奈良大和路は本当に美しかった。
『古事記』より。
[倭(やまと)は 国のまほろば
たたなづく
青垣 山隠れる(やまごもれる)
倭し 美わし]
※ [大和の国は
国々の中ですぐれて美しい国
幾重にも重なった青々とした山にかこまれ
その中にこっぽりとこもる
大和は、おお、なんと美しい国 ]
倭建命(ヤマトタケルノミコト、『日本書紀』では日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と表記)は、東国遠征から帰る途中、故郷やまとを目前にしながら、もう一歩も進めなくなった。故郷のやまとをしのんで倭建命が歌ったのがこの歌という。
『田辺聖子の古事記』(集英社文庫)より
“やまとは国のまほろば”という言葉が、ヤマトタケルの死の間際の望郷の歌であることを知った。
水と米を作る土地に恵まれ、やまとの国は古代から豊かで住みやすいところだったのであろう。
大阪なんばを歩いた。人がいっぱい、道頓堀とグリコの看板を見て、大阪に来たことをなんとなく納得・・・