三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

布施勇如「米国の犯罪被害者支援―新聞記者の視点から」

2007年06月18日 | 死刑

読売新聞記者の布施勇如の講演録「米国の犯罪被害者支援―新聞記者の視点から」を読む。
2002年から04年までアメリカに留学していた時に見聞した話である。

アメリカでは、死刑制度がある州は38州。
死刑制度があっても、この30年間で死刑執行が1人、2人という州もある。
死刑執行数でダントツのトップはテキサス州、その中でもハリス郡が圧倒的に多い。

死刑執行は1999年をピークに年々減少している。
2003年、イリノイ州知事が167人の死刑囚の執行を取り消した。
そのきっかけは冤罪である。

1973年以降、冤罪で釈放された死刑囚は123人。
それと、知的障害者および18歳未満の少年に対する死刑は違憲だという判決が2005年に出されている。

スティーヴン・レヴィット『ヤバい経済学』にこうある。

アメリカでは陪審員も死刑を嫌うようになったようだ―おそらく、近年無実の人が死刑になったり、死刑を待っている間に無実が証明されたりすることがときどきあることが原因の一つだろう。1990年代には平均で毎年290人が死刑を言い渡された。2000年代の最初の4年ではこれが174人に減少している。


ニューヨーク控訴裁判所は死刑のそのものが違憲であるとの判決を下し、実質的に死刑をすべて中止させた。
アメリカ連邦裁判所判事のハリー・A・ブラックマンは1994年にこう述べている。

私は、道徳的にも知的にも、死刑という実験は失敗だったと告白する義務があると思う。


2006年のアメリカの世論調査によると、
 死刑賛成 67% 死刑反対 28%
仮釈放なしの終身刑という制度があった場合はどちらを支持するかは、
 死刑 50% 終身刑 46%
日本でも、同じアンケートでは死刑存置に賛成する人は減る。

布施勇如が留学したオクラホマシティ大学で、死刑というテーマの授業に殺人事件やテロで家族を失った人たち、3人(死刑賛成が1人、死刑反対が2人)に聞いたことが紹介されている。

死刑賛成の女性は19歳の娘さんが自宅でレイプされ、ナイフで刺され、首を絞めて殺された。
彼女は加害者を「ゆるす」ことに成功したと言っているが、死刑に処すべきだという考えは揺らがなかった。
加害者を殺そうと考えたが、でも実行できなかった。

それは法が負う役目で、被告が有罪と認定され、社会に恐怖を与えると判断されれば、政府は死刑という方法を使うことができるのだから。

このように語り、死刑の執行(薬物注射)に立ち会った時のことを話す。

とても速く、何の痛みもなく終わったことに対し、彼女は「自分の娘、被害者に比べ、「あまりに安らかな」最期、これに非常な不快感を示した。
それでも、彼女は「死刑によって区切りを迎えた。心が解放された」と語っている。

死刑反対の人は、オクラホマ連邦ビル爆破事件で娘さんを亡くした男性と、7歳の孫娘が性的暴行を受けた後に刺殺された女性である。

男性は爆破事件が起きるまでは死刑反対だった。

でも、いざ家族が殺されれば、人の心は変わるもんです。


彼は犯人のマクヴェイがなぜ犯行にいたったのか、その動機を探る。
マクヴェイは湾岸戦争に出征して心の傷を受け、政府を恨んだ。
これが事件の大きな動機になっている。

彼はこう考えるにいたる。

マクヴェイを死刑に追いやることは、娘ら168人を殺した理由と同じ、復讐と憎しみから死刑に追いやることになる。つまり、因果応報と怒りというのは、人を悪の行動に駆り立てるだけだ。

この男性は家族を失いながらも死刑に反対する家族の会の中心メンバーである。

女性のほうも、最初は「この手であの男を絞め殺してやりたい」と思った。
その後、入院をし、命について考える中で「物事には全て両面がある」ということに気づいた。

加害者(19歳)は家族から虐待を受け、高校を中退し、友だちはほとんどいなかった。
家庭環境とか教育環境は自分の意志で選んだものじゃない。

彼に対する怒りにさいなまれて生きていくよりは、彼をゆるして、多くの人が知らない彼の内面を理解しよう。

そう思うようになり、加害者と文通を始めた。

この女性は殺された女の子の母方の祖母だが、父方の祖母は「当然、死刑だ」という運動を展開しているそうだ。

彼女も死刑の執行に友人として立ち会っている。
死刑の執行によって区切りがついたかとの質問に、こう答えている。

私はゆるしはした。だけれども、事件や悲しみを決して忘れることはできない。死刑によって区切りがつくなんて、私には想像できない。(略)
受刑者が逝ってしまったら、私たちが知りたい答えを聞く機会は、永遠に奪われてしまうでしょう。

「私たちが知りたい答え」とは「どうして私の家族が」という問いの答えである。

死刑に反対するこの二人に共通するのはキリスト教への信仰、そして加害者がどういう人間なのか、どうしてこういう犯罪を犯したかに関心を持つということだと思う。

テキサス州で死刑を執行する刑務所の近くに死刑博物館がある。
その博物館の館長さんは89人の死刑執行に立ち会っている。

布施勇如が自分は死刑については中立の立場だと言うと、館長さんも「そうだよ」と言う。
そして、死刑か仮釈放なしの終身刑とどちらを選ぶかと尋ねると、「そりゃ、終身刑だよ」と答える。

「被害者の家族は死刑が執行されたら区切りを迎えることができると、あなたは考えますか」という質問への答えはこうである。

その問題について遺族と直接話したことはない。しかし、クリスマス・プレゼントのことを考えてみるといいよ。子どもたちっていうのは非常にクリスマス・プレゼントを楽しみにしているものだけれども、いったん受け取って、二ヵ月も経ってしまえば、結局そんなにたいしたものじゃないと。喜びもさめるよね。


いろんなことを考えた講演録です。

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13 コメント

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イナゴレンジャー (万次)
2007-06-18 13:34:15
 昨夜、いっしょに飲んでた人がいいました。「おれはアル中とちゃう、ピカチューや」。。。

 で、円さんは死刑ネタを書き続けるみたいですし、これからも何度も同じイナゴさんが発生する可能性が濃厚です。↓こういう方をはじめとして皆いろいろ対策に悩んでおられますね。ブログのどこかに注意書きでも掲げた方がよいのでないですか。
 http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20070611/1181576767

 http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_dcc5.html

 匿名性というのは、一種の透明人間性ですね。おもちゃとはいえ、ギュゲスの指輪を手に入れたも同然。unknownさんも通りすがりさんも、誰が誰やらわからず、読むのに苦労します。

 で、ブログという誰がみているかわからない公開されたもので不見識な意見を書くな、書いた方が悪いという意見もありましたが。まるでドアのカギが開いてる部屋にあがり込んで、名前も名乗らず脅し文句を並べたてて商品を買うまでねばりつづけ、挙句の果てはカギをかけてないお前が悪いと説教している人みたいです(笑)

 死刑を廃止すると犯罪が増えるという意見がよくあるのですが。それでは、あなた自身は死刑が廃止されたら何でもやるのかと問うと、そんなことはないと答える人がほとんど。

 ネットでも爆破予告とか相手の実名をさらして何かやると捕まるようですが。その手前でとどまって、誹謗・中傷ぐらいなら罰せられる可能性は薄いですね。自分は善人であって、罪なんか犯さないっていう自信のおありの方が多いのですが、はてさてどうなのか。
返信する
Unknown (通りすがり)
2007-06-18 21:07:04
>万次さん
あなたも匿名じゃないですか。
ブログ主の円さんも匿名です。
だからあなたの意見には何の説得力もありません。
もちろん私の意見にも。私はそれでも構いませんがね。

ブログに対する認識は人それぞれ、私自身は家に例えるのはとてつもなく時代遅れですし、勘違いなさってるなという印象を受けます。
家とはプライベートな空間であり、全世界に配信されたブログとは似てもにつかないと思います。
mixiなんかは家に例えてもいいとは思いますけどね。

例えるなら、旅行先やお店に「ご自由にお書き下さい」という風に設置されているノートなんかがありますが、あれに近いものだと思います。
あれこそ本名を書く人もいればイニシャルを書く人もいて、何も書かない人もいる。そして自由気ままにその場所やお店についてのコメントを書く。
私はそういったものだと思っています。

死刑に関して、反対せざるを得ない事情があるようですし(真言宗大谷派のお坊さんとして譲れない何かがあって思考停止なさってるようで・・・)お仕事やお付き合いとしてそういった思想を配信しなければならないのかなーと思ったら、だんだん哀れに思えてきましてね。
これからも自分たちに背いていく世論に逆行した主張を頑張って続けていってくださいねーといった感じです。
返信する
Unknown (万次)
2007-06-18 23:27:01
 >通りすがりさん

 どうもはじめまして。ここの管理人さんもお寺さんですが、観光地のお寺にも、らくがき帳が置いてあったりしますね。

 東京の築地本願寺別院には、ロックグループ、X-JAPANのギタリストHIDEのお葬式が行われたので、彼を偲んでお参りされるファンの方たちの雑記帳がおいてあります。

 私は読むばかりで、そういうところへ書き込んだ記憶があまりありません。旅先のらくがき帳になると、自分宛てに書いて下さっても再びそこを訪れることがなければお返事することはかなわないですね。

 で、書くという行為は、確かに誰かの目にふれるということを前提としてなされるものです。自分の思いを誰かに伝えたい、受け止めてもらいたいということがやっぱりそこにはあると思います。こういうブログではなおさらそうなのでしょうね。

 さて「匿名」と「実名」という言葉の意味ですが。上のコメントで貼り付けたブログのうち、下の方の『技術系サラリーマンの交差点』においていろんな議論がなされています。いわゆる「本名を名乗ること」や「所属を名乗ること」や「その人のバックグランドとなる情報を公開すること」や、「固定ハンドル・ネームを名乗ること」とかイロイロありますね。
返信する
またやった! (万次)
2007-06-19 00:40:37
 二重投稿になりました。ひとつ消除して下さい。

 (続き)

 上記の議論の中で、自分のサイトやブログを持っている人は「実名」であるというものもあるようです。
けれど、そこには欠点もあると。実名を名乗った側が自分の社会的立場や実績を誇示して優位に立とうとするとか、そもそもどうやって実名であるのか確認できるのかといった問題です。

 私は以前に書いたのですが、ブログは作ったものの放ったらかしで、mixiも更新してません。で、ハンドルネームもここだけのものですから、通りすがりさんのお考えによる定義ならばおっしゃる通り確かに匿名ですね。

 でもだからといって匿名での書き込みは何の意味もないとは思わないし、説得力がないのだとも思いません。匿名かどうかではなくて、書かれた内容や形式を重視するというスタンスもありますよね。

 で上記のコメントでほんとに舌足らずでありましたが。言いたかったことは、特定のコテハンを使われない方は、一番目に発言された方と二番目に発言された方は果たして同一の方かどうかすぐにはわかりにくいなあと思います。円さんもしばしば、そのような指摘をされていました。

 話しの流れとか、文章や標記の特徴とかから解ると言われればそうなのかも知れませんが。このように、直接お話しのやり取りをすれば意識的に次の書き込みをしっかり待ちますが。そうでなければ、正直なところ読み流してしまいます。

 私は何度も書きましたように、死刑は廃止か存続かということを二元論的には考えていません、というかどっちつかずであいまいです(笑)。また特に光市事件についてはあまり情報を持っていないので積極的な発言は控えています。円さんともその点、意見は違っています。

 同じ宗派であるからといって、僧侶が全員意見が同じではないことは確かです。ですが、私も「ネットイナゴ」という言葉を使ってひとりひとりの方を十把ひとくくりにしまして、通りすがりさんもお気を悪くされたようですので、その点失礼しました。ご容赦下さい。

 考え方の違いというのは、その人のそれまでの生きて来た過程がそれぞれ異なるように、その背景からきているものと思われますから、なかなか一致したり、変わったりはしないと考えます。それでも、私は自分のものとは異なる考え方に(全部とはいいませんが)耳を傾けたいと願っています。

 なお、私たちの宗派は「真言宗大谷派」ではなくて「真宗大谷派」です。よろしく。
返信する
変なことを書きましたか ()
2007-06-19 20:27:32
ブログ炎上するような過激なことは書かないよう慎んでおりますし、問題提起のつもりでごく当たり障りのないことを書いているつもりです。
ところが、最初から「お坊さんやめるべきですよ」とか言われると、何を言っても無駄だなと感じます(おそらく通りすがりさんじゃないでしょ)。
ボタンが掛け違っているわけですね。
日常でもこじれた関係を修復するのはかなり困難です。
ましてネット上では、意見の違うものが論争することは容易ではないと思います。

らくがき帳のたとえですが、らくがき帳だとお店の人が返事を書く必要はありませんし、あるページを破って捨ててもかまいませんね。
だったら、ブログのコメントも同じではないでしょうか。

>死刑に関して、反対せざるを得ない事情があるようですし

そんな事情はありません。
どうも思い込みがまずあるようですね。

>真言宗大谷派のお坊さんとして譲れない何かがあって思考停止なさってるようで

真宗大谷派の坊さんでも死刑賛成の人もいれば、死刑問題に無関心な人もいます。
そして、私は思考停止していないからこそ、あれこれと考えているのですが。

>これからも自分たちに背いていく世論に逆行した主張を頑張って続けていってくださいねーといった感じです。

死刑存続や厳罰化は世界の流れに逆行した主張なことをご存じですか。
被害者遺族の中に死刑廃止運動をしている人もいることをご存じでしたか。
返信する
見解の相違 (万次)
2007-06-19 23:38:35
 >あなたも匿名じゃないですか。
  ブログ主の円さんも匿名です。
  だからあなたの意見には何の説得力もありません。

 で、更に追加コメントですが。通りすがりさんは上記のように発言されましたが。私は通りすがりさんから見れば「匿名」でしょうけども、管理人さんには面が割れてます(笑)。本名・住所・電話番号などなど。ですから、私が書いている管理人さんに対するコメントはそのような実生活を背景にしたもので、いわばリスクを負った発言です。そこは通りすがりさんとは違う点です。

 また、このブログ・週刊日記は表札(?)のある表玄関から入ってあるルートを通れば、正式な宗派名、屋号(寺号)を初めとする「実名」をきちんと名乗っておられることがわかります。そしてこのブログの読者の何人かの方はその「実名」情報が確かなものであることはご確認済みだと思います。

 ですから、通りすがりさんの上記のご発言は、よくお確かめになっておられないものであると思います。
以上です。
返信する
Unknown (通りすがり)
2007-06-20 12:42:26
私はこのブログに書き込むときは「通りすがり」という名で書き込むようにしています。

真宗でしたか。失礼。
宗教がだいっきらいなもので、よく調べずについつい間違えて覚えていました。

うーん・・・落書き帳の例えは不適切でしたね。
言葉というものは難しい。
万次さんや円さんが匿名の人に敵意を抱いているように思えたので、「説得力がない」とあえて書かせていただきました。
私自身は匿名の意見にも説得力はあると思うのですが、あなたがたはそう思っていらっしゃらないように感じたものですから。
気に入らない意見を消してしまうという卑怯な行為をなさりましたし、同業者の意見にしか耳を傾けていないようでしたし。

以前、無責任な真宗大谷派の法務大臣がいたものですから、大谷派にはそのような空気があるのかな、と思っていただけです。死刑廃止運動にも非常に熱心な宗派でもある。
創価学会が公明党を支持しなければいけないのと同じだと思っていました。その辺は誤解なんですね、一応。建前上は。

>死刑存続や厳罰化は世界の流れに逆行した主張なことをご存じですか。
>被害者遺族の中に死刑廃止運動をしている人もいることをご存じでしたか。
知ってますよ。
では、以前死刑廃止論者だった弁護士が死刑反対派になったというのもご存じですか。
光市の事件では、新聞、テレビ、あらゆるマスメディアで安田弁護士を非難する論調だったのをご存じですか。
ここは日本です。日本の世論の流れは厳罰化に傾いているでしょう。
世界の流れに必ずしも傾いていく必要はないと思います。
欧米諸国=最先端という古くさい考えをおやめになってください。
よそはよそ、うちはうち。良い部分は取り入れたらいい。全て右にならう必要はない。
欧米の個人主義を取り入れた今の日本は、本来の日本の姿とかけ離れていて、良い部分を潰してしまった感がありますしね。

私自身は死刑廃止については議論の余地があると思っています。
しかし、死刑廃止を唱える論者の非常識さ、卑怯な行い、被害者への冒涜など、それらをおかしいと思っているのも、死刑廃止に賛成できない理由の一つです。

そういえば・・・安田弁護士はなぜオウムの麻原をあっさりと死刑にさせてしまったんでしょうね?どうしてもっと必死に戦わなかったんでしょうか?光市の事件では非常にご活躍なさっているようですし?
そのあたりにもあの安田のインチキさが見えています。

>万次さん
なるほど。お知り合いな訳ですね。だとしたら本音は書きづらいでしょう(笑)
こういった思想に関わることは現実には議論しにくい。だからこそこういった場は必要だと思います。
冒頭でも申したように私は宗教がだいっきらいなので、円さんが実名かどうか、屋号がどうのこうのという話は知りませんでした。その点は失礼しました。

それでも「家」という表現は非常に時代遅れな印象ですね。
全世界に配信しているのをプライベートな空間である家に例えるのは非常に違和感を覚えざるを得ない。
またいい例えを思いついたら意見したいと思います。
長文失礼しました。
返信する
見解の相違(2) (万次)
2007-06-20 16:35:08
 >だとしたら本音は書きづらいでしょう(笑)

 通りすがりさんにとっての「本音」とは何なのでしょうか。

 >こういった思想に関わることは現実には議論しにくい。

 私は現実でもよくしています。

 >私は宗教がだいっきらいなので

 ちなみに私は宗教オタクです(笑)。

 >それでも「家」という表現は非常に時代遅れな印象ですね。
 
 「通りすがり」という他の方も使われる言葉ですが。道を歩いていて、ふとのぞきこんだ、立ち寄った
というニュアンスですので、お店や家の喩えがまったくおかしいものだとは私には思えません。

 >またいい例えを思いついたら意見したいと思います。

 「たとえ」というのは言い得て妙なものもありますし、ちょっとピント外れのものもあるかと思います。けれど「たとえ」は、ものごとの性質の一面は確かに反映しますが、反映されないものもでてきますね。

 >万次さんや円さんが匿名の人に敵意を抱いているように思えた

 >あなたがたはそう思っていらっしゃらないように感じた

 >大谷派にはそのような空気があるのかな、と思っていただけです。

 >創価学会が公明党を支持しなければいけないのと同じだと思っていました

 いづれも、通りすがりさんの「思い」方であり、「感じ」方ですね。他の言葉に言い換えれば、「予断」でしょうか。

 >同業者の意見にしか耳を傾けていないようでしたし。

 おまつさんや京都8月2日さんは、同業者ではありません。

 >その辺は誤解なんですね、一応。建前上は。

 私(たち)が何を語っても、通りすがりさんにとって、それは「本音」を語らないで「建前」ばかりを述べているとお考えなのでしょうか。

 >だからこそこういった場は必要だと思います。

 以上、検討した結果、私には、議論の必要がないように思いました。失礼します。
返信する
ネットでの議論のほうが難しい ()
2007-06-20 17:27:32
>気に入らない意見を消してしまうという卑怯な行為をなさりましたし、

「安田弁護士を庇い続けるあなたも、いっそ病院に行かれてはどうですか?」
などという不躾なコメントする人にまともに答える必要はないですし、コメントを削除するのは当然のことです。
だけどまあ、いくつかお答えしましょう。
死刑廃止論者の弁護士さんの奥さんと娘さんを殺されて、加害者は死刑になったけど、やはり死刑は反対だと国会で証言された方がいます。
厳罰化が声高に叫ばれているのは、犯罪が増えている、治安が悪化しているというマスコミ報道のせいです。
死刑廃止論への意見への反論を書いたブログがあります。
http://luxemburg.exblog.jp/5784977
麻原彰晃を死刑にしたのは裁判所です。
安田弁護士は裁判の最中に逮捕され、保釈が認められず、ずっと拘留されていました。
http://www.siri.co.jp/~koyanagi/yousi.html
返信する
すぐにレスがつくんですね (通りすがり)
2007-06-20 18:06:22
母子殺害で懲戒請求数百件 弁護士が中止求めアピール
http://www.sanin-chuo.co.jp/newspack/modules/news/article.php?storyid=861161011

>有志の弁護士508人が19日、「被告が弁護を受ける権利を否定する言動に抗議し、直ちに中止を求める」との緊急アピールを発表した。

権利を行使して弁護士に異議を申し立てると逆に脅される、というわけですね。
こんなやり口を弁護士が行うとは思ってもみませんでした。
人権派弁護士の本性はこんなものです。

>万次さん
私の本音は関係ないと思いますが・・・
名前で判断されるんですね。思いつかなかったからなんとなくでつけただけなんですけど。
>私(たち)が何を語っても、通りすがりさんにとって、それは「本音」を語らないで「建前」ばかりを述べているとお考えなのでしょうか。
そう感じますね。自分たちが同じ目にあったらどうなることやら。私は偽善者がだいっきらいです。

>円さん
病院に行ってみては?と言われて傷つきましたか?そうだったのなら失礼。
でもね、あなたはあなたが私の言葉で傷ついたのと同じように本村さんと弥生さんを冒涜したんですよ。
必死で抵抗し母子を守った弥生さんに対して、あなたも安田も最低の発言をした。
それをしっかりと踏まえた上で発言なさってくださいね。
私は貴方の暴言を暴言で返したまで。

上のブログもみさせて貰いましたが
>あなた方は加害者の人権は大事にするが、それでは被害者の人権はどうなるのか
>まず誰を指しているのかよくわからない。被害者そのものだとすれば、この世にいらっしゃらないため、人権を考える余地がない。

こんな発言をする頭のおかしい人の意見に賛同できるわけがない。
死刑廃止論者の方の意見でも、もっとまともなものを提示してください。


私の友人はレイプされそして犯人の子を身籠もり自殺しました。
あなたがた男性にはレイプされることがどういったことか想像が付かないでしょう。あなたがたはレイプする側ですから。
いじめと一緒です。加害者には被害者の気持ちを理解することが出来ない。
司法も犯人を十分に罰してはくれなかった。友人はどうして死ななければならなかったのか、その答えを今も探しています。

友人を亡くした私に宗教を勧めてくる知り合い、高価な壺を売りつける近所のおばさん、マルチ商法に勧誘するクラスメート、法事の時に来る綺麗事ばかりを吐く坊主、選挙の時だけ連絡を取ってくる創価の狂信者。
宗教に携わる人達がそんな人達ばかりではないと思いたかった。でもあなたたちはそう思わせてくれなかった。残念です。
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