武光 誠著 PHP文庫
タイトル通りに地図が役に立っているとは思えなかった。勿論、『古事記』や『日本書紀』を初めて読む人には旧国名で書いてある土地は見当がつかないだろうから、十分役に立っていると思うが。多分、そういう意図で執筆したのだろう。
ひとつ良かったのは、これまで諸説あった見解に最新の知見から「現在では、これが正しいと言われている」として、全体としてスッキリさせていることではないか。
逆に、地図を改めて見て不思議に思ったことがある。前々から思っていたことなのだが、神武東征である。なぜ、神武は大和に入るのに岡山に留まって、八年も準備しなければならなかったのだろうか。そして、大和に入るのに紀伊半島の南端を迂回して熊野に上陸したのか。紀伊半島を迂回するのはかなりの危険を伴った筈だ。八年の準備期間の結論としてはどうにも納得できない。
根拠はないが、ヤマトにはすでに卑弥呼がたてた邪馬台国があり、神武を阻んだ長髄彦は卑弥呼の弟だとすると、俄然おもしろくなるのだが、それはないか。でも、もうひとりの「ハツクニシラススメラミコト(崇神天皇)」だつたとしたら、彼は大和を平定したというから……妄想はどんどん膨らむ……。