血のジレンマ -サンデーサイレンスの憂鬱ー

2011-08-09 08:05:20 | 日記
吉沢譲治著  NHK出版

完全にミスチョイスした。それも私の勝手な思い込みから。てっきり、サラブレットの血統の遺伝子レベルの話しかと思ってしまった。もちろん、血統について書かれているだが、著者の視点は競馬界の情況分析にあって、競馬に関しては全く音痴の私には歯が立たなかった。因みに著者はサラブレットの血統についてはオーソリティーだそうだ。
目次を見ると世界・日本の競馬界の現状、サラブレットの血統分析、これから出てくる有望な血統などの項目があるので、競馬ファンには面白い本かもしれない。今は競馬に詳しい友人に読んでもらって、ダイジェストして貰うよう頼んだところ。感が外れた典型的な本だった。

江戸という幻景

2011-08-05 15:18:01 | 日記
渡辺京二著  弦書房刊

本書で、著者は何かを主張したり、正そうとしている訳ではない。ただ「江戸時代って、今まで言われているような社会ではなく、人間味に溢れていて、少々変人・奇人でも面白がって許している社会」だったんだと、言ってみれば礼賛しているかのように思える。
勿論、正すところは正している。例えば「三行半」。これまでは意に染まない女房をおっ放り出す亭主の特権かのように思われていたが、実は「この女人は、もう私とは関係ありません。今後の彼女の行動にいちゃもんはつけません」という証明書のようなもので、離婚した女房が再婚する自由を保障する意味を持っていた。当然、夫を見限った女房が他人を介して「三行半」を夫に要請することもあったらしい。
理屈なし、偏見なしで江戸時代を楽しむ本。できればこの夏、冷酒をそばにおいて「へぇー、そうだったんだ! そんなことありだったの?」と、独り言を呟きながら読んでみたい本。

数字を使わない数学の講義

2011-08-04 14:53:22 | 日記
小室直樹著  ワック出版刊

約30年前の本のリニュアール版。何故、今頃再販? と思っていたが、契約の論理を扱った項で、初版当時の園田元外相は記者会見の席上で「共同声明には、条約や協定、覚え書きのような拘束力はない」と発言、さらに鈴木首相が訪米の際に一悶着あった日米共同声明問題についても、「あれは外務官僚が勝手に作ちゃった…」と発言したことが紹介されている。念のために言えば、外交上の契約では、一番重いのが条約であり、協定、覚え書、共同声明、了解事項の順に軽くなるが、すべて合意された契約であることに変わりない。つい最近も鳩山由紀夫元首相が「私は実行する」というニュアンスの発言をして、後で物議を起こしたことがあった。おまけに、沖縄の基地問題では再三再四発言変え、住民のブーイングを浴びたのは記憶に新しい。
要するに、日本の政治家は欧米では常識の共同声明=契約という概念を、当時から今もって理解していない事実に鑑み、再販したのではないか?
それはともかく、この本は「数学」の本というより、世界に共通する概念(政治は元より経済活動、社会科学、物理学etc)を考えるツールとして読んだ方がいい。その際、「解(答え)のない問題」かどうかを見極めることが大切だ、というのは現実に役に立つ。答えのない問題を考えるのは時間の無駄。逆に言えば「解」を得る手掛かりがある限り、チャレンジすれば良いということ。もうひとつ、数字にどんな「意味」があるかを考えてみろ、ということ。例えば大学入試で「英語と数学と社会」の合計点で合否を決めているが、それぞれを理解する能力は別物であろう。「柔道三段、習字四段、将棋三段、合計十段」にどんな意味がある?
身近な問題を考える時、本書を読み直すといい。こんなこと糞真面目にやっていられるかと、スカッとした気分になれること、請合います。


ふたつの故宮博物院

2011-08-02 15:26:09 | 日記
野嶋 剛著  新潮選書

「故宮博物院」という名の博物館がふたつある。展示物のメインも趣旨も変わらない。こういう事例は世界にも例がない。紛らわしいので、中国にあるのを「北京博物院」、台湾にあるのを「台北博物院」と称している。
これは、清朝滅亡後国民党と中国共産党が争い、敗色濃厚になった国民党の蒋介石が中国の正統の後継者を証する証しとして、故宮の財宝を台湾に移送した。中国を統一した共産党が、その後北京に博物館を設立、こちらも正統な後継者であるとして同じ名称を称したことが原因となっている。当然、両者は犬猿の仲であり、ここに日本が微妙に関係している。詳しい経過は本文を読んでほしい。実に詳しく調べており、要領よくまとめてある。
ところで、文化財は誰のものだろうか。著者も触れているが、近年自国の文化財を取り戻そうという運動が盛んで、つい最近も日本は韓国に重要文書を返還するなど、欧米、日本の博物館にとって大きな問題となっている。
しかし、文化財の真の価値を見出したのは現在所有している先進国ではなかったか。中国では文化大革命が起き、多くの文化財が破壊された。タリバーンがシルクロードの貴重な遺跡を破壊したのは、つい最近のこと。文化財の保護には安定した政情が必須条件ではないだろうか。
しかし、その国、民族のアイデンティティーを象徴する文化財は、やはりその国にあってしかるべきだろう。難しい問題である。