三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

重松清『青い鳥』

2009年02月15日 | 

映画『青い鳥』がよかったので、原作の重松清『青い鳥』を読んだ。
重松清氏の小説はあざとい、いかにもというところがあるのだが、泣かせる。
『青い鳥』は連作短編集、いずれも泣きました。
8編とも中学生(元中学生もいるが)が語り手で、臨時教師の村内先生が出てくる。
映画では阿部寛が演じる村内先生は「小太りで、少し髪が薄くなった先生は、手の振り方もオジンくさい」、吃音がきつくて、カ行とタ行と濁音で始まる言葉は必ずどもる。

「青い鳥」は、いじめられた野口という子が自殺未遂をし、そして引っ越したあとのクラスに、村内先生が臨時の担任として来る。
「忘れるなんて卑怯だな」と言って、野口の机と椅子を持ってこさせる。
語り手の中2と村内先生との対話。(どもったとこは省略)
「先生はクラスでいちばんあの子のことをたいせつにしてやるんだ」
「でも、本人はいないじゃないですか。なにやったって、本人にはわかんないじゃないですか」
「でも、野口くんはいなくても、みんなはいるから。みんなの前で、野口くんをたいせつにしてやりたいんだ」
ぼくらに罰を与えているのかという語り手の問いに、村内先生は「責任だ」と答える。
「野口くんは忘れないよ、みんなのことを。一生忘れない。恨むのか憎むのか、許すのか走らないけど、一生、絶対に忘れない」
「一生忘れられないようなことをしたんだ、みんなは。じゃあ、みんながそれを忘れるのって、ひきょうだろう? 不公平だろう? 野口くんのことを忘れちゃだめだ、野口くんにしたことを忘れちゃだめなんだ、一生。それが責任なんだ。罰があってもなくても、罪になってもならなくても、自分のしたいことには責任を取らなくちゃだめなんだよ」

誠実に生きることだと思う。
「おまもり」の語り手の父親は12年前に交通事故を起こし、相手を死なせてしまう。
父親は慰謝料を払い、山梨県まで何度も足を運んでひたすら詫びた。
しかし、土下座をしても家の中にすら入れてもらない。
それでも毎年命日に近い日曜日には墓参りをし、菓子折を持ってお詫びに行く。
語り手はこう言う。
「自分の父親が、誰かに憎まれて、恨まれて、謝っても許してもらえないまま一生生きていくなんて―これほど悲しいことがあるだろうか」
だけども、父親は死なせたことを忘れず、謝ることをつづける。
悪人であろうとする。
本気でしゃべっている「たいせつ」な言葉はいつか必ず相手に通じる。
でも、悪人でいるのはつらい。
悪人にはなれないなと思う。

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