おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

東京日和

2024-01-09 06:45:53 | 映画
「東京日和」 1997年 日本


監督 竹中直人
出演 竹中直人 中山美穂 松たか子 三浦友和 鈴木砂羽
   類家大地 浅野忠信 藤村志保 久我美子 村上冬樹
   田口トモロヲ 温水洋一 利重剛 三橋美奈子
   山口美也子 塚本晋也 周防正行 森田芳光 中島みゆき

ストーリー
亡き妻・ヨーコに捧げる写真集の出版の準備をしている写真家・島津巳喜男(竹中直人)は、在りし日のヨーコ(中山美穂)のことを想い出していた。
だが、甦ってくるのはふたりにとって最悪の日々だった頃のことばかりである。
まず想い出されるのは、ホームパーティの時にヨーコが客である水谷(松たか子)の名前を呼び間違えたことを気に病んで、勤め先には巳喜男が交通事故で入院したと嘘をつき、3日間家を飛び出してしまったことだった。
巳喜男は心配してあちこちを探し歩いたが、彼の気持ちをよそに、ヨーコはふらりと家に戻ってくる。
どことなく当たり前の夫婦のように振る舞えないふたりは、何気ないことで気づまりな思いをすることも多く、巳喜男は、優しすぎるとヨーコに責められることさえあった。
ある時のヨーコは、同じマンションに住むカギっ子の少年テツオ(類家大地)に自分のことをおばあちゃんと呼ばせた上、彼に女の子の恰好をさせようとする。
また、実際は飛んでいない蚊が自分の周りを飛ぶように感じる飛蚊症を患ったりもした。
しかし、嫌なことばかりではない。
ジョギングの最中に偶然見つけたピアノ型の大きな石で、ともに雨に打たれながらピアノ演奏ごっこに興じたこともあれば、東京駅のステーションホテルで恋人同士のようなデートをしたこともあった。
だが一方で、会社の無断欠勤が続き社長の外岡(三浦友和)や同僚の宮本(鈴木砂羽)のひんしゅくを買ったり、カギっ子少年を遅くまで連れ出して騒動を起こしたりの奇行が増えたことも事実である。
結婚記念日に出かけた福岡の柳川では、新婚旅行と同じ旅館に泊まり、川下りを満喫したかと思えば、またも突然行方をくらませたりして、そのたびに巳喜男を心配させた。
旅行から帰った翌日、猫をもらう約束をしたヨーコは、待ち合わせに向かう途中で車に跳ねられ骨折してしまう。
だが、そんなヨーコが巻き起こした事件のひとつひとつが、今の巳喜男の仕事に大きな影響を与えていたのだ。


寸評
「アラーキー」の愛称で知られる荒木経惟(あらきのぶよし)夫妻をモデルとした作品だが、描かれているのは一風変わった愛情物語である。
妻のヨーコは精神的に不安定なところがあり奇行が目立つ。
そのヨーコはすでに亡くなっていることが冒頭で示されるので、映画のほとんどは夫である巳喜男の回想であり、ヨーコが生きていた頃の出来事である。
巳喜男が水谷の事を谷口と呼んだことを気にかけて客の前に出てこないヨーコを慰める姿や、カギっ子のテツオを自宅に入れてお婆ちゃんと呼ばせていることに戸惑う様子などを見ると、認知症の妻の介護に悪戦苦闘する夫の姿を描いたものなのかと思うとそうではない。
ヨーコは時として奇行に走るが普段はきわめてまともで、旅行会社では外国語を駆使して事務をこなしている。
しかしウソをついて会社を休むなどするから同僚とは上手くいっていない。
巳喜男が行方知れずのヨーコを探して会社を訪ねて欠勤の事を知るが、巳喜男は自分が尋ねてきたことは内緒にしてほしいと依頼する。
しかしヨーコはそのことを何気ない会話から察してしまう。
ヨーコはそのような勘の鋭いところもある女性なのだ。
巳喜男が「僕たちは仲の良い夫婦と見られているし、実際にそうかもしれない。でもなぜウソをついてしまうのだろう」と発するシーンがある。
彼ら夫婦だけでなく、多くの夫婦はそうなのだと思う。
一見仲良く見える夫婦でも秘めたる思いはあるだろうし、ウソをついておいた方が円満に事が進むことだってあるだろうし、お互いに明かせない秘密だって有しているかもしれない。
巳喜男も腹立ちまぎれに茶碗を投げ捨てる事があったりするが、その感情も夫婦間においては特異なことでもないように思われる。
諸々を含めても、巳喜男はヨーコに優しい。
そんな巳喜男とヨーコの姿を優しく追い続けるが、そうするあまりにドラマは起きない。
テツオ少年が居なくなり大騒ぎになっていたのだから、発見後は彼ら夫婦が攻めらっるようなことがあってもよさそうなものだが、それに類する場面は全編を通じてまったく用意されていない。
したがって、ドラマ性が極めて少ない映画となっている。
それを補っているのが、何気ない東京の路地裏の風景や、旅した柳川の風景である。
東京にもこのような情緒にあふれた場所が残っていたのかと思わせ、これらの風景は「アラーキー」の世界だったのかもしれない。
ヨーコはすでに亡くなっていることが知らされているので、死因はこれだったのかと思わせておいて一ひねりある。
そしてヨーコが水谷のことを谷口と呼び間違えた理由も明らかになる。
水谷は「わたしはずっと谷口でもよかったのに・・・」と直前でつぶやいている。
巳喜男はまた一つ、亡きヨーコの真実を知ったことになる。
もらったネコは随分と大きくなっているから、月日は経っているのだろう。
人は思い出の中にだけ生きていくことになるのだろうが、そのようにして月日は過ぎていくのだろう。
淋しいことではある。