「青い山脈」 1949年 日本
監督 今井正
出演 原節子 池部良 伊豆肇
木暮実千代 龍崎一郎 若山セツコ
杉葉子 薄田研二 藤原釜足
ストーリー
ある片田舎町の駅前。
女学校の5年生寺沢新子(杉葉子)と大学受験に失敗した金谷六助(池部良)はふとしたことで意気投合する。
一方、理想に燃える女学校の新任教師、島崎雪子(原節子)は、バスケットの指導中に張り切りすぎて足をねん挫してしまう。
それを校医の沼田(龍崎一郎)に治療してもらった後、雪子先生は新子から相談を持ちかけられる。
自分宛に、男を装ったラブレターらしき手紙が届いたのだが、それは内容からして、どうも同級生によって書かれたものらしい…というのである。
雪子は、友達のいたずらだという新子の言分に、何かしら尋常でない性格をつかみ、まして前の学校で転校を余儀なくされたこの娘に力になってやりたい衝動にかられる。
そしてライ落な校医の沼田にこの問題を相談するが意外な答えだったのでついなぐってしまう。
雪子は恋愛の問題を講義しつつ偽のラヴレター事件を直接生徒達に説いてゆく。
しかし生徒達は「学校の伝統を考えて取ったものだ」というのである。
雪子は生徒達の旧い男女間の交際の考え方を是正しようと努力するが、それはますます生徒達の反感を買うばかりだった。
教員仲間でも雪子の行動を苦々しく思い民主主義のはき違いなどといいつつ問題は次第に大きくなっていった。
新子はそのうづ巻の中にあっても、高校生の六助や富永たちとつき合って行く。
ついに学園の民主化を叫ぶ名目で新聞にまで拡がり、沼田も黙っていられず、雪子の協力者となるが、暴漢に襲われる。
寸評
1949年(昭和24年)の制作だが、その年は僕が生まれた年である。
この頃の世の中はこのような空気が生まれていた時代だったのだと教えてもらった気分だ。
戦後の処理も進んで復興しつつあったのだろう。
民主主義が浸透し始め、古い因習が打ち破られていく時代であったこともうかがえる。
その後にはレッドパージの気配がやって来たことは知識として知っているので、この作品の雰囲気は正に時代を反映したものになっていると感じさせられる。
実際、東宝争議があって東宝を退社したプロデューサーの藤本真澄が藤本プロを設立して本作が作られ、本作は東宝と藤本プロの共同制作となっている。
話自体は大したものではないが、男尊女卑の否定や若い男女の恋愛に対する偏見の是正やらが声高に語られているのが時代だと思う。
それでもこの作品は面白い。
その後も時代のアイドルたちによってリメイクされたが、やはりこの作品の出来が群を抜いている。
冒頭で服部良一作曲、西條八十作詞の主題歌が流れるが、この映画の存在を知らないで育った僕でもこの主題歌は知っていたから、かなりヒットした著名曲だったのだろう。
「若くあかるい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜 空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ」
「古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら 青い山脈 バラ色雲へ あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く」と2番までが流れるが、歌っているのは僕が知っている藤山一郎ではなく奈良光枝だ。
監督の今井正はこの歌が気に入らなかったらしいが、「青い山脈」と言えばまずこのメロディが思い浮かぶから主題歌の貢献も大きかったのではないかと想像させられる。
原節子は美しい。
後年の小津安二郎作品でその魅力を最大限に開花させるが、ここでの原節子は凛として強い英語教師を印象的に演じている。
日本人離れした顔立ちと、学生時代はバスケットボールの選手だったという設定で、登場シーンから体育教師の様な颯爽とした姿を披露する。
オープニングで入り江の遠景が映るが、この田舎町に原節子が登場しただけで話題騒然になるのは納得だ。
沼田医師はからかうようにこの村の古い因習や考え方で自分の人生を語ると、原節子の島崎雪子先生がそれに切れて沼田のほっぺたをひっぱたく。
二人の間に愛の目覚めを感じさせると同時に、封建制の否定と、女性の台頭を象徴するようなシーンだった。
雪子を支持するような音楽担当の先生や、自分が出来なかったことを雪子に託す年配の先生などを登場させて女性の地位向上と古い因習の打破を待ち望んでいる人が潜在していたことを示している。
寺沢新子も新しい時代の女生徒の象徴だったと思う。
昭和24年とはそのような時代だったのだろう。
二つの時代を戸惑わせることなく行き来する語り口は絶品。
原田美枝子の二役は、照恵を演じているときには豊子を感じず、豊子を演じているときには照恵を感じさせない。無理なく正反対の両方になれてしまうんだから女優ってスゴイ!
監督 今井正
出演 原節子 池部良 伊豆肇
木暮実千代 龍崎一郎 若山セツコ
杉葉子 薄田研二 藤原釜足
ストーリー
ある片田舎町の駅前。
女学校の5年生寺沢新子(杉葉子)と大学受験に失敗した金谷六助(池部良)はふとしたことで意気投合する。
一方、理想に燃える女学校の新任教師、島崎雪子(原節子)は、バスケットの指導中に張り切りすぎて足をねん挫してしまう。
それを校医の沼田(龍崎一郎)に治療してもらった後、雪子先生は新子から相談を持ちかけられる。
自分宛に、男を装ったラブレターらしき手紙が届いたのだが、それは内容からして、どうも同級生によって書かれたものらしい…というのである。
雪子は、友達のいたずらだという新子の言分に、何かしら尋常でない性格をつかみ、まして前の学校で転校を余儀なくされたこの娘に力になってやりたい衝動にかられる。
そしてライ落な校医の沼田にこの問題を相談するが意外な答えだったのでついなぐってしまう。
雪子は恋愛の問題を講義しつつ偽のラヴレター事件を直接生徒達に説いてゆく。
しかし生徒達は「学校の伝統を考えて取ったものだ」というのである。
雪子は生徒達の旧い男女間の交際の考え方を是正しようと努力するが、それはますます生徒達の反感を買うばかりだった。
教員仲間でも雪子の行動を苦々しく思い民主主義のはき違いなどといいつつ問題は次第に大きくなっていった。
新子はそのうづ巻の中にあっても、高校生の六助や富永たちとつき合って行く。
ついに学園の民主化を叫ぶ名目で新聞にまで拡がり、沼田も黙っていられず、雪子の協力者となるが、暴漢に襲われる。
寸評
1949年(昭和24年)の制作だが、その年は僕が生まれた年である。
この頃の世の中はこのような空気が生まれていた時代だったのだと教えてもらった気分だ。
戦後の処理も進んで復興しつつあったのだろう。
民主主義が浸透し始め、古い因習が打ち破られていく時代であったこともうかがえる。
その後にはレッドパージの気配がやって来たことは知識として知っているので、この作品の雰囲気は正に時代を反映したものになっていると感じさせられる。
実際、東宝争議があって東宝を退社したプロデューサーの藤本真澄が藤本プロを設立して本作が作られ、本作は東宝と藤本プロの共同制作となっている。
話自体は大したものではないが、男尊女卑の否定や若い男女の恋愛に対する偏見の是正やらが声高に語られているのが時代だと思う。
それでもこの作品は面白い。
その後も時代のアイドルたちによってリメイクされたが、やはりこの作品の出来が群を抜いている。
冒頭で服部良一作曲、西條八十作詞の主題歌が流れるが、この映画の存在を知らないで育った僕でもこの主題歌は知っていたから、かなりヒットした著名曲だったのだろう。
「若くあかるい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜 空のはて 今日もわれらの 夢を呼ぶ」
「古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら 青い山脈 バラ色雲へ あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く」と2番までが流れるが、歌っているのは僕が知っている藤山一郎ではなく奈良光枝だ。
監督の今井正はこの歌が気に入らなかったらしいが、「青い山脈」と言えばまずこのメロディが思い浮かぶから主題歌の貢献も大きかったのではないかと想像させられる。
原節子は美しい。
後年の小津安二郎作品でその魅力を最大限に開花させるが、ここでの原節子は凛として強い英語教師を印象的に演じている。
日本人離れした顔立ちと、学生時代はバスケットボールの選手だったという設定で、登場シーンから体育教師の様な颯爽とした姿を披露する。
オープニングで入り江の遠景が映るが、この田舎町に原節子が登場しただけで話題騒然になるのは納得だ。
沼田医師はからかうようにこの村の古い因習や考え方で自分の人生を語ると、原節子の島崎雪子先生がそれに切れて沼田のほっぺたをひっぱたく。
二人の間に愛の目覚めを感じさせると同時に、封建制の否定と、女性の台頭を象徴するようなシーンだった。
雪子を支持するような音楽担当の先生や、自分が出来なかったことを雪子に託す年配の先生などを登場させて女性の地位向上と古い因習の打破を待ち望んでいる人が潜在していたことを示している。
寺沢新子も新しい時代の女生徒の象徴だったと思う。
昭和24年とはそのような時代だったのだろう。
二つの時代を戸惑わせることなく行き来する語り口は絶品。
原田美枝子の二役は、照恵を演じているときには豊子を感じず、豊子を演じているときには照恵を感じさせない。無理なく正反対の両方になれてしまうんだから女優ってスゴイ!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます