おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

チィファの手紙

2024-01-04 07:25:48 | 映画
「チィファの手紙」 2018年 中国


監督 岩井俊二
出演 ジョウ・シュン チン・ハオ ドゥー・ジアン
   チャン・ツィフォン ダン・アンシー
   タン・ジュオ ジーホン フー・ゴー

ストーリー
姉チィナンが死んだため、妹チィファは姉の同窓会に出かけてそのことを伝えようとするが、機会を失っているうちに姉に間違えられてしまう。
途中で帰ったチィファを、チィファが憧れていたイン・チャンが追いかけてきた。
チャンが姉に恋していたことを知るチィファは姉のふりを続け、連絡先を交換する。
チャンが送ったスマホのメッセージを見たチィファの夫ウェンタオは激昂し、スマホを破壊してしまう。
そのため、チィファはチャンと連絡がとれなくなってしまった。
チィファは住所を明かさず、チャンからもらった名刺を頼りに一方的に手紙を送る。
チィナンをモデルにした小説で小さな文学賞を受賞したチャンは、今も彼女のことが忘れられず小説家として低迷していた。
チャンはチィファがチィナンでないことを見抜いていた。
チィナンの死を知らないチャンは、チィファが姉のふりをしていることを不思議に思う。
チィファの娘サーランは冬休みの間、祖父母の家でチィナンの娘ムームーと過ごすことになる一方で、ムームーの弟チェンチェンは、チィファのもとで冬休みを送ることになった。

チャンはチィナンたちの実家に手紙を送ってみた。
しかし、その手紙をサーランとムームーが開封し、無邪気にチィナンの名で返事を書き始めた。
手紙のやりとりを通して、中学生時代の二人の恋が浮かび上がる。
転校生だったチャンは、学校一の美少女チィナンに一目惚れし、チャンの妹と親交のあったチィファを通してラブレターを届けてもらおうとしていた。
ところが、何通渡しても返事がない。


寸評
岩井俊二が1995年に撮った「Love Letter」とよく似たシチュエーションの映画である。
現在のチィファとイン・チャン、過去のチィファとイン・チャンに加えてチィナンとの間に起きた出来事を、岩井自身の手になる音楽にのせて紡いでいく。
思春期の淡い恋を描いた作品は歳を取っても懐かしさも手伝って微笑ましく見ることができる。
中学時代のイン・チャンは秘かにチィナンに思いを寄せているが中々言い出せない。
やっとの思いで妹のチィファに手紙を託すが、イン・チャンに気のあったチィファは手紙を渡していない。
この三角関係はよくわかる。
チィナンはイン・チャンが思いを込めて見つめていたことを気付いていたのも分かる。
大学で二人は再会していたことが語られているが、その時の二人はどんなだったのだろう。
イン・チャンは思いが強すぎて、上手く話せなかったし何もできなかったのかもしれない。
チィナンはそんなイン・チャンをじれったく思って、強引なジャン・チャオと一緒になってしまったのかもしれないなと、勝手な想像をめぐらした。
もしかしたら誰もが疑似体験しているような事ではないかとも思う。
まったく描かれていないイン・チャンとチィナンの学生時代はぎこちない恋の日々だったのだろうか。
この様な話には、つい自分を重ね合わせてしまう。

イン・チャンがチィナンを秘かに思っていたのと同様に、チィファも秘かにイン・チャンを思っていて、その思いを初めて伝える場面は分かっているとは言えほろ苦いものだ。
告白して拒絶されるのは辛いものだが、その結果を予想しながらの行動が切ない。
そして物語にはチィナン、チィファ姉妹の子供たちである、ムームー、チェンチェンとサーランが登場する。
彼らにも思春期の悩みや思いがある。
ムームー、チェンチェンには母親を亡くした悲しみがある。
サーランには好きな人が居て、その人の前に出るのが怖くなって不登校になりそうなのである。
ムームー、チェンチェンは母親の遺書ともいえる手紙によって勇気づけられ新たな生活に踏み出すだろう。
サーランは小説の内容を聞いて登校を決意し、もしかしたら告白するかもしれない。
若者たちに希望が湧く結末は、見ていて清々しい。
ホッとしてしまう結末である。

二人が結ばれなかった理由は何処にあったのだろう。
イン・チャンはチィナンをモデルに、題名もストレートにして小説を書いている。
チィナンはその小説と、イン・チャンから貰った手紙を後生大事に持っていた。
そこまで思いあっていたのなら結ばれても良かったのに、一体彼らの間に何があったのか。
ジャン・チャオの言葉からしか想像できないが、やはりイン・チャンは優柔不断だったのだろう。
ムームーが「あなたがお父さんだったらよかったのに」という言葉と、ジャン・チャオがイン・チャンに浴びせる言葉は対極にあるように思う。
イン・チャンが持つ彼の二面性をそれぞれが言っているのかもしれない。