蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

大いなる誘惑

2013年04月07日 | 季節の便り・旅篇

 台風並みの春の嵐が週末の日本列島を駆け抜けた。春は乱調、突然初夏に先駆けたり、一気に10度も気温を下げて浅い春に引き戻したりする。「え、ハナミズキ?シャクナゲがもう?」…花時にさえ戸惑わせられる今日この頃である。

 「5月5日から7泊8日でメキシコのCancunに潜りに行くけど、来ない?」アメリカの娘からメールが届いた。ユカタン半島、メキシコ東海岸の一大リゾート地である。Cancun南部のPlaya del Carmenの豪華リゾートホテルRiviera Mayaに泊まり、海峡を挟んでフェリーで45分の沖合にあるダイバー憧れの島Cozmelでスクーバ・ダイビング三昧、サファイア・ブルーのカリブ海の崖に建つ要塞遺跡Tulumのそばでスノーケリングを楽しみ、マヤの古代遺跡Chichen Itzaを訪ねるという。
 いつも潜っている西海岸のバハ・カリフォルニア半島最南端のロス・カボスではなく、東海岸・カリブ海でのダイブである。
 もう一つ、惹きつけてやまない目玉がある。Cenoteダイビングをやるという。石灰岩地層のユカタン半島の川は地上にはなく、全て地下を流れている。その地下の川の表土が崩れ落ちて巨大な井戸が出来る。これをセノーテといい、貴重な水源となって古代マヤの都市が作られた。たとえばチチェン・イツァのセノーテは、東西60m南北50メートル深さ20メートルという巨大なものである。ジャングルの中にいくつものセノーテがあり、その数実に3000以上。そして、そのセノーテを繋ぐ網の目のような水中洞窟があり、やがてはカリブ海の海底に流れ込む長大な地底河川となる。メキシコの神秘的なセノーテ・ダイビングは、ダイバーたちを惹き寄せてやまない。
 「日帰りダイビング。朝6時のボートで2本潜って帰ってくる。セノーテは鍾乳洞もある洞窟ダイビング。一部真水。上級テクニックが必要。」と娘のメールにあった。私のNAUIのスクーバ・ダイバー・ライセンスはオープン・ウォーター(上に遮るものがないところ。つまり、沈船や洞窟のダイビングはダメ)が原則なのだが、アドバンス・スクーバ・ダイバーやマスター・スクーバ・ダイバーなど上級のライセンスを持つバディー(相棒)が一緒ならば潜水OKである。そして、娘はその資格を持っている。
 ダイビングと遺跡ツアーの合間のオフの時間は、プールサイドのデッキチェアに身を委ね、マルガリータを啜りながら常夏の日差しを浴びる。この無為の時間こそが、最高に贅沢なバカンスの精髄なのだ。これは久々に心躍らせる大いなる誘惑だった。

 Chichen Itza 諦めていたマヤ遺跡だった。カンクンから200キロ余りのバスツアーとなる。娘はジョージア州ステーツボロにある南ジョージア大の学生の頃、ガイドもつけずに貧乏旅行して思いを残している。その時の土産・円盤状のマヤの太陽暦が、今も我が家の寝室の壁を飾っている。長女もカンクン、チチェン・イツァは新婚旅行で訪れた記憶がある。(私の海外旅行のきっかけは、次女の最初の留学先・フィリピンを訪ねる先駆けとして長女を伴い、台湾で次女と落ち合ったのが始まりだし、その後のタイもインドネシアのバリ島も、長女の旅の後を辿るところから広がっていった。)
 マヤ・トルテカ時代の伝説の神ククルカンは羽毛を持つ蛇。チチェン・イツァの遺跡中央に聳える高さ24メートルのエル・カスティージョ(ククルカン・ピラミッド)の階段下には、その頭だけが石像として刻まれている。そして、年に二度、昼と夜が同じになる春分の日と秋分の日に、階段の側面に影が蛇体となって現われる。天文学と建築に優れた古代マヤ文明ならではの驚異である。
 ティオティワカンのケツァルコルトル・ピラミッド、太陽のピラミッド、月のピラミッド、モンテ・アルバン、占い師のピラミッド、戦士の宮殿等々、妙に気持ちをくすぐる古代マヤ文明の遺跡の数々は、もう多分訪れる機会もないだろう…そう諦めきっていたところに、今回の娘の誘いである。

 気持ちは激しく動いた。しかし、左肩腱板手術後のリハビリ中の身である。20キロのスーツケースを引いて成田からロスまで10時間、ロスからメキシコシティーまで3時間40分、メキシコシティーからカンクンまで更に2時間20分のフライト…そして、エアタンクにBC(浮力調整ベスト)、腰に巻く8キロのウエイトなどの重装備でエントリーし、回らない左肩でパワーインフレータのノズルを手繰り寄せてBCのエアを抜いて潜水し、予定の深度でエアを少し戻して中性浮力を調整、あとは呼吸の深浅で深度を微調整しながら50分の潜水を終えて、徐々にエアをBCに戻しながら浮上、水深5メートルで再び中性浮力を確保し、体内の窒素ガスを放出するために3分間の安全停止で待機、そしてゆっくり浮上してBCをいっぱいに膨らませて水面での浮力を確保する…この一連の操作には、左肩の円滑な回転が不可欠である。今の私の肩では、流石にこれは厳しい。ほかにいろいろ気がかりな要素もあって、残念ながら今回は断念することにした。

 「今度一緒に行く時の為に、下見してくるね!」と言ってくれる娘の言葉が、ふと古代マヤ遺跡への夢をよみがえらせてくれる気がした。
 夢が夢で終わってもいい。「セノーテ・ダイビングに行けるように、この左肩を治そう!」そんな励ましの声が心に届く春の宵だった。
     (2013年4:写真:神秘のセノーテ・ダイビング~ネットより借用)

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