Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

坪井の攻撃参加

2007-02-28 21:19:55 | 浦和レッズ
昨日のネネに続き、今度は坪井の攻撃参加について書きます。坪井は、セットプレーでもゴール前に上がりませんし、攻撃することはないのではと思われていますが、ボールを持って自陣から上がっていくことはあります。このドリブルが、サイドのウイングプレーヤーのように、鋭く速いので、これを見たサポーターは思わず歓声を上げることが多いです。

ただ、その歓声の割には、そのオーバーラップがチャンスにつながることは少ないです。たいてい、坪井がオーバーラップをしたときは、ハーフウェイライン付近で周りにいる鈴木啓太あたりに短いパスを出して、そのまま下がってしまうことが多いです。

たまには、そのドリブルでサイドを深くえぐって、マイナスのクロスを上げてアシストでもして欲しいのですが、坪井は自分のドリブルが相手DFを崩せるレベルではないと思っているのかもしれません。安全第一が坪井の哲学なのでしょう。

少し文章が短くなったので、他のDFのオーバーラップの特徴を書きます。堀之内は、ネネと利き足は右で逆ですが、クロスを上げるのが得意という点は似ています。あまり速くはないですが、ドリブルもあります。ただ、堀之内は決して無理には上がらないので、ボランチに負担を掛けさせることはあまりありません。

内舘のオーバーラップは、DFで出たときはあまり見られませんが、時折みんなが驚くようなキラーパスを送ることがあります。今でこそ、内舘と言えば守備の便利屋ですが、実は少年時代はゲームメーカーに憧れていたのかもしれません。DFの攻撃参加には、その選手の昔の憧れが見られるような気がします。
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ネネの攻撃参加

2007-02-27 20:39:04 | 浦和レッズ
ゼロックスのときに気になったネネの攻撃参加について少々。同じオーバーラップでも、闘莉王とネネではだいぶタイプが違います。闘莉王のオーバーラップは、空いているスペースに自らドリブルで上がり、シュートを打って終わるものが多いです。攻撃をしっかり切ってくれるから、戻る時間的余裕も確保できるし、仲間にも安心感を与えてくれると思います。

これに対し、ネネのオーバーラップは、左足の精度の高いクロスを狙うケースが多いです。確かに、ゼロックスで唯一の決定機になったワシントンのシュートは、ネネのアーリークロスです。ただ、ネネは自分でドリブルを狙う個人技はないようです。大体、オーバーラップするときは周りの味方に預けてパスが戻ってくるのを待ちます。

こういうタイプの攻撃参加は、後ろにいる味方が相当サポートしてやらないと、無駄なオーバーラップになります。川崎Fのボランチ谷口が、オーバーラップしてパスを待つタイプですが、中村憲剛が後ろに残ってパスを出すことが多いので機能しているという成功例はあります。

ただ、ゼロックスでのネネのオーバーラップは感心できません。理由は後ろにパスを出すタイプの選手が長谷部不在でいなかったからです。ネネのオーバーラップは結果的にはパスが来ないで無駄に終わることが多かったです。また、チーム状態が悪い今、ネネのオーバーラップをサポートする態勢は整っていません。

そういうTPOをわきまえないオーバーラップが、ネネには多い気がします。埼スタ最後の敗戦の大分戦(2005年9月)でも、負傷明けでコンディションの悪かったはずのネネが、無理にオーバーラップを狙って裏を突かれています。そのため、もし今後もネネを使うつもりなら、オジェック監督にはネネに上がるなという指示を出してから使って欲しいと思います。
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闘志と体力のDF(路木龍次)

2007-02-26 20:40:51 | 浦和レッズ
過去の選手の中では、1999年の残留争いを戦ってくれた選手のことが、特に印象に残っています。今回は、1999年の途中で横浜FMから加入し、2002年までプレーした路木龍次選手の思い出を書きます。

路木は、高校サッカーの名門の国見高校からサンフレッチェ広島に入団し、当時評価が高かった片野坂から左アウトサイドのポジションを奪ったことで有名になった選手でした。その後、1996年のアトランタ五輪に出場し、マイアミの奇跡と言われたブラジル戦のゴールの場面で、クロスを上げたのが路木でした。

順調なキャリアを積んでいるかに思えた路木でしたが、不運だったのは当時の広島が経営難で、年俸の高い主力選手を次々と放出してしまったことです。もし、広島に残っていれば年齢的には今でも現役だったかもしれません。しかし、これがあったから、我々浦和サポが彼のプレーをじっくりと見ることができたとも言えます。

路木と言えば左アウトサイドの専門家のイメージがありますが、浦和で最も輝いたのはCBでのプレーです。路木は国見出身者によく見られる特徴として、体力のレベルが高いという長所がありました。この体力とスピードで、相手FWを追い回し疲労させるのが彼のプレースタイルでした。残留決戦の大一番だったジェフ市原戦で、上背で圧倒的に劣るバロン相手に一歩も引かず、完封したプレーは今でも忘れられません。

ただ、後でビデオで路木のプレーを見ると、相手のユニフォームをつかんでいて、いつPKを取られてもおかしくないプレーもありました。また、ヘディングも上背がないため、専門家にはかないません。2001年に井原を補強してからは、路木がCBで出場することはほとんどなくなりました。

それでも、左アウトサイドでは十分力のある選手でしたが、オフト監督の若手への切り替え策で、当時新人だった平川にポジションを奪われて、その年限りで浦和を去りました。ただ、あの残留争いで、自分の持っている力を最大限に発揮して最後まで残留の希望をつないでくれて、J2に降格した後もチームに残って戦ってくれた路木のことは決して忘れないでしょう。記録より記憶に残る選手でした。

今の浦和も危機的状況ですから、あのときの路木のように闘志を表に出して戦ってくれる選手が、一人でも多く出てくれることを期待しています。
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ラグビー全日本選手権決勝

2007-02-25 18:00:23 | 他スポーツ
前日の浦和敗戦の痛手を癒すべく?秩父宮ラグビー場まで全日本選手権の決勝戦を見に行ってきました。カードは東芝対トヨタ自動車で、一週前の準決勝を勝ち上がった両者の対戦です。

その準決勝をテレビで見た印象では、バックスを含めた守りが強い東芝を、FWが強いトヨタがどこまで突破できるかという試合展開を予想しました。風は前半は東芝が風上を取ったので、トヨタは前半を耐えて後半勝負に持ち込みたいところでした。ただ、その風は、かなり試合展開に影響を与えました。

トヨタのスタンドオフのアイイは、ニュージーランド7人制代表の実力者で、準決勝でも見事なドロップゴールを決めています。しかし、この日は風の影響でそのアイイのキックにいつもの精度がありませんでした。ドロップゴールも、PGも外し、結局トヨタは前半はアイイが唯一決めたPGの3点だけでした。

しかし、それでも勝負になったのは、トヨタの守備陣が頑張ったからです。東芝に比べるとトヨタの守備陣には時折穴も見られましたが、それでも前半を2トライ1ゴールの12点で抑えたため、十分逆転可能な点差で折り返しました。

東芝の守備の強さは、トヨタが意外なプレーをしたときの対応力に現れていました。意表を突くバックスの裏へのキックや、東芝のパスをインターセプトしたときのプレーでも、落ち着いて対処し、トヨタにさほどのゲインを許しませんでした。人生訓にも通じるところがあって、緊急事態で冷静な対応ができることが、人間の強さかもしれません。

しかし、後半風上に立ったトヨタは、東芝の攻めを寸断し、2点差に迫るトライとゴールで追い上げました。しかし、アイイのPGはまたも外れ、普段なら決められる精度があるのに残念です。アイイが好調だったら、おそらくトヨタの勝ちだった試合でしょう。

最後は東芝が駄目押しのトライを決めて、19-10で勝つことができましたが、トップリーグ首位の東芝の破壊力ある攻撃陣と互角に渡り合ったトヨタ守備陣の健闘で、なかなか面白い決勝戦になったと思います。これで少しは浦和敗戦のショックを癒せそうかなと、満足して帰途につきました。
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まさかの試合(2/24ゼロックス浦和対G大阪)

2007-02-24 20:20:12 | 浦和レッズ
昨日、よほどのことがない限り叩いたりはしないと書きましたが、その「よほどのこと」が起きてしまいました。ブルズカップのザルツブルグ戦は、前半は寝ていたとよく形容される内容ですが、バイエルン戦は相手の技術で崩されてフリーの選手を作った失点でした。ザルツブルグ戦のミスなら修正可能でしょうが、バイエルン戦のミスだと苦しいです。

その後者が実際に、しかも国内のチーム相手に起きたという事実は重いです。横浜FCの関係者がこの試合を見ていれば、浦和に隙ありと自信を持つでしょう。これはまずいというのが私の感想です。具体的に書くと、ボールの納まりどころがないです。昨年までの浦和の強さは、ワシントン、ポンテ、小野伸二、山田などボールが持てる選手が多く、周りの上がりを待てることが理由です。

この日は、ワシントンもポンテも自慢のボールキープがほとんどできませんでした。山田はボールを持ってもミスが多く、外側にいる右アウトサイドの平川としかボールを交換できませんでした。小野伸二がまあまあでしたが、一人では攻撃はできません。

最初はちゃんと守れていたDFラインも、攻撃陣がフィニッシュまで行ってくれないと次第に守り疲れてきます。また、ネネが変にオーバーラップを狙って、DFラインに穴を開けるのも気になりました。確かに浦和最大の決定機はネネのアーリークロスでしたが、こういうチームの状態が悪いときは確実にDFラインのバランスを保って慎重に戦って欲しいです。

ネネのオーバーラップが原因とは断言できませんが、ネネが上がると阿部勇樹が左ストッパーのカバーに追われることになるので、それが最終ラインが崩された理由の一つでしょう。相手側から見ると、左MFの二川が絶好調でした。空いたスペースにどんどん走り込み、2点目のゴールでは見事な個人技を見せました。それにしてもやられ過ぎですが。

新潟戦までに合わせればいいと以前に書きましたが、この日の内容では横浜FC相手でも楽観はできません。オジェックが好調な選手をうまくピックアップして、その場しのぎでもいいから試合を拾っていけないと、相当苦しい戦いを強いられる可能性もあります。
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ゼロックス杯プレビュー

2007-02-23 20:57:08 | 浦和レッズ
長いオフの間、このプレビュー原稿をアップできる日を楽しみにしていました。ようやく明日はゼロックス杯なので、直前情報を。

浦和は、キャンプ不参加が長谷部と田中達也、相馬も全治2週間で出場は絶望、闘莉王も肩を痛めてベストコンディションではないなど、負傷者が続出しています。ただ、今季の浦和はACLやA3など、強行日程が続くため、オジェック監督にはやり繰り上手になって欲しいと思っていました。この状況は、それがほんの少し早く来たのだと思います。

オジェックの策は、どうやら小野伸二の左アウトサイド起用のようです。小野伸二にとって、左アウトサイドは初めてのポジションではなく、私の記憶にある試合では、2002年のW杯本大会のベルギー戦で左アウトサイドに入っています。

ただ、小野伸二はスピードが売り物ではありませんから、相手の右ウイングにスピードがある選手がいたら苦しいです。G大阪には代表SBの加地がいますから、ある程度は加地に攻められるのは覚悟の上の起用だと思います。小野伸二はボールをキープして、味方の攻め上がりを促す役割になると思います。

対戦相手のG大阪は、DF宮本が抜けましたが、それに代わる即戦力は補強していません。西野監督は4-4-2を考えているらしく、CBにシジクレイと山口を置いて、左SBには昨年ボランチだった橋本をコンバートするようです。注目は甲府から引き抜いたドリブラーのバレーですが、システムが4-4-2ならベンチスタートが有力です。

ただ、バレーは大宮時代にC契約で入団し、他の外国人が怪我をしない限り出られないという立場にいたことがあります。そのため、ベンチスタートで腐ることはなく、出たらチームのために全力を尽くすでしょう。浦和はスピードで負けない坪井がバレーを見るのがいいと思います。

ただ、ブルズカップの映像を見る限り、浦和はコンディションが上がり切っていません。そのため、このゼロックス杯はコンディションを上げるための試合になる可能性もあります。もちろん勝って欲しいですが、極端にひどい試合をしない限り、調整の途上と思って、叩いたりはしないつもりでいます。本番はリーグ戦ですから。
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超攻撃的布陣(2/21U-22代表対アメリカ)

2007-02-22 20:55:57 | ワールドサッカー
昨日のU-22代表戦、平日夜の熊本開催という事情もあり、忘れていた方も多いかもしれません。私も忘れかけていましたが、前半の10分ほどで気付いてテレビのチャンネルを合わせました。

マスコミで話題になっていたのは、平山、李、カレンの3トップでしたが、彼ら3人は両ウイングが開いて、クロスを平山が決めるという一般的な3トップのイメージとはだいぶ違いました。3トップの互いの距離が近いのです。李がヘディングシュートを狙ったり、カレンがドリブルシュートを打ったりと、攻めのバリエーションは豊富な気がしました。

ただ、この日の布陣は極端に攻撃に偏った布陣でした。単純に3トップだから攻撃的という訳ではなく、その理由は3-4-3の中盤の4人の人選でした。右アウトサイドに水野、左アウトサイドに本田圭佑、ダブルボランチに梶山と本田拓也というメンバーでしたが、この中で守備を本職とする選手は本田拓也一人しかいません。

あとの3人は本来攻撃的MFの選手で、特に梶山のドリブルに対する守備は見ていて不安になります。反町監督の狙いは、おそらく2次予選の格下相手に圧倒的な攻撃サッカーで勝とうとするものでしょう。最終予選の相手ではこの日の守備陣ではもたないはずです。ただ、相手のアメリカ代表はあまり仕上がっていなかったようで、日本の最終ラインが完全に崩される場面は少なかったです。

2次予選の相手、特に香港やマレーシアには、普通に4-4-2で慎重に戦っても十分勝てるでしょうが、オシムジャパンにつなげるために攻撃サッカーをしたいのでしょう。そういう意味では無得点に終わったのは残念でした。平山の得点感覚が戻らないまま、予選に入るのは不安もあります。

ただ、2次予選は2位まで通過なので、日本が本来の力を出せば通過は堅いです。2次予選を戦いながら、最終予選に向けて少しづつチームを作っていくと思うので、3-4-3もオプションの一つとして持ちながら、最終予選で戦えるチームを作って欲しいと願います。
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伸二のベストパートナー(アイトール・ベギリスタイン)

2007-02-21 21:00:08 | 浦和レッズ
過去の外国人ネタは、1997年から1999年まで在籍したベギリスタインの思い出を書きます。ベギリスタインの来日した1997年は、まだまだJリーグバブルの名残があって、各チームが世界的に実績のある選手を入れていました。この年で代表的な選手は、G大阪に加入したカメルーン代表のエムボマでしたが、ベギリスタインも世界的実績は十分ありました。

ベギリスタインは1994年アメリカW杯と、1992年のトヨタカップに出場しています。来日前から、名前だけは知っていた選手でした。しかし、浦和に加入した時点では既に全盛期は過ぎていました。当時の原監督が中盤をボックス型にしたのは、あまり動かないベギリスタインを左サイドのMFに固定するためでした。

動かないサイドMFは、一般的にタッチラインぎりぎりでボールが来るのを待つことが多いです。ベギリスタインは、そこを定位置にしていました。聞いた話では昔は運動量は多かったそうですが、浦和在籍当時のベギリスタインは省エネプレーの選手でした。ただ、その左足クロスの精度は高かったです。また、チャンスと見たら真ん中へ入っていき、ゴールを狙うプレーも見せました。

当時新人だった小野伸二と、最も感覚の合った選手としても印象に残っています。ベギリスタインは、運動量が多かった当時の感覚を時折思い出すのか、縦にスペースがあれば走り込んでくれました。そのため、小野伸二のスルーパスに反応することもできました。小野伸二とベギリスタインは、どちらがパスを出しても機能する関係でした。

そのため、1998年は何のタイトルも取っていない割には、いいサッカーが見られた年として、今でもいいイメージが残っています。しかし、翌1999年は小野伸二が負傷で苦しんだこともあって、ベギリスタインも輝きを失いました。あの残留決戦がベギリスタインの現役最後の試合になりました。勝って送り出したかったですが、当時は残留争いで必死でそんなことはすっかり忘れていたと思います。
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人の運命(フェルナンド・ピクン)

2007-02-20 20:40:13 | 浦和レッズ
浦和がJ1残留を賭けて戦っていたさなか、ウルグアイから浦和を救うためにやってきた外国人選手がいました。彼の名は、フェルナンド・ピクンと言います。このピクン、南米選手権にウルグアイ代表として出場した実績のあったDFで、前任者のザッペッラが不振で途中解雇された穴を埋めるために来日しました。

ただ、ピクンのそれまでの所属チームを見ると、ウルグアイの強豪デフェンソールから、オランダのフェイエノールトに移籍したものの、1年限りでデフェンソールに戻っていることが気になりました。つまり、欧州では通用しなかったDFということです。

ただ、ピクンが来日したのは、本当にがけっぷちの残り5試合という状況でした。とにかく、この外国人に賭けるしかないという状況で、ピクンはCBの中央で相手クロスを跳ね返してくれました。

一つすぐに見つかった弱点もあり、それはフィジカルコンタクトが強すぎて日本の基準ではすぐにファウルを取られてしまうことでした。それがたたって、イエローカードが4試合で3枚たまり、運命の最終決戦は出場停止でした。もし、この試合で浦和が勝利し、残留を決めた後に帰国していれば、ピクンは浦和を救った選手と言われていたかもしれません。

しかし、人の運命はわからないものです。浦和はJ2に降格して、ピクンはJ1復帰に力を貸すべく、残留して来期に賭けることになりました。ピクンにとって不運だったのは、2000年に指揮を執った斉藤監督が4バックにこだわりのある監督だったことです。3バックに慣れていたピクンは、ラインをコンパクトに保つ斉藤監督のやり方には対応できませんでした。

それが表れたのが、1-6で敗れたアウェーの新潟戦で、ピクンがラインを上げられず、最終ラインが揃わない隙を新潟の速いクロスが打ち破りました。6点の多くがこのパターンで、当時浦和ケーブルテレビで解説をしていた田口氏は、「このチームにいた者として恥ずかしい。」と泣きだすほどのひどい試合になってしまいました。

しかし、なぜか斉藤監督も、後を継いだ横山総監督も、ピクンを外そうとしませんでした。その判断ミスは最後の鳥栖戦で表れてしまいました。あの室井退場の場面で、ミスキックをしてピンチを招いたのはピクンでした。不振が続き、肝心の場面でプレーの精度が落ちてしまいました。

結果的に土橋のVゴールが決まったので、ピクンはひっそりと日本を去ることができましたが、もし昇格できなかったらと思うと、激しく戦犯扱いされていたかもしれません。救世主から戦犯となるのだから、人の運命はわからないものです。
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ブルズカップ感想

2007-02-19 20:03:47 | 浦和レッズ
ブルズカップの映像をテレビ埼玉でチェックしました。浦和の第一印象は、想像以上に仕上がりが遅いなというものです。バイエルンは強豪国ドイツのトップレベルのチームだから仕方ないとしても、強豪国でないオーストリアのザルツブルグには最低でも善戦を期待していました。

しかし、試合の内容は本当にスコア通りの惨敗で、特にザルツブルグ戦の前半15分までのサッカーは最悪の内容でした。オジェック監督はバイエルンについてはリーグ戦の試合を視察するなど気合いを入れていましたが、ザルツブルグのことはほとんど何も知らなかったそうです。

しかし、ザルツブルグの方は浦和が3バックのチームだということは知っていたのではと思います。それは、解説の信藤さんが話していたように、3バックには攻略法があり、ザルツブルグがそれを実行したからです。その攻略法とは、3バックの両ストッパーの外側のスペースを狙うものです。仕上がりの遅い浦和は、これに対応できません。

見た目は相手FWにあっさり振り切られた闘莉王らのDF陣が悪いように見えますが、アウトサイドの帰陣も遅れているし、ボランチもフリーでパスを出されています。チーム全体が仕上がっていないための失点だと思います。

注目の阿部勇樹は、鈴木啓太とダブルボランチを組みましたが、基本は鈴木啓太が前、阿部勇樹が後ろという位置関係でした。この二人のダブルボランチなら、相手のトップ下を完封できる守備力があるはずですが、この日はそのかけらも見られませんでした。本領発揮はコンディションが上がってからでしょう。

この仕上がりだと、ゼロックス杯ではまだトップコンディションまでは行かないような気がします。しかし、浦和にとって幸いなのが、リーグ戦序盤の対戦相手で、開幕戦の横浜FCとの力関係はこちらの方が上です。また、ACLの初戦の相手は格下と思われるインドネシアのペルシク・ケディリです。

ベストコンディションに持っていくのは開幕2戦目の新潟戦までにできれば十分でしょう。それを考えると、ブルズカップから1ヵ月弱の期間があり、十分可能なノルマと思います。
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