつけて退場になったのを見ている私は、永井の精神力は弱いと思っていました。切れのあるドリブルだけでは生きていけないのがプロの世界ですから、いつかJ2のどこかのチームに移籍してしまうのではと思っていました。

しかし、今年は開幕戦の横浜FC戦の決勝点に始まり、天王山のG大阪戦のゴール、ACL決勝のセパハン戦での先制点など、ここぞという場面で決めてくれる、頼れるFWになりました。もちろん、ポストプレーが得意でなく、ボールをしっかりキープできないことや、マンツーマンで付かれると嫌がって下がってしまうなどの欠点は今でもあります。

しかし、点を取る快感を覚えた永井は、また成長してくれるのではという期待を持たせてくれます。走る能力も高いし、まだまだ頑張って欲しい選手です。
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ガッツで戦う(ジェンナーロ・ガットゥーゾ)

2007-12-25 20:42:52 | ワールドサッカー
ちょっと時期を逃してしまいましたが、クラブW杯で来日した、ACミランのジェンナーロ・ガットゥーゾ選手の話をします。ガットゥーゾと言えば、2000年のシドニー五輪に、現在のチームメイトのピルロと一緒に出場していましたが、このときにNHKのアナウンサーが残した言葉が忘れられません。

いわく、ガットゥーゾという響きを日本語的に言えば、「がつがつ当たる」とか、「ガッツで戦う」とかそういうイメージになると思いますが、本当にそういう選手なのですとのことでした。のちにガットゥーゾがACミランのレギュラーになったときに、これを思い出して、テレビで何度かプレーを見てみました。

一言で言うと、積極的なボランチです。しかし、ピルロのようにパスセンスで見せるタイプではなく、前から当たって相手からボールを奪うのが得意なボランチです。2003年のトヨタカップで来日したときは、1ボランチのピルロの前で、がつがつ当たってピルロの守備の負担を軽くしていました。

ガットゥーゾはイタリア代表にも入り、ボールを奪う能力なら世界一ではという評価を勝ち取りました。しかし、そんなガットゥーゾも、フリーになって前に出ていくときに弱点が露呈します。それはパスセンスに欠けることです。味方のスピードを予測してパスを出すのがうまくないらしく、ガットゥーゾのパスは味方と呼吸が合わないことが多いです。

ちなみに、浦和のガットゥーゾタイプの選手の鈴木啓太は、ガットゥーゾではなく、ピルロに憧れているそうです。完全に同タイプの選手より、自分が持っていないものを持っている選手に憧れるのでしょう。

また、ガットゥーゾが成功しているのは、ACミランが自分に合った戦術を採用していることも大きいです。もし、イングランドにでも移籍したら、中盤はダブルボランチが主流で、二人とも攻撃センスが求められます。ガットゥーゾのパスの精度では、お払い箱になってしまう恐れがあります。あまり無理な欲はかかず、ACミランでできるだけプレーした方が本人のためだと思います。
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プレスの高等戦術(2004年国見対筑陽学園)

2007-12-24 16:56:39 | 高校サッカー
今日は年賀状を書いていた一日で、こういうときはサッカーも駅伝も何もない一日も悪くないかなと思います。私は高校サッカーは好きで、選手権だけですが見ているので、カテゴリーに「高校サッカー」を追加しました。今日はその第一号記事です。

かつて、Numberに載っていた記事で、当時のチェコ代表のブルックナー監督が、プレスの掛け具合を調節して、意図的にあまりうまくない選手にボールを持たせるという高等戦術があることを語っていたという記事を読んだことがあります。これはなかなか全員の意識が連動しないと難しいので、明確な成功例は一度しか見たことがありません。

それは、2004年の高校サッカー選手権の決勝の国見対筑陽学園戦でした。当時、国見に平山相太がいたこともあり、国見は優勝候補筆頭の評価でした。ライバルと目されていた、カレン・ロバートのいた市立船橋が、伊野波のいた鹿児島実にPK戦で敗れ、国見絶対優位というのが試合前の評価でした。

しかし、そんな国見の小峰総監督の取った策には驚きました。国見は、どんな年にも、体力レベルの高いチームを作ってきます。しかし、国見のプレスは、意図的に相手の両SBにボールを持たせるものでした。

あとで知った話では、筑陽学園の右SBは高校からサッカーを始めたという選手でした。おそらく、普段の試合では素早く周りの味方にボールを預けて、簡単にプレーしていたのでしょう。しかし、国見がわざとフリーにさせるので、それならばと自分でドリブルで上がっていきました。しかし、国見はそれを織り込み済みでした。

この右SBが上げたクロスがミスになるのを狙って、そこからカウンターで上がるのが国見の狙いでした。これで、早い時間に先制点を入れた国見は、このプレッシングサッカーで少しずつ相手の体力を奪い、終わってみれば6-0の圧勝でした。平山相太の国見というイメージを持っていましたが、チームとしての国見の戦いの方が強く印象に残りました。

しかし、あれから4年の歳月が流れ、今回の高校サッカー選手権には予選で敗退した国見は出ません。歳月の流れを感じますが、どんな高校が上位に来るのか、楽しみにしたいと思います。
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親子二代レッズ

2007-12-24 10:35:40 | 浦和レッズ
浦和レッズも歴史を重ねてきて、そろそろかつての選手の子供が中学生、高校生という年代に入ってきた頃です。親子二代選手として有名なのが、横浜FMのFWハーフナー・マイク(息子)と元名古屋のGKディド・ハーフナー(父)の親子Jリーガーです。単にJリーガーになっただけでなく、息子のハーフナー・マイクはヘディングの強さだけなら日本一ではという武器を身に付けて戦力になっている点を評価したいです。

浦和の親子Jリーガーでは、同じ名前の親子、セルヒオ・エスクデロです。父のエスクデロは1992年に浦和のサテライトに在籍していました。息子の方はユース時代からトップ登録されているので、だいぶ前からいる印象ですが、実は1988年生まれの19歳とまだ若い選手です。帰化したことで、外国人枠に苦しむことはなくなりましたから、これから出場を重ねて父親を超えて欲しいものです。

実は、次の親子レッズ選手は、意外なところから生まれそうです。それは、元浦和DF田口禎則氏の娘、田口ひかりさん(14)です。現在JFAアカデミー福島に在籍中のひかりさんは、U-16日本女子代表に入るなど、実力的にも十分で、これからの成長次第ではレッズレディース入りも十分期待できそうです。

もちろん、ポジション的な兼ね合いもあるので、ひかりさんの卒業とレッズレディースの補強ポイントが合わないと、実現しない可能性もありますが、もしレッズレディースに入って試合に出場したら、親子二代を応援しているという特別な感慨に浸れると思います。
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