ネットの森で素晴らしい言葉に出会った。
時々気を転じ日々に情をあらたむ
松尾芭蕉の『笈の小文』に出てくる言葉だそうである。
ブログ「犀のように歩め」で紹介されていた。
このブログの筆者であるブロガー氏は、茶道をたしなむ茶人であるらしい。同じ茶人であり、旅人でもある半澤鶴子氏の著書『人生に愛される』(講談社)にいたく感銘を受け、その中の言葉をブログに取りあげたのだという。
この言葉は、「そのときそのときに従って気(気分)を転じ、その日その日に新しい心と出会う」という意味だそうだ。
このブログの中では、芭蕉のこの言葉にまつわる半澤鶴子氏の次の言葉も紹介されている。
「昨日の自分からも、明日の自分からも自分を解き放ち、一日一日を新鮮に生きたに違いない先人たち。瑞々しい感性を持つ旅人の姿が思い浮かびます。」
このブログを読んだとき、私がふと思い出したのは、17世紀のオランダの哲学者・スピノザの言葉だった。
「6 愛とは、外部の原因の観念を伴った喜びである。」
(「2 喜びとは、人間がより小なる完全性からより大なる完全性へ移行することである」)
「7 憎しみとは、外部の原因の観念を伴った悲しみである。」
(「3 悲しみとは、人間がより大なる完全性からより小なる完全性へ移行することである。」)
(以上、『エチカ』第3章より)
スピノザの言葉は、簡潔すぎて却って分かりにくいきらいがあるが、これらの言葉に関しては、國分功一郎氏による巧みな解説がある。
「スピノザは力が増大するとき、人は喜びに満たされると言いました。するとうまく喜びをもたらす組み合わせの中にいることこそが、よく生きるコツだということになります。世間には必ずネガティブな刺激があります。これはスピノザの非常に強い信念でもありました。それによって自分をダメにされないためには、実験を重ねながら、うまく自分に合う組み合わせを見つけることが重要になります。」
(100分de名著)
スピノザの言葉が私の心に残っているのは、それが私の救いになった言葉だからである。國分氏の解説の言葉を借りれば、リタイア前の私は、当時、職場でのストレスに押しつぶされ、毎日がいわば傷だらけの状態だった。「世間」(職場)の「ネガティブな刺激」によってボロボロになり、「自分をダメにされ」そうになっていた。
日々の悲しみの中で、私はこう考えたのである。日々のネガティブなストレス。その重圧に押しつぶされそうになっている自分を脱却するには、「うまく喜びをもたらす組み合わせ」、「うまく自分に合う組み合わせ」を見つけ出し、一刻も早くその組み合わせの中に出ていく必要がある、ーーそう考えたのだった。
60歳の頃のことだった。私は後先も考えずに早期退職する決断をし、その手続きを済ませた。まあ、この先どうなるかは分からないが、何とかなるだろう。少なくとも、自分の力を減退させる、あの「忌まわしい組み合わせ」からは逃れられるのだ・・・。
私の退職予定日は2011年3月末日だった。その3週間ほど前の3月11日、そう、東日本大震災が起こったその当日のことである。私は脳出血のために倒れ、近くの救急救命センターに運ばれた。それからのことは本ブログの過去ログに詳しい。
脳出血の後遺症のため、自由の利かない身体になってからの13年間のことは割愛するとして、今現在のことを書けば、私は目下、週2回、近所のデイサ施設に通所する生活を送っている。
デイサでは毎回、血圧などのバイタル・チェックを受けるが、このところずっと血圧が高い。脳出血の既往症がある私にとっては、高血圧は一種の危険信号だが、その原因は(塩分の取りすぎなどではなく)、このデイサにあるのではないか、と私は考えている。知らず知らずのうちに、このデイサで過ごす時間がストレスになっているのだろう。
とすれば、このデイサへの通所は(國分氏の言葉でいえば)「うまく自分に合う組み合わせ」ではないことになる。私は「うまく自分に合う」別のデイサを探すべきなのだろうか・・・。
しかし、まあ、「病は気から」という言葉もある。「うまく自分に合う組み合わせ」は、デイサがどうこうといった外的環境にではなく、「気」や「心持ち」といった内的環境にあるのかもしれない。
時々気を転じ日々に情をあらたむ
冒頭のこの言葉が私の心に響いたのは、そんなことを私が薄々感じていたからかもしれないのである。
時々気を転じ日々に情をあらたむ
松尾芭蕉の『笈の小文』に出てくる言葉だそうである。
ブログ「犀のように歩め」で紹介されていた。
このブログの筆者であるブロガー氏は、茶道をたしなむ茶人であるらしい。同じ茶人であり、旅人でもある半澤鶴子氏の著書『人生に愛される』(講談社)にいたく感銘を受け、その中の言葉をブログに取りあげたのだという。
この言葉は、「そのときそのときに従って気(気分)を転じ、その日その日に新しい心と出会う」という意味だそうだ。
このブログの中では、芭蕉のこの言葉にまつわる半澤鶴子氏の次の言葉も紹介されている。
「昨日の自分からも、明日の自分からも自分を解き放ち、一日一日を新鮮に生きたに違いない先人たち。瑞々しい感性を持つ旅人の姿が思い浮かびます。」
このブログを読んだとき、私がふと思い出したのは、17世紀のオランダの哲学者・スピノザの言葉だった。
「6 愛とは、外部の原因の観念を伴った喜びである。」
(「2 喜びとは、人間がより小なる完全性からより大なる完全性へ移行することである」)
「7 憎しみとは、外部の原因の観念を伴った悲しみである。」
(「3 悲しみとは、人間がより大なる完全性からより小なる完全性へ移行することである。」)
(以上、『エチカ』第3章より)
スピノザの言葉は、簡潔すぎて却って分かりにくいきらいがあるが、これらの言葉に関しては、國分功一郎氏による巧みな解説がある。
「スピノザは力が増大するとき、人は喜びに満たされると言いました。するとうまく喜びをもたらす組み合わせの中にいることこそが、よく生きるコツだということになります。世間には必ずネガティブな刺激があります。これはスピノザの非常に強い信念でもありました。それによって自分をダメにされないためには、実験を重ねながら、うまく自分に合う組み合わせを見つけることが重要になります。」
(100分de名著)
スピノザの言葉が私の心に残っているのは、それが私の救いになった言葉だからである。國分氏の解説の言葉を借りれば、リタイア前の私は、当時、職場でのストレスに押しつぶされ、毎日がいわば傷だらけの状態だった。「世間」(職場)の「ネガティブな刺激」によってボロボロになり、「自分をダメにされ」そうになっていた。
日々の悲しみの中で、私はこう考えたのである。日々のネガティブなストレス。その重圧に押しつぶされそうになっている自分を脱却するには、「うまく喜びをもたらす組み合わせ」、「うまく自分に合う組み合わせ」を見つけ出し、一刻も早くその組み合わせの中に出ていく必要がある、ーーそう考えたのだった。
60歳の頃のことだった。私は後先も考えずに早期退職する決断をし、その手続きを済ませた。まあ、この先どうなるかは分からないが、何とかなるだろう。少なくとも、自分の力を減退させる、あの「忌まわしい組み合わせ」からは逃れられるのだ・・・。
私の退職予定日は2011年3月末日だった。その3週間ほど前の3月11日、そう、東日本大震災が起こったその当日のことである。私は脳出血のために倒れ、近くの救急救命センターに運ばれた。それからのことは本ブログの過去ログに詳しい。
脳出血の後遺症のため、自由の利かない身体になってからの13年間のことは割愛するとして、今現在のことを書けば、私は目下、週2回、近所のデイサ施設に通所する生活を送っている。
デイサでは毎回、血圧などのバイタル・チェックを受けるが、このところずっと血圧が高い。脳出血の既往症がある私にとっては、高血圧は一種の危険信号だが、その原因は(塩分の取りすぎなどではなく)、このデイサにあるのではないか、と私は考えている。知らず知らずのうちに、このデイサで過ごす時間がストレスになっているのだろう。
とすれば、このデイサへの通所は(國分氏の言葉でいえば)「うまく自分に合う組み合わせ」ではないことになる。私は「うまく自分に合う」別のデイサを探すべきなのだろうか・・・。
しかし、まあ、「病は気から」という言葉もある。「うまく自分に合う組み合わせ」は、デイサがどうこうといった外的環境にではなく、「気」や「心持ち」といった内的環境にあるのかもしれない。
時々気を転じ日々に情をあらたむ
冒頭のこの言葉が私の心に響いたのは、そんなことを私が薄々感じていたからかもしれないのである。