三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

新谷尚紀『お葬式』1

2011年06月26日 | 仏教

人間と他の動物との違いは、人間は自分が生まれる前にもこの世があり、自分は死んでもこの世は続くことを知っていることだ、と何かで読んだことがある。
「死を理解するということ、それは概念化するということです」
死は事実ではない、死は概念であると、新谷尚紀『お葬式』に何やら難しいことがまず書いてあるが、読んでいくと、なるほどねということでした。

犬や猫は仲間が死んだことがわからない。
なぜかというと、仲間の死体の処理をしないから。
ニホンザルも死がわからないらしく、仲間が死んでも死体を放置する。
「死体を処理するとか、死体に対する特別な考え方、あるいは行動をとることは猿にはありません」
死んだということを知ること、死によって何らかの感情をかき立てられるのは人間だけらしい。

それと猿は、何かを指さして、他の猿が指さしたほうを見るということがないそうだ。
私の子どもが3歳ぐらいのころ、「あれを見てごらん」と指さしたら、子どもは私の指先を見てた。
まさに指月のたとえでした。

「死は、人類がその進化の過程で発見した概念である」
子どもは何歳から死(死んだ人とは会えないこととか)を理解するのか。
家族が死んで泣くのは小学校4年生ぐらいからじゃないかと思うが、どうなんでしょう。

では、人類は?
クロマニヨン人以降のある段階、3万7千年から3万5千年前に、人類は死を発見し、死体に対する対処が始まったそうだ。
葬送が行われ、墓が作られてきた原点である。
ネアンデルタール人は死者を悼む気持ちがあったという説もあるが、全面的には信用できないとも言われているそうだ。

死の発見は宗教の誕生でもある。
「死を発見したことによって何が起こったのか。それは生の発見でもありました。
つまり、死ぬということと生きるということとを対比的に考える。そういうホモ・サピエンスになっていく。すると、死ということの恐怖、そして生きているということの喜び、それが死んだ後どうなるかという不安、この世とあの世、他界観念のめばえです。それから霊魂観念、生きている命というものを考える。つまり、死の発見は宗教の誕生を意味したのです」

エリアーデだったと思うが、死者が夢に現れることや、シャーマンのビジョンから、死んでもおしまいではないと考えられたそうだ。
「死後の世界はこうなのだとか、人間は死んだらこうなる、などと語る人物が出現してくるのです」
「講談師見てきたような嘘を言い」という人がいるのは今も変わりないけれども。

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3 コメント

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死んでも死に切れない (遂犯無罪)
2011-06-27 11:33:13
弁護士の不正・非行・犯罪と闘うシンポジュウム この盛況に戴いた資料の、この方にお声も掛けられず、無断で掲載させて戴きました、我が痴話事件と違い実名表記に敬意です。

懲戒請求したら 老衰死寸前の男性との男女関係を捏造 実名報道で報復した大石康智弁護士

懲戒請求した相手の弁護士が、報復的に虚偽の刑事告発をしたことによって「誤認逮捕」され、「日弁連」の管理責任を問う民事訴訟を係争中の女性の事件
http://suihanmuzai.web.infoseek.co.jp/110627.jpg.html
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死因は・・・ (遂犯無罪)
2011-06-29 14:45:43
赤い色した銀行さん
 お金貸して保険かけ
 黒い世界に手を回し
 預金あつめにあなを掘る

白い車のおまわりさん
 鬼酒飲んで酔っ払い
 殺しも保険も聞かせるな
 俺も老後が心配だ
http://suihanmuzai.web.infoseek.co.jp/110628.jpg.html
返信する
籍は大事です (遂犯無罪)
2011-07-02 09:39:48
昨日、6月30日に、坪井隆作を提訴した口弁の三回期が、さいたま地裁で開かれた 三人の司法修習生と傍聴の二人の職員、先日の坪井の別事件での法廷と同じく閉鎖状態に、ふっとある疑惑が浮かんだ、原告としての坪井の送達先と、被告としての坪井の送達先が違う。
これは坪井のいうヤクザからの逃避とは思えない、もしかしたら坪井は生活保護者なのか、そうであれば諸々の事象も説明がつく、しかしそれが事実なら大変な事件である。

裁判長の許可を得て、坪井に被生活保護者か否か訊ねたが口篭り、閉廷後の法廷で再度に「もし坪井が生活保護者であれば大事件になる 事実はどうか」こんな問いをすれば、大騒ぎする坪井はだんまりであった。

事件は2007/06/05に朝霞市内で起きた、この8月前の2006/10に朝霞市から、さいたま市に住民票を移しているが、居住実態は不明で、籍は職権で抹消されていない、また坪井は異常に住民票に拘り、交付した行政や総務省に抗議、過剰な対応をしている、ここに真相が隠されている。

生活保護受給しつつ、別なシノギをすべくヤクザらしい発想は、東洋大傍の橋の下でBQで騒ぐ若者を狙い罠を張っていた、掛かった学生の3人の親は裁判官や外交官、この資産調べには共犯者がいる、TV・新聞報道で煽るか利用して、恐喝示談を迫り800万近くの大金をせしめた。

ここで止めればよいものを墓穴を掘った、残る女子大生からも強請ろうと執拗に恐喝、女性はこの脅迫から心的傷害を被り、示談金提示をしたが坪井は一蹴、決まっていた年収600万以上の就職口が、この事件での精神的後遺障害から反故になった、この落とし前を付けろと、間抜けな訴訟を提起した。

http://suihanmuzai.web.infoseek.co.jp/110701.jpg.html
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