三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

メル・ギブソン『パッション』『アポカリプト』

2017年07月20日 | キリスト教

ピーター・ウィアー『誓い』(1981年)でのメル・ギブソンは誠実そうで、役柄にぴったりでした。
ところが、実際はアル中の暴力男だそうです。
だからこそなのか、自分で教会を建てているぐらいの熱心な信者。

もっとも、「教皇聖座空位論(sedevacantism)」といって、第2バチカン公会議で決定されたリベラルな政策を受け入れられず、第2バチカン公会議後の教皇たちを教皇として認めない超保守的なカトリック信徒です。

でも、それなのにメル・ギブソンも父親も離婚しているのですが。
メル・ギブソン監督作品を見るときには、原理主義で、反ユダヤ主義で、妊娠中絶反対で、同性愛反対だということを頭に入れておく必要があります。

監督第3作の『パッション』(2004年)は、イエス・キリストがローマ兵に捕らえられて拷問され、十字架にかけられるまでをリアルに描いており、ローマ法王も聖書に書かれてあるとおりだと言ったそうです。
 

十字架をかついだイエスは、人々にあざけられ、鞭打たれ、石を投げられ、そして十字架にかけられ、全人類の罪の犠牲となって、苦しみながら死んでいく。

それにもかかわらず、イエスは人間を許してくれたことは驚きであり、喜びは深まる。
つまり、イエスの苦痛と人間の罪の重さ、そして私の救いの確かさは正比例することになるわけです。

カトリックでは、イエスが十字架にかけられたのは神のお考えで、ユダヤ人のせいではないと解釈していると、カトリックの知人が言ってました。

しかし、木谷佳楠『アメリカ映画とキリスト教』によると、『パッション』に登場するユダヤ人は、これまでの映画の中で最も悪く描かれ、その一方でローマ総督のピラトや一部のローマ兵は好意的に描かれているために、製作制作段階から「反ユダヤ主義的」な映画との非難を受けたそうです。

グリフィス『イントレランス』は、ユダヤ教のラビが撮影現場にいたものの、イエスの死がユダヤ人によってもたらされたという描写があったため、修正を求められ、30場面あったイエス物語を7場面に縮小した。


メル・ギブソンは意外としたたかなようで、映画を公開する前に、社会的影響力のある宗教家、特に福音派の牧師を味方につける戦略をとりました。

バチカンで事前試写会を開き、アメリカ国内ではメガ・チャーチを借り、福音派の牧師約5000人を集めた試写会を開いている。
こうしたことにより、抗議や非難の声は公開後すぐに沈静化し、大ヒットした。
制作費が3千万ドルはメル・ギブソンが出したそうですが、、全世界の興行収入は約6億1100万ドル。

メル・ギブソンの描く、厳しい拷問に耐え、人々の罪の贖いとして十字架にかけられるイエスは、9.11後のアメリカで求められていた国家統合のための「国民的象徴」だった。

コーネル・ウェストは、『パッション』に代表されるキリスト教保守派の思想を文化に乗せて広めようとすることは、現代風に洗練された帝国主義的風潮であり、「コンスタンティヌス的クリスチャン」、すなわち自らが達成したいと欲する目的のためにキリスト教を利用する者の考え方であると批判していると、木谷佳楠氏は書いています。

メル・ギブソンの次の監督作品はマヤが舞台の『アポカリプト』(2006年)です。
村の人間を捕まえて生け贄にして殺したり、人間狩りをしたりと、これまた残酷な場面が続きます。
 

スペインの船が遠くに見えるシーンで終わりますが、これをどう解釈するか。
スペイン人によって先住民は富を奪われ、殺戮され、マヤ文明は滅亡するわけですから、主人公の救いのなさが暗示されていると思いました。

ところがネットを見ると、スペインは野蛮な新大陸に福音をもたらしてキリスト教化したということがメル・ギブソンの狙いだ、という解釈がありました。

「アポカリプト」の意味をネットで調べると、ギリシャ語で「物事をあらわにする」という動詞で、名詞だと「アポカリプス」で「黙示録」のこと。

『アポカリプト』という題名を見て、アメリカの観客は何をイメージするかというと、世界の終末とイエスの再臨でしょう。
『アメリカ映画とキリスト教』によると、アメリカは人口の約75%がクリスチャンであり、ユダヤ教徒も含めると約77%が、「世界の終わり」をユダヤ・キリスト教的価値観、聖書的終末観で捉えています。
2010年に行われた世論調査によると、アメリカ人の41%は2050年までにイエスが再臨し、終末が訪れると信じている。
プロテスタント 54%
白人福音派 58%
白人主流派 27%
カトリック 32%
終末を待ち望む人が半数近くいるわけです。

マヤ文明に代表される非人間的な世界の終わり、そしてスペイン船によってもたらされるキリスト教文明の夜明け(イエスの再臨)。
描写が残酷であればあるだけ、マヤ文明がいかに野蛮かが印象づけられ、スペインによる征服が正当化されます。
あるサイトは、アフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権を象徴していると指摘していますが、うなずけます。
スペイン船=アメリカ=キリスト教は抑圧からの解放者です。

となると、残酷な描写はマヤ文明の非人間性を強く印象づけ、スペインは侵略ではなく、マヤの人々に救いをもたらす福音だという結論に結びつけることになります。

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