「国家は富むだけではいけない。軍備を増強するだけではいけない。地球上で一番大切なのは、お互いにその立場を認め合い、お互いがお互いをゆるす寛容の心がなければならない・・・(大義を四海に布かんのみ)」
ユネスコ精神にも通じるこのような考えを幕末に説いた男があった。横井小楠(ヨコイ・ショウナン)。
熊本市の郊外、東に阿蘇、南に九州脊梁山地をのぞむ沼山津の地に居を構えていた。いま、横井小楠資料館となっている旧宅「四時軒」に、“生誕200年”ののぼりがひるがえっていた。
黒船来航のころ、吉田松陰も坂本龍馬もここを訪ねた。龍馬の「日本を洗濯する・・・」の文言はどうやら、小楠の言葉を借用したらしいことがわかる。
家の前は秋津川、土手には桜並木が連なっていた。
酒癖が悪く、細川藩でももてあまし者だったらしい。しかし、福井藩主松平春嶽に重用され、明治新政府の要職についた。小楠61歳、無念、京都で暗殺された。
いま熊本市と福井市は姉妹都市となっている。私の母方の祖父は福井の人。母の母は熊本城下古町と呼ばれた町の娘。明治のころ、何故、福井と肥後の国の男と女が結ばれたのか、ときどき疑問がかすめる。