「天狗党」 1969年 日本
監督 山本薩夫
出演 仲代達矢 若尾文子 加藤剛 十朱幸代
中村翫右衛門 山田吾一 神山繁
ストーリー
常陸国の百姓仙太郎(仲代達矢)は貢租の減免を願い出たことから強訴とみなされ北条の喜平一家に村から追われた。
復讐の念に燃える仙太郎は江戸で剣法の修業を積み、博徒となって故郷に向かった。
途中、仙太郎は仕置きの自分を助け起してくれた甚伍左親分(中村翫右衛門)に会い、娘お妙(十朱幸代)への伝言を頼まれた。
お妙の家では、彼女の父が“天狗党”に加わっているとし、喜平一家の者が暴力をふるっていた。
仙太郎は思わず抜刀、その腕の冴えに、偶然立会っていた天狗党水木隊長(神山繁)と隊士加多(加藤剛)は、尊皇攘夷、世直しのために決起する党への参加を説いた。
天狗党挙兵の知らせは筑波山麓から全国津々浦々に拡がり、仙太郎の働きは幕府軍の恐怖の的だった。
だが、ニセ天狗党の出没で百姓たちの信用を落した天狗党は、それを同じ水戸浪士ながら諸藩連合派に属す吉本(鈴木瑞穂)や甚伍左の策動と睨み、仙太郎を刺客兼、使者井上(鈴木智)の護衛役として、吉本との会談の為の江戸行きを命じた。
仙太郎は会合の場で、かつて馴染んだ深川芸者お蔦(若尾文子)に出会ったが、落着く間もなく、救いを求める井上の声に吉本を斬り、甚伍左の悲鳴を開かなければならなかった。
しかし、この非常手段も天狗党の敗色を挽回するには至らなかった。
水木は、天狗党の首脳部武田耕雲斎らを嘆願によって助命さすべく、それまで従ってきた百姓、やくざ、町人らを斬った。
それは、士分以外の者がいては単なる暴動とみなされ、全員死罪は免がれ得ないという判断からだった。
武士の言を信じた仙太郎もまた粛清のはめに陥入った。
寸評
以下は天狗党の乱における僕の軽薄な知識である。
天狗党の乱は幕末の悲劇的な事件だったと思う。
水戸藩は水戸学を確立させた藤田東湖の影響もあって尊王攘夷の急先鋒だった。
日米修好通商条約の無勅許調印を受け、孝明天皇が水戸藩に幕政改革を指示する勅書を直接下賜したために水戸藩内では勅書を幕府に返納する事を巡り対立が起きる。
尊王攘夷派の人々が水戸藩内で力を持ち始めた時に、井伊直弼が暗殺される桜田門外の変が起き、江戸幕府に横浜港の鎖港を促すために天狗党が挙兵する。
天狗党は町や村を襲い、金品を強奪したり要求を拒んだ村人らを惨殺するという暴挙を繰り返すようになる。
桜田門外の変以降、過激な思想を唱える者は力を失い、幕府に忠実なグループが次第に勢力を持つようになった水戸藩内では抗争を繰り返すようになり、天狗党は京都にいる一橋慶喜を通して朝廷に尊王攘夷の主張を伝えようと京都を目指して進軍することになる。
しかし頼みの一橋慶喜が天狗党討伐の指揮を執っていることを知り越前で降伏することになった。
悲劇はここから起きる。
越前で天狗党の主だった者350名以上が斬首刑され、さらには水戸藩ではその家族までが処刑された。
江戸幕府が滅び、再び天狗党の支持者が実権を握ると、報復の為に反対派を次々に処刑した。
有能な人も多かった水戸藩だったが内部抗争で人材を失い、新政府のメンバーには水戸藩の名前はない。
映画は仙太郎を通じて天狗党の乱を描いていく。
山本薩夫監督作品だけに、単なる幕末物エンタメ作品ではなく、尊王攘夷を歌う天狗党の中にもあった身分差別への弾劾を描いている。
仙太郎は百姓上がりなので、天狗党に参加する百姓や町人に人気があり、それをやっかんだ武士階級である井上が仙太郎を卑下する態度を取るのが典型だ。
実際にもそうであったように天狗党の横暴が描かれ、武士団の彼らに庶民がひどい目に合う場面も描かれ、天狗党イコール正義という風には描かれていない。
天狗党は壊滅し、自分たちの蜂起が暴動ではないことを示すために隊長の水木は究極の身分差別として、武士以外の参加者の排除を決断する。
権力者、あるいは支配者の身勝手な言い分の為に、犠牲を強いられるのはいつも庶民なのだと言っている。
正義感に富んだ役柄が多い加藤剛だが、ここでは軍資金と称してヤクザが残した金を取っていくし、まるっきりの正義感の持ち主のようには感じられない。
加多は天狗党の掲げる正義に疑問を抱いても良いような人物像に見えたのだが、意外と淡々としている。
仙太郎は痛々しいが、映画は差別による怒り、庶民ゆえの怒りをストレートにぶつけても良かったように思うし、山本薩夫が描こうとしたテーマは少し希釈されているような気がする。
仙太郎への刑罰から始まるのだが、その後に出るタイトルとクレジットの文字が黒色なので、背景にかぶさってしまって非常に読み辛い。
スタッフやキャストの名前を見るのも楽しみな者にとっては、クレジットの文字色を変えてほしかった。