蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

湯に沈む

2013年04月12日 | 季節の便り・旅篇
「またかよ、もう戻らなくていいのに…!」
怨嗟の声を上げながら、戻り寒波の烈風をついて西に走った。大分道の路側に立つ幟が直角に靡き、ハンドルが取られるほどの強風である。玖珠のPAで大分名物のだんご汁と鶏天定食で遅めのお昼を摂り、由布岳の北面の麓を巻いて、標高734メートルのこの道最高度の峠を越えると、やがて別府湾が見えてくる。濃霧が湧くと、霧除けのネットが路側の湾側に立ち上がる独特の高速道である。自宅から2時間、別府ICを降りると、すぐに鉄輪温泉だった。(これを、「かんなわおんせん」と読める人は、かなりの温泉通である。)

 3時のチェック・インまで少し時間があったから、坊主地獄、海地獄、鬼坊主地獄を巡った。真っ青な海地獄と、泥の坊主が「ボコッ!」「プクリ!」と様々な表情を見せてくれる坊主地獄は見飽きることがない。春休み明けの別府地獄めぐりに日本人の姿は少なく、姦しい隣国の言葉が湯けむりを掻き乱す。開き始めたツツジを見ながら、円形の足湯にしばらく足を浸して、ほこほことふくらはぎを這い上がるぬくもりに目を細めていた。「捨てられた爺サマみたいだね」という夫婦の戯言に、傍らで足湯を楽しむ若いカップルが、くすくす笑いながら暖かいまなざしを注いでくれる。家内がチョコレートをお裾分けして、いつものように旅先の束の間のお友達にしてしまった。

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 初めての鉄輪温泉である。春休みが済んだばかりの観光端境期で客も少なく、二日間の展望風呂と露天風呂はいつも貸切だった。都合4度で10の湯船を浸りまわり、些か湯疲れ気味になるほど「塩化物・硫酸塩泉」を堪能した。効能書き「筋肉痛」と「関節痛」が真っ先に書いてある。「これこそ我が温泉!」と、ご満悦の姥捨て爺サマであった。
 展望露天風呂には直径2メートルほどの桶風呂が3つ置かれ、かけ流しの湯が溢れている。それぞれが微妙に湯温が異なるのが面白く、一つずつ身を沈めて溢れさせていった。烈風が海側に植えこまれた笹竹や八つ手、枯れススキを千切れんばかりに揺すり叩き、顎まで湯に沈めた顔を弄って過ぎる。吐口から落ちる湯の波紋を楽しみながら、リハビリ痛がたちまち消えていくのを実感していた。

 翌朝、発つ前に小一時間鉄輪の街筋を歩いてみた。小さな路地を連ねた奥に並ぶ、昔ながらの鄙びた湯治場を想像していた。記憶があまりにも古すぎた。整えられた石畳の坂道の両側に、こじゃれた店や足湯、足蒸し湯、100円で入れる町の温泉、中には無料の湯さえある。その所々に「貸間あり」という看板がある。
 手作りの小物を売る店のご主人にいろいろ教えてもらった。昔風の長逗留するなら、温泉蒸し窯付きの炊事場とトイレが共同で、自炊出来る部屋が3000円くらいからあり、2食付だと7~8000円からあるという。お勧めの宿を地図にマーキングし、わざわざ女将さんに電話して確かめてくれる親切さだった。「長逗留するなら、交渉の余地ありますよ。外食したくなったら前日に夕飯断ればいいし…」そんな1週間を、鄙びた宿のおかみさんの手料理で湯治するのもいいな、と心惹かれる湯の街である。
 
 昼近くから俄かに荒れ模様となり、名物の豚まんを買って車で帰途に就いた。別府湾SAの休憩所でお茶をもらって、豚まんでお昼にした。
 帰り着いたリハビリで「今日は、やけに肩が凝ってますね」と指摘される。湯疲れと、ハンドル操作の少ない高速道の運転が、かえって肩凝りを招いたとしたら、何のための湯治だろうと苦笑いする。やっぱり、1週間くらいの本物の湯治を実現しよう。
 気温は3月に戻っていた。本当に疲れる、今年の気候変動である。
         (2013年4月:写真:宿の展望露天風呂)

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