「智恵子抄」 1967年 日本
監督 中村登
出演 岩下志麻 丹波哲郎 平幹二朗 中山仁
南田洋子 岡田英次 佐々木孝丸
ストーリー
明治四十四年、高村光太郎(丹波哲郎)は“パンの会”に属し、奔放な生活を送っていたが、彼の身を案じる友人、椿夫妻(岡田英次、南田洋子)の紹介で、画学生長沼智恵子(岩下志麻)と見合いした。
二人の仲は急速に深まり、一年を経て二人は結婚した。
光太郎は詩作に専念し、智恵子は油絵に没頭した。
大正四年、智恵子は絵を文展に出したが、結果は落選だった。
傷心の智恵子は光太郎と共に故郷二本松を訪れた。
智恵子の父宗吉(加藤嘉)と母やす(室生あやこ)は二人を心から歓待した。
二本松から帰った智恵子は絵筆を捨て、かわりに機織をはじめた。
そんな頃、二本松に大火があり、父宗吉は焼死した。
昭和六年、智恵子の姪ふみ子(島かおり)が看護婦試験に合格し、智恵子と光太郎のアトリエに寄宿していた。
或る日、智恵子の実家が倒産したという知らせが届いた。
智恵子は夫光太郎に事実を話さず一人苦しみ、光太郎の留守をねらって服毒自殺をはかった。
智恵子はふみ子に発見されて一命を取りとめたが、精神に異常をきたしていた。
光太郎は智恵子を、二本松、九十九里浜と転地療養に連れだした。
そんななかに、光太郎の父光雲(佐々木孝丸)が亡くなった。
智恵子の病状はいぜんとして良くならず、光太郎以外の人の見分けがつかなくなっていた。
昭和十三年、品川の精神病院へ入院した智恵子は、ふみ子の看護をうけていた。
一日、病院を見舞った光太郎は、智恵子の切抜き絵をみてびっくりした。
寸評
彫刻家としても有名な高村光太郎だが、彼の代表作といえば愛妻である智恵子への想いを綴った詩集の「智恵子抄」だろう。
その中でも”あどけない話”は教科書でも取り上げられていた著名な詩だ。
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、切っても切れないむかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
この映画は精神を病んでしまった智恵子を深い愛情で見守り続けた高村光太郎との純愛物語である。
精神異常をきたす前の愛し合う二人の姿は微笑ましい。
芸術家にありがちな貧困生活になっても明るさがある。
光雲は援助のつもりだったのか、木彫りのナマズを買ってやり「これだけの価値がある」と金を置いていく。
あのナマズの彫刻は美術の本に載っていたような気がする。
高村幸太郎の作品として「手」も見た記憶があるが、その制作風景も盛り込まれている。
智恵子は芸術を追及する事で精神を病んでしまったのか、それとも実家が焼失して倒産し父親も焼死してしまったことで精神を病んでしまっていたのだろうか。
精神を病んでしまった智恵子を演じた岩下志麻は、難しい役どころを見事に務めている。
認知症による介護が社会問題化している現在も、同様の状況下に置かれている人はかなりいると思われる。
もしも自分の妻が認知症になった時、僕は光太郎のような愛情で妻と接する事が出来るだろうかと不安になった。
それほど光太郎の接し方は愛情に満ちたものである。
智恵子は人の判別もつかないようになっているが、光太郎だけは分かっている。
僕の上司の奥様も認知症になられて人の判別がつかなくなっていたようなのだが、夫である上司に対してだけは自分に悪意のない人との認識をもっておられたらしい。
子供のようになっている智恵子だが、子供の純真さは自分への接し方を敏感に感じ取るのだろう。
詩集の中の詩を引用しながら物語を進めていく描き方は手堅い。
この作品は二人の愛情物語であって、高村光太郎の伝記映画ではないので二人のこと以外は描かれていない。
高村光太郎は真珠湾攻撃を礼賛し、太平洋戦争を積極的に認めていたことでも知られているから、その部分を描けばまったく違った内容になってしまっていただろう。