おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

チャップリンのニューヨークの王様

2022-11-11 09:08:30 | 映画
「チャップリンのニューヨークの王様」 1957年 イギリス


監督 チャールズ・チャップリン
出演 チャールズ・チャップリン ドーン・アダムス
   マイケル・チャップリン オリヴァー・ジョンストン
   マキシン・オードリー ハリー・グリーン フィル・ブラウン

ストーリー
ヨーロッパの某小国に社会主義政変が起こり追放に近い形でアメリカへ亡命した王様。
ほぼ無一文でニューヨークにやって来るが、同行した首相に証券類までも盗まれてしまう。
王に無断でテレビ中継されていたある夕食会で、演劇の経験があることを明らかにしたため、その後、テレビコマーシャルへの出演依頼が殺到する。
最初は気のすすまぬ王であったが、後に生活資金を得るためいくつかのコマーシャルに出演する。
ある進歩主義学校を訪問した王は、ルパート・マカビーという両親が共産党員である10歳の少年に会う。
次第に王自身が共産党員であると疑われるようになり、マッカーシーの非米活動委員会に喚問される。
王の容疑は晴れたが、ルパート・マカビーの両親は投獄され、委員会は少年に両親の友人達の名前を密告するよう迫る。
王様が自由を求めてやって来たその地は、醜悪な商業主義に侵され、狂ったマッカーシズムの席巻する、自国以上に居心地の悪い場所だった……。


寸評
第二次世界大戦後の冷戦を背景に政府が国内の共産党員およびそのシンパを排除する「赤狩り」運動があり、「赤狩り」を進めた共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員の名を取って名づけられたマッカーシズムの嵐が吹き荒れた時期があった。
マッカーシズムは1954年にマッカーシーに対して事実上の不信任が突きつけられるまで多くの人々に対して大きなダメージを与えたと思われる。
自らが標的となることに対する恐怖によって報道や表現の自由に自主規制がかかったことや、同じ理由から告発や密告が相次いだことがあった。
告発者、密告者として名前が挙がるのが監督のエリア・カザンで、彼の告発行為はカザンの経歴およびその作風に暗い影を落とした。
カザンは1998年に長年の映画界に対する功労としてアカデミー賞で「名誉賞」を与えられたが、赤狩り時代の行動を批判する一部の映画人からブーイングを浴びたのである。
一方の容疑者の中にチャーリー・チャップリンの名前も含まれていたことから、「チャップリンのニューヨークの王様」は彼の赤狩り批判、アメリカ批判が見て取れるがいささか空回りしているとも感じる。

王様が学校を訪問すると、悪戯をする生徒ばかりの中で10歳のルパート少年がマルクスの本を読んでいる。
何を読んでいるのかと王様が尋ねると、少年は「カール・マルクスです」と答える。
王様は「ほんとうかい、共産主義者じゃないだろうね?」と問い返す。
少年は「カール・マルクスを読んでいたら共産主義者にならなければいけないのですか?」と逆に聞き返す。
まったく正しい問いかけである。
ルパート少年は王様に話をさせず、一方的に喋りまくる。
「政府の指導とは政治権力で人民を圧迫することです。政府は人民を束縛します」
「アメリカ国民は自由ではないのか?」
「旅行してみればわかります。旅券がなければ一歩も動くことは出来ません。動物には不要です。人間には旅券がいるのです。すべての国民の権利を奪っているのです」とまくしたてるのである。
そして原爆批判が始まる。
「原子爆弾は世界が原子力を追い求めたときの犯罪である」
「あなたは原爆を望む。あなたは文明と地球上の生命の破壊を望む。あなたのような人間は原爆が問題を解決すると考える。今日、人類は権力を持ちすぎた!」
「ローマ帝国はカエサルの暗殺によって崩壊した。なぜか?巨大すぎる権力のせいだ!」
少年の弁舌シーンはこの作品の中では異常なほど浮き上がっている。
チャップリンの主張を少年に代弁させているが、少年の主張は無政府主義に思えるところがある。
少年の父親は自分が共産党員であった時期があることを認めても仲間の名前は明かさない。
ルパート少年は父親を救うために父親の友人たちの名前を捜査当局にもらし、その為に父親は釈放される。
少年は王様と対面し涙を流すが、まさにこれは「赤狩り」で生じていたことだと思う。
テレビコマーシャルの話がメインのように続き、内容はそれほど面白いとも思わなかったのだが、自由主義経済は幻想であり、市場は独占されているという主張は時代を経ているが同感である。