創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会・公明をブッた斬る-7

2019-04-04 09:20:12 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
「創価学会・公明党をブッた斬る」  藤原弘達
       …S60/10=1985年…〈日新報道〉¥1,000
    ------(P42)---(以下、本文)-------

創価学会・公明党はどんなウソをついたか
 
当時の自民党幹事長・田中角栄が、私に会いたいというので、赤坂の料亭「千代新」へでかけたのは十月十五日のことである。この時、私が「この問題について総理(注・佐藤栄作)は知っているのか」とただしたところ、田中幹事長は「総理には、いっていない。自分は竹入らとの平素のつきあいから頼まれたものだ」と言明した。
 田中角栄の、私の本の出版を初版だけにし、その殆どを買いとる“斡旋”案は、要するに、本をヤミからヤミへ葬ろうというもので、もちろん、私は一蹴した。再度、十月二十三日夜、同じ赤坂の「乃婦中川」で会った時、私は田中角栄にいった。
 「角さん、こんなことをやっていたら、あんたは絶対に総理大臣になれませんぞ」--今でも覚えている。あの田中角栄が顔面蒼白になったものだ。

 これで談判決裂になったのだが、私としては、田中角栄がこの問題に介入したことは最後まで伏せておくつもりだった。政治家としての彼の将来も考えたし、当時、人間的にもキライではなかったからだ。この件に関しては、池田、竹入、矢野、そして田中と藤原の五人以外は誰も知らないということだったから、出版元の幹部にすら伏せておいたくらいである。田中角栄にも、「あなたの名前は出さないようにする」と一応はいっておいた。
 しかし、その後も妨害やイヤガラセは続出した。あまつさえ、十二月十三日、NHK 二党間討論(共産党-公明党)において、公明党・正木良明議員が「そんなこと(出版に対する圧力、妨害)はしていない。全くのウソである」と全面否定した。ここに至っては、もはや、何をかいわんやである。黙っていては、私が言論人として自殺行為に等しいウソをついたことになる。十二月十五日、『赤旗』記者の取材を受けた時、私はいった。
 「よし、こうなれば名前を公表しょう。それは自民党の田中幹事長だよ……NHK テレビ討論会という公の場で、公明党代表が出版妨害などしていない、全部ウソだといったのだから、私も黙ってはいられない」
 言論・出版妨害に田中角栄が介入した事実は、こうして私の口から明らかにしたのである。

 それでもなお、公明党・竹入委員長はシラをきった。四十五年一月五日、竹入公明党委員長の発表した談話「私及び矢野書記長を含めて出版会社に中止を求めたというのは事実無根の中傷だ……共産党が一方的にやった、やったといっているだけだ」がそれである。
 滑稽なのは、これは後になり俵孝太郎らも雑誌に書いているのでわかったことだが、私が、「千代新」で田中角栄と会っている時、池田大作と公明党委員長・竹入義勝両人は隣室で聴き耳を立てていたそうだ。盗聴器こそ使わないが、そのものズバリの“盗聴”(盗み聴き)なのだ。
 こうなると、まことにマンガ的としかいいようがない。会員数七百万世帯の新興宗教に君臨する男と、いやしくも国会に議席をもつ公党の委員長たる男の二人が、襖越しに盗み聞きをする図を想像されよ。いや、マンガ的と嘲笑してすまされないのである。民主主義社会において、公人の立場にある人間として、これほどの陰険さは類をみない。陰険というより、まこと卑劣極まる、あさましいの一語に尽きよう。 創価学会・公明党は、私の事件以前、既に言論・出版妨害の累犯者だった。前例として挙げれば、 ・ 植村左内『これが創価学会だ』(しなの出版)、 ・ 隅田洋『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』(東北出版社) ・ 遠藤欣之助他・民社研機関誌『改革者』、 ・ 内藤国夫『公明党の素顔』(エール出版社) 等々、枚挙にいとまなし、である。事前のイヤガラセや脅し、買収工作、政界実力者や黒幕登場での出版中止仲介(つまりは圧力行使)などの手口の数々、驚くほど類似のパターンであり、私のケースと全く同じなのだ。
 例えば、内藤国夫『公明党の素顔』の場合、戦前派右翼の大物として知られる、日本船舶振興会会長、勝共連合名誉会長・笹川良一が登場する。そのくだりは、次のようなものだ。

「……笹川氏は、『私はこれまで人のためになることしかしてこなかった。あなたの本が出て公明党が大変困っているらしい。私は前に公明党に借りがあるので、この際その借りを返したい。そのためにあなたの本を全部買いとりたい。あなたも本が売れなくて困っておるだろう。本は出版したのだからもう目的は果たしたはず』と主張した。
 私は、『人に読んでほしいと願い出版した。人に読ませるためならいくらでも買って下さい。ただし、絶版には絶対しない。売れれば売れただけまた出版します』と返事したところ、笹川氏は、『人に読ませたくないから買うんだ』とのこと。『それでは私の本を売るのをお断わりします。あなたが、本を買い上げるのは公明党のためにはなっても、私のためにはならないから、あなたの主義にも反するでしょう』と言って別れた」(内藤国夫「新聞記者として」筑摩書房)

 「人のためになる」ことを主義とする笹川良一は、公明党に借りを返すためと称し、内藤国夫の本をヤミに葬ろうと図る。田中角栄も、初めは「……自分と竹入らとの平素のつきあいから頼まれた」と、私に買収工作をもちかけた。自民党幹事長が妨害工作に介入したことを私が公表に踏み切った後、四十五年一月六日、田中角栄は苦しい弁明ながら事実を認めている。「公明党が弱ったナとつぶやくのを聞き、すこし、おせっかいをやいた」--笹川、田中、二つの場合とも、自分たちのお節介からやったということで、公明党からの働きかけはなかった、とかばっているわけだが、これも全くの大ウソである。
 田中や笹川がいうように、公明党に借りを返すのが、お節介を焼く理由の一つであったにしても、それだけじやない。公明党は、野党だの、革新だのと呼号するのだが、政権党・自民党幹事長や右翼の大ボスが公明党のため一肌ぬごうというには、それなりの理由があるはずだ。
 いかに野党ぶってみせようと、革新ぶろうと、裏では政権党にスリ寄るし、右翼大ボスと気脈を通じる、全くもってのインチキ、まやかしなのだ。
     ----------(次回に、つづく)---------46

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