風になれたら

SUZUKI Bandit1250Sに乗って風になり
中島みゆきや渡辺美里を聴いて風になり
山を歩いて風になる

北海道ツーリング2011  北の国から黄色いハンカチ

2011-10-06 | 

9/25(日) 晴れ

今日も晴れた。最後に晴れてくれてありがとう。がっつりと朝ご飯を食べて富良野へ向かった。昨日の続きで北の国からのロケ地を巡る。

最初に訪れたのは中畑和夫(地井武男)の中畑木材だ。

小野田旅館、蕎麦屋が有名だがまだ早いので暖簾は出ていない。

そして拾って来た家-やがて街へ。五郎(田中邦衛)が廃材で作った家が建ち並んでいる。

これは純(吉岡秀隆)と結(内田有紀)の家。バスをそのまま利用している。

雪子(竹下景子)の家。ゴンドラや電話ボックスが使われている。

すみえ(中島ひろ子)の家、中畑和夫が奥さん(清水まゆみ)を亡くし1人建築中のこの家の中で泣いていたシーンが印象的だ。

五郎が一時期住んでいた小屋のような家。

家の中に古いバイクが置かれていた。オイル漏れが気になるところだ。

次に石の家に向かった。遠くから見てこの建物が一番見応えがある。

最初の家も復元されている。こんなに小さかったのか。

純、蛍(中島朋子)、雪子が寝ていた屋根裏部屋に登った。そうそう、こんな感じだった。

外には五郎の車が置いてあった。

歩いたら少し暑くなって北海道に来て初めてソフトクリームを食べた。牧場のソフトクリームはやはり濃くて美味しい。

最後は麓郷の森へ向かった。ここが一番最初にオープンした場所だと思う。これは丸太の家。

3番目の家、古くなり危ないので中には入れなくなっていた。以前訪れた時から年月が経ったことを実感する。

北の国からのロケ地巡りでおなかいっぱいになった。富良野から苫小牧を目指す。いよいよフェリーに乗って帰る時がやってきた。

道道135からR452に入る。車とバイクは多めだ。途中国道は左に曲がる、真っ直ぐ行くと札幌だ。左に曲がると車は全くいない。

幾春別川と夕張川沿いを行くこの国道は走り応えがあった。40kmに及ぶくねくね道、追い越す車も追い越される車もいない、1台の車と1台のバイクとすれ違っただけだった。

最後の最後に走り倒してしまった。この国道の上には新しい真っ直ぐな道路が造られ始めていた。

シュウパロ湖と言うダム湖に到着した。1人のおじさんが熱心に写真を撮っていたので訪ねると世界にロシアとここにしかない三弦橋と言うらしい。木材運搬用の軌道だったらしい。今あるダムの外側に建設中の夕張シューパロダムが完成すると水没してしまうとの事で観に来たそうだ。R452も何分の一かは沈んでしまうのだ。

夕張で幸福の黄色いハンカチのロケ地を訪れた。高倉健、倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおり、豪華な出演者だった。

武田鉄矢の気持ち悪さが良く出ている好きなロードムービーだ。炭坑住宅のセットが残されている。

住宅のセットの中にはあの赤いファミリアが置かれていた。部屋の中は壁も天井も幸福のメッセージで埋め尽くされていた。

僕も書いたがなんて書いたのか忘れてしまった。

苫小牧に向かうR234は好きな道だ。360度畑が広がり秋っぽくなった雲がどこまでも続いていた。

この風景をできるだけ長く眺めていたくて地元の軽自動車と供にのんびりと走り続けた。

苫小牧の街に近づくと片側4車線の道路に変わりアメリカのハイウェイのようだと思った。左手にはコンビナートが見える。

そう言えば昼ご飯がまだだった。フェリーの乗船手続きまでまだ時間があるので港近くの回転寿し、海天丸に入った。地元の人が多く入っているだけに新鮮で美味しいネタが揃っていた。

最後の最後にちゃんとした生ものを食べることができた。1000円ちょっとで5000円分ぐらい楽しんだ、気がした。

フェリー乗り場で知り合ったおじさんとフェリーで旅の思い出を語り合った。千鳥足で満員の2等室に行って寝たが2時間で目が覚めてしまい本を読んだり音楽を聴いたりして暫く過ごした。

今日の走行距離は228kmであった。

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ありがとう、そしてさよなら Steve

2011-10-06 | 日々のこと

Appleの創設者Steve Jobsが逝ってしまった。Macとの出会いは就職した年だった。Windowsより遥かに優れたインターフェースとグラフィックス機能を持っていた。仕事では使っていたが、まだまだ高価で僕にとって自宅用に買えるものではなかった。その頃SteveはAppleを追い出されていた。SteveがAppleに復帰する頃社内のMacは駆逐されWindowsに取って代わられた。

1999年、自宅のPCを買うにあたりMac G4を買った。それからiPod、iMac、iPadなど生活を楽しく豊かにしてくれる物がいつもそばにいる。

数年前Apple本社近くに住んでいた。彼の通ったHomestead High Schoolの前を通って彼の通ったCupertino Junior High Schoolで開かれる日本語補習校に毎週末娘を連れて行ったものだ。Steveがここを歩いていたのだなと時々思うことがあった。

ありがとう、そしてさよならSteve。

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