11時30分、Virgin Riverを渡り、R9号からR89号に移って、沿道の紅葉を愛でながら南に走った。走りすぎる車も少なく、広大な原野を地形の変化だけを楽しみながら走り続けた。ジプシー・キングスをCDで聞きながら、やがて12時50分、アリゾナ州にはいる。遠くに煙を吐く3本煙突が見え、その遥か彼方に鋭い稜線を持つ美しい山が霞んでいた。実は、今夜の宿がその山・San Francisco Peaks(3,900メートル)の向こうにあった。再び西部時間に戻り、いまは11時50分となる。
やがて、左手にGlen Canyon Damでせき止められた巨大な湖・Lake Powellが見えてくる。ダム・サイトでトイレ・タイムを取り、岩山に囲まれて曲折するダム湖の景観で目を休めたあと、少し走ってバーガー・キングでランチを摂った。
Pageの街をかすめた時、その街の名前に、記憶の底の何かが触れた。確かめる間もなく、娘が左にハンドルを切って土埃を立てながら未舗装の道に走りこんだ。何もない荒れ果てた原野は、ネイティヴ・アメリカン・ナバホ族の土地である。
原野にみすぼらしい1軒の小屋が建ち、数台の車が停まっている。娘が「小屋の方を見ないで、足元だけを見ながらついてきて!」という。何だろう、恐竜の化石でもあるのかな?と思いながら、乾き切った荒地の砂を踏んでついていった。何もない。砂と岩と潅木以外、生命の気配さえない荒野だった。200メートルほど歩いた時、地面に岩の割れ目が現れた。何気なく通り過ぎようとしたら、娘が「駄目駄目、その割れ目にはいって!」と言う。身を滑らせるように割れ目にはいった瞬間、思わず声を上げた。地底洞窟……というより、地隙。オレンジ色の様々な岩が美しい縞模様に彩られ、天井から射す光の中で幻想的に輝いていた。いつか娘から送られてきた写真で見た Antelope Canyonがそこにあった。娘がひと言も触れずに密かに用意した、究極のサプライズだった。
かつて此処は、Lake Powellの水底だった。涸れた大地にナバホ族が発見し、ナバホ族自ら管理する、事前に申請して許可をもらわないとはいることが許されない聖地である。きめ細かい砂が足元を優しく受け止める。幻想的空間に息を呑み、嘆声を上げながら、変幻限りない岩肌の襞に触れ、身を捩じらせて下っていった。岩と水と光が刻む大自然の驚異!言葉では言い尽くせない眺めに酔う、Narrow Canyon の神秘だった。
8月から10月にかけて、この砂漠地帯にも夕立が来る。烈しい雨は怒涛の鉄砲水となって砂漠を覆い、この割れ目に流れ込む。大型バスを押し流すほどの鉄砲水に逆らうことは出来ない。Canyonに流れ込んだ雨水は一気に天井までを埋め尽くし、観光客を地の底に押し流す。「上流で雷が鳴ったら、すぐに脱出するんだよ!と」娘が笑って言う。今は乾期だが、美しいこのCanyonが牙を剥いた痕跡は、天井近くにとどまっている流木や枯れ草に窺い知ることが出来る。
数百メートル下り降りたところで、長い鉄梯子を上って地上に戻った。地の底から這い上がった目に、日差しが強烈に眩しかった。
湖の畔に走り戻ってティー・ブレイクのあと、17時を過ぎたR98号を夕映えに染まりながら南下、San Francisco Peaksを右手に走りすぎて、18時30分アリゾナ州Flagstaffの町に到着。わがままなナビに振り回されながら、夜の底でようやく今夜の宿・ホテル・ウインダムに辿りついた。
近くのゴルフ場のクラブ・ハウスのレストランで美味しい夕飯とワインを堪能してベッドにはいったが、Antelopeの神秘の景観に興奮した頭が冴え、訪れる眠りは遅かった。「2010年の年賀状に添える写真は、これしかない」!……閃いた思いに安堵して、ようやく深い眠りが訪れた。
(2010年1月:写真:Antelope Canyonの幻想)