三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

裁判員制度を考える10 国民の義務

2008年11月22日 | 日記

「仕方なくしぶしぶ出てきた人たちに被告人の運命を決めさせなければならないという必然性はどこにあるのでしょうか」(西野喜一『裁判員制度の正体』)

なぜ裁判員制度が導入されたのか、いろいろと深読みができる。
たとえば、裁判員制度は徴兵制につながるという意見。
そりゃ考えすぎだと、最初は思っていた。
しかし、あれこれと本を読んでいるうちに、裁判員制度とは国民の義務を新たに作ることだから、徴兵制とも無関係ではないかもしれないと思うようになった。

憲法で定められている国民の義務は、教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務の三つである。
憲法に規定されていない裁判員が国民の義務とされた。

素人なのに人を裁くことなんてできないからとか、仕事が忙しいというだけでは裁判員を辞退できない。
正当な理由なく出頭しないときは過料に処せられる場合があるなどの罰則がある。
つまり強制なのである。

仕事が忙しくて休みがとれないからといって、そう簡単に裁判員を辞退できるわけではない。
最高裁によるとこうである。
「とても重要な仕事があり,あなた自身が処理しなければ,著しい損害が生じると裁判所が認めた場合のみ,辞退が認められます。具体的には,裁判長が質問票の記載内容及び質問手続における聴取内容から個別に判断することになりますが,一般論としていえば,「仕事が忙しい」というだけでは辞退はできません」

裁判員になったので1週間ほど仕事を休まなければいけないとしたらどうなるだろうか。
裁判員になった従業員に対して不利益を課すことは法律で禁止されている。
たとえば、裁判員の任務のために仕事を休んだ場合、解雇や給料を減らすなどの扱いをすることが禁じられている。

とはいっても、雨宮処凛氏は風邪ひいたのでバイトを休んだらクビになったそうで、非正規社員が「裁判員になったから休ませてくれ」とお願いしても、「もう来なくていい」と言われてしまいそうだ。
有給休暇扱いになるかどうかは企業の判断にゆだねられるし、不利益な扱いを受けても罰則がない。
クビになった場合、裁判で争うことも可能だから、訴訟を起こしたら勝てるかもしれない。
だが、弁護士を雇わなくてはいけないし、クビになったのは裁判員になったことが理由だと立証しなければならないし、一審で勝訴しても二審以降はどうなるかわからないから、最高裁で勝訴するまでの生活手段は自分で調達しなければいけない。
あるいは零細自営業者の場合、納期が守れなかったら倒産するしかない、と西野喜一氏は指摘する。

つまりは滅私奉公というわけで、西野喜一氏の
「裁判員制度を実行しようという発想の根拠には、国民はもっと国のために奉仕すべきだという思想があることは当然です」
ということはもっともだと思うし、さらには、
「裁判員制度の背後にある思想について考えます。そこにあるのは、これまでの裁判のシステムとはまったく異なり、権力が国民に対して、有無を言わさずに皆おなじように考えさせ、おなじように行動させようとする国民総動員の思想であり、徴兵制への芽をはらんだものである」
と、裁判員制度を徴兵制と結びつけることは、あながち論理の飛躍だとは言い切れない。

裁判員は被告に死刑判決を下すこともある。
死刑判決を下すことで、裁判員は人を殺す手伝いをすることになる。
なぜ一般人が死刑を宣告しなければいけないのか。
ちゃんとした理由があれば人の命を奪うこともやむを得ない、という国民教育ではないか。
戦争も死刑も、悪い奴を殺すのは仕方ない、当然だという考えである。

「憲法上、裁判所で人を裁き、悪いやつを死刑台に送るのは国民の義務である、とすることは、戦場に臨み、敵兵を殺すのは国民の義務である、とするのとおなじくらい無理なことです」
と西野喜一氏は言うが、その無理なことが徐々になされている。
たとえば、裁判員制度という国民の義務。
そして、解釈改憲で自衛隊は海外派遣すること。

さらに邪推すると、アメリカの言いなりになり、アメリカの真似をするという一連の流れ(規制緩和、教育改革、医療制度改革など)の中で裁判員制度が導入されたのかもしれない。
陰謀論みたいだが、構造改革で誰が儲けたかというと外資系だし、9条を変えて日本が戦争のできる国にするというアメリカの意図もあるわけだし。

村野薫『死刑はこうして執行される』にこうある。
「死刑廃止の問題は、いまや世界にとって、京都議定書などの環境問題やエネルギー問題にも等しい感覚で扱われるようになってきているのだが、わが国は依然、そうした世界の声に傾ける耳をもっていないというのが実情だ」
アメリカは京都議定書を批准していない。
「いまや世界から孤立しても、というか、アメリカに同伴さえしていればそれで世界のスタンダードとでもいうのか、積極的に死刑という制度をもり立てていこうというところまできているというのが、近年の日本の政治的立場なのである」
何となく納得してしまった。
裁判員制度の次は何が強制されるのかを考えるべきだと思う。

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