浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

スズメたち

2017年01月22日 | 日記

こんなに寒風が吹き荒れる日々、スズメたちはどうしているだろう?と思う。

下の写真は去年2月22日の記事から

娘のブログを見ると、コトリ好きの親娘の思いが記されている。 

 @きっずはうす日記

先日のゴミ収拾日のときに、
網にスズメのこがひっかかってもがいていたのを
通りかかった娘が発見したらしい。

コトリ大好きな娘は、もちろん網から即座に助けてやったらしい。

...

で、、、娘は言います。
「スズメの恩返しがあるかな。。。」と。
秘かに期待しているみたい。
年明けからメルヘンなのはいいけれど、
そろそろボーイフレンドのひとりでもみつけてこないだろうか・・と
母は悩んでいます。

そういえば、私も19歳のときに、
箱の中に閉じ込められて屋上に捨てられていたヒヨドリを
助けだした記憶が蘇ってきました。
箱を開けると、まだほんのひなどり。
ペットショップに連れて行ったら、
エサ用のケムシを買わされた。・・・
ワリバシで三時間ごとにムシを食べさせた。
短大にも連れて行った。
まるで子育てだった・・・

成長したヒヨドリを再度ペットショップに連れて行くと、
野鳥の会というルートで
ヒヨドリを外の世界に飛び立たせると
いうことでした。

ヒヨドリにはモップという名前をつけてました。
ツライお別れで涙も出ました。

その数年後、
ちょっと不思議な出来事に遭遇しましたが
もしかしたら、
それこそがひよどりの恩返しだったのかもしれませんね。

北原白秋と『雀の生活』

かれこれ4,5年前のこと、偶然、北原白秋著『雀の生活』を読んだ。
白秋が収入の道を失い、貧窮の日々、スズメの暮らしを毎日見て暮らした・・・その時のエッセイ。
白秋はやさしい細やかな目で雀の生活を見ている。
雀は恩返しをするというが、白秋が『雀の生活』を出版したころから運がひらけたらしい。
章子夫人が「雀が夫を救ってくれました」と一文をしたためている。

『雀の生活』新潮文庫 

 

『雀の生活』

2012年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

高橋睦郎さんの「花をひろう」は、雀(2)。

北原白秋が貧窮のなかで記した『雀の生活』が版を重ね、ようやく貧乏生活を脱したことが章子夫人の一文でわかる。

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朝日新聞 2012.3.24

『雀の生活』、白秋全集15 (岩波書店刊)

  「雀の生活の巻末に」 北原章子

「私たちの葛飾の生活も実にみじめでした。そのカサカサの米櫃(こめびつ)の中から、一握りの米を持ち出すのが、夫にはなによりつらい事のように見えました。それは庭先に遊びに来る、雀たちに食べさせる為でした。そんな時、夫は私をかえりみて云いました。

「ほんとうに済まない。あんたにもこれだけ苦労をさせていながら、やっぱり雀にも食べさせなければ可愛そうだから。」

もうそう云われてみると私は何とも彼とも云えないほど、胸がつまってきました。そうした悲しい、一握りの米をも雀の群れは喜んで毎日食べに来るのでした。ある時は夫に、こんなことを云ったことがありました。(それはもう慰める言葉もなくなったからでしたが)

「若しもあなたが立ち行くことが出来ず、もう餓え死にするばかりだと云う場合が来ましたら、この雀達が一粒ずつでもお米をくわえてきて、きっとあなたをお助けすると思いますわ。」

「私がかつて夫に申しました通り、とうとう、雀は私たちを餓死の境から救ってくれました。『雀の生活』完成後は、私たちの物質的生活もやや幸福になってきました。雀が夫を救ってくれました・・・」

高校2年生になる孫が遊びにきた。

当時、高校2年生の孫はいまや大学3回生、就活真っ最中。

稀勢の里が優勝、横綱へ。 


大寒

2017年01月20日 | 日記

横なぐりの西風が吹く。ときおり雨か雪か。北風が当たる窓には結露がはじまった。

北部九州に暴風警報が出された。防波堤を波が洗う。

寒い!シニアの仲間はどうしているかな?
「ネーネー、おとといは、みんなカラオケが上手くなかった?」とつれあいが言う。
「そういえばそうだな…」
「いつも静かなTさん(女性)の声がとてもよく出てたワ」
「ウン、Oさん(男性)の声もよかった。『兄弟船』も『筑豊一代』もいい声だった」
「Yさんの『東京音頭』はいつもながら楽しい!」
「なんか、みんな大きな声が出て楽しそうだった!」
「同感!みんなお正月訓練したのかな?」
「みんな、声を出したかったのよ」

「Iさん(男性)が『SACHIKO』を歌ったのにはビックリ、あの歌を歌えるのは俺だけと
思っていたが・・・」 黒柳徹子さんや久米宏さんが司会をした『ザ・ベストテン』で
ばんばひろふみさんが歌った歌。娘や息子がまだ家にいたころ・・・

『みだれ髪』の前奏が始まる、誰もマイクを持つ気配がない、つれあいがマイクを握る。
みんなで歌った歌は40曲あまり、楽しいひとときだった。

吹きつのる風の行くへを眺めながら、思いもまたあちこちへ飛ぶ。

午後、糸島へ。2時前いっとき雪が降った。車の温度計は4℃。強風が吹き荒れる。
水を汲みに行くと、荒天につきお店は閉めますという張り紙。別の水くみ場へ。

雷山にはうっすらと雪。



小さな台車に15ℓのポリタンクの水、18ℓの灯油を乗せてクルマから我が家へ。
団地の周りは海風とビル風がからみあって普段でさえモーレツな風が吹く。きょうは暴風警報!
突風が私のハンチングベレーを持っていこうとする。片手で頭を押さえる。ちょうど少しばかり坂に
なっていた場所、片手では台車が押せない。私は風の力で身動きがとれない。となりのつれあいも
腰をかがめてうずくまる。これまで体験したことのない激しすぎる風!
風がゆるまったところで、ようやく風の難所を過ぎた。

大寒の日らしい体験。今夜は山沿いで積雪の予報。

 

 

 


高齢者の運転はいつまで?

2017年01月19日 | 日記

車検に出していたマイカーが返ってきた。

なにか、愛馬にも似た愛おしさ。相棒はつれあいが一番だが、愛車はつれあいの次にお世話になる奴(ヤツ)かなあ。
いまの車を求めて6年弱、年をとったので、遠出はあまりしない、雨の日、夜間走行はめったにない。

おかげさまで、免許を取って以来、無事故無違反。
しかし、油断は禁物、高齢者の事故が激発、高齢者による事故は、新聞、テレビの大きな見出しで扱われる。
長男がいうように、確かに万一、事故が起きてからでは遅い。
判断力、俊敏さが欠ける高齢者はよほどの注意が不可欠。

いまの車を買ったのは、2011年3月、東北大震災の直前だった。

そのときのブログ。

 

 

車を買う、いや買ってもらう!

2011年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、今日のICセミナーは、女性の力強さに圧倒された。

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なんという凄いパワー!いま、各地で活動する女性の活動の報告を聞いて、いま我が国を支えているのが女性の力であったかと、もろもろに思い当たる。

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つれあいは帰る私を待っていた。車を見に行こうという。私たちの車は3代目、13歳、13万キロを走った。無事故無違反、愛車はこれという故障もなく従順な驢馬の如く、私たちに尽してくれた。

しかし、寄る年波には勝てないというか、ウインカーが点灯しなくなる、暖房が切れる、どこかで油漏れをするといった故障が相次いだ。さいわいエンジンは快調!悪くなったパーツにはなだめすかしつ働いてもらう。なんとかもうちょっと頑張ってもらおうと考えていたが、油漏れがはじまった。修理見積もりは10万円弱。先週、つれあいとモノの使用期限について語った。クルマも人間も耐用年限に近づいた。もはや、私は73歳、せいぜいこの後、数年、車の運転をしても5万キロか10万キロ。新車でなくていいなあ。

ディーラーへ、新古車がある。走行距離2000キロ、ディーラーが試乗車として使った車。新車に比べれば安い。とはいえ、恥ずかしながら私は貯金ゼロ、毎月いくらかを払うことしかできない・・・

つれあいが言う、「私が車の代金は払いましょう!」。

「ひゃー・・・」、ディーラーさんもびっくり、私もビックリ。

どうやら、貯金もできていない私の性格を知り、ひそかにこの日に備えてくれていたらしい。
「こんな高価な玩具を買ってもらってアリガトさん!」。
長男からメール、「がんばって働いていることへのご褒美でしょうね!」
ハイ、ハイ、老驢馬にニンジン、老爺にクルマ!働きましょうゾ。

 

2017年・・・
あれからもう6年、爺も愛車も齢を重ねる。じいも車も点検整備!
だが、高齢者の運転はいつまで可能か?という難問は目の前から消えない。

昨日はシニア仲間と毎月1回のカラオケへ。

 


博多湾と埋立地

2017年01月18日 | 日記

団地管理組合の情報誌2017年冬号がきのう配られた。906という数字は私が住む団地906世帯を表すという。

航空写真は博多湾の歴史を読み解くいい材料だ。

博多湾岸一帯は古来、埋め立てが続いてきた。
平清盛が造成したと伝えられる貿易港“袖の湊”も、1274年元寇で元軍と九州の御家人が戦った鳥飼潟も町の中になった。
1989年開かれたアジア太平洋博覧会は埋立地、地行浜と百地浜で行われ、そのあとは福岡ドームが建設されたり、
住宅地と化した。愛宕浜もこのとき生まれた。

表紙を見れば、室見川左岸愛宕浜のおよそ5つの団地がよくわかる。
室見川右岸には、高層マンション、電波塔の福岡タワー、ホテル、ドーム球場などが遠望できる。