西田幾多郎は大谷派の人たち、稲葉昌丸、佐々木月樵、暁烏敏たちと交際があり、四高から真宗大学へ移る話もあったぐらいである。
上田久『祖父西田幾多郎』によると、西田幾多郎は暁烏敏を嫌っていたそうだ。
「仏教界の改革者であった暁烏に対して、幾多郎は後にはその思想行動に満足しなかった。私は祖父から、暁烏敏について、「あの男は偽せ者だ」という言葉を聞いたことがある。祖父の偽せ者だという言葉は、かなり強い否定的な批判の言葉である。時代とともに変転する暁烏の思想遍歴や、世間の眼を意識した言動に不満を持ったのだろうが、恐らくは悪評高かった暁烏の女性関係が、法を説く人として、「精神主義」を唱えた清沢満之の弟子として、人一倍女性関係に潔癖な祖父には到底許し難かったのであろう」
そこで石和鷹『地獄は一定すみかぞかし 小説暁烏敏』を読みました。
下咽頭癌で声を失った「私」は、暁烏敏『わが歎異鈔』を読んで暁烏敏の魅力に惹かれ、全集を読むようになる。
一方、喉頭を摘出した人の発声を指導する教室で知り合った女性は、暁烏敏を嫌っていて、暁烏敏の女性関係などを詳細に「私」に教える、というお話である。
私も大学のころに『わが歎異鈔』を読んで感動したが、折原脩三『もう一つの親鸞』を読んで暁烏敏が嫌いになった。
なにせ「怪僧・暁烏敏」である。
ところが折原脩三は、明治44年度版の暁烏敏『歎異鈔講話』は「今なお、わたしの「枕頭の書」となっている」と書いている。
暁烏敏には人を引きつける力と反発させるものとがある。
「女性関係」について『地獄は一定すみかぞかし』に詳しく書かれているが、たとえば「中外日報」大正4年1月に、「彼暁氏は非常な魅力を持つた色魔で、苟も欲した女をば必ず自己のものにすることが出来、事実今迄幾人をも弄んで来た。(略)彼は伝道にことよせて頻りに女を弄んで飽きない」とあるそうだ。
ところが後日、これを書いた真渓涙骨は暁烏敏と友になるわけで、暁烏敏の常人ならざることがわかる。
暁烏敏は性欲が旺盛で、女に弱いことを正直に告白する。
しかし、それは「世間の眼を意識した言動」だから、どこかしらうさん臭い。
「尊大で、厚顔で、毛むくじゃらの魂」
「いつも自分のことばっかり」
妻公認の愛人である原谷とよ子と暁烏敏の手紙を石和鷹は大量に引用している。
たとえば、これ。
「肉体では同時に私が二人の女を抱く事はできないが、心中には何人も抱く事ができます。一夫一婦とか一夫多妻とかどちらでもよいのだ。ただ他の目的があつてではなくて真剣に愛するのに何の恐れがあらう」
それとか、この詩(の一部です)。
だからおまへがどんなにそれても
わしはます/\だきしめる
愛のリズムはそばだつ耳にや
すねるおまへのあいそつかしは
甘い小うたのやうにきこゆる
愛にもえたつわしのむねは
はて白波の海のやうだ
おまへはそこに浮べる小舟
二人のこういった文章が『地獄は一定すみかぞかし』には延々と引用されている。
こんな臆面もない手紙をよくもまあ保存し、おまけに全集に収録して公開したものだと思う。
西田幾多郎でなくてもあきれてしまう。
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このひとっていまでいうところの#Me Too運動の対象になりそうなかたですね。
こんな上司のいる職場こそ、「地獄」以外のなにものでもないのでは。いまだこのようなぬるくってだらしないオヤジたくさんいますよね、宗門。
再読したら、大したことは言ってない。
マジックですね。
丹羽文雄さんはお父さんやお母さんのことを何度も書いています。
ほんまかいなという話ですが、実際のことなんでしょうね。
今とは規範というか、常識というか、そういうものが違うのかもしれません。
夜這いや夜伽が普通だった時代ですし。
それにしても、戦後少しは反省したのかと思うし、信者たちは戦前の言動をどう思ったのか気になります。
問題にしてないんじゃないかという気がします。