風になれたら

SUZUKI Bandit1250Sに乗って風になり
中島みゆきや渡辺美里を聴いて風になり
山を歩いて風になる

いつか見た風景

2011-11-19 | バイク

11/13(日) 晴れ

久しぶりに快晴の日曜日だ。先週のツーリングで汚れたバイクを洗ってから車検の見積もりにバイク屋に行こうと思いカバーを取った。

さて動かそうと思ったら、んっ、重い。ギアは入ってないしなぁ、何だろう。動かすとブリブリと少し音がする。

もしや!?やはりパンクであった。

このままではどこにも行けないので自分で直せるレベルか確認する。

いた、こいつだ。真ん中だから修復可能だな。

半分ぐらいタイヤに空気を入れてからこいつを抜いたらシューって勢い良く空気が抜けて行ったので慌ててパンク修理セットのリーマーを穴に挿入して穴を広げる。

次に穴の空いた工具にゴムを入れて接着剤を塗ったらタイヤの穴に挿すのだ。

えいっ!と思い切り挿入したらそーっと抜くのだ。こんなんなった。

そして出っ張り部分を3mm程残してカッターナイフで切断する。

後はひたすらポンピングだ。空気圧が規定値になるまで合計で200回以上ポンピングして汗が出てしまった。

エアコンプレッサーがあればなぁ、でも何処に置く?

こいつが犯人だ!年期の入った釘だろうか。

山の中で目覚めた時にこうなっていなくて良かった。修理セットはあっても空気入れがない。

空気入れはどうしよう。ボンベか?携帯用ポンプか?(自転車の携帯用は持っているけどけっこうかさ張るのだ)

ゆっくり考えよう。

 

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秋は短し

2011-11-19 | 

11/5(土) 曇りのち雨

朝起きるとそれほど寒くなかった。夜半から曇っていたようでいつ雨が降ってきてもおかしくない空模様だ。

松ぼっくりかな?なんか薔薇みたい。

レトルトの牛丼を食べてから1時間程釣りをした。キャンプ場に池があって虹鱒や岩魚がいるとのことだった。

魚がいることと釣れる事は違う。ルアーのタイプや色を変えたりしたが魚がアタックしてくることもなく今年最後と思われる釣りを終えた。

家に帰ってからテントやタープを干すのは面倒なので朝露に濡れたそれらを乾かしながら片付けた。気が付けばもうすぐ11時、出発しよう。

野麦街道(K26)を松本方面に向かっていると梓湖にかかる赤い橋が見えた。行ってみようと思い歩いていた老人に道を聞いた。

橋は通行止めであった。今は使われなくなった橋から湖畔の木々を眺めた。

荷物を積んだバイクを砂利の斜面に停めていたのでバイクの下敷きにならないよう切り返しには苦労し一汗かいてしまった。

野麦街道がK26からR158に変わる。左にダム湖を眺めながら赤や黄色に染まった山の間を下って行く。のんびりとしたドライブにいい感じの道だ。

途中手打ちの文字に釣られて蕎麦屋の暖簾を潜った。スナックのようなカウンターがある雑多な店内に人影はなく照明も消されていた。逃げよう。

松本ICを過ぎてすぐに本店と書かれた看板に釣られて蕎麦屋の暖簾を潜った。榑木野(くれきの)と言う店でほぼ満席であった。良かった。

欲張りなざるセットを注文した。山菜、とろろ、なめこ、そして野菜の天ぷら。天ぷらは塩で、そばにはつゆをかけていただく。

安心感のある美味しさであった。家族や仲間と立ち寄ってもいい店だろう。

松本の街を抜けて浅間温泉へ向かった。共同湯があれば入ろうと思っていたのだが場所もわからず温泉はもういいやと裏道を走っていたら古い旅館があった。

木造3階建ての飯田屋別館だ。良く煮込んだ鍋底の昆布のような佇まいだ。

その向かいに会った枇杷の湯、とても立ち寄り湯には見えない立派な建物だ。この温泉の歴史は古く松本城主の湯殿だったそうだ。

浴場に向かう廊下には竹久夢二の絵や湯守であった主の籠や裃なんかが飾られていていつも入る温泉とは趣が違う。

それもそのはず以前は高級旅館だったそうで建物も庭も素晴らしい。

お湯はアルカリ性単純泉で無色無臭でちょっと物足りないが施設も接客もしっかりしているので家族でゆっくりするのもいいだろう。

すっかり優雅な気分になった。そして美ヶ原スカイラインに向かった。今年は柿が豊作らしい。

少し行くと通行止めの看板があった。もう少し行くと道路は封鎖されていた。仕方ない回り道だ。

先ほどの温泉街に戻って山の方角を目指した。どうやら当たりだったようで紅葉の中を行く静かな道を見つける事ができた。

そして2車線のスカイラインへ続く道になった。スカイラインへは温泉街からよりもゴルフ場の方から行った方が良いようだ。

高度を上げて行くと道路に落ち葉が降り積もっていて安心できない道が続いた。このあたりは紅葉も終盤だ。

美ヶ原高原へ向かうK484、白樺の林へ入る手前で振り返ると谷間に雲がかかっていた。

晩秋のビーナスラインを走る。空が暗くなってきたので景色よりも走りを楽しんだ。

白樺湖を過ぎた頃から雨が降りだした。カッパを着る切っ掛けを逃してしまい大粒の雨の中をかなり走ってしまった。

蓼科ロープウェイの入り口を通過した。2009年にCB1300親父さんとのツーリングで待ち合わせをした場所だ。

その時に一緒に待っていたのはごんさんとTHE ITOさんで奇しくも2日前に一緒にいたメンバーだっだ。

街に降りてきたが雨が弱まる気配はない。流石に高速道路をカッパ無しで走行するのは厳しいのでカッパを着て家に向かった。

お土産は奈川村で買ったりんご、山菜の醤油煮そして馬タンの薫製でどれも家族に好評だった。

 

今日の走行距離は348km、伴ちゃん(Bandit 1250S)のオドメーターは47,250kmとなった。

 

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遠い記憶

2011-11-13 | 

11/4(金) 晴れ

寝る時は寒くなかったので薄着でシュラフに潜り込んだが、明け方は少し冷えて気が付くと丸まって寝ていた。

ここは標高1200mの高ソメキャンプ場、朝露がたっぷりと降りていた。

木々に包まれている錯覚を覚える。レトルトのカレーを食べたら出発だ。

野麦街道沿いは紅葉真っ盛りで時折梓湖に映る山々を眺めながら朝のワインディングロードを駆け抜けて行く。

今日の目的地は上高地で訪れるのは30数年ぶりだ。R158に入ると車の台数が増えた。長いトンネルの多いこの道を夏にバイクで走るのは避けたいなと思う。

沢渡の集落に着くと駐車場の人においでおいでと手招きされる。上高地はマイカーが規制されているので沢渡か平湯に車を置いてバスで向かうことになるのだ。

ある駐車場にバイクを置いて着替えているとゼファーに乗る男性が入ってきた。彼も上高地に行くのであろう。着替えながらバスの出発時間がわからなかったので駐車場から下に見えるバスの係の人にあとどれぐらいで出発するのか大声で聞いた。

あと2、3分で出発するとのことだった。ゼファーに乗る彼は急いでバスに向かった。僕は遅れてもいいんですよ、と言ったが急げば間に合いそうなので必要なものをデイパックに詰めてバスに走った。

バスに向かう途中でゼファーに乗る彼が忘れ物だと言って駐車場に戻って行った。間に合うといいのだが。

渓谷沿いをバスは登って行く。国道から外れてトンネルへ入った。このトンネルは2005年に開通した新しい釜トンネルとのことだった。以前のトンネルは勾配もきつくすれ違いもままならなかったらしいが、そこを通った記憶は消えていた。

どこで降りるか決めてなかったのだが帰りはバスターミナルから乗った方がいいとお知らせがあったので大正池から歩くことにした。今や大正池は半分人工池だが湖面に映る穂高の山々は神々しい。

池を抜けて暫く歩くとゼファー乗りの彼がいたので後ろから声をかけた。よかった、間に合ったらしい。河童橋までの1時間、彼と旅の話をし続けた。

途中、Webikeと言うバイク関連サイトで知り合った人と一緒に走ったりしているんですよと話すと彼もWebikeはよく見ているとのことだった。

彼の名はkkさんと言った。嬉しくなって一緒に走ったことのあるWebike仲間の名前を何人かあげるとスーさん、vansさん、ごんさんを知っていた。

話しながらも良い風景に出会うと足を止めてシャッターを押した。

突然開けた場所に出た。昔は湿地だったのだろうか、枯れた草むらが広がっていた。

そのそばの田代池にも朝もやがかかっていた。

歩道沿いには山小屋風の宿泊施設が何件かあった。こんな場所に泊まるのもいいだろう。

1時間程歩いて河童橋に近づくと人が多くなった。子供の頃雨に煙った河童橋を見て立っていた事を思い出した。

kkさんはこのあたりを少し歩いて帰るとのことだった。僕はもう上流まで歩こうと思っていたのでまたどこかでお会いましょうと言って別れた。

河童橋に着いたら何か甘いものを食べようと思っていたので目の前にあった五千尺ホテル内の5HORNに入った。

どのケーキにしようかと迷ったが人気のレアチーズケーキとカプチーノを注文した。

河童橋を眺めながら美味しいケーキを食べてコーヒーを啜っていると贅沢な気分になって伊藤淳史さんが「贅沢だ」と言う缶コーヒーのCMが頭に浮かんだ。

甘いものはいつだって満足を与えてくれる。パワーをチャージして上流を目指した。

途中枝別れした細い流れのひとつに寄った。夏だったら靴を脱いで足を浸してみたくなりそうだ。

河童橋から1時間程歩き明神橋近くまでやってきた。鋭い山が明神岳だ。

明神橋を渡った所にある奥穂高神社にお参りして梓川の右岸を歩いて河童橋方面に向かった。

澄んだ流れの中に何かいる、岩魚だ。人が近づいても逃げない。もちろんここは禁漁区だ。

明るい木道を行く。河童橋からちょっと歩けばそこは静かだ。

河童橋に戻るとちょうどお昼ご飯の時間だった。そして目の前に会った河童食堂に入った。

入り口にいい旅夢気分で横山めぐみさんがおすすめと書かれた岩魚わっぱ飯があったので食べてみた。僕は北の国からのれいちゃんの呪縛から逃れられないのか。

待つこと15分、上品な香りと供にわっぱ飯が届けられた。岩魚の味が良く出ていた。大盛りがあったら嬉しい。

隣にいたおばちゃんはなんか思ったのと違うと言って残していたが、それを下さいと言う訳にもいかないのでもったいないなと思ったのだった。

そしてココロの洗濯ができたような気がした上高地を後にした。シャトルバスに揺られながら渓谷沿いの紅葉を眺めまた来ようと思うのであった。

まだ日は高い、次に向かったのは白骨温泉だ。10数年前に同僚達と宿に泊まったことがあるのだけれど、どこに泊まったのか思い出せない。

沢渡からの近道は現在工事中で使えず、乗鞍高原からスーパー林道を通って行く道だけが現在使えるルートだ。

白骨温泉は道路が分断されたらすぐに孤立しそうな山の中にある温泉だ。

渓谷沿いにある共同湯に階段を下りて向かった。少しぬるめだったがいい濁り湯であった。

月って不思議だ。大きく見えても写真に収めると小さくなってしまう。

キャンプ場に戻って焚き火の準備をしていたらスタッフの人がまわって来て、今日天体観測をするのでよかったら来て下さいと言った。星を見るのは好きなので是非伺いますと答えた。

天体観測の7時までにまだ2時間あったので気仙沼産の秋刀魚の缶詰や野菜炒めなどをつつきながらビールと焼酎を飲んでいたら少し酔ってしまった。

このキャンプ場には小さいながらも天文台があるのだ。気が付いたら7時を回っていたので暗い細い道をトボトボと登って行くと天文台があった。すでに数人の人が集まっていた。

星座の解説などを聞いたり望遠鏡を覗いたりした後天文台の中に入った。

アンドロメダ、木星、二重星などをこの望遠鏡で眺めた。

双眼鏡で見たスバルはごちゃごちゃしていて車のSUBARUのマークにそっくりだと思った。

1時間程楽しませてもらいテントに戻って少し焚き火を眺めてから寝袋に潜り込んだ。

近くに泊まっていた歳のいった家族が昨夜に続き深夜まで騒いでいて時々起きてしまった。

どうせ起きているならと中島みゆきを聴いた。テントの中でひとり聴く歌はみゆきに限る。

今日の走行距離は73kmであった。距離は短いがよく遊んだ。

 

 

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悲しいことはいつもある ~リスクとリターン~

2011-11-08 | 

10/30(日)に予定されていた木曾御岳周辺、鈴蘭高原を行くCB1300親父さんとのツーリングが雨の為11/3(木)に延期となっていた。

当初連休は焚き火と温泉を楽しむ為ビーナスライン近くで2泊し、北海道ツーリングで知り合った釣り好きのドカ乗りと天竜川近くで1泊する予定だったので、行き先をちょっと変更し最初のキャンプ地は奈川村の高ソメキャンプ場に決めた。

今回の参加者は関西からCB1300親父さん、関東からごんさん、THE ITOさん、コウタロウさん、いままでに何度か一緒にワインディングロードを駆け回ったツーリング仲間だ。関東組の待ち合わせは中央自動車道藤野PAに6時だ。6時ぴったりにPAに到着するとごんさんとTHE ITOさんが待っていた。

次の休憩ポイントは諏訪SAだった。親父さんとの待ち合わせ場所は中津川ICから数kmのコンビニなのでまだ時間に余裕があり長めの休憩を取った。朝ご飯がまだだったので塩ラーメンを食べて温まった。ラーメンを食べ終わって駐輪場所へ向かうと自動販売機前でコーヒーを買うコウタロウさんに会った。コウタロウさんは休みが取れず不参加の予定だったのだが、実は勘違いで休みだったのでそうで急遽参加することにしたのだ。

中津川まで一気に走って約束のコンビニの向かいにあるガソリンスタンドを給油しているとコンビニの駐車場から手を振る親父さんの姿が見えた。久しぶりの再開でみんなの会話も弾んだ。

そこから旧中山道を行く。馬籠、妻籠の旧宿場街は観光客で溢れていた。妻籠は訪れたことがあるが、馬籠は訪れたことがないのでいつか訪れてみたいと思う。いつもは退屈なR19だが紅葉真っ盛りで思わずキョロキョロしてしまう。10時半過ぎに寝覚の床前の蕎麦屋「越前屋」に到着した。寝覚の床は昨年の夏に親父さんやごんさんと同じルートを巡った時の集合場所だった。

越前屋は日本で3番目に古い蕎麦屋とのことで創業300年を越え多くの旅人が蕎麦を啜ったとのことだ。我々はごんさんが主宰するバーチャル組織「Teamくねくねつるつる」メンバーなので蕎麦を食するのはお約束なのだ。決してTeam名を「つるつるうねうね」とか「つねつねくるくる」などと言ってはいけない。ごんさんからお叱りがあるからだ。

 

蕎麦は可もなく不可もなく、海老の天ぷらが4尾だったのが丸。亀は長寿のシンボル、浦島伝説の残る地だからだろうか、店内には木彫りの大きな亀が置いてあった。

ちなみに僕は蕎麦温泉教と言うWebikeのコミュニティーにも参加しているが語る程蕎麦を食べてる訳ではないのだ、と開き直ってみる。

おなかがいっぱいになったら木曾御岳山を目指す。R19からK473へ入った。途中色づいた山とバイクを思い思いに写真に収めたら出発だ。

ここで先頭を走っていたごんさんがお尻にまわった。僕は慣れたけど、ごんさんが後ろに着くとみんな緊張するらしい。

この数分後の出来事だった。左に曲がる下りのカーブの先でガシャン!パンッ!と大きな音がした。事故か!?悪い予感がした。

カーブの先に黒い軽自動車が停まっており2台先を走っていた親父さんのバイクが転がっていた。パンッ!と言う音は親父さんの来ているジャケットのエアバッグの音だと分かった。

すぐに横にあった温泉宿大喜泉の臨時駐車場にバイクを停めてTHE ITOさんと親父さんのもとへ走った。親父さんはフラフラと立ち上がって呆然とした様子だったが声をかけると大丈夫そうだった。

道路に転がったCB1300SBを起こそうとしたが右フロントフォークが折れてタイヤがブラブラしていてバイクのカウルも飛び出したフォークオイルでヌルヌルしていてなかなかバイクを動かせなかった。

相手の車は前の右側面が凹んで前輪がパンクしてホイールもぐねぐねになっており、道路に飛び散ったバイクのフォークオイルと供に事故の悲惨さを感じた。慌てて親父さんの足や手が機能しているか確認した。相手に怪我はなかった。

その後ごんさんが中心となって事故後の処理を粛々とすることができた。親父さんは警察による現場検証に立ち会った後、幸い近くにあった大きな病院に行き検査してもらうことにした。ごんさんが親父さんに付き添い他のメンバーはレッカー車と供に温泉宿で聞いたバイク屋に向かった。バイク屋ではレッカー車からバイクを降ろすのにまた一苦労だった。タイヤのないバイクは鉄の塊だ。少しして病院にいたごんさんから連絡があった。多少の打撲はあるもののレントゲンとCTで大きな問題がないことを確認できたとのことだった。

良かった。本当に良かった。親父さんの装備が万全だったのも大きな怪我がなかった結果だろう。暫くして2人がバイク屋に合流した。みんな口が重い。親父さんの前を走っていたコウタロウさんと後ろを走っていたTHE ITOさんのショックはさぞ大きいことだろう。

15時半過ぎにバイク屋で別れた。親父さんはバイク屋と今後の相談をして電車で帰宅し、みんなはちょっと走って家路に向かい、僕は予定のキャンプ場に向かった。

17時過ぎにキャンプ場に到着し、テントとタープを張ってビールを空けてボーッとしていたらとごんさんから 諏訪湖SAに着いたとメールが届いたのでキャンプ場に着いたことを連絡した。少しして親父さんから迷惑を掛けたことへの謝罪ともうバイクは降りると返事が届いたが悲しくてかける言葉も無かった。

 

でもおなかは空くのだ。160グラムで210円と言う破格の牛肉ですき焼き、肉とタマネギを食べ終わったらご飯を投入して雑炊にした。

今回のお楽しみは9月に行った北海道ツーリングでできなかった焚き火だ。

21時過ぎにみんなから無事に家に着いたとメールで連絡があった。

 

バイクツーリングは喜び、感動、人とのふれあいを与えてくれる。

バイクに乗ると言うことはいつも隣にリスクがあると言うことだ。

生きて帰る、事故を起こさない。これを反芻しながらまた旅に出る。

 

今日の走行距離は488km、伴ちゃん(Bandit 1250S)のオドメーターは46,829kmとなった。

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