ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

地球沸騰化の時代に、ヒトとクマの生きる権利は

2024-01-21 15:23:49 | 日記
去年は秋田県でヒトがクマに襲われる事例が相次いだ。ドングリ、つまりクヌギの実が不作だったために、飢えたクマが食糧を求めてヒトのテリトリーに侵入したために起こった不幸な出来事だったようで、テレビのニュース番組などではそうした不幸な出来事がしきりに報じられたものだ。


今年になってからは、ニュースといえばもっぱら能登半島の大震災がらみで、こうしたクマの被害のことはとんと聞かなくなったが、クマは自分たち本来のテリトリーである山奥に戻っていったのだろうか。


こんなことを思ったのは、けさの朝日新聞に、「日曜に想う 自然と動物を脅かす被告は」と題する記事が載っていたからである。記事にはこんなことが書かれていた。


中世のヨーロッパで、動物を相手取った裁判が少なからずあった。そんな不可解ともいえる歴史をひもといた本が『動物裁判』(講談社現代新書)で、1990年に刊行され、いまもロングセラーを続けている。
子どもをかじって死なせたブタに対し、人間と同じような裁判が開かれ、検察官が法廷に立つ。死刑の判決が下ると、ブタは逆さづりにされて殺され、食用にするのも許されなかった。



もし2023年の秋田県がそのまま中世ヨーロッパにタイムスリップしたとしたら、ヒトを襲ったクマはただちに裁判にかけられ、「逆さづりにされて殺され」るクマも出たことだろう。


では2023年の秋田県では、実際はどうだったか。秋田県知事は、クマが現れたら即刻「駆除」する方針を打ち出した。「駆除する」とは、クマを銃殺することを意味する。
クマに襲われた住民たちののっぴきならない苦境を考えれば、県知事のこの方針は当然のことのように思えるが、意外にも、この方針に対しては電話でのクレームが殺到したという。


矛盾しているようだが、私には、クマを銃殺することに強く反対するヒトたちの気持ちも、解らなくはない。クマに悪気はないからだ。「クマがヒトのテリトリーに侵入したことがいけないのだ」とヒトは主張をするが、クマたちにしてみれば、逆に「ヒトが俺たちクマのテリトリーに侵入したこと」が問題かもしれないのだ。


考えてみれば、クマが出没する山間地に住まうヒトたちは、なんとも悲しい存在である。彼らだってべつに好き好んでクマのテリトリーに侵入しようとしたわけではないのだから。


では、クマたちの生息域を狭め、ドングリなどの食糧を不作にした責任は、どこに求めればよいのか。


大規模開発による森林の消滅が原因だというのなら、その責任は行政にある。この種の見方に対して、秋田県知事はどう答えるだろうか。


また、この夏の猛暑が、ひいては地球の温暖化、沸騰化が、ドングリの不作をもたらした原因だというのなら、その責任は(「地球温暖化物質」であるCO2を排出し続けている)人類全体にある。「人類」の一員である我々にも、その責任を引き受ける義務があると言わなければならない。

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