Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

普通の試合(2013年日本対豪州)

2021-01-31 20:59:19 | ワールドサッカー
記憶ネタは、目の前でブラジルW杯出場が決まった、2013年の最終予選の日本対オーストラリア(以下豪州)です。このときの最終予選は比較的楽に見ていられた予選で、初戦のオマーン戦を3-0、2戦目のヨルダン戦を6-0と注文通りに連勝してスタートできたので乗ってきました。この豪州戦は引き分け以上でW杯出場決定の試合でした。

対する豪州はこの予選は低空飛行で、オマーンとのアウェイ戦を引き分け、ヨルダンのアウェイ戦を敗れるなど低迷しており、この試合の時点で残り3試合で勝ち点7以上が必要な状況でした。当時豪州を率いていたのは浦和サポーターなら誰もが知っているオジェックで、ベテラン主体の起用を改めて、この日本戦では両サイドのMFを若手のクルーズとオアーに変えてきました。

豪州とのアウェイ戦は1-1で引き分けており、引き分け以上というこの試合のノルマは難しくなさそうにも見えましたが、直前に行われた親善試合のブルガリア戦の内容が悪く、0-2で敗れていたという不安材料がありました。当時、トップ下に入っていた本田圭佑は、このブルガリア戦を見て危機感を持っていたようで、ロシアカップ決勝から中3日という強行日程を押して、自ら運動量を増やしてボールを引き出していました。

試合は終盤までスコアが動かず、日本の狙いである引き分けは目前でした。しかし、豪州に出た一つのスーパープレーが流れを変えます。左MFのオアーが、日本DFをまとめて抜き、角度のないところからのシュートを決めて豪州に先制点が入りました。日本は次のイラク戦に持ち越すと嫌だなと、負けがちらついてきました。

そんなロスタイム、日本の右サイドのクロスでした。これは豪州の左SBマッカイに当たってラインを割りますが、主審がマッカイのハンドを採ってPKの判定になります。このPKは史上最もプレッシャーのかかるPKでしたが、本田圭佑がキッカーを志願して、相手GKシュウォーツァーが跳ぶと確信して真ん中に蹴るという大胆な弾道が奏功して、日本は同点に追い付き、注文通りこの試合を引き分けに持ち込みました。

あとで知った話では、このW杯出場決定を祝して、渋谷のスクランブル交差点が騒ぎになったりと、日本中がお祝いムードだったそうですが、現地で試合を見ていた私にとっては、普通の試合だった印象です。そういう歴史が動く瞬間も、現地にいた私は冷静で、そういえばW杯出場決定だなと思った程度でした。あとで思うと、自分はすごい試合を見たんだなと、少しずつ実感が湧いてきましたが。
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狂喜乱舞のオウンゴール(2005年日本対バーレーン)

2021-01-30 16:46:26 | ワールドサッカー
記憶ネタは昔の代表戦から、2005年のジーコ監督時代の最終予選、バーレーン戦の記憶です。当時、日本の組は朝鮮民主主義人民共和国、イラン、バーレーンがいて、2位以内が通過の条件でした。初戦の共和国戦に大黒のロスタイムの決勝点で勝利したものの、2戦目のアウェイのイラン戦で敗れ、このバーレーン戦は勝利のみが必要な試合でした。

バーレーンはこの当時、急速に力をつけていた新興勢力でした。アラブ諸国の対抗戦のガルフカップで、優勝したサウジアラビアには敗れたものの準優勝の結果を残し、FIFAランキングも三桁台から64位まで上げていました。当時、共和国戦のビデオを見る限りではサイドを使った速攻主体のチームと情報を仕入れていました。

しかし、埼玉スタジアムにやってきたバーレーンの戦い方は、5-4-1で引いて守り、0-0の引き分けだけを狙ったものでした。日本はサイドから何本もクロスを入れますが、バーレーンの3バックの守りは堅く、いくらボールを入れてもクリアされました。時間だけが過ぎていく、苛立つ試合展開でした。前半はバーレーンの狙い通り、0-0で折り返しました。

しかし、そんな試合は一つのセットプレーで動くことになりました。宮本が蹴った長い距離のFKでした。バーレーンにとっては、簡単に処理されそうに思えましたが、クリアしようとした攻撃的MFのサルミーンが、このボールをミスキックしてオウンゴールとなり、日本に意外な形で先制点が入りました。

当時、ゴール裏のスタンドにいた私にとっては、目の前で起こった「奇跡?」でした。周りの仲間と、「誰だかわからないけどオウンゴール」と狂喜乱舞しました。試合はそのまま1-0で日本の勝利に終わりました。冷静に考えると決して誉められる勝ち方ではないのですが、今でもこの試合を覚えている理由は、オウンゴールの1-0で喜んだ試合はこれだけというものです。

試合展開的にも面白い試合ではなかったですが、この試合のことは思い出すことがあります。それだけ、代表戦は勝てばいいというものでしょう。ジーコ監督時代の采配はおかしなものもありましたが、彼の持っている運の強さだけは確かだったと、今は振り返ります。
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震えた試合(2008年日本対オマーン)

2021-01-29 15:25:17 | ワールドサッカー
病院から書けるネタは記憶ネタばかりになります。今日思い出したのは、毎回W杯予選をスタンドで見ている私が、「この試合を負けたらW杯に出られなくなるんだな」と行きの横浜線の電車で震えていた、2008年6月の3次予選、日本対オマーンの記憶です。

当時、オシム前監督が脳梗塞で倒れ、急な就任になった岡田監督が日本代表を率いていました。岡田監督は当初、オシム監督に似たサッカーで3次予選を乗り切り、最終予選から自分のサッカーを出す予定でしたが、初戦のタイ戦こそ勝利したものの、次のアウェイのバーレーン戦を敗れ、日本の最終予選進出には後がない試合が、そのオマーン戦でした。

岡田監督は、このオマーン戦から自分のサッカーを出すことに決めて、改革の手を打ちます。その手は、遠藤保仁のアンカー起用でした。確かに、若手時代の遠藤はそのポジションでしたが、当時は攻撃力で評価されていたボランチなので、「これで守備は持つのか?」と疑問に思っていました。

しかし、そんな心配は無用でした。この試合の前に行われていた、キリンチャレンジカップで、日本はコートジボワールと引き分け、パラグアイに勝利していました。オマーンにとっては、W杯にも出てくるコートジボワールやパラグアイは親善試合も受けてもらえないような相手です。試合の立ち上がりのオマーンは明らかに腰が引けていて、3-6-1をやりたい様子でしたが、トップ下の2枚が中村俊輔と松井の両サイドハーフを恐れて引いていました。これでは、1トップのアルホスニは完全に孤立して、得点の可能性は全く感じません。

この相手なら勝てるとスタンドで確信が持てました。特にセットプレーの高さは有効な武器で、前半11分に中澤のゴールで先制してからは楽に見ていられる試合になりました。結果は3-0とオマーンに何もさせない完勝で、あの震える思いは何だったと思うほどでした。日本代表を応援していると、こういうターニングポイントの試合はどこかで来ますが、この試合は特に印象的だったので、今でも鮮明に覚えています。
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スタディオ·オリンピコの記憶

2021-01-28 16:09:32 | ワールドサッカー
1999年のサッカー旅、最後はローマのスタディオ·オリンピコに行きました。このスタジアムはセリエAのローマとラツィオが共同で使用しています。たまたま、変則日程で、このローマ対インテルの試合だけ月曜日の開催だったので、見ることができました。

このスタジアムは、1960年のローマ五輪のメインスタジアムとして作られたもので、イメージとしては取り壊された東京の旧国立競技場のようでした。1990年のイタリアW杯では各地に最先端のスタジアムができましたが、このスタディオ·オリンピコは屋根こそ架けられていたものの、基本的な造りは1960年のままだったように感じました。

そう感じた理由は、バックスタンドの階段の長さでした。サン・シーロのようなバリアフリーの発想はなく、バックスタンド中段の私の席まで、延々と長い階段を上らされました。当時はまだ、スタジアムに来る人は健脚という発想だったのですね。そういうところも、旧国立競技場と似ていました。

試合はローマ対インテルで、ローマのセルジオ、デルベッキオ、トッテイの3トップと、インテルの2トップ、ロナウドとサモラーノにトップ下のバッジオという豪華攻撃陣の対決でした。試合は本当に点の取り合いになりました。当時、インテルのバッジオは最後の全盛期で、カウンターからトップ下のバッジオに収めてラストパスを出してもらう、インテルの狙いが上手く行っていました。

バッジオは2アシストと結果を残すのですが、当時の試合が乱戦になった理由はインテルGKパリュウカの負傷交代でした。3-1でリードしていたインテルが、まさかの連続失点で追い付かれたので、インテルベンチはGKをサブGKのフレイに変えました。それでも、乱戦模様は続き4-4まで行きましたが、最後にインテルに1点入って5-4で決着することになりました。

家に戻れば当時の記録を書いたノートがありますが、今は記憶だけで書いているので、誰がゴールを決めたなどは忘れました。ただ、バッジオの格好良さは今でも鮮明です。これが最後のチャンスでしたね。
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バティストゥータの記憶

2021-01-27 16:47:45 | ワールドサッカー
昨日書いたアンフィールドの後は、イタリアに渡ってフィレンツェに行き、フィオレンティーナ対ペルージャを見ました。当時は中田英寿がイタリアに渡って一年目で、ペルージャの中田も一つの目的でしたが、やはり当時世界一のストライカーのバティを見る方が主な目的でした。

当時のフィオレンティーナ(以下フィオ)の監督は名将のトラパットー二でした。彼が契約の条件に「バティの残留」を挙げたほど、バティはフィオに必要な選手でした。当時のフィオには、ブラジル代表FWエジムンド、ポルトガル代表MFルイ·コスタらもいましたが、彼らはバティをサポートする役割が与えられていて、最後のシュートを放つのは大概バティというチームでした。

戦術的にも、3-5-2にしてアウトサイドのクロスをバティに合わせる戦術でした。バティといえば右足から放たれる強烈なシュートですが、ペルージャGKマッツァンティーニはバティのシュートを研究しており、この強烈なシュートを何本か止めていました。これで、ペルージャサポーターは上機嫌になり「フィレンツェ、わっはっは」と野次を飛ばしていました。

しかし、ワンプレーが流れを変えました。一つ、バティのシュートが当たり損ないになって弱いシュートになったプレーがありました。マッツァンティーニはバティが強いシュートを打つ前提で反応していたので、この当たり損ねのシュートに反応できず、マッツァンティーニの足元をゴロで抜けていきゴールとなりました。すっきりしないものの「バティゴール」です。

その後はフィオの一方的な試合になり、エジムンドが2点、ルイ·コスタも2点取って、5-0でフィオの勝利に終わりました。中田英寿は、ボールが彼に集まってくる信頼感は感じましたが、チームの力に差があったので、十分に力を発揮できませんでした。今でも思い出すのはバティのことばかりです。このストライカーの全盛期を見た記憶は大切にしたいと思います。
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アンフィールドの記憶

2021-01-26 15:29:19 | ワールドサッカー
1999年のGWに旅した、リバプールFCの本拠地、アンフィールドの記憶です。当時のツアーは弾丸ツアーに近いもので、ロンドンに泊まりながら、東京名古屋間往復くらいのリバプールまでバスで日帰りするというものでした。

イングランドのブリテン島が、ずっとなだらかな起伏が続き、分水嶺がないということにも気付いた旅でしたが、リバプールまで来ると坂を下り切り、レンガの家が並ぶ街並みでした。スタジアムから5分ほどのところでバスを下り、アンフィールドを目指して歩きました。

アンフィールドは19世紀にできた、サッカー専用スタジアムです。まず、アウェイ側のゴール裏スタンドの巨大なレンガの外壁が見えてきました。最初に記念碑らしきレリーフを見かけ、写真を撮っていましたが、今振り返ると1985年にサポーター暴動で死者が出た「ヒルズボロの悲劇」の鎮魂碑だったようです。

試合まで少し時間があったので、スタジアムの反対側にあるリバプールFCのオフィシャルショップにも行って来ました。雰囲気的には浦和レッズの「レッドボルテージ」で慣れていますが、当時好きな選手の背番号を入れてもらえるのに惹かれ、「マクマナマン 7」を入れてもらいました。壁に注意書きがあり、「背番号を入れた選手が移籍しても補償はしません」とありました。当たり前のようにも思えますが、ちゃんと書いておかないとトラブルになるのでしょう。

スタジアムの席は、アウェイ側ゴール裏の最前列でした。こういう、いい試合は本当は横から見て攻防を楽しみたかったという思いはありますが、目の前でトットナムの1トップ、アームストロングと、リバプールDFキャラガーが激しく肉弾戦を繰り広げる姿は印象的でした。

プレーで印象的だったのは、トットナムMFドミンゲスの「空中トラップ」と、リバプールMFインスの攻撃参加でした。ドミンゲスについては、当時それほどワールドサッカーに詳しくなかったので、このときに初めて聞いた名前でした。そういうポルトガル人が、こういう華麗なテクニックを持っていたのは驚きを持って見ました。

インスについては、トットナムが前半で一人退場者を出していました。この数的優位をうまく利用したのが、リバプールのボランチのインスでした。元イングランド代表のベテランらしく、トップ下気味に上がってボールをさばいた結果、前半の0-2のビハインドから3点取って逆転する結果を手繰り寄せました。

もう一度見たいという夢は、まだ実現していません。世界中でコロナが収束して、自由に旅ができる日が来ることを、願わずにはいられません。
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大相撲初場所総括

2021-01-25 08:57:47 | 他スポーツ
大相撲初場所は、平幕大栄翔の初優勝に終わりました。初日から三大関すべてを破り、7日目までに毎日役力士と当てられる厳しい条件ながら、それを全勝で乗り越えました。平幕相手に二敗はしましたが、その貯金が効いて逃げ切りに成功しました。

大栄翔は突き押し一本の力士ですが、今場所は初日に朝乃山を下から上手く押して、朝乃山に何もさせずに押し出したことで乗ってきました。三役で二桁勝ったこともある実力者ですが、今場所は番付運が悪く、先場所前頭2枚目で10勝を挙げながら小結に上がれなかった不運を、見事自力で振り払いました。来場所は関脇でしょうが、ここでも同じように取れれば大関も視野に入ってきます。

貴景勝の休場で二人になった大関陣は、朝乃山11勝、正代11勝と悪くはない成績でした。それでも、平幕優勝を許した悔しさは持っているはずですし、持っていないといけません。彼ら二人はカド番の重圧もあったようで、序盤で星を落とした朝乃山、終盤息切れした正代と、それぞれ課題を残しました。

大関再昇進に、可能性をつないだのは関脇照ノ富士です。序盤、阿武咲や大栄翔のような押し相撲に苦戦して、星を落としましたが、組んでしまえば現役力士では最も強い地力を見せて、終盤に朝乃山、正代の両大関を倒しています。今場所の11勝で、来場所二桁勝てば大関昇進となります。序二段に落ちてからの大関復帰という、史上最大の復活はなるでしょうか。

三役争いは、今場所の関脇、小結が全員勝ち越したため、大栄翔が関脇に上がる以外の変化はなさそうです。 前頭2枚目で9勝の宝富士、前頭3枚目で9勝の阿武咲あたりは見事な活躍だったので残念ですが、大栄翔のような「リベンジ」を果たして欲しいものです。

下位では、新入幕の翠富士、再入幕の明瀬山が頑張りを見せました。翠富士は早くも「肩透かし」が彼の代名詞になっており、立ち合いで押し込んで繰り出す技が冴えていました。明瀬山はゆっくりしている彼のリズムが相手にとってやりにくいようで、右を差して出る相撲を存分に発揮しました。

まあ、一番嬉しかったのは、初場所が15日間無事に見られたことです。緊急事態宣言の厳しい状況の中、力士起因のクラスターが出なかったことは、関係各位の努力あってのことでしょう。また、今日から、ちょっと寂しくなりますね。
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三段目、幕下の土俵

2021-01-23 09:14:32 | 他スポーツ
今回、入院ということになり、大相撲のNHK-BSで放送されている、三段目や幕下の土俵を見ています。まだ、このあたりの力士は腕力が足りず、絶対優位の体勢から逆転されるような相撲もありますが、毎日のように見ているといろんな発見があります。

まずはまだ頑張るベテラン力士です。44歳の翔傑、39歳の磋我司あたりが、三段目で取っています。彼らは勝ったり負けたりなので、大きく番付を上げることはなさそうですが、若い力士にとってはお手本になる存在でしょう。

三段目では、番付を一気に上げている力士もいます。ウクライナ人の獅司、高校相撲で活躍した篠原あたりが、一気に幕下昇進をつかみ取りそうです。幕下はもっと厳しい地位ですが、将来の関取候補です。

幕下になると、力士の体力もできてきており、元幕内や元十両の実力者がひしめく位置になります。相撲も上手くなってきており、幕下上位5番の相撲は十両と遜色ないほどです。それを感じるのは、よく「入れ替え戦」で組まれる幕下と十両の対戦で、幕下側が勝利することが多いことです。

注目力士は幕下2枚目の武将山です。あんこ型の巨漢ですが、強い突き押しを持っており、今の関取で言えば十両の千代丸が似ています。十両下位の成績次第で、上がれるかどうかは微妙ですが、楽しみに見ていければと思います。
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大相撲初場所13日目

2021-01-22 19:44:02 | 他スポーツ
今日の大相撲初場所は、勝敗という意味では無難な日でした。両大関と大栄翔が勝利して、正代と大栄翔が並んだまま残り二日間を迎えたからです。それでも、内容を見ると正代の勝利はひやひやものでした。押し相撲の隆の勝が相手ということで、どちらかを差せば勝てますが、立ち合いこそ押し込んだものの正代は引いてしまいました。そこを隆の勝につけこまれ、隆の勝の押し出しの勝利に見えた一番ですが、正代の突き落としがギリギリのところで決まって、正代の勝利に終わりました。

正代と同じ二敗の大栄翔は、平幕竜電が相手でした。竜電は当たりの強さはそれほどではないものの、左四つの型を持っている相手です。この相手に対し、大栄翔は大関を次々と撃破したときの気持ちに戻れたようです。立ち合い、一気に竜電を押し込み、相手に何もさせない完勝でした。

四敗となり優勝は絶望的な大関朝乃山は、平幕隠岐の海と対戦しました。朝乃山が右四つ、隠岐の海が左四つのけんか四つで、朝乃山としては早く右四つに組みたい相手です。相撲はそういう内容になり、朝乃山が十分の左上手を引いたことで危なげなく、隠岐の海を土俵中央に投げ捨てました。

下位では、新入幕の翠富士が勝ち越し、幕内の座を守りました。低い当たりと強靭な体幹を生かして、得意な肩透かしを見せるなど、面白い存在として話題になるところまできました。残り二日間連勝すれば三賞の可能性もあり、注目したいと思います。
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大相撲初場所12日目

2021-01-22 08:36:54 | 他スポーツ
昨日の大相撲初場所12日目は波乱のあった日でした。3敗で大栄翔、正代を追っていた大関朝乃山が、関脇照ノ富士に敗れました。この両者は右の相四つで、朝乃山が胸を合わせに行くと危ないと解説者は話していました。相撲は予想通り右四つになりますが、朝乃山は上手に手がかからず、逆に照ノ富士の方が先に上手を取って寄り切りました。

優勝争いトップに並んだ大関正代は、平幕竜電と対戦しました。左右どちらでも差せば出て行ける正代ですが、竜電に左四つに組まれて上手が取れないと苦戦の可能性もありました。しかし、昨日の正代の相撲は会心の相撲で、素早くもろ差しになって相手に何もさせない完勝でした。

優勝争いトップに並ぶ大栄翔は、明生と対戦しました。明生は今場所、突き押し相撲で好調を維持しており、大栄翔にとっては嫌な相手です。立ち合いは突き合いになりましたが、明生が先手を取り、大栄翔をあと一歩まで追い込みます。しかし、好調なときは何をやってもうまく行くもので、大栄翔が土俵伝いに回り込んで明生を逆転の突き落としで破りました。

下位では、元横綱大鵬の孫と話題性十分だった、新十両の王鵬が4勝8敗で既に負け越しが決まっています。十両力士の相撲の上手さになかなか対応できない印象ですが、まだ残り全部勝って7勝8敗にすれば十両に残れるので、当面の目標はそこでしょう。
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