浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

横井小楠

2012年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

「国家は富むだけではいけない。軍備を増強するだけではいけない。地球上で一番大切なのは、お互いにその立場を認め合い、お互いがお互いをゆるす寛容の心がなければならない・・・(大義を四海に布かんのみ)」

ユネスコ精神にも通じるこのような考えを幕末に説いた男があった。横井小楠(ヨコイ・ショウナン)。

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熊本市の郊外、東に阿蘇、南に九州脊梁山地をのぞむ沼山津の地に居を構えていた。いま、横井小楠資料館となっている旧宅「四時軒」に、“生誕200年”ののぼりがひるがえっていた。

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黒船来航のころ、吉田松陰も坂本龍馬もここを訪ねた。龍馬の「日本を洗濯する・・・」の文言はどうやら、小楠の言葉を借用したらしいことがわかる。

家の前は秋津川、土手には桜並木が連なっていた。

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酒癖が悪く、細川藩でももてあまし者だったらしい。しかし、福井藩主松平春嶽に重用され、明治新政府の要職についた。小楠61歳、無念、京都で暗殺された。

いま熊本市と福井市は姉妹都市となっている。私の母方の祖父は福井の人。母の母は熊本城下古町と呼ばれた町の娘。明治のころ、何故、福井と肥後の国の男と女が結ばれたのか、ときどき疑問がかすめる。


地獄・垂玉温泉

2012年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

背中が痛い。体のあちこちが痒い。永年の垢も落としたい。昔懐かしい温泉をひとりめざした。

熊本、阿蘇山の一角の秘湯、垂玉(タルタマ)温泉と地獄温泉。海抜700m。

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垂玉の露天風呂、湯壺から眼前に落ちる滝を眺めることができる。昔は山を降り、バスを待つ時間にドボンとできた・・・きのう、ヤマザクラが咲いていた。山口旅館はつれあいの両親が新婚旅行に行ったそうな。

地獄温泉は垂玉温泉から500mほど、菜の花、サクラ、新緑、時おりウグイスの声。

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清風荘という旅館が一軒、いまも湯治の人たちがいらっしゃる。

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「すずめの湯」という露天風呂がある。中1の林間学校で行ったころとあまり変わっていない。温泉の質は硫化水素の匂いが漂う白濁した湯。露天風呂の周りには小さな地獄があって、ブクブクと小さな泡が吹き出す。その音が雀の声に似ているから「すずめ地獄」というと聞いたことがある。

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私の痒みは薄れた。2,3日でも湯治をすれば、カイカイもとれるだろうが・・・長男が生後10カ月の赤ん坊のころ、夏、頭にトッコス(おでき)ができて、なかなか治らなかったが、この温泉で3日過ごしたら、あっという間に治ったことを思い出した。