闘う白鳥 -マイヤ・プリセツカヤ自伝ー

2011-08-20 15:35:46 | 日記
マイヤ・プリセツカヤ著  文藝春秋刊行(1996年)

本書を再読したのには理由がある。つい最近米原万理の『オリガ・モリソヴナの反語法』(集英社文庫、初版は2001年)を再読していた時に次の記述が目に留まったからだ。「(アルジェリアでは)ラヒルは、有名なバレーダンサー、メツセレル家の出身で、姉に預けた長女マイヤのことを、日に何度も思いおこしては、あれこれ気を揉んでいた。マイヤは、その後『瀕死の白鳥』が当たり役となって、ボリショイ劇場のというよりも世界的大プリマとなる。そう、マイヤ・プリセツカヤのことである」(242ページ)。
そこで、書棚を掻きまわして本書を再読してみると「1938年に連行されて、夫がスパイ・反逆者・破壊分子・スターリンに対する陰謀の加担者である云々の調書に、署名を強要されたときも、彼女はきっぱりと拒絶した。当時の情況では、これは英雄的な行為だった。母には八年の刑が下された」(25ページ)。
両書の初版の年を比べてほしい。わずか五年の差だが、米原の本には「流刑地はバイコヌールにあったラーゲリー(強制収容所)で、通称アルジェリア」と書かれているが、マイヤの自伝では「八年の刑」としか記されていない。勿論、当人はその刑がどんなもので、強制収容所が何処だったか知っていたに違いない。しかし、「書けなかった」。ここに、ソ連・ロシアの体質を読み取ることが出来ると同時に、情報公開(ペレストロイカ)の進捗情況も分かる。しかし、「臭いものには蓋」どころか「暗殺」するという体質は今も立派に引き継がれているのは、最近のニュースでも分かる通り。
ところで、マイヤ・プリセツカヤ。素晴らしいバレリーナである。私も日本公演を三度見ているが、『瀕死の白鳥』には言葉もないくらい感動した覚えがある。70歳を迎えてもなおボリショイ劇場のプリマを努めたバレリーナは、世界広しと言えども彼女しかいない。
本書は、もう書店にはないと思う。版元か、古本屋、図書館ぐらいでしか手にできないと思うが、機会があったならば読んでみてほしい。