風になれたら

SUZUKI Bandit1250Sに乗って風になり
中島みゆきや渡辺美里を聴いて風になり
山を歩いて風になる

一勝一敗ってとこかぁ

2011-10-31 | 

10/30(日)にツーリングの仲間と木曾御岳山のまわりを巡る予定だったのだけれどどうも天気は怪しそうだ。

日曜日のツーリングは開催されたらもちろん行くのだけれど、金曜日に明日の天気予報は快晴で行楽日和です、なんてテレビで言ってるのを聞いてしまい急に紅葉を観たくなって栃木と群馬の山を目指すことにした。

ルートを考えていたら12時をまわってしまった。寒い所を走るからちゃんと寝ておこうと思い5時に目覚ましをセットした。

5時半に家を出て東北自動車道を北上した。気温は10度をちょっと越えた辺りだが冬用の格好なので寒さはあまり感じない。流石に手だけはちょっと冷たい。

西那須野塩原で降りて日塩もみじラインへ向かった。塩原温泉郷の辺りの紅葉はあとちょっとのようだ。温泉街へ向かうR400で新しいトンネルが開通していた。トンネルや橋は目的地までの距離と時間を短縮してくれるので喜ぶ人が多数を占めると思われるが、くねくね中毒のバイク乗りには無用の長物なのだ。そしてお目当てのもみじラインに入った。この道は名前の通りもみじが沢山あって紅葉の季節はとても鮮やかな景色を楽しむ事ができる。

いい感じで紅葉していた。ひゃ~と心の中で叫びながら走って行く。チェーン、スプロケット、ダンパー、ベアリングなどを交換してオイルもまだ新しい伴ちゃん(Bandit 1250S)は快調そのもの、傷んだ道も飛ぶように駆け抜ける。

一口に紅葉と言ってもいろんな葉っぱがあるのだ。

山の上の方はもみじやカエデがなく、から松の黄葉となっているのでちょっと寂しい感じだ。

もみじラインは龍王峡近くの方が鮮やかな紅葉が見られるのだけれど、見頃まではもう少しと言った感じだった。

それでもこんな色の変化には心が踊る。

くねくね走って体も少し温まったようだ。次に向かったのは湯西川だ。湯西川へ向かう途中の五十里湖の水面に紅葉した山々が映っていた。

湯西川のダム工事はどんな感じかなと思いながら向かったらすぐに橋とトンネルの新しい道になってしまった。

何度も言うがくねくね中毒者は水底に沈んでしまう次の写真のような川沿いのくねくね道が好きなのだ。

あっという間に湯西川温泉街に着いてしまった。新しい道は今年の夏に開通したらしい。

温泉街の手前には水没する地区の人たちの家と思われる集合住宅が建ち並んでいるのが印象的だった。

温泉街を過ぎるとそこからは人家のない山道となる。

K249を抜けたら鬼怒川沿いに川俣小方面に向かう。途中共同湯に寄った。源泉掛け流しの無色のお湯のようだ。体を沈めるととろりとしたお湯が包み込んだ。飲んでみたら少し苦かった。

奥鬼怒林道に向かう橋の上から間欠泉が見えた。前回は待ちくたびれて見るのを諦めたが、今回はうまい具合に吹き出す所を見ることができた。数十分待って吹き出すのは一瞬なのだ。

奥鬼怒林道は山道を十分楽しめる。こんな山の中を走り続けた。

峠を越えて開けた場所に出た。から松の森が続く。北海道みたい。

青空にナナカマドの赤が映える。

金精道路から湯の湖と男体山を望んだ。

山道ばかり走っていたのでお昼をまだとっていなかった。地図に載っていた渓流魚の美味しいと言う店に入った。先客は誰もいなかった、やってしまったか。

メニューを見ると渓流魚はシーズンオフのようだ。蕎麦でもと思ったらどれもいい値段だ。窓にはハエとカメムシ、上等だ。頼んだ天もりが出てきたが写真を撮るまでもない感じだった。

半値の価値しかないのでそそくさと食べて店を出た。すると同じ情報を見たと言うバイク乗りがやってきたので思わず止めた方がいいですよと言ってしまった。

坤六峠に行こうと思っていたのだけれど疲れが出てきたので真っ直ぐ帰ることにする。早めの帰宅なので高速の渋滞はなく18時過ぎに家に着いた。

2年前に似たルートを走った時の日記がコチラにあるので時間のある方はどうぞお読み下さい。

今日の走行距離は548km、伴ちゃん(Bandit 1250S)のオドメーターは46,341kmとなった。

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一日遅れの贈り物

2011-10-27 | つぶやき

10/26発売、一日遅れで届いたSteve Jobsの伝記と中島みゆきの新曲「荒野より」

好きだな、この2人。

でも上司だったらきっと枕を濡らす事だろう。

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荒野より君に告ぐ

2011-10-17 | 中島みゆき

TBSのドラマ「南極大陸」が始まった。戦後復興回顧録に涙腺が弛んで弛んで、歳をとると何処も彼処も弛んでくるのだ。

主題歌は敬愛する中島みゆきの「荒野より」だ。ドラマのエンディングで流れてきて涙も流れた。そして来週の予告終了後に「荒野より」のCMにみゆきが出てきて「荒野より君に告ぐ」ってこちらを向いて言ったので卒倒しそうになった。

いい歌だから聴いてね、気にいったら買ってね。歌詞はコチラ、犬の気持ちになって書かれたこの歌を聴いて僕も犬の気持ちになってしまった。

そして11/16発売のアルバムタイトルも「荒野より」だ。渾身の作品だと思う、まだ聴いてないけどきっとそうなのだ。

そしてそして10/22深夜、福山雅治のオールナイトニッポンにみゆきが出演するとのことだ。福山はみゆきが以前所有していたヤマハのギターを現在持っていると聞いた事があるけれど本当だろうか、その話も聞けたらいいね。

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どちらがお好き?

2011-10-16 | バイク

前回のチェーン交換から22,500km走った。ジュラルミン製のスプロケットが少し削れてきたのでそろそろ交換時期だ。

行きつけのショップに行くともう交換ですか?と聞かれたので22,000~23,000km走ったことを伝えた。よく走りますねと思ったに違いないのだ。

チェーンはRK GV530X-XWで耐久性が高く伸びにくい良いチェーンだった。色はゴールドでこんな感じだった。

今回スプロケットは前と同じSUNSTAR RS-108を、チェーンはRK GP530-XWを選択した。

せっせとチェーンの保護用グリスを落としていると通りすがりの子供におじさん何やってるの?と聞かれた。

一緒にいたお父さんがおじさんて言うんじゃないと言うので子供からしたらおじさんだなぁとぼんやりと思った。

どうみてもお兄さんじゃないしなぁ。流石におじいさんと言われたらショックだと思うが。

GP530-XWはシルバーなので見た目の印象がかなり違う。GPはGVよりも重いチェーンだが取り回しも乗った感じも明らかに軽くなった。やはり摩耗や劣化によって摩擦が増えていたのだろう。秋のツーリングに向けて死角はない。

 

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持つべきか持たざるべきか

2011-10-11 | 

バイクでキャンプに行く時、車に比べて積める荷物の量はどうしても限られてしまう。

キャンプツーリングを始めたのは1991、2年ぐらいからだと思う。それまで泊まりのツーリングは行ったことがなかった。

持って行った道具はテント、シュラフ、マット、ストーブ、クッカー、ランタン、パイプイス、着替え程度だ。

2006年ぐらいまではその程度で荷物を積むとこんな感じだった。ほとんど目立たない。

それから2年程バイクから離れ2009年からキャンプツーリングを再開した。

パニアケースが2つで70リッター、中身は前とそれほど変わっていない。それに折りたたみの大きなイスを使っていた。

2010年、パニアと昔使っていたラフ&ロードのシートバックの組み合わせになった。イスは小さくなった。

焚き火台とツールのセットを持っていたのだが重いのでバイクではなかなか出番がなかったが括り付けて連れて行くこともあった。

焚き火セットがないとすっきりとした感じだ。

2011年、90リッターのダッフルに焚き火セット、釣り道具とウェダーを詰め込んだ。

中に入れた炊事セットの箱も大きい。タープも持った。空いたスペースには三脚、折り畳み傘、斧も入れた。着替えも数日分持った。

で、先月訪れた北海道で1回しか使わなかった道具は三脚、折り畳み傘、ウェダーで、焚き火セットは1回も使わなかった。着替えは雨の日に洗濯するので半分しか使わなかった。

多くの荷物を積めるのであれもこれもと入れてしまったのだがもう少し軽量化しよう。重いので傾斜地で駐車すると動かすのに一苦労だ。

で、キャンプじゃない泊まりのツーリングだとこんなにすっきり。

 

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20年ぶりの野音

2011-10-10 | その他音楽

10/2(日) 曇り

親父の聖地と呼ばれる新橋、ここはSL広場。戦後の日本を走り続けたこのSL、その距離なんと1,083,975km、地球を27周してるんだ。

これは沢山走ったのか少ないのかわからないので探してみるとこの倍以上も走ったものがあるのだ。

ガード下の店を覗きながら会場に向かう。サンクスもガード下なのだ。

通勤電車から見えるビルの前にテレビ局と警察の車両が停まっているビルがあって何かなと思っていたら東京電力本社だった。

程なく日比谷公会堂が見えた。20年ぐらい前エルビス・コステロのライヴに来た事がある。こんなに古かったかな。

今日はこの隣の日比谷野外大音楽堂にDo As Infinityの結成12周年記念ライヴにやってきたのだ。ライヴの正式タイトルは"Do As Infinity 12th Anniversary ~FREE SOUL! FREE SPIRITS!~Vol.3~"だ。

野音に来るのは久しぶりだ。20年ぐらい前RCサクセション、小比類巻かほる、ECHOESなんかを観に行った。

会場はDo Asファンでいっぱいだ。今回のライヴのマフラータオルは明るい水色地でライヴのタイトルがピンクと黄色で書かれている。1本行っとくぅ?とVANちゃんが言った、ような気がしてグッズコーナーへ向かったがすでに売り切れであった。

オープニングは松本淳さんのドラムだ。松本さんは昔チューリップや美里のバンドで活躍していたのだ。スティックを使った小技で観客を笑わせてくれた。

歌うVANちゃん、ギターを弾く亮ちゃん、Do Asのライヴは年々進化している。最初から最後まで楽しませてくれるライヴだった。会場の一体感は凄いがみんなと同じアクションをするのは苦手なのでへらへらと体を揺らした。

デビューアルバムがかなり好きなのだがそこからの選曲はPainfulだけだった。Painfulの亮ちゃんは面白かったがもう少し真剣に歌ってもいいんでないかいと思った。

メンバー紹介でコーラスの村石有香さんの時にVANちゃんが誰もが知っている曲を歌っていると言い、村石さんがその歌を歌ってくれたのだけれど知らなかった。

家に帰ってわかったのだがキテレツ大百科のお料理行進曲と言うらしい。Do Asのファン層との年齢差(>10)を感じた瞬間だ。

アンコールでVANちゃんがギターを抱えた。やった、ワンダフルライフだ。ほのぼのしていて将来に希望が持てるような歌だ。

2時間半、きっちりと聴かせてくれた。野音はいいね、静かになると虫の音が聞こえてくる。もうすっかり秋だ。

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あともうちょと(紅葉と新蕎麦)

2011-10-09 | 

10/9(日) 晴れ

三連休の中日、秋を求めて長野に向かった。朝4時、まだ暗い中を出発した。関越自動車道の昭和ICからロマンチック街道を走って草津へ向かう。

走り慣れた道だ。中之条のいつものセブンイレブンで休憩した。家を4時に出るとだいたいここに7時に到着する。群馬県道55号の暮坂峠も好きな道の一つだ。

8時前に志賀草津道路はすでに車が連なっていた。あと1時間早く出れば空いているかもしれない。草津から白根山に向かっていると緑の山肌にアクセサリーに様に赤や黄色の紅葉が見える。いいね。駐車スペースがないので写真はない。やっぱり乗りながら撮らなきゃだめだな。

久しぶりに渋峠に寄ってみた。こちらは青空だ。

芳ゲ平には薄い霧が出ていた。

志賀高原の紅葉はまだ最盛期に及んでいなかった。それでも一沼はカメラマンで溢れていた。

丸沼も琵琶沼も紅葉は今ひとつだった。水無沼に続く道に尾花が咲いていた。

"春は菜の花、秋には桔梗、そしてあたしはいつも夜咲くアザミ"と中島みゆきは歌ったがアザミは昼も咲いているのだ。

まだ10時、戸隠に蕎麦を食べに行こう。信州中野から北信五岳道路を行く。山は見えるし、リンゴ畑は見えるし、交通量は少なくないが快走路で一押しだ。

途中子供の頃に見た風景を思い出してちょっと立ち止まった。

リンゴも実った。道端にあるので盗まれないか心配になってしまう。

県道36号で戸隠に向かう。日も高くなり車も多くなった。あっ、蕎麦が刈り取られている。もしかして新蕎麦にありつけるか?向こうに見えるのは黒姫山だ。

戸隠で前を通るといつも混んでいる蕎麦屋「そばの実」に入ってみた。戸隠で2番目ぐらいに人気の店だ。

最近食べ物屋に並んでもいいかなと思うようになった。と言うよりここまで来るまでに休憩らしい休憩を取っていなかったのだ。

待つ事40分、店に入って天ざるを注文した。

店内は綺麗で落ち着いており店員の応対も良い。お茶、蕎麦、天ぷら、どれも隙がない。誰かを連れてきても間違いない店だと思う。

蕎麦は香りを期待したがどうも新蕎麦ではないようだ。家に帰って確かめると戸隠の新蕎麦は11月に入ってからが多いようだ。

食べ終わったらなんか疲れが出てきたので家に直行する事にする。早めの帰宅で大渋滞を避ける事ができた。

今日の走行距離は641km、伴ちゃん(Bandit 1250S)のオドメーターは45,761kmとなった。

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北海道ツーリング2011  エピローグ

2011-10-08 | 

お土産に買った六花亭のお菓子の詰め合わせに入っていた十三戸と言うお菓子。家の形をしているけれど十三戸ってなんだろう。どこかの集落に十三戸の家があったのかな?

六花亭のホームページで調べてみた。以下は六花亭の商品説明より。

"帯広開拓の祖、依田勉三翁はじめ晩成社の皆さん13世帯27名が入植されたのは明治16年5月でした。十勝特産の小豆を主原料に、初雪の舞う、わらぶきの家をイメージした焼き菓子です。"

で依田勉三を調べてみると"昭和16年(1941年)6月、中島武市によって帯広神社前に銅像が建立された。この銅像は戦時中に金属応召によって供された。"とWikipediaにあった。

おおおおお!中島武市と言えば中島みゆきのおじいちゃんではないか。武市は帯広の名士である。一個のお菓子からみゆきに辿り着いてこの旅を終えたいと思う。




 

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北海道ツーリング2011  家路へ

2011-10-07 | 

9/26(月) 曇り

10時に仙台へ入港した。最初に感じたのは復興の雰囲気だった。

フェリーで知り合った仙台のハーレー乗りが仙台の海岸近くの道を案内してくれた。変形し錆びて茶色くなった列車が道の脇に横たわっていた。時々見かけるくしゃくしゃになった車、その先に荒浜地区があった。基礎だけになった家が並ぶ。胸の奥が熱くなった。

東北自動車道を南下する。数時間走って都内に入った。平日の都内は混雑しているが追い越しもすり抜けもする気がせずゆったりと家まで帰った。

すっかりセメント色になった伴ちゃん。

前輪もこの通り。早く洗わなければ。

楽しく、厳しく、出会いも会った旅であった。ありがとう。

本日の走行距離は411km、今回の北海道ツーリングの走行距離は11日間で2,848km、伴ちゃんのオドメーターは45,095kmとなった。あっ、44,444kmのぞろ目を撮り損ねた。

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北海道ツーリング2011  北の国から黄色いハンカチ

2011-10-06 | 

9/25(日) 晴れ

今日も晴れた。最後に晴れてくれてありがとう。がっつりと朝ご飯を食べて富良野へ向かった。昨日の続きで北の国からのロケ地を巡る。

最初に訪れたのは中畑和夫(地井武男)の中畑木材だ。

小野田旅館、蕎麦屋が有名だがまだ早いので暖簾は出ていない。

そして拾って来た家-やがて街へ。五郎(田中邦衛)が廃材で作った家が建ち並んでいる。

これは純(吉岡秀隆)と結(内田有紀)の家。バスをそのまま利用している。

雪子(竹下景子)の家。ゴンドラや電話ボックスが使われている。

すみえ(中島ひろ子)の家、中畑和夫が奥さん(清水まゆみ)を亡くし1人建築中のこの家の中で泣いていたシーンが印象的だ。

五郎が一時期住んでいた小屋のような家。

家の中に古いバイクが置かれていた。オイル漏れが気になるところだ。

次に石の家に向かった。遠くから見てこの建物が一番見応えがある。

最初の家も復元されている。こんなに小さかったのか。

純、蛍(中島朋子)、雪子が寝ていた屋根裏部屋に登った。そうそう、こんな感じだった。

外には五郎の車が置いてあった。

歩いたら少し暑くなって北海道に来て初めてソフトクリームを食べた。牧場のソフトクリームはやはり濃くて美味しい。

最後は麓郷の森へ向かった。ここが一番最初にオープンした場所だと思う。これは丸太の家。

3番目の家、古くなり危ないので中には入れなくなっていた。以前訪れた時から年月が経ったことを実感する。

北の国からのロケ地巡りでおなかいっぱいになった。富良野から苫小牧を目指す。いよいよフェリーに乗って帰る時がやってきた。

道道135からR452に入る。車とバイクは多めだ。途中国道は左に曲がる、真っ直ぐ行くと札幌だ。左に曲がると車は全くいない。

幾春別川と夕張川沿いを行くこの国道は走り応えがあった。40kmに及ぶくねくね道、追い越す車も追い越される車もいない、1台の車と1台のバイクとすれ違っただけだった。

最後の最後に走り倒してしまった。この国道の上には新しい真っ直ぐな道路が造られ始めていた。

シュウパロ湖と言うダム湖に到着した。1人のおじさんが熱心に写真を撮っていたので訪ねると世界にロシアとここにしかない三弦橋と言うらしい。木材運搬用の軌道だったらしい。今あるダムの外側に建設中の夕張シューパロダムが完成すると水没してしまうとの事で観に来たそうだ。R452も何分の一かは沈んでしまうのだ。

夕張で幸福の黄色いハンカチのロケ地を訪れた。高倉健、倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおり、豪華な出演者だった。

武田鉄矢の気持ち悪さが良く出ている好きなロードムービーだ。炭坑住宅のセットが残されている。

住宅のセットの中にはあの赤いファミリアが置かれていた。部屋の中は壁も天井も幸福のメッセージで埋め尽くされていた。

僕も書いたがなんて書いたのか忘れてしまった。

苫小牧に向かうR234は好きな道だ。360度畑が広がり秋っぽくなった雲がどこまでも続いていた。

この風景をできるだけ長く眺めていたくて地元の軽自動車と供にのんびりと走り続けた。

苫小牧の街に近づくと片側4車線の道路に変わりアメリカのハイウェイのようだと思った。左手にはコンビナートが見える。

そう言えば昼ご飯がまだだった。フェリーの乗船手続きまでまだ時間があるので港近くの回転寿し、海天丸に入った。地元の人が多く入っているだけに新鮮で美味しいネタが揃っていた。

最後の最後にちゃんとした生ものを食べることができた。1000円ちょっとで5000円分ぐらい楽しんだ、気がした。

フェリー乗り場で知り合ったおじさんとフェリーで旅の思い出を語り合った。千鳥足で満員の2等室に行って寝たが2時間で目が覚めてしまい本を読んだり音楽を聴いたりして暫く過ごした。

今日の走行距離は228kmであった。

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ありがとう、そしてさよなら Steve

2011-10-06 | 日々のこと

Appleの創設者Steve Jobsが逝ってしまった。Macとの出会いは就職した年だった。Windowsより遥かに優れたインターフェースとグラフィックス機能を持っていた。仕事では使っていたが、まだまだ高価で僕にとって自宅用に買えるものではなかった。その頃SteveはAppleを追い出されていた。SteveがAppleに復帰する頃社内のMacは駆逐されWindowsに取って代わられた。

1999年、自宅のPCを買うにあたりMac G4を買った。それからiPod、iMac、iPadなど生活を楽しく豊かにしてくれる物がいつもそばにいる。

数年前Apple本社近くに住んでいた。彼の通ったHomestead High Schoolの前を通って彼の通ったCupertino Junior High Schoolで開かれる日本語補習校に毎週末娘を連れて行ったものだ。Steveがここを歩いていたのだなと時々思うことがあった。

ありがとう、そしてさよならSteve。

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北海道ツーリング2011  北の国へ

2011-10-05 | 

9/24(土) 晴れ

雲の切れ間に少しだけ青空が見える朝だった。素早くテントを撤収しバイクに跨がった。

山を降りてシイシカリベツ川に出会うまで鹿の群れに何度か遭遇した。事故にならないよう注意して進んだ。

ちょっと時間があるので竿を出してみた。川は3日前の台風15号で荒れていた。

水量も多く魚がいそうな雰囲気もなかった。1時間程で釣りを切り上げてナイタイ高原に向かった。ナイタイ高原へは10km直進、左折し10km直進、左折し10km直進と言う恐ろしい道のりであった。

高原が近づいて来ると高原は厚い雲の中で十勝平野は全く見えそうにないので寄らずに三国峠方面へ向かった。

糠平湖周辺には廃線後の朽ち果てた橋や軌道の後が残されている。

16年前糠平湖でキャンプした時対岸のサワト温泉に浸かったことが懐かしい。湖岸の熱めの温泉であった。

視界が突然明るくなった、白樺の続く道だ。

何度も写真で見たこの風景、実際に見てみるとそれほどの感動はなく。。。

三国峠には山小屋風のPAがあった。とても暖かい雰囲気が漂っている。

チキンカレーとフレンチコロンビアコーヒーの朝食。フライドポテトがアクセントになっている。三国峠でお腹が空いたらここに来よう。

大雪山系の山に白い物があった。万年雪だろうか。層雲峡で流星の滝と銀河の滝に寄った。山の上から勢いよく水が落ちて来る。

滝近くの駐車場のバイク置き場に入ろうとすると外国人の団体が横切って行った。横切り終わったのでバイクを入れると彼らが戻って来て横に停めてあったGSX-Rに跨がって写真を撮り始めたではないか。伴ちゃん(僕のbandit 1250S)に跨がられるのは望ましくないのでヘルメットをシートの上に置いて暫く見守った。

層雲峡から先は車が多かった。旭川の街を道道でパスして美瑛に向かった。

セブンスターの木。昔吸っていた煙草なので思わず行ってしまった。煙草は辞めて13年になる。やっと吸っていた期間より辞めてからの期間が長くなった。

ここにもひまわり畑があった。カレンダーみたいな風景が続く美瑛の丘をぐるぐるした。

今日は日が高いうちにキャンプ場に入って濡れたり湿ったテント、タープ、雨具、シュラフを乾かした。

と思ったらにわか雨が降ってきて大慌てで取り込んだ。あんなに晴れていたのに。

そして北の国からのロケ地富良野へ向かった。純(吉岡秀隆)とシュウ(宮沢りえ)がデートでボートに乗った鳥沼公園を左に折れて麓郷を目指した。

れいちゃん(横山めぐみ)の自転車のチェーンが外れたのは公園からちょっと行った展望台の近くだ。れいちゃんは可愛かった。そして尾崎が好きだった。

草太兄ちゃん(岩城滉一)のフェニックス牧場を越えて

純と蛍(中嶋朋子)が通っていた小学校の校庭にお邪魔し、先生はなんと原田美枝子!何がなんとなのか分からない。

このまま観光していると時間が足りないので布部駅に向かった。倉本聰の直筆で北の国此処から始ると書かれている。

この辺につらら(熊谷美由紀)が立っていたなとか雪子(竹下景子)が列車に乗って行ったなとか思い出した。

駅舎は建て替えられたがホームの雰囲気は当時のままだ。

その後おさらいを兼ねて富良野駅近くの北の国から資料館へ向かった。走馬灯のようにシーンが蘇る。

衣装や小道具も展示されていて北の国からファンにはたまらない場所だ。

そして最後に五郎(田中邦衛)の遺言を読んで泣いてしまった。

今日行けなかった場所は明日に廻る事にして吹き上げ温泉白銀荘に向かった。上富良野の日の出公園キャンプ場に泊まると割引券がもらえるのだ。

十勝岳と遠くの雲が夕陽でピンク色に染まっていた。温泉に向かうくねくね道をぐんぐん登っていくと沈んだ太陽がまた見えてきた。

夕陽を見ながら入れる露天風呂は気持ちよかった。

キャンプ場に戻って夜の宴だ。アスパラの炒め物、舞茸のみそ汁、鶏肉のニンニク醤油焼き、買ったサーモンのクリームコロッケをビールと供に戴いた。その後ご飯もしっかり食べた。

北東方面の星空がよく見えた。iPadで照らし合わせてよく見るカシオペアの他にペルセウス、牡羊座、白鳥座、木星を見ることができた。

このキャンプ場はSoftBankのWi-Fiが使えたのでびっくり、でもほとんど使わなかった。

明日は北海道を去る日だ。あっという間の出来事のようだ。

今日の走行距離は370km、早起きすると結構走れて時間の余裕もあるのだ。

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北海道ツーリング2011  独りの夜

2011-10-04 | 

9/23(金) 曇り

朝6時過ぎに目が覚めた。10時間ぐらい寝てしまった。雨は止んだようだ。

林の中の朝は新しい空気に満ちている。

オンネトーを一周歩いた。オンネトーはアイヌの言葉で年老いた沼と言う意味だ。太陽が出ていないので湖の色の変化はあまり見られなかったがこうして歩くのは気持ちいい。

簡単な食事を済ませて帯広に向かった。途中足寄のセイコーマートで休憩した。携帯が繋がったり暖かい飲み物をすぐに飲めるのはありがたい。

給油したスタンドのおじさんと話をした。スタンドで話をするのはだいたいおじさんだ。おじさんは学生時代下北沢に住んでいたそうだ。昨日雌阿寒岳で遭難事件があったと教えてくれた。そう言えばオンネトーに向かう途中の雌阿寒温泉に消防と警察が集まっていた。

以前足寄を通った時にあった千春の家はこちらと書かれた看板を見つける事ができなかった。今もあるのだろうか。

中士幌でヒマワリが満開だったのでUターンして観に行った。

太っ腹な農場主だ。牧草を丸めたロールベールに登って撮影もできる。素晴らしい農場主だ。ここに登るだれもがが笑顔になっていた。

帯広の街でまず向かったのは柏葉高校だ。16年前に訪れた時この裏口に向かう道は砂利道でこの辺りに古びた木造の講堂があったと記憶している。まだ高校生の中島みゆきが文化祭でステージに立った講堂だ。

ちなみに吉田美和もこの学校の卒業生だ。みゆきが通った帯広第三中は以前行ったし昔の面影はないと予想され行くのはやめてしまった。その代わりにみゆきが眺め

ていたであろう帯広川の土手に行ってみた。

お腹も空いてきたので豚丼の店ぱんちょうに向かった。慣れぬ街で駐禁を取られるのを恐れて普通の駐車場にバイクを停めてしまったがバイクの駐車には寛容だったかもしれない。以前偶然入った店だが超有名店でこの日は長蛇の列ができていた。実は食べ物屋に並ぶのはディズニーリゾートを除けば初めてだ。

店に入ると東京のハーレー乗りと相席になって話をした。彼は北海道に来ると必ずこの店に来ると言う。松、竹、梅の順に豚の枚数が増えていくのだがこの上に華と言うのができていたのでそれを注文した。梅がいいのは梅ばあさんがいたからだと聞いている。味噌汁が別料金なのは玉に瑕だがまぁ許そう。

すごいボリュームだ。しまった、この後六花亭に行ってデザートを食べようと思っていたのだ。柔らかいが歯ごたえのある豚肉に塗られた醤油の焦げた香りがいい。完食し、甘い物は別腹、別腹と唱えながら六花亭の本店に向かった。

店舗でのみ販売されているサクサクパイを食べるのが目的だ。勇んで2階の喫茶部に突入した。店内は家族連れや恋人同士、友達同士で賑わっていた。男1人は俺だけのようだ。じゃじゃーん、これが140円。ほんとにサクサクで上品な甘さ、3本ぐらい行けそうだ。

そしてモンブラン200円、こちらはちょっと甘くてコーヒーと一緒に戴くと丁度よかった。ここはピザも有名らしいので今度はピザにも挑戦してみたい。

1階で家と職場にお土産を買ってクール便で送った。1階にはケーキを買って食べられるスタンドコーナーがあってコーヒーを無料で飲めたらしい。こっちでも良かったか。そしてきびきびと働く六花亭の女性スタッフは印象的だった。また来よう。今日はもう夕食は要らないだろう。お腹いっぱいだ。

今日の宿泊予定地のキャンプ場国設然別峡に向かった。帯広は曇りであったが山の中はまたしても雨だった。もうすっかり雨に慣れてしまったので早めに雨具を身に着けた。

山の中のキャンプ場に着くと2日前の9/21から台風の影響で閉鎖中であった。困った。管理する役所に電話を使用かと思ったが今日は祝日、その前に携帯は無情にも圏外だ。キャンプ場の奥にある川沿いの露天風呂鹿の湯を見に行った。台風で水没したようで湯船の中は冷たくとても入れたものではない。

北海道の夜は早く5時をまわったらすぐに暗くなってしまう。他のキャンプ場にこれから行くよりここで夜を明かしてしまった方がいいだろう。駐車場を間借りして寝てしまおう。

6時頃熊鈴を鳴らしながらやってきた地元の人が温泉の様子を聞いてきた。テントの中から様子を話したがその後見に行ってやはり入るのはやめたそうだ。牡鹿がそこにいて逃げないので気をつけて下さいねと教えてくれた。外を見るのはやめておこう。半径6km以内にいる人間はおそらく僕だけと言う状況の森の中で寝ると神経が研ぎ澄まされてくる。でもすぐに寝てしまったのだった。

今日の走行距離は191kmであった。

 

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北海道ツーリング2011  長い夜と長い朝

2011-10-03 | 

9/22(木) 暴風雨のち雨

台風が近づいている。風の音で目が覚める。午前3時、雨が吹き付ける中ペグの刺さり具合を確かめた。防風林を越えて吹く風が唸っている。直近の台風情報を見ると15m以上の暴風域に入ったようだ。台風の進路が外れる事を願った。あと9時間はこの状態が続くだろう。午前5時、明るくなって来たが雨と風は強くなる一方だ。テントが大きく揺れる。7時、大分明るくなった。明るくなるにつれ安堵感も大きくなっていくがまだ雨と風が強い。あと少し耐えよう。

今回の教訓、台風の進路から離れよう。離れられない時はテント泊はやめよう。

お昼過ぎ、ようやく雨がやんだ。風はまだ強いが出発しよう。台風から遠ざかるのだ。今日の宿泊地はオンネトーだ。

台風の影響が残る根室海峡は波飛沫が飛んで来る。バイクも斜めでないと走れない程だ。海から少し離れると風は急激に弱まった。

開陽台へ向かう北19号線を振り返るとこの景色だ。

開陽台は360度見渡せる高台だが今日は北側は厚い雲で覆われていた。雨がぱらついてきたので展望台には登らず出発した。冷えたので弟子屈でラーメンを食べようと思ったのだが市街地を通過してしまったので阿寒へ向かった。

雨が強くなってきたので吹雪よけシェードで雨具を身に着けた。

阿寒で温泉に入ろうかと思っていたのだけれど行こうと思った温泉をなかなか見つけられずコンビにに寄った後オンネトーに向かった。開陽台からずっと雨でココロも随分萎えてきた。

オンネトーに到着し湖面を覆う一面の靄を見たらかなり疲れが取れた。オンネトーを訪れるのはは3回目だが宿泊は初めてだ。宿泊者は僕を入れて2名だけ。気温は一桁だ。

雨の中でテントを張ったら近くの雌阿寒温泉に行く元気がなくなってしまい、カップの蕎麦を食べて寝てしまった。

今日の走行距離は158km、数時間の移動であった。

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北海道ツーリング2011  嵐が近づいて来る

2011-10-02 | 

9/21(水) 曇りのち雨

風邪は悪化しなかった。今日はどうしよう。台風が近づいていると言う。テント泊の人々はみな旅だってしまった。オンネトーに移動しようかと思ったのだけれど、移動は面倒だと思う程まだ体が重かった。今日はここに留まろう。ここは湾の奥なので波の心配はないが風は強い。

まずテントを窪地の風が弱い場所に移動した。たぶん耐えてくれるだろう。今日はテントは駄目ですよ、と言われないのであくまでも自己責任だがいざとなったら管理棟に避難しよう。

少し体調が良くなったので野付半島に向かった。トドワラ(トドマツやエゾマツが枯れて風化したもの)は風化によって年々消滅していっているようで10数年前に訪れた時より随分寂しくなっていた。なので写真はナラワラ(ミズナラの立ち枯れ)の様子だ。

すっかり冷えてしまった。冷えた身体には温泉だ。野付温泉の共同湯浜の湯に行った。ここは一押しの温泉だ。じゃぶじゃぶ温泉が垂れ流れている、いや掛け流しと言うのだったな。ぬるりとしたナトリウウム塩化物の温泉だ。施設内にはアルカリ性の単純泉もあるがヌルリ系の方が効きそうだ。露天もあるが寒くてぬるかったので内風呂を楽しんだ。客は僕だけで数メートルの湯船を独り占めだ。ここはいい。また来よう。

キャンプ場に帰ったら雨風が強くなる前に夕飯だ。尾岱沼の漁港で買った北海シマエビの塩茹ではとてもいい色をしていた。頭部のみそ部分が濃厚な出汁のようでくらくらする程だ。旨いよ、これ。できたら野付湾に浮かぶ帆掛け船の漁を見てから生で食べてみたいものだ。

帆立は時化でナマはないとの事なので冷凍物で我慢だ。バターがないのでオリーブオイルと醤油で殻付きのまま焼いていく。帆立ってこんなに甘いんだと思った。

帆立はあと2枚食べてお腹も満たされた。今日の走行距離は71km、ビールとワインで眠くなってきたので寝てしまおう。

雨と風が次第に強くなって来たようだ。でもまだ幸せ。

 

 

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