蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

「寒かねぇ!春は、まだかいな」

2015年01月14日 | つれづれに

 小吉で迎えた新年。アメリカに住む次女とお正月を過ごすのは何年振りだろう?カリフォルニア州デスバレーで、汗ばむ日差しを浴びながら迎えたのが、その年の新年だった。真夏は50度を超える灼熱の大地である。真冬こそが絶好の、そして安全な観光シーズンなのだ。塩の原野を駆けまわって、夕暮れと共に谷をめぐる稜線に上がり、ネバダ州のホテルで初夢を見た朝、辺りは真っ白の雪だった。
 だから、お御籤は「小吉」でも、寂しい老いの新年を華やかにしてくれた今年は、私たち夫婦にとっては「大吉」だった。遅めのお屠蘇と、関東風に博多の味付けを施した我が家のお雑煮で元旦を迎え、ほろ酔いを引き摺ったまま迎えた正月二日、太宰府に雪が舞った。それなりに、この辺りでは珍しいほどに激しい雪だったが、2センチほど積もっただけで、呆気なく雪景色は消えていった。
 その降る雪の合間を縫って、すっかり居ついてしまったメジロの番いが、燈篭の上に置いたミカンを啄みにやって来た。いつも二匹、「朝ご飯、食べたいよぉ!」と催促するように、早朝から紅椿の繁みの中でチュクチュクとうるさいほどに囀る。毎日、朝夕で二個。そのためにわざわざミカンを買いに走る。たまにお相伴にあずかると、何となくメジロのご飯を失敬しているような後ろめたさが付きまとうのが可笑しい。
 やがて、あらがましいヒヨドリがやってくると、メジロは追い払われる。激しくつつき、燈篭から落とし、皮まで毟って食べ散らかして飛び去っていく。メジロにとってはまさしく狼藉者である。だから、ミカンを置く前に大きく柏手を打ってヒヨドリを追い払い、紅椿のお宿に隠れるメジロを招くのだ。

 今年も300枚ほどの生存証明(年賀状)をいただいた。一枚一枚確かめ終わって、届かなかった友の安否がふと気になる瞬間が、年ごとに多くなる。
 「過ぎた日々を悔いず、来たるべき日々を憂えず、今が良ければ全てよし……そんな思いで、春和景明の日々を重ねています。気が付けば後期高齢者、願わくは光輝高齢者たらんと……それは、誰かのために生きていると、そして誰かに生かされていると実感することで始まるのかもしれません。」
 そう、年賀状に書いた。同窓の友からの年賀状に「高貴高齢者」とあって、思わずニンマリ。それぞれに表現は変わっても、老醜をさらさず、老害をもたらさずに、潔い老後を送りたいという悲願に変わりはないのだろう。
 変化の乏しい日々には違いない。「笑点」大喜利で日曜日と知り、「燃えるごみの日」で火曜日と金曜日を知る……そんなつましいリズムの中で、時たま癒しを求めて温泉に浸り、緑の風に吹かれて高原をドライブし、カサカサと落ち葉を踏みながら樹林を歩く。海外旅行にも、もうそれほどの魅力を感じないし……ある意味で、人生を極めたという穏やかな満足感がある。後ろを振り向けば、曲がりくねった歪な足跡が見えるのだろう。嫌なことから忘れていくから、常に「昔はよかった」という感慨に耽りがちだが、もう後ろは見ない。悪い記憶はホロホロと崩れていくが、いい思い出は決して風化しない。前を憂うることもやめた。今、この瞬間の足元だけを見詰めて、小さな喜びを重ねながら今年も生きて行こうと思う。

 ガラス越しに、またメジロと目が合ってしまう。雪の上で寒そうに少し身体を膨らませたメジロが、博多弁で問いかけてくる。
 「ほら、蝋梅も綻び始めたろうが。春は、もうそこまで来とうよ」

 「そうか、今年は昭和90年か」……この5月23日、我が家は金婚式を迎える。
               (2015年1月:写真:雪メジロ)

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