おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

どですかでん

2024-01-14 07:53:33 | 映画
「どですかでん」 1970年 日本


監督 黒澤明
出演 頭師佳孝 菅井きん 三波伸介 橘侑子 伴淳三郎
   丹下キヨ子 下川辰平 田中邦衛 吉村実子
   井川比佐志 沖山秀子 松村達雄 芥川比呂志
   奈良岡朋子 三谷昇 根岸明美 荒木道子 塩沢とき
   三井弘次 ジェリー藤尾 谷村昌彦 渡辺篤
   藤原釜足 小島三児 園佳也子

ストーリー
電車馬鹿と呼ばれている六ちゃん(頭師佳孝)は、てんぷら屋をやっている母のおくにさん(菅井きん)と二人暮しで、六ちゃんの部屋には、自分で書いた電車の絵がいたるところに貼りつけてあった。
彼は毎日「どですかでん、どですかでん」と架空の電車を運転して街を一周する。
六ちゃんを始めとする、この街の住人たちは一風変った人たちばかりだった。
日雇作業員の増田夫婦(井川比佐志、沖山秀子)と河口夫婦(田中邦衛、吉村実子)がいる。
二人の夫はいつも連れ立って仕事に出、酔っぱらっては帰ってきて、二人の妻も仲がよかった。
ある日酔って帰ってきた二人はそれぞれの家を取り違えて住みつき、やがて、もとの家に帰っていった。
島悠吉(伴淳三郎)はユニークな人物だ。
彼の片足はもう一方の足より短かく、その上猛烈な顔面神経痙攣症の持病があった。
彼のワイフ(丹下キヨ子)はドラムカンのような図太い神経と身体の持ち主で、島さんのところにお客が来ても、接待はおろか、逆に皮肉をいうような女だった。
かつ子(山崎知子)という不幸な娘がいて、彼女は昼ひなかから酒をくらっている伯父の京太(松村達雄)のために一日中つらい内職をしなければならなかった。
伯母の入院中、彼女は伯父の欲望の対象となり、妊娠してしまう。
そして彼女は突然何の関係もない酒屋の小僧、岡部少年(亀谷雅彦)を出刃包丁で刺してしまう。
その他にも、この街には廃車になったシトロエンのボディに住みつく乞食の親子(三谷昇、川瀬裕之)や、平さん(芥川比呂志)という哀しい過去を背負った中年の男、異常に浮気な女を女房に持つヘアー・ブラシ職人の沢上良太郎(三波伸介)親子らが住んでいた。


寸評
「赤ひげ」以来、5年ぶりの黒澤明監督作品である事に加えて、黒澤初のカラー作品である事で注目される作品で、公開時はこの作品を評価する方も大勢いたが、僕はこの作品を評価しない。
随分と前の話だが、僕はこの作品を試写会で見ていて、その時は宣伝文句によって大いに期待した作品だったのだが、試写会が終わると黒澤もすっかりさび付いてしまったなとの印象を持ったという記憶がある。
製作した四騎の会は、1969年(昭和45年)に黒澤、木下惠介、市川崑、小林正樹の4人の監督によって、邦画低迷の時代に4人の力を合わせてこれを打開しようとの意図で結成された。
しかし本作の興行成績は明らかな失敗だったし、四騎の会が自然消滅してしまった原因の一つにこの作品の配給収入が伸びなかったことにもあったと思う。
観客は正直だ。一言でいえば、面白くないのだ。

それでもカラー作品を意識した美術であるとか、描きたかったことだけは感じ取れる。
色使いは原色を多用したカラフルなものである。
増田夫婦と河口夫婦は夫婦そろって大の仲良しである。
増田夫婦は黄色を基調とし、河口夫婦は赤を基調としていて、それぞれ衣服や洗面器、枕、家の内装などもその基調色で統一されている。
住人の一人である松村達雄の家では、義理の姪であるかつ子が造花作りの内職をしているのだが、その造花の色は赤、黄、青と画面の中において非常に強烈な印象を植え付ける。
黒澤の初カラー作品と言うこともあって、そんなことばっかりに目が行ってしまう。

住人たちが繰り広げることは、どこか滑稽でありながらも一方ではどこか悲しい物語でもある。
乞食親子は夢を語り合うが、子供は食べないと言っていた生ものが原因で死んでしまう。
かつ子は叔父の子供を宿し、打ち明けることが出来ず死のうとするが、思いを寄せる青年の記憶にとどめようと包丁で刺してしまう。
平さんは妻のたった一度の浮気を許すことが出来ず無口になってしまった。
妻が謝りに来て誠意を示してくれても口を開くことはなく生ける屍の様である。
悲しい中で屈託のないのが益夫と初太郎で、まるで夫婦交換の様なことをやらかすが、何事もなかったかのように元のさやに納まっていく。
島さんのおかみさんは、島さんの友人が来ても愛想もしない自分勝手な悪妻だが、ともに苦労した相手なので島さんはそんな悪妻をかばうが、どこかの家庭にもありそうな光景だ。
職人の良太郎は誰の子か分からない子供を5人も育て、今また奥さんのお腹には誰の子か分からない子がいるのだが、お互いが親子だと信じていれば親子なのだと意に介さない。
描かれていることは誇張されてはいるが、現実社会でもありそうなことばかりである。
電車の中では見ず知らずの人々が乗り合わせ、それぞれは色んな悩みや苦しみを抱えているだろうが、そんなことを知らずに人々は同じ電車に乗って今日を生きている。
そんなことを思わせ、頭のおかしい六ちゃんが電車の絵が一杯の家に帰るところで映画は終わるが、とても未来を感じ取れる映画ではなかった。」