おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

トイレット

2022-11-30 06:45:45 | 映画
「と」ですが、2021/6/23の「東京オリンピック」から始まり、以下「東京家族」「東京公園」「東京上空いらっしゃいませ」「トウキョウソナタ」「東京流れ者」「東京物語」「東京夜曲」「逃亡者」「TOMORROW 明日」「トゥルー・グリット」「トゥルー・ロマンス」「遠すぎた橋」「トータル・リコール」「トキワ荘の青春」「ドクトル・ジバゴ」「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」「時計じかけのオレンジ」「どついたるねん」「突然炎のごとく」「トッツィー」「突入せよ!あさま山荘事件」「トップガン」「ドッペルゲンガー」「となりのトトロ」「トニー滝谷」「扉をたたく人」「丼池」「飛べ!フェニックス」「止められるか、俺たちを」「共喰い」「ドライビング Miss デイジー」「ドライヴ」「トラ・トラ・トラ!」「とらばいゆ」「トラフィック」「鳥」「ドリームガールズ」と続き、2021/8/1の「泥の河」まで一気に紹介しています。
したがって今回は追加紹介となります。

「トイレット」 2010年 日本 / カナダ


監督 荻上直子
出演 アレックス・ハウス タチアナ・マズラニー
   デヴィッド・レンドル サチ・パーカー もたいまさこ

ストーリー
北米東部。とある企業の実験室に勤務するレイは、誰とも深く関わらないことを信条に生きてきた。
彼の唯一の趣味は、ロボット型プラモデルでのひとり遊び。
ところが母の葬儀の直後、ひとり暮らしのアパートから、レイはやむなく実家に舞い戻るはめになる。
そこには、引きこもりのピアニストの兄モーリーと、ちょっと勝気な大学生の妹リサ、猫のセンセー、そして“ばーちゃん”が暮らしていた。
ばーちゃんは、彼らの母親が亡くなる直前に日本から呼び寄せた3兄弟の祖母。
英語が全く話せないばーちゃんは自室にこもりきりで、トイレから出てくるたびに深いため息をつく。
そんなある日、以前母親が使っていた古いミシンを見つけたモーリーは、「布を買いに行きたい」と、ばーちゃんに訴える。
心の病のモーリーは4年間、外に出られずにいたのだ。
そんな彼にばーちゃんは無言で札束を差し出す。
一方、ばーちゃんがエアギターのコンテスト番組に見入っているのを知ったリサは、自分もコンテストに出ようと決意、そのための資金をばーちゃんはまたも気前よく無言で出してくれた。
予測不可能なことをやらかす3人に、レイの平穏な日常は破られ、ついキレてしまうこともあったが、そんなとき、ばーちゃんはレイのために餃子を焼いてやるのだった……。
モーリーが出場するピアノ・コンテストの日がやって来た。
お手製の花柄のスカートをはいたモーリーがステージに登場すると、客席にざわめきが起きる。
4年前にコンテストの演奏途中で緊張のあまり吐いたことがトラウマになっていたモーリーだった。
今また緊張でパニック寸前の様子を見たばーちゃんは、立ち上がりモーリーに大声で呼びかける。


寸評
荻上直子監督の描く映画は大した事件も起きないほのぼのとした作品ばかりである。
「かもめ食堂」の時にはその作風を新鮮に感じたが、度々見せられると少々飽きがきているのを感じる。
ウォシュレットは日本のTOTO株式会社の登録商標であるが、温水洗浄便座を代表する商品名として世の中に浸透している。
人気歌手のマドンナが日本公演で来日した時に、その素晴らしさに感動して購入して帰ったというニュースを目にしたことがあり、その性能はレイの同僚のインド人によって語られている。
どうやら、もたいまさこ演じるばーちゃんはアメリカの便器が気に入らなかったようで、トイレから出るといつもため息をついている。
英語が分からないのか一切しゃべらないが、孫たちの言わんとすることは理解できているらしい。
言葉が通じなくても気持ちがこもっていれば相手に通じると言っているようだ。
しかし、英語が喋れないんだったら日本語で孫たちと意思疎通を取ればいいと思うし、ばーちゃんが無言でいる必要性はどこにあったのだろう。
モーリーのピアノ演奏会シーンを撮りたいがためだったのだろうか。

この家族の家庭環境はよく分からない。
母親が死んで日本から来たばーちゃんと、一緒に暮すことになった三人の孫たちとの交流を描いているが、父親はどうしたんだろう。
離婚していたのか、先に死別していたのか、父親の影はまったく見えない。
母親が死ぬ前にアメリカに呼び寄せたようだが、大金を使って探し出したというから母親とばーちゃんの間にも何かあったと思われるが、それも分からずじまいで映画はこの4人が繰り出すコネタに終始している。
一つ一つのエピソードには尻切れトンボ感がある。
モーリーはなぜスカートをはきたいのか。
ただ単にはきたいからでは淋しい気がする。
詩の研究クラスにいるリサはなぜエアギターに挑戦する気になったのか。
これもまた単にばーちゃんがエアギターのコンテスト番組に夢中だったからなのか。
レイの出自にかかわることも、これで終わっていいのかなと言うような気がする。
3000ドルの返済と妹の紹介はどうなったのだろう。
兎に角この映画、誰も何も話さない空白の時間がとても多い。
そんなシーンを含めて描かれているのは、ごくごく当たり前の人間の日常の営みである。
日常の営みの代表が朝起きてトイレに行くことと食事をとることで、「かもめ食堂」同様に普通の食事jシーンが出てきて、今回は餃子である。
ばーちゃんは餃子の皮つくりをリサに教えるが、ここでもばーちゃんは無言である。
無言でありながら三兄妹が家族の絆を深める接着剤になっていくばーちゃんの姿はユーモラスではあるのだが、やはりどこか物足りなさを感じてしまう。
何も起こらない退屈な日々が一番幸せなのだと言っているように感じるのだが、僕はそんな生活が幸せだとは思えないのだ。