「科学にすがるな!」 ー宇宙と死をめぐる特別授業ー

2013-03-16 15:23:41 | 日記

佐藤文隆・くさ場よしみ 共著   岩波書店刊

ごめんなさい。くさ場さんのくさは草の古字なのですが、私のパソコンでは出てこないので。

タイトルというか、設問が良いでしょう。メインタイトルについては、私も納得していた。およそ、科学とか数学の定説と言うものが何度も変わって来たのは経験済みだから…。しかし、サブタイトルの「宇宙」と「死」という組み合わせには、正直に言って違和感を憶えた。その後の展開が読めなかったからだ。
さて、いきなり結論だが、まず、死とは「科学的に原子や分子でいえば、生とは有機的な集合体ができることで、死とはそれがふたたびバラバラなっていくだけのこと(22頁)」で、私には充分納得のいくことだった(敢えて言えば、「科学的」という言葉を外してもいい)。しかし、「人間の生とは、原子の組み立てや配置という、ある限られた時間のシステムです。顕微鏡レベルで見た生命とは、Aのふるまいをしていた細胞がBのふるまいに変わっただけといえる。細胞が腐る過程だって厳密な手順で腐る。生まれるのも死ぬのも、細胞はどちらもちゃんとした手順で変化するが、それを区別しているのは人間である(102頁)」。ここで、気付くべきだったと反省している。
「死ねば跡形も失くなる」。勿論、思考する脳味噌だといえどもそれは避けられない。しかし、それが分かってどうするんだ? と問われるとは思ってもいなかった。言ってみれば、「悟った」と中途半端に得心していたのですね。まったく浅薄だとしか言いようがない。ソレが分かったオマエは、これからどうするんだ? どう生きるんだ? バラバラになるに任せるのか? と問われたわけです。
「科学」と「人の一生を考える」とは、どうやら次元の違う話らしい。しかし、だからといって、宗教が大事という時点には戻りたくはない。著者の佐藤氏が言うように「宗教は、ご本尊が立派だという証拠固めをし続ける(136頁)」だけで、私には他人事に過ぎないからだ。
それにしても、くさ場さんは凄い。よくここまで、佐藤氏の話に喰い付いていったと感心した。