ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

能登被災地の救援に多額の税金を投入すべきか

2024-01-15 13:52:05 | 日記
能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか


JBpressが配信したこのタイトルの記事を読みはじめて、私がまず感じたのは、「やたら前ふりが長いな」という印象だった。この記事の筆者は山本一郎氏(情報法制研究所・上席研究員)とのことだが、こんな具合なのである。


大型の余震や豪雪などの悪天候もあり得る中で、ギリギリの人命救助や輸送作戦も行われています。石川県の皆さんだけでなく、応援に入られた各都道府県消防・防災ご担当者や防衛省・自衛隊、海上保安庁および電力会社や通信会社、医療関係者ほか各民間の皆さんのご努力には本当に感謝に堪えません。
石川県知事の馳浩さんや副知事・西垣淳子さん以下、地元も不眠不休に近い激務にて対応を進めています。その結果、良い意味で、国と県・自治体および各省庁・民間の連携が取れたのではないかと思います。



タイトルにあるように、「能登半島は20年後には消滅が必至の地域なのに、そんな地域の支援に多額の税金を投入すべきなのか」とドライな問いかけをする人が書いたとは思えない、「各方面の支援に感謝、感謝」の(ウェットな)ヒューマニスト顔負けの書きぶりなのである。


私が懐いたのは、「この人は予防線を張っているのだな」という思いだった。「被災地・能登半島の支援に多額の税金を投入すべきなのか」などと問いかければ、「おまえには同情する気持ちがないのか、この人でなしめ!」という非難が寄せられるのは、容易に想像がつく。そういう非難の声をはねのけるために、筆者はこう言おうとしているのだ。
「いえいえ、私だってれっきとした人間です。気の毒な被災者の方々は何としても救助しなければならない。そう思うから、支援者の方々のご尽力を多とし、その労苦に感謝申し上げているのです。私は決して人でなしではありません!」




さて、「ああでもない、こうでもない」の断り書きやら前ふりやらの嵐を払いのけ、半ばうんざりしながら読み進んでいくと、この記事の要点は、以下の主張に尽きていることが明らかになる。


地震のような、誰のせいでもない災害に遭ってしまうことは、地域住民の責任ではなく仕方ないことなのだとしても、その復興がある程度、自力でできない限り、いつまでも公費で地域丸ごと被災者を助け続けることはできないということです。


では、「いつまでも公費(=税金)で地域丸ごと被災者を助け続ける」ハメに陥らないようにするには、一体どうすべきなのか。
それは、衰退が必至のこのような地域の、その行政システムを適正な規模にまで縮小することだと筆者は言う。


必要なことは、人口減少で地方社会・経済の衰退は誰かが何をしようとも押しとどめることはできないのだから、せめて勤労世帯も高齢者も、あるいは都市生活者も地方在住も共倒れにならないように、衰退をきちんとコントロールしながら最善の経済縮小・撤退戦を日本経済は政策的に図っていかなければならないということに他なりません。


筆者がこの記事の最後にこう書くとき、筆者の脳裏にあるのは、馳浩・石川県知事が公表した地域医療改革の実行プランである。筆者は冒頭に近い部分で、次のように書いている。


石川県知事の馳浩さんが副知事の西垣さんと調整したうえで、奥能登の病院を一つにまとめる大胆な医療改革を元旦の新聞でぶち上げた夕方に、地震が起きたのはすごいタイミングでした。
ここでもし現地医療を支える珠洲総合病院や輪島総合病院、宇出津総合病院、穴水総合病院がなかったら、と思うと肝が冷える気がいたします。
もっとも、金沢大学など地元の医局もカツカツで回っている面もある中、この4病院は基幹病院としてはびっくりするほど不採算なので、能登半島地震の復興予算でこの辺の医療提供体制をどう扱うかという線引きを最初に決めておかないと本当に地雷だと思っています。そのぐらい、僻地での医療は大変なことなのだという思いを新たにしています。



う〜む、このことが言いたかったのなら、受け狙いの思わせぶりはやめにして、単刀直入にそれだけを書いてほしかった。タイトルもそれに応じたものにしてほしかった。そう思う。
もっとも、「石川県知事がぶち上げた奥能登の医療改革を」というようなタイトルだったら、私がこれを読む気になったかどうか、それはわからないけど。

コメント
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